黒神の聖女〜言葉の紡げない世界で〜   作:きつね雨

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魔獣との決戦が始まる。そして聖女は自らの意思で歩き出します。


62.聖女の歩む道①

 

 

 

 

 

 細く黒い糸はサラサラ、フワフワと空に舞い、唯の一本すらも絡まる事は無い。それはまるで摩擦など存在しないかの様で……そう誰もが思うだろう。

 

 

 

 

 前線からは次々と負傷者が運ばれて来ている。大半が騎士で、中には森人らしき姿もあった。台車の数が足りないのだろう、肩を貸したり、背負われたり……運ぶのに性別も年齢も関係は無かった。

 

中には既に絶命した者もいて、血と叫びが溢れる道、通称[聖女通り]は正しく戦場だった。

 

 鎧ごと肉体を切り裂かれた人、まるで巨大な鈍器に殴られたかの様な者、腕や脚があり得ない方向に曲がった男、そして意識すら無くピクリとも動かない騎士。 他に目立つのは火傷を負った者達だろうか。

 

 戦いに慣れた騎士や森人さえも目を背けたくなる、そんなリンスフィアの街角に一人の少女が立っている。王城に背を向け、つい先程歩いて来たのだ。少女の背後に連なるその道は、真っ直ぐ王城へと向かっていた。

 

 立ち止まる少女の目蓋は閉じられ、右手には若草色をした長めのナイフが握られていたが……そのナイフも黒い鞘へと収まって、少女の腰に巻かれた太い革帯の元へ返った。

 

 誰もが一瞬我を忘れて見入っていた。静謐が訪れ、その中心に居る少女は両手を掲げる。まるで天に捧げる様に、祈る様に、その手から糸が流れ出て行く。

 

 次の瞬間、人々は息を呑む。ゴクリと唾を飲み込む音すら響いた。

 

 黒い糸が舞い踊るのを、誰もが見ていた。ところがその糸達は地面に落ちる事も、空に高く舞い上がる事もなかった。

 

 サラサラ、フワフワ、と……

 

 その黒い糸……聖女の黒髪は、空間に音も無く溶けていく。何本かは見守る民衆の掌へ落ちたが、それすらも僅かな光を放つと幻の様に消えていった。

 

 黒髪の放つ光は、暖かく少しだけ眩しい。だがその光すらも、これから起こる奇跡の始まりでしかない。

 

 神々の加護を受け降臨した「黒神の聖女」は世界に唯一人……癒しと慈愛、聖女の刻印を刻まれた使徒ー--

 

 民衆は声を上げる事も出来ず、聖女のゆっくりと開かれていく瞳に見入るしかない。その瞳は噂に聞こえた通り、とても美しい翡翠色をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「テルチブラーノからの避難民、収容を確認しました!」

 

 ケーヒルは報告を受け、一先ず安堵の息を吐いた。魔獣や主戦派を誘導してくれると信じてはいたが、戦場では何が起こるか分からない。目を覆いたくなる様な結果が出ても驚くには値しないのだ。

 

「よし! 中隊に伝令を! 時間稼ぎは終わり、必ず生きてリンスフィアに帰れ、と」

 

「は!」

 

 伝令は礼も簡単に済ますと全速力で走り去って行った。僅かな時間が何人もの命を奪うかもしれないのだ。誰もが気を強く持ち、戦っている。

 

「救護の準備を! 魔獣を引き連れてくるぞ!」

 

 負傷者などいない方が良いが、魔獣相手にそんな都合良い事はないだろう。

 

「素早さが全てだ! 中隊を収容するまで、死守する! 各隊戦闘態勢!」

 

 弩や燃える水を確認する者、長弓を準備する森人、鎧紐を締め直し頬を強く叩く者……全員に適度な緊張感が漂い、空気が張り詰めていく。しかし恐慌に陥る者も、逃げ出す者もいない。ケーヒルはやれると確信を持った。

 

「北や南と違い、密集状態で突っ込んで来るだろう。最初の流れを止めなければ、蹂躙されるぞ。予定通り砂地を使う。帰還する中隊へ指示を出せる様、準備を怠るな!」

 

 ユーニードが示唆した地面の特性を利用し、魔獣の足を止めるのだ。人より遥かに重たい魔獣は間違いなく戸惑うだろう。

 

「副団長、燃える水の散布は完了しました。上手くすれば炎の壁が出来るでしょう。中隊が抜けたら火矢を放ちますか?」

 

「出来るなら魔獣を巻き込みたい。魔獣の群は数百を数える。減らせる時に減らしたいからな……可能か?」

 

 ケーヒルは皮肉気に笑みを浮かべ、お前達なら出来るだろうと暗に伝える。

 

「副団長は手厳しいですな。ですが、やれと言うならやってみせましょう。ついでに討ち漏らした魔獣は狩らせて頂いても?」

 

「ほう? お手並み拝見といこうか。矢の無駄撃ちはならんぞ?」

 

「はっ! 我らの剣、ご覧あれ」

 

 ケーヒルの笑みは皮肉から感嘆へと変わり、立ち去る騎士へと届いた。

 

 リンスフィア、いや人の運命を決する戦いまで、あと少し……かならず勝利してみせる。我がリンディアに敗北などあり得ない。魔獣に屈するなど許す事はないのだから。

 

 ケーヒルはアストのいる南に視線を送り、カーディルの座する王城を仰ぎ見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リンスフィアの南側、高い城壁の上にアストは居た。アストの目には遠くセンから流れて来た人々の列が見えている。殆どが既にリンスフィアに入り、食事と水を振る舞われているだろう。

 

 魔獣の姿は未だ無く、リンスフィア存亡の危機など夢ではないかと錯覚する程だ。テルチブラーノから逃れて来た民は、騎士の働きで急死に一生を得たらしい。アストは見事な騎士達に敬意を送り、救われた命に神々へ感謝を想う。

 

 テルチブラーノがある西は南北と違って多少の林や丘があり、景色に凹凸が感じられる。一方、アストが居る南の城壁やその周囲は他とは違う特徴が幾つも散見された。

 

 城壁は何箇所も巨大なスプーンで削られた様に街側に凹んでいる。城壁は僅かに低くなっていて、削られた方向へ弩が並んでいた。そして低くなった分地面が掘られ、その場所に立てば城壁を見上げる様に眺めるしかないだろう。燃える水や弩の矢が降り注げば、魔獣と云えど堪ったものではない筈だ。

 

 逆に外へ迫り出した城壁部分には多くの弓矢が用意されていて、長弓を使えば遠方を狙い打ち魔獣を誘える様になっている。勿論魔獣の数が少なければ、近づく前に無数の矢が襲うのだ。

 

 また城壁は僅かに外側へ反り返っていて、魔獣がよじ登る事も出来ない。

 

 

 

 

「殿下、これを」

 

 カーディルへの報告を済まし戻った騎士が、アストの元へ駆け寄った。

 

「なんだ?」

 

 戦場には似つかわしくない白い布に包まれたソレを、騎士は恭しく開く。中からは白い小さな花があった。名前も無いその花は、野花の一種で珍しいものでは無い。リンスフィアの街中や、城内のあちこちで見つける事が出来る。だがアスト、そしてアスティアの母アスが好きで、よく押し花にしていたのを思い出す。

 

 アスティアの部屋にある化粧台には、アスが押し花を額に入れた飾りが並んでいる。今アストの目に映る花は生花だが、その特徴はよく覚えていた。

 

「戻り際、アスティア様より預かりました。殿下へ渡してほしいと。命護り、だそうです」

 

 命護りとは戦場に赴く騎士達に家族や妻、恋人が持たせるものだ。生きて帰って欲しい……そんな当たり前の願いを込めて、衣服の切れ端に包む。包む物は決まっていて、背中に垂れる髪を一本だけ……身近な者に抜いて貰う。それを切れない様に結ぶのだ。 騎士が家族を想う、そんな小物へと。

 

 アストが手に取った花の茎には、間違い無く髪が結ばれていた。

 

 アスティアの髪はアストと同じ銀髪だ。勿論男女の違いから長さも質も同じでは無い。それでもアストにはその姿が目に浮かぶ様だ……アスティアが髪の糸を結ぶ様子が。

 

「これは……まさか」

 

 花弁のすぐ下にあった為、直ぐには気付かなかった。それは長さも色も違う、もう一本の糸だった。

 

 アスティアは髪は腰にも届く長いものだ。アストは眠る時に大変なのではと、いらない心配をしたりもした。もう一本の髪はおそらく半分の長さもないだろう。前はもっと短かった……アストは出会った頃を思い出していた。あの頃は肩口で切り揃えてあって、不思議と少年を思わせたのだ。

 

 アスティアの銀髪とはある意味で対極の色だ。リンディアや他の国でも見かけた事は無い珍しい髪色は、持ち主から離れた後も艶やかな漆黒。

 

 今やリンスフィアで知らぬ者はない、翡翠色と黒。 

 

「アスティア……ありがとう」

 

 あのお転婆聖女が自ら結んだとは考え難い。アスティアが気を遣ってくれたのだろう。もしかしたら、いつもの様に逃げ回るカズキを頑張って捕まえたのかもしれない。

 

「殿下、羨ましい限りです」

 

 フンワリと微笑むアストへ、手渡した騎士は言葉を掛けた。言葉とは裏腹に、騎士の顔に嫉妬の色は無い。

 

「君は?」

 

「私も妹が文句を言いながら指輪に……なんでもお気に入りだそうで、必ず返せと最後まで煩くて……大変でしたよ。露店売りの安物なのを私は知っているんですが」

 

 余りに微笑ましいお互いの妹に、身分差を超えて二人は笑い合った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「辿り着けなかったか……」

 

 ジョシュの目には魔獣の波に飲まれていく最後の騎士の姿があった。顔など判別出来ないが、間違いなく主戦派の一人だろう。最後に王城の方へと何かを叫んだ様だが、全ては狂った想いしかないだろう。

 

「聖女へ救いでも求めたか……身勝手なものだ」

 

 ジョシュは敬愛するアストの命を救ったカズキを間近に見たが、聖女と言われても印象は変わらない。只の、少しだけ普通とは違う一人の少女だ。あの少女に救いを求める? ジョシュには全く理解出来ない考えだった。

 

 蹂躙し尽くしたのだろう。一雫の甘露に群がる虫の如く、魔獣達は群れ固まっていた。しかしその甘露も失ってしまったのか、新たな餌へと流れが変わっていく。

 

「来るぞ……予定の防衛線を越えるまでは、絶対に打つなと徹底しろ。全員に通達を」

 

「はっ……通達! 防衛線……」

 

 ジョシュは視線を動かすこと無く、ゆっくりと蠢く赤い波を睨み付けていた。

 

 マリギを食い尽くしたのに、それでも足りないのか……魔獣の底無しの欲望は尽きる事はない。もし人の姿が世界から消えたら、奴等はどうするのだ? 笑うのか、遊び相手がいないと気付いて泣くのか、それとも地中で眠るのか?

 

 北は無限とも思える程の平原が続く緩やかな地形だ。リンスフィアを守る城壁も、真っ直ぐ東西へ広がっている。赤い波も合わせる様に横に展開して、少しずつ近づく。

 

「波の薄いところに集中する。先ずは波の形を崩して、騎士隊の前線を押し上げるんだ。穴を少しずつ広げ、燃える水で混乱させる。巨大な波へと姿を変えたら止められないぞ。こちらが騎士の波を作り、返した波で矢の雨を降らす。持久戦だ……諸君の奮闘に期待する」

 

 ジョシュは周囲の隊長へ魔獣の群れを指差して命令を出す。隊長達は無言で頷き、それぞれの隊へ戻って行った。

 

「森人の皆は城壁に散らばり、弓の準備をお願いしたい。事前に伝えた通り、止め切れない時は周辺に火を放つ。この城壁も火の壁にして、体勢を整える時間を稼ぐ予定だ。北は外円では支え切れないだろう。誘い込んで一網打尽にする」

 

 それはリンスフィアの街中へ魔獣が入る事を意味したが、それしか手は無かった。北側は防衛を行う面が広過ぎたのだ。同数で魔獣に立ち向かうなど正気の沙汰では無い。何としても波状から線へと変える必要があった。

 

「集中したところへ矢と火を放つ。街を森と見立てた皆の戦い、期待している」

 

 大半の魔獣は知能が低いのか刺激に集まり易いのだ。主戦派がやった様に、魔獣をうまく誘導するしかない。中型以上の魔獣は、応じて知能が高いのは知られている。南の森での戦い、聖女が発見した巣穴、奴等が只の獣ではない事は証明された。

 

 散り散りに配置へと動き出した森人達は、騎士とは違って装備がバラバラだ。それでも……何かをやってくれそうな、何かが起きそうな、そんな予感がするのだ。騎士と森人、全てが違う両者だが、一つとなって魔獣に剣と矢を突き立てる。

 

「そうだ……必ず勝つ。リンディアは負けない」

 

 ジョシュの目と耳に新たな情報が入った。 

 

「いよいよ、か」

 

 皆が配置に付き、それまでは聞こえてこなかった魔獣の足音を聞く。

 

「間もなく防衛線を越えます!」

 

「よし!」

 

「防衛線まで、5、4、3……2、1」

 

「放て!!」

 

 ヒュンヒュンと風切り音が無数に広がり、放物線を描く膨大な量の矢が降り注ぐ。

 

 最初の、魔獣との接敵は北から始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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