黒神の聖女〜言葉の紡げない世界で〜   作:きつね雨

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44.マファルダスト⑩

 

 

 

 

 

 

 ドルズスは自分がここ迄緊張するとは考えてもいなかった。神々の敬虔な信奉者ではあるが、それは目の前にいるフェイとて同じ筈だ。それなのに両掌から汗が滲み出るのを止める事が出来ない。

 

 此処はセンにある宿泊所の一つだ。どちらかと言えば安宿で、彼方此方にゴミも落ちているし薄汚れてもいる。ドルズスが座る椅子は脚の高さが合っていないのかガタガタと安定しない。今から会うであろう天上人が住う場所には相応しくないと憤りすら感じる、そんな安宿なのだ。

 

「……フェイ、ホントに此処なのか? 神々の使徒が寝泊りするには余りにボロいだろう……」

 

「ああ、間違いない。そもそも宿が空いてなかったんだからしょうがない。それに聖女は献身の塊りだとお前が言っただろう? 旅の間も苦しい顔すら見せず、付き従って来てくれたよ」

 

「そ、そうか……握手くらい大丈夫かな?」

 

「……くくく、お前がそんな繊細な人間だと初めて知ったよ。聖女はそんな堅苦しい人ではないと言ってるだろう。皆に別け隔てなく相手をする人だよ」

 

「聖女だぞ!? むしろ緊張しない方がおかしいだろうが!」

 

 フェイはカズキが酒好き酔どれ聖女で、恥じらいすら殆ど持たない少年の様な少女だと言うべきか悩んだ。余りに幻想を持ち過ぎては現実に押し潰されるかもしれない。まあ、それも面白いと思っているが。

 

「さっきも言ったが、聖女に言葉は通じないからな? 変な誤解をするなよ?」

 

「ああ、俺は聖女様に一目会えれば満足だ。分かってるって」

 

 人待ちは時間が経たないものだが、極度の緊張は逆に時を推し進めたのだろう。上階へ昇る階段の奥から扉の開ける音が響き、女性の声が聞こえた。ドルズスもよく知るその声は、間違いなくロザリーだった。

 

「カズキ、今日は少しだけ出掛けるから我慢しなさいよ。どうせマントで隠れるから、いいじゃないか……全く、何でそんなに嫌がるのかねぇ」

 

 ブツブツと愚痴らしき言葉を吐きながら、ロザリーは一人の少女を連れ歩いて来た。勿論ドルズスは聞いてはいたし、噂で想像もしていた。だが聖女の姿を見た時の衝撃は、結局和らぎはしなかった。

 

 大判のマントはロザリーが右手で抱えている。それが聖女の物だと知れたのは、ロザリーが別のマントを着込んでいたからだ。

 

「聖女さま……黒神の……」

 

 朝日を浴びて尚、艶やかな髪は漆黒で……翡翠色の瞳は涼やかな湖の湖面の様だ。少し小柄でありながらも女性らしい柔らかな曲線は、幼い純粋な空気を纏って僅かな混乱すら与えてくる。

 

 少女らしさを強調するハイネックのワンピースは、瞳と同じ翡翠色だ。 細い腰は力を込めれば壊れそうで、見詰めるのさえ罪と思えてくる……それに……

 

「……ドルズス、お前気持ち悪いよ……さっきから妄想が口から出てるからね……? 何が罪と思えてくる、だ。カズキに近づかないでおくれ!」

 

 ポカンと開いた口から出る言葉の数々は、ロザリーに寒気と鳥肌を立たせて思わず距離を取る。

 

「う、うぇ!? ち、違うんです聖女様! 決して疚しい意味では……」

 

 残念ながらドルズスは聖女との握手すら難しい様だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 テーブルを挟んでロザリーとドルズスは向かい合っていた。フェイはロザリーの隣で、カズキはロザリーの後ろに腰掛けている。ドルズスからはカズキの全身を見る事が出来なかった。

 

「ロザリー……勘弁してくれよ……別に悪さなんてしないし、聖女様の美しさに驚いただけだろ?」

 

「けっ……アイトールと言い、ドルズスと言い美人を見たら直ぐこれだ。うちのリンドもだし、油断出来ないね」

 

 ガックリと項垂れたドルズスは、フェイに目線で助けを求めた。ところが当のフェイは目蓋を閉じてドルズスを見てもいない。

 

 カズキはロザリーの肩口辺りからチラチラとドルズスを見ていて、ドルズスは嫌われては無い様だと少しだけホッとした。

 

「下らない事はいいんだよ。ケーヒルの旦那とは繋ぎ取れたのかい?」

 

 ロザリーの声音が変わり、森人の険しい顔付きに変わった。

 

「ああ、意外と簡単だったよ。向こうも手を探してたみたいだからな、町にも何人か連絡役がいたし」

 

「そうかい、朗報だ。ただ、何処に主戦派の息が掛かってる奴がいるか分からないからね。事は慎重に運ばないと。どうやって会うのがいい?」

 

「本当を言えば、直接会わない方が良いだろうと思う。それは難しいのか? 文書でのやり取りもあるだろう」

 

「……時間がないね。マファルダストは予定通り、明後日には森に向かうよ。町には長く居たくないからね。この娘に窮屈な想いはさせたくないし、町は人が多すぎる。危険だよ」

 

「この娘って……いや、そんな事はいいか。なら、逆をとろう。マファルダストは予定通り森へ向かう。そして偶然ケーヒル副団長一行に出会い、立ち話になった……そういう筋書きだ」

 

「ドルズス、センと森の間に部隊が出れば嫌でも目立つぞ。幾ら偶然を装っても噂が立つだろう」

 

 目蓋を閉じていたフェイは、あえて苦言を出し反芻出来るよう仕向ける。

 

「間には来ないさ。近くの村で補給したい物がある。マファルダストは樹液採取の道具が少ないからな、それを揃えに行くんだ。偶然にも騎士団が居る近くの村でね」

 

「成る程な……姐さん、問題ないと思います」

 

「ああ、それで進めよう。どの道完璧な案など無いからね、上手くやるしかない。それに考え過ぎなだけかもしれないし」

 

「じゃあ進めるぜ? 明後日にセンを出て翌日には会えるだろう。俺は今から動くから、そっちは準備をそのまま始めてくれ」

 

 ドルズスはガタガタと鳴る椅子を蹴り、早足に宿を出ようとした。

 

「ドルズス!」

 

 ロザリーの声に振り返ったドルズスは、思わず背筋が伸びた。ロザリーに手を引かれ聖女が自身の前に立ったからだ。背の高い方ではないドルズスでも聖女はやはり小さく見える。少しだけ困惑した顔も、やはり美しい。

 

「カズキ、コイツも仲間だよ。今からお仕事さ……ほらドルズス、手を出しな」

 

 ゴシゴシと服で掌を拭ったドルズスは、すぐに汗か噴き出るのを感じた。何度ゴシゴシと拭いても汚れている気がして、何故か申し訳ない気がしてくる。

 

 手をなかなか前に出せないドルズスだったが、カズキは察してくれたのだろう。躊躇などする事無くドルズスの右手を軽く握って二度優しく振る。

 

 これでいい?とばかりにロザリーを見たカズキは、直ぐに手を離して席に戻って行った。

 

「……俺、頑張るわ……」

 

「ああ、そうしな」

 

 ドルズスは踊る様に扉から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カズキの下着を揃えたくて、ロザリーは町を歩いている。数歩離れた後方にはジャービエルが付き従っていて、隣にはマントを深く被ったカズキが遠慮がちに周りを見渡していた。

 

 テルチブラーノで揃えたつもりだったが、まさか隊商にここまで同行するとは当時想定していなかったのだ。その時揃えたのは、可愛らしく色合いも淡い少女らしい下着ばかりだった。ロザリーの趣味も入り、旅装とは程遠いと言わざるを得ない。

 

「成長期だろうし、適当に買う訳にもいかないしねぇ……」

 

 出来れば外に連れ出したくは無かった。町中は人も多く、気も配れなくなる。だが成長期の身体に合った物が大事だし、まだ暫くはマファルダストと共にいるのだ。頑丈で身体と旅に適した下着を揃えなければならない。

 

 そんな事を思い隣を見たが、案の定他に気を取られている様だった。

 

「本人は分かって無い様だけど」

 

 ロザリーは、苦笑なのか愛しい娘への微笑なのか、自分でも判然としない笑みを浮かべた。

 

 カズキは鍛冶に興味がある様だった。騎士達の剣だろう鋼をカンカンと叩く鍛冶師達の手元を歩きながらも眺めているのだ。

 

「変わった子だよ、すぐ隣りの装飾品には興味ないのかねぇ。あのイヤリングなんて似合いそうだけど……はぁ」

 

 年頃の娘なら汗臭い親父が叩く金属なぞに興味など持たないものだが、聖女様は違うらしい。隊商の馬車にも以前興味を示していたし、愛らしい姿でなければその辺の悪餓鬼と余り変わらない。

 

「少し見ていくかい?」

 

 それでもロザリーはカズキが見たいなら見せて上げたいと思った。再び目についた鍛冶師の匠の業を暫し眺める事にする。

 

「ん? なんだ、近づいたら危ねーぞ」

 

 森人だろう女と娘一人が立ち止まるなど、かなり珍しい。それでも美人の母親と、マントの影に垣間見える娘の美貌を見てやる気にならない男など少ないだろう。

 

「これは騎士の剣だ。魔獣にも通じる様に鍛え方が違う。こう……やって何度も折り畳んでは叩き伸ばすのさ。余計な不純物を取り除いて、硬くそれでいて柔軟な鋼にするんだ」

 

 弟子に教える様に畳んでは叩くを少しだけゆっくりと見せてくれる鍛冶師に、流石のロザリーも興味を持つ。因みに本当の弟子にはこんなに優しくなど無い。

 

「へえ……見事なモンだねぇ……まるで奇術を見てるみたいだよ」

 

「ははは、アンタ森人かい? 女だてらに珍しいな。ウチは小剣も鍛えてるから、興味あったら見ていきな。まあ、娘さんにはまだ早いかもしれんが」

 

「……今は間に合ってるけど、帰りにでも寄らせて貰うさ。ナイフは? この娘でも持てる様なナイフがあれば助かるけどね」

 

 森内部に連れて行く気は当然ないが、人相手の護身には必要かもしれないとロザリーは会話を続けた。

 

「ナイフなら奥にある。手前から奥に行くにつれ出来が良くなるぞ。まあ、その分高いがな」

 

「ほお……」

 

言われた通り、鍛冶場と離れた場所に簡易な陳列棚があった。

 

 ロザリーが気になったのは奥から二番目のナイフだった。少し長めだが良い造りだし、何より軽い。貧弱なカズキでも十分携行出来るだろう。

 

「これは拾い物かもしれないねぇ」

 

 柄から剣身まで通して鍛えられたのだろう。一体であつらえたナイフは装飾も美しく、淡い緑色をしている。色合いがカズキの瞳に近いのがロザリーには気に入った。

 

「親父、これ貰えるかい?」

 

「おう、思い切りがいいな。まだ刃を入れてないから、仕上げたら納品だな。2日くれ」

 

「明後日の朝にはセンを出るから、それが期限だよ。間に合うかい?」

 

「ああ、任せてくれ。明日夕方に来な、仕上げとくよ。代金は……」

 

「隊商マファルダストに回しておくれ。これが証文だよ」

 

「本物だな……マファルダストかよ……女って事はアンタ、隊長のロザリーか?」

 

「そうだけど、私は只のロザリーさ……現金でも良いが、どうする?」

 

「ああ、回しておくよ。 鞘はオマケしておくさ」

 

「太っ腹だね! 森から帰ったらまた寄らせて貰うからね」

 

 鍛冶師は知らない内に世界に唯1人しかいない、神々の使徒"聖女"に初めてナイフを納める事になったが……本人は最後まで気付く事も無かったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何故か微妙に嫌がるカズキを押さえ付け、漸く何着かの下着を買う事が出来た。

 

 ロザリーは幾つかの拘りを捨てられず、それぞれを試着させてまで選び尽くした。この世界では試着は一般的では無く、店員に苦い顔を何度もさせた程だ。

 

「その髪留め早く着けて欲しいけど、町を出る迄はお預けだね……」

 

 お詫びついでに髪留めを購入したロザリーは、カズキの黒髪を触りたくてウズウズしていた。銀月と星をあしらった髪留めは、今着けてもマントに隠れてじっくりと見る事が出来ないのだ。

 

 

 

 カズキとの楽しい時間に少しだけ気が抜けていた。終始無言のジャービエルも女性の長い買い物に疲れを隠せていない。

 

 だから運が悪かったのだろう。

 

 強い向かい風が三人の間を吹き抜ける。

 

 風はロザリーの赤髪を踊らせ、ジャービエルの目に砂埃を喰らわせた。

 

 そして、カズキが被るマントが風に遊ばれて僅かな時間だけ素顔が晒されたのだ。それは一瞬で、周辺の人々は聖女に気付きもしなかった。慌てたロザリーも安堵の息を吐き、ジャービエルもその一瞬を見逃した。

 

 

 

 だから、通りの向こう側にある訓練用の広場で1人の男が驚愕の表情をしたのも本当に偶然だった。

 

 焦げ茶色したザンバラ頭は僅かに揺れ、同じ色の両眼は大きく見開かれた。その眼にどんな感情が込められているのか、直ぐに消えた表情からは何も分からない。

 

「ディー教導官、どうされました?」

 

「何故アイツがセンに……」

 

 ディーと呼ばれた男は徐に鎧を脱ぎ始め、訓練用の木剣を放り出した。

 

「教導官?」

 

「自主練に変更する……それぞれが与えた課題に取り組め。結果は明日確認する」

 

 吐き捨てる様に言葉をぶつけると、ディー……ディオゲネスは町の雑踏に消えて行った。

 

 広場に残された新人騎士達は暫く呆然としていたが、尊敬する教導官の指示を忠実に履行し始めて直ぐに混乱は治まった。

 

 そんな騎士達の声も剣撃の音も町の喧騒に混じり、全ては元通りになる。その内に違和感は消え失せて、センは日常に帰っていったのだ。

 

 

 

 

 

 

 




ディオゲネスに見つかってしまうカズキ。
次回は"赤と黒の狂宴①"7話構成です。この物語の大きな山場の一つが来ますのでので、続きを読んで貰えるとありがたいなぁ。内容は題から察して下さい……
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