黒神の聖女〜言葉の紡げない世界で〜   作:きつね雨

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50.赤と黒の狂宴⑥

 

 

 

 

 パチパチ、ゴウゴウと森は赤い炎に包まれている。

 

 炎の壁は高く、消える気配も無い。燃える水で人工的に作られた壁は暫く形成したままだろう。木々にも延焼を始め、パキパキと膨張した水や空気で爆ぜる音もする。集まった魔獣達は炎の壁の向こうで揺ら揺らと体を揺らしていた。

 

 そんな激変した森に目もくれず、聖女を囲う男はニヤニヤと腕を伸ばした。

 

 カズキの顎を手で掴み、俯く顔をグイと上向かせた騎士の顔は歪んでいる。加虐心と独占欲、血と戦場の興奮は騎士を汚い屑へと変貌させていた。

 

「聖女さまぁ、泣かないで下さいよ。今は怪我人もいないし、少し遊ぶのはどうですか? ほら、綺麗な顔をもっと見せてください」

 

「汚い手で触るんじゃない!! それでも誇り高い騎士なのかい!」

 

「黙ってろ!」

 

 両手を後ろ手に縛られたロザリーは、地面に押さえ付けられながらも声を張り上げた。カズキを弄ぶ騎士は情欲すら感じさせて、吐き気を催す程の醜さだ。残り二人の若い騎士も、ロザリー達の背後から怒鳴り声を上げるだけだった。

 

 両腕を破壊され這う様に聖女の元へ来た騎士も、先程嬉々として戦場に帰った。

 

「ちくしょう! お前らは人間じゃ無い! 魔獣よりも醜い化け物どもめ!!」

 

「黙ってろって言っただろう!」

 

「ぐっ……」

 

 騎士は右手でロザリーの頭を地面に押し付けて、グリグリとなすりつける。ロザリーは余りの悔しさと怒りで気が狂いそうだった。

 

 最初に癒されたフェイは気絶させられたのか、ロザリーの横で倒れたまま動かない。

 

 カズキは右手が痛むのだろう、整った顔を歪め騎士を睨み付ける事も出来ない。それでも涙に濡れた眼は赤い炎に照らされて美しかった。

 

「本当に綺麗な翡翠色ですなぁ。私の傷付いた心も癒しては下さいませんか? ははっ、俺も上手いこと言うよな」

 

 周辺は炎に照らされ、戦死者も多数出ている。運び込まれた騎士達は殆どが重症で、戦場の苛烈さを示していた。それなのに……再び戦場に嬉々として戻る騎士も、カズキに纏わり付く屑も狂気を隠しもしていなかった。

 

 押さえ付けられたロザリーが目に入ったのか、カズキに少しだけ力が戻る。映すのは純粋な怒りだろう。自らの血はどうでもいい、ただロザリーが傷付き涙するのを見るのが嫌だった。

 

「おや? 聖女様ともあろうお方が、そんな物騒な眼をする物ではありませんぞ。ほら、笑顔を絶やさないで」

 

 正に異常者の言動だった。それを耳にしたロザリーに怖気が走る。こんな奴がカズキの肌に触れるなど、絶対に許せはしない。

 

 歪んだ笑みを浮かべながら顎から首へツツツと指を這わせる。見事な刻印に触れる自分に、感じた事の無い陶酔感を覚える。まるで神々へ触れているかの様に感じていた。

 

 その時だった。

 

 グヴァン!!

 

 背後から今迄以上の炎が上がり、爆発する様な音が全員に届いた。流石に騎士達も背後を振り返って新たな赤い壁が形成されたのを知る。丁度自分達、つまり聖女を中心にした半円だ。

 

 カズキは空いた左手で目の前の騎士に手を伸ばした。腰に刺してあるナイフをそっと抜き取ると、ロザリーの方へ放り投げる。見張りの騎士二人も炎に気を取られ、全く気付いていない。

 

 もぞもぞとナイフを体の下に隠したロザリーは、カズキを見て頷いた。

 

「な、なんだ!? 何が起きた? 誤爆?」

 

 そして此方に歩み寄るディオゲネスを見た。

 

「き、教導官殿、何が?」

 

「馬鹿どもが! 背後を見るんだ!大木の後ろだ!」

 

 慌てて振り返った騎士達の眼には、立ち上がったケーヒルと、二人の森人らしき男達が映る。

 

「ケ、ケーヒル副団長!? どうやって背後から……」

 

 騎士達には明らかな動揺が走った。当然だろう……ケーヒルはアストと並ぶリンディアの英雄で、最強の騎士の一角だ。炎と魔獣に分断され此方に来るとは思っていなかった。

 

 ケーヒルは背中から大剣を抜き出し、早足から駆け足に変わりつつあった。

 

「聖女を離すんだ! 貴様も騎士の端くれなら誇りがあるだろう!」

 

 先程までカズキを甚振っていた騎士のなんと情け無い事か、尻餅をつきズルズルと後退りを始める。

 

「旦那ぁ……アンタの相手は俺がするよ! お前らは森人をやれ! その程度、魔獣の比ではないだろう!」

 

 ディオゲネスは血のりを拭うこともせず、赤い剣身をそのままに駆け出す。騎士達もディオゲネスの言葉に正気を取り戻し、剣を抜き放った。

 

 赤い炎は何処までも高く舞い上がり、周囲を照らす。熱量は強く、離れたケーヒルにすら感じられる程だ。

 

 それでも聖女の黒髪は赤く染まる事なく、何処までも漆黒を保ち輝く。

 

 そして、南の森は血をどこまでも吸い取っていくのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ディオゲネスは先程まで浮かべていた笑みを消し、ケーヒルに肉薄していた。ケーヒルも先にカズキを助けたかったが、ディオゲネスの想像以上の速さに相対するしかなかった。

 

「ディオゲネス……貴様、そこまで落ちたか!」

 

 ケーヒルは若きディオゲネスに大きな期待をしていた。尋常ならざる剣の才はアスト以上で、精神力も並外れていたからだ。ある街の悲劇が彼を変えたらしいが、この時代にはありふれた事の筈。悲しいがそれが事実だ。

 

「旦那、語る事など無い。聖女は渡せないな」

 

 ズバッ!

 

 乗った血糊すら空中に置き去りにして、ディオゲネスの突きはケーヒルに迫った。ケーヒルは身体を躱す事なく大剣で受け流そうとする。

 

 ガキン!

 

 ケーヒルは思わず眼を見開いた。触れた剣身から伝わる力が想定を大きく上回ったからだ。崩れた体勢を補う為、左脚を後退させ踏ん張る。倒れはしなかったが、反撃は不可能だった。

 

「くっ……」

 

 ケーヒルは敢えて身体ごと後ろに流し、ディオゲネスから距離を取った。身体のあった空間にはディオゲネスの追撃が走り、ブオンと空気が切り裂かれる。

 

 ディオゲネスは流石だなと小さく呟き、前傾姿勢を元に戻した。

 

 瞬きをする程の僅かな時間と言うが、正に一瞬の出来事だった。

 

 ケーヒルもディオゲネスも正眼に構え、ジリジリと間合いを取り始める。騎士が学ぶ基本の構えは二人の間に鏡を作り出したかの様だ。しかし、片方の剣身は歪に欠けて魔獣との激戦を物語る。

 

 剣先が僅かに触れ、キキと金属の擦れる音がした。

 

 ふっ……!

 

 ディオゲネスは息を吐き、ケーヒルの左腕を狙う。フェイもロザリーも見切る事が出来なかった剣はしかしケーヒルには通じない。

 

 巨体とは思えない動きで右にずれると、それでも残した腕ごと大剣を真横に振り抜いた。ディオゲネスの剣から僅かの隙間しか無い見事な見切りだった。

 

 大剣を受ける事はせず、身体を前に放り出して躱す。ケーヒルの背後に回ったディオゲネスは、さらに自身の背後にいる聖女をチラリと見た。

 

「やはり旦那は強いな、ちょっと時間が足りない。俺も無傷では無理そうだ」

 

 言外にケーヒルに勝てると言うディオゲネスに、ケーヒルは反論しなかった。僅か二合の斬り合いだったが其れは事実と分かったからだった。

 

「貴様、それだけの腕をどうやって……? 実戦からは遠ざかっていた筈だ」

 

 ケーヒルは森人の攻勢に賭けるしかない。ディオゲネスの尋常ならざる力は、最早手に負えない差となっていた。

 

 当の本人であるディオゲネスすら、自らの力に驚きを感じていたのだから当然だろう。元々ケーヒルと互角と読んでいたが、今の間で勝てると確信した。刻印はディオゲネスに力を与え、背後の聖女すら身近に思えるほどだった。

 

 人外の聖女を近く感じるとは、俺も焼きが回ったか。幾ら強くとも所詮は一人。神々の使徒、聖女を側に感じるとはな……神々から見放されたと堅く信じ、強く憎むディオゲネスは思わず自嘲した。彼はその憎しみすら糧となる事を知らない。

 

「だが、それも一興か……魔獣が殺到するのが先か、旦那が倒れるのが先か賭けてみよう。聖女よ、お前の為に死に行く者達を其処で眺めていろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジャービエルは何とか時間を稼ぎたかった。リンドがロザリーの縄を切る時間をだ。

 

 だが、参戦した者を合わせると三人となった騎士達相手では、リンドをロザリーの元へ送る余裕など無かった。何とか横を伺うとリンドも躱すのが精一杯の様子だ。

 

 リンドの若さで戦闘集団である騎士と互角である事は驚愕に値するが、今は褒める暇も意味も無い。

 

「くそっ!」

 

 此処でリンドの若さ、経験不足が出てしまう。騎士達は態と追撃せず、相手が焦れるのを誘っていたからだ。

 

 自慢の剣を大振りしたリンドは誘い込まれた事を知ったが最早間に合わない。泳いだ身体は言う事を聞かず、騎士の前に晒された。

 

 リンドは振り上がった剣身を呆然と見上げるしかない。死の予感は何故かしなかった。

 

「ぐわっ! な、なんだ!?」

 

 その騎士の左手に小さなナイフが刺さっていた。縄を切ったロザリーは即座に立ち上がり、そのままナイフを投じたのだ。その結果など気にもせず、横に倒れたフェイの剣を掴むと猛然と走り出す。

 

 ロザリーはカズキを助けたかったが、先程のケーヒル達の戦いを見て判断を変えた。騎士達を倒し、ケーヒルの援護に入るしか打開出来ないと悟ったのだ。何より時間が無い。炎の壁が失われたら全滅する。カズキだけでも救わなければ……

 

 ロザリーはただ無言で騎士の一人に狙いを定める。勿論相手はカズキを薄汚い手で触れ、甚振ったアイツだ。その腕を切り落として、後悔させてやる……ギラつく眼は一点を睨み付ける。

 

 リンディア最高の森人の参戦は、簡単に情勢を逆転させた。

 

 僅かな時間で騎士の腕は切断され、悲鳴を上げる。慌てた残りの騎士もそれぞれ、ジャービエルとリンドに取り押さえられた。

 

「リンド! コイツらを見張っておきな! ジャービエル!ケーヒルの旦那を援護する。相手は半端じゃ無い、援護に徹するんだ!」

 

「姐さん、俺も戦える……あっ……」

 

 リンドは本気のロザリーの怒りを受け、余りの恐怖に身体が震えた。そう、練達の森人には常人に理解出来ない迫力があった。直ぐにリンドから目を離したロザリーは、ジャービエルを一瞥すると呻く騎士を置き去りに再び走り出す。

 

 カズキ! もう少しだけ待ってなよ!

 

 カズキも先程の絶望感すら無く、落ち着いてロザリーを見返した。ロザリーは思わず微笑を零した。聖女は動じる事なく、自分の意図を知り見返したからだ。

 

 流石聖女だよ! いや、私の愛する娘、カズキ!

 

 だが……絶望はそんな人の思いなど簡単に塗り潰していく。

 

 炎に焼かれながらも一匹の魔獣がロザリーの前に転がり出して来たからだ。

 

 思わず立ち竦んだロザリーは呻く。

 

「くそっ、こんな時に……!」

 

 火傷を気にもせず、倒れ込んでいた魔獣は立ち上がり咆哮する。

 

 グガアァァーーーー!!

 

 魔獣の背後で鍔迫り合いをしていたケーヒル達も、一旦間合いを取り直していた。

 

「くっ……仕方がない、回り込んであの男を巻き込んでやる。ジャービエル、わかるね!」

 

 コクリと無言で頷くとジャービエルはロザリーと左右に分かれて移動を開始する。

 

 一方ディオゲネスも新たな獲物の登場を喜んでいた。ケーヒルとの戦いも面白かったが、やはり斬るのは魔獣がいい。

 

「旦那、一時休戦だな。それとも続けるかい?」

 

「黙れ、早く潰さないと次を呼ぶぞ」

 

 今ここにリンディア最強の二人、そして最高の森人が並び立った。今までで最も大きい魔獣だが、戦力に不足は感じない。

 

 回り込む森人達を待つまでも無い。ディオゲネスは簡単にケーヒルに背中を見せると、満面の笑みを浮かべて歩き出した。自分の倍はある赤い巨体に動じる事など無く、只笑う。

 

 そして、カズキは赤い魔獣と立ち向かう戦士達に現実感すら消え去るのを感じるのだ。頭を振り、再び刺さったナイフを抜こうと痛みと戦う決心をした。何が出来るかなど分からないが、倒れた戦士を癒す事なり出来る筈。はっきりとした意識は聖女の力を取り戻し始める。

 

 そんなカズキを嘲笑う様に、悲劇は直ぐ其処に迫っていた。

 

 

 

 

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