黒神の聖女〜言葉の紡げない世界で〜   作:きつね雨

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66.聖女の歩む道⑤

 

 

 

 

 

「カズキ……?」

 

 背中を優しく叩かれたアスティアは、腕の力を抜いてカズキを解放した。見れば先程まで刻印に縛られていたカズキは消え、何時もの瞳がアスティアを捉えている。

 

「戻った、の?」

 

 エリも少しだけ安心して呟く。

 

 ゆっくりとアスティアの胸から体を起こし、もう一度ベランダの縁に立ったのは普段のカズキだった。

 

「刻印の力を振り切ったの?」

 

 カズキは城下の凄惨な状況を目に収めている筈なのに、ふらふらと歩き出す事も無い。実際はカズキの力だけで戻った訳では無いが、あの白い世界を知らない者にはそう見えないだろう。だから隣から心配そうに見ているアスティアの名前をカズキが理解した事も知らない。

 

 カズキは再びアスティアの前に立ち、()()()()()()()

 

「あっ……」

 

 アスティアは今の大変な状況も忘れ、頬が赤らんだのを自覚する。その微笑みは僅かだったが、アスティアには宝物の様に思えたのだ。クイン達二人にはその微笑みは見えて無かったが、次のカズキの行動に驚かされた。

 

 アスティアの瞳から溢れかけた涙の滴を折り畳んだ人差し指で優しく拭った。その仕草はアストがアスティアに……まるで兄が妹へする様で、優しい愛を感じられたのだ。

 

「カズキが……あんな……」

 

 クインやエリからは二人が向かい合い、寄り添う姿が見えている。背後には燃え盛る炎の柱があり、崩れていく城壁すらあるのに……二人はまるで絵画の様で、現実を忘れさせる美しさを空間に映していた。

 

 何かが変わった……変化したのを感じる。そうクインは思い、それは直ぐ現実になった。

 

 そうしてアスティアから離れると、ベランダから聖女の間へと歩き出した。その歩みはしっかりとしていて、力強さを疑う事もない。

 

 部屋の奥、ベランダから離れた場所にカズキは戸惑う事もなく進み、ドアを開く。程なくしてカズキは戻って来た。

 

「あれは……森人の服?」

 

 アスティア、クインとエリも聖女の間に戻り、カズキの一挙手一投足を観察するしかない。カズキが抱えて戻った両手の中は、深い緑色をした服だった。マファルダストとの旅路で与えられた服で、ロザリーやフェイも似た様な装備をしていた。

 

「……行くのね……」

 

 アスティアは思いもしない言葉が自分から漏れ、同時に驚いて口を押さえる。だが言葉にした事で、それが間違いない事だと確信してしまう。

 

 カズキは夜着を両肩からスルリと落とし、下着姿になった。薄い水色の下着は、カズキの小さなお尻と胸の膨らみしか隠しておらず刻印も顕になる。背中から見えないのは癒しと慈愛の刻印だけ。お尻に刻まれた憎しみの鎖も少しだけ姿を見せていた。3人は声を上げる事も出来ずに森人の服を着込むカズキを眺めるしかない。

 

 森人の服に着替えた後は暖炉に向かう。もう素肌は隠れて、黒髪だけが背中へと流されていた。

 

 カズキは僅かに背伸びをして、暖炉の上に飾られた物を手に取る。黒い皮製の鞘に収められたナイフは、カズキの瞳に似た翡翠色の筈だ。カズキの細い腰には不釣り合いな太い皮ベルトにナイフを固定すると、不器用に後髪を纏めようとする。

 

「私がやって上げる」

 

 アスティアは自分の行動か分からなかった。カズキは間違いなく戦場に行こうとしているのに……自分の側から離れて行こうとしているのに。なのにアスティアの手は止まらないのだ。大好きなカズキの黒髪は直ぐに纏まって、銀月と星の髪飾りが彩る。

 

 最後にやはりマファルダストとの旅路で手に入れた皮靴で足を包むと、カズキはアスティア達に振り向いた。

 

 僅かにコクリと頭を振ると、そのまま聖女の間を出て行こうとしたのだ。

 

「カズキ! ま、待って……」

 

 アスティアはカズキの手を取り、何かを言おうとした。だが、言葉を紡がずカズキを見詰めるしか出来ない。カズキはベランダの時と同じように手をポンポンと叩き、アスティアを引き離した。やはりその目には優しく強い光が浮かんでいる。

 

「……どうか無事で……お願い……」

 

 カズキは最後にアスティアの頭を撫でて、聖女の間の扉を開く。クインやエリにも視線を送り、まるで行ってきますと言っている様だった。

 

 結局、誰一人カズキを止める事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うっ……」

 

 アストは鈍い痛みと身体を覆う重みに思わず呻く。どれくらい意識を失っていたのか、暫くはボンヤリする頭が動いてはくれなかった。

 

「ここは……」

 

 熱と光を右側から感じ、アストはそちらを見る。

 

「炎……何が……」

 

 覚醒したアストは自分の置かれた状況が少しずつ分かってきた。騎士が二人折り重なる事でアストに重みを伝えている。二人とも息は無くアストを危険から庇ったのは明らかだ。

 

 熱を伝える炎は城壁の内側に保管していた燃える水だろう。

 

 ゆっくりと二人の騎士の身体から抜け出し、アストは瓦礫を頼りに立ち上がった。

 

「そうか……魔獣が城壁を破って……燃えた身体のまま突っ込んできたのか……」

 

 未だ崩れた城壁の上に居たが、周囲は一部を除き瓦礫に埋もれて見渡す事が出来ない。しかし、声は聞こえるのだから全滅などではないだろう。アストが立つ場所からはリンスフィアの街並みは見えないが、平原は見渡せた。

 

「何故だ? 魔獣は動いてない……?」

 

 弓矢の届かない範囲まで後退していて城壁まで距離があった。蠢く魔獣は奴等が生きていると証明しているのに……

 

「炎が消えるのを待っているのか……」

 

 それしか考えられない。 魔獣はやはり知能を持つ異形だった。城壁を破壊しなくても、時間が解決すると理解しているのだろう。

 

 魔獣はみるみる数を増やす……平原の何箇所も地中から魔獣が溢れて来たのをアストは見た。リンスフィアからは遠かったが間違いない。そして、あっと言う間に平原を埋め尽くした魔獣の群れは一本の矢となって城壁に殺到したのだ。 

 

 何をと思った時はもう遅かった。どれだけ矢を打ち込もうと燃える水を燃やそうと、怯む事すらしない。そして信じられない恐怖の光景を見る事になる。

 

 先端に居た最初の魔獣は我が身を顧みずに城壁へと衝突し、絶命した。余りに呆気ない魔獣の死に様は、その一度だけではない。それを次々と続け、アスト達が対策を講じる事もできないまま城壁は崩れたのだ。

 

 あれだけの異常な行動を取ったのに、今は冷静に時を待っている。その余りの落差にアストは怖気が走るのを止められなかった。

 

「恐ろしい奴等だ……そうまでして人を殺したいのか……」

 

 アストは自分を庇ってくれた騎士に祈りを捧げ、瓦礫の山を登る事を決意した。今は騎士をヴァルハラに送るよりリンスフィアを守らなければ……それこそ騎士の望みなのだから。

 

「……くっ、挫いたか……」

 

 右足の痛みは今頃になって響き、アストを苛んだ。それでもアストは止まらずに瓦礫に向かう。まるで壁と思える瓦礫の山が立ちはだかるが、アストには関係は無かった。それに、この状況では救出もままならないし、二次被害だって想定される。

 

 それでも……まだ戦っている者がいるのだ、自分だけ休んでいる事など出来る訳が無い。

 

 アストは右手を瓦礫にかけて、少しずつ登り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「燃える水の備蓄を移動するんだ!」

 

「お前! 殿下を見たか!?」

 

「崩れた城壁辺りに……最後の瞬間まで指揮を……」

 

「くそ……俺が行く! 何人かついて来てくれ!」

 

「馬鹿野郎! あれが見えないのか! 直ぐにでも崩れるぞ。これ以上負傷者を出す訳にいかないんだ!!」

 

「殿下を放っておけというのか!?」

 

「分かっている! だが……」

 

 騎士達は混乱の中にいて、誰もが的確な指示を待っていた。アストを始め、ケーヒルやジョシュ、大隊長達は指揮能力に優れていたため、頼りきりだったのを皆が自覚するしかなかった。

 

 それでも……生き残っていた中隊長数人は、それぞれの騎士や森人と懸命に動いていた。平原を見れば絶望感しか湧かないが、それでも出来る事をしなけれは狂いそうになる。

 

「負傷者は城へ! 北と西から増援は……伝令は?」

 

「北からは既に来たぞ。北は魔獣を駆逐し、再編成が終え次第向かうそうだ。ジョシュ様なら早いだろう。 西はまだだが……」

 

「負傷者の数は?」

 

「はっきりとは……確認中ですが、数百は……」

 

「戦死者の数など数えたくもない……今は対策を急がないと……」

 

「おい!見ろ!」

 

「あれは……ケーヒル副団長か!」

 

 英雄の一人、ケーヒルの姿を認めた皆に活力が戻る。ケーヒルは実力、経験、胆力、全てにおいてリンディア最高の騎士だ。アストも将来はその域に達するだろうが、今はまだその背を追っていた。

 

「副団長!」

 

 ケーヒルも隊長格が集まる場所を見つけ、急いで駆け寄った。そこは崩れ落ちた城壁から少しだけ離れた広場だ。燃える水が尽きる前に次策を練る必要があったし、場所は限られていた。

 

「お前達! 無事だったか……殿下は?」

 

 ケーヒルは何人もの騎士達が組織的に動いているのが分かり、少しだけ安堵した。だが、アストの姿がない事に不安が募り始める。

 

「あちらの崩れた城壁の上で指揮を取られていました。その後は不明です……確認に行きたくてもあの状況では……何か手はないかと話し合っていました」

 

「不明だと……あの瓦礫に……」

 

 思わず最悪の事態を考える。否定したくとも、目の前に散らばる瓦礫を見れば絶望感が湧き上がるのだ。騎士達が救出に向かうのを戸惑うのは当然だった。二次被害が起きるだろうし、新たに崩れてそこから魔獣が殺到するかもしれないのだから。

 

「副団長、応援は? 外は魔獣で溢れています。炎の勢いが無くなれば奴等は再び……防御を固めないと」

 

「……西の殲滅は終えた。間も無く来るだろう……現在の状況は?」

 

 ケーヒルは感情を押し殺し、指揮を受け継ぐ。アストの為にもリンスフィアを守らなければ……そうやってケーヒルは無理矢理に意識を変えた。

 

「どうかご無事で……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カズキ様……?」

 

 聖女の間の扉が開きカズキが姿を現したのをノルデは怪訝に思った。何時もの可愛らしい服は形を潜め、森人が着るような厚手の上下に揃えていたからだ。皮靴もやはり聖女には不似合いに感じたし、黒髪も後ろで纏められている。

 

 キョロキョロと左右を見渡す姿を見れば、ナイフすら装備しているのが分かった。

 

 アストからはカズキを暴走させない様に指示があったが、ノルデは当然そのつもりだった。聖女を命に替えても守ると決めたのは、同時に誓いでもある。

 

 何かあったのかと駆け寄れば、部屋からアスティア達も現れた。焦った雰囲気は無いと一先ずは安心したノルデだったが、違和感が解消した訳ではない。

 

「騎士ノルデ」

 

「はっ!」

 

 アスティアの声には不安が含んでいたし、その碧眼は少しだけ潤んでいる。だが王女として生まれ育った強い意思の光は消えてはいない。

 

「カズキが行きたい場所に連れて行って下さい。おそらく……前線、崩れた城壁辺りでしょう。違うならそれでも構いません」

 

「前線ですか? しかし、危険です。カズキ様を連れて行くなど、アスト様からもお叱りを受けるのでは……」

 

 ノルデは聖女の力を良く知っているつもりだが、それでも限界があると思っている。あの戦場は一人や二人の負傷者では済まないのは周知の事実だろう。

 

「承知しています。ですが、これは聖女として決めた事の様ですから……自らの意思で歩む聖女を、誰が止められるのでしょう? 私は……神々の御加護を信じます」

 

 少し俯いたアスティアは直ぐに顔を上げ、ノルデを見詰めた。

 

「カズキ様が自ら……」

 

「騎士ノルデ……いえ、騎士に限らず皆の命は大切です。それでも……どうかお願いします。聖女を、カズキを守って下さいますか?」

 

 アスティアの言葉を聞いたノルデは身体から噴き上がる熱を感じた。そして経験した事のない強い使命感を覚えたのだ。震える身体からは無限とも思える力が湧き立ち、やがて震えすら止まった。

 

「分かりました……必ずやカズキ様が望む場所までお連れします。騎士の誇りにかけて、カズキ様を守ると誓いましょう」

 

「貴方もご無事で……宜しく頼みます」

 

 ノルデの方へカズキを促し、アスティアはカズキに微笑んだ。

 

「カズキ……彼に連れて行って貰いなさい。貴女の思うままに、道を真っ直ぐに進むのよ」

 

 愛しているわ……アスティアはそう言うと、カズキの姿を目に焼き付けた。聖女が失われるなら、このリンディアも終焉を迎えるだろう。カズキがもし死んだら、神々の御許まで共に行きたい……

 

 カズキの姿が見えなくなった後も、アスティアは其処から暫く動かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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