黒神の聖女〜言葉の紡げない世界で〜   作:きつね雨

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73.聖女の願い

 

 

 

 

 

 ゆっくりと目蓋を開くと眩しい光が網膜に届く。そして自分が何処にいるのか理解した。

 

 其処は上下すら無く、境界線も見えない。限りないと思う程の先は地平線も存在しないのだ。

 

 真っ白な世界にカズキは1人、佇んでいる。

 

 何度も来れば少しは慣れて、カズキに混乱は訪れなかった。自我がはっきりすると、周囲から人々の声が聞こえてきた。その殆どが聖女への救いを求めるもので、何も出来ないカズキは少し哀しくなる。

 

 ふと、カズキの目に懐かしい色が映った。

 

 それは同時に黄金色の瞳を思い出させる鮮やかな赤色だ。ふらふらと其処に近づき、カズキは目と耳を澄ました。小さな女の子と背の高い男性に挟まれた女性は間違いなくロザリーだ。何度も何度もカズキを気に掛けてくれた母は、其処にいる。なのにロザリーは振り返らない……ずっと3人で話すだけ。どんなに足掻いても、背中を眺める事しか出来ない。あの眼差しがカズキを見る事は無かった。

 

 だからカズキは理解した。それが何を意味するのか……誰にも例外なんて無い事に。

 

 母は……ロザリーは行ってしまったのだ。もう自分の手が届かない場所へと旅立った。きっと残していく自分が気に掛かって、留まっていてくれたのだろう。それは辛く悲しくて、幻の筈の自分に涙が溢れてくるのを感じた。

 

 周りを見渡せば、誰一人としてカズキを見ていない。以前よりもずっと多くの人が居るのに、顔が見えない。殆どが鎧や緑色の服を着込んでいた。彼らは戦士だ、力の限り戦い続ける。それでも、時に傷付き、時には命を失う。

 

 あんなに多くの人が此処にいる……そして増えていく。

 

 それが意味するところが分かってしまう。

 

 怖くなったカズキは其処から離れようと脚に力を込めた。ユラユラと前へと進み、救いを求める声も聞こえなくなった。

 

 だからその声が耳に届いたのだろう。

 

 その声は救いなど求めていない。それは……何処かで聞いた事がある。

 

 懐かしい?

 

 いや、ついさっきも、何時も、沢山聞いた声だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふっ……。 手間のかかる妹ってこんな感じなのかしら? なんだかとても楽しいわ」

「ボタニ湖よ。 今もある筈のそこには、もう人は辿り着けないけど、私もいつか見てみたいな。 その時はカズキも一緒に行きましょう?」

「何処にいるの!? 直ぐに会いたいわ!!」

「良かった、無事で……無事でいてくれて……」

「言語不覚の刻印が消えたら、カズキの声を聞けるかもしれない。それは何て素敵な事だろう……きっと最高の、幸せな時に違いないわ」

「本当の慈愛? 慈しむ心なら私だって……何が足りないの? 教えてよ、カズキ」

「カズキ……彼に連れて行って貰いなさい。貴女の思うままに、道を真っ直ぐに進むのよ」

 

 

 アスティア……この声はアスティアだ。

 

 

 そうしている内にぼんやりと姿が浮かんで来た。あのベランダの端でアスティアは祈りを捧げている。腰まで届く綺麗な銀の髪は床に付いてしまって、膝を折り曲げているのが分かった。でもアスティアは気にもしていない。あの碧眼は目蓋の奥に隠れて見えなかった。

 

 薄く紅を引いた唇からは途切れそうな音が震えている。

 

「どうか……神々よ、カズキをお護り下さい。あの子は聖女なのでしょう、でも……私にとっては愛する妹なのです。お願い……あの子を護って……」

 

 それは祈りなのか、アスティアの心からの願いだった。

 

 

 そして、他にも心地良い声音が響く。

 

 

 

 

「はぁー……確かに綺麗な子ですねー……でも不思議な髪だし、目もあまり見ない色だなぁ……」

「もう、男の子じゃないんだから、丁寧に洗わないとね?」

「あそこのお店ならあのワインが手に入るかもしれませんよ! ほら、あの店です!」

 

 ロザリーとは色の違う赤髪をお団子で纏めている。多分歳上だろうに、何処か幼い。

 

 エリ……名前はエリ?

 

 

「そんな……そんなの悲し過ぎます……あの子は何のために……もし世界が救われたとしても、あの子を誰が救うと言うのですか……」

「カズキは最初の頃、人を信じていませんでした。誰にも頼らず、いつも何か隙を伺う。癒しすら自らの意思とは思えない……何時も無表情で、冷たい目をしていたのです」

「変化を感じたのは……アスティア様がカズキを妹として心から愛し始めた時です。 そして今は……」

「はい……あくまでも仮定ですが、カズキの封印を解くのは……」

「家族との……誰もが当たり前に持つ筈の、家族との愛ではないかと……」

 

 理知的な青い瞳、肩で揃えた金の髪。

 

 その髪は癖毛なのか、少しだけ曲がってる。

 

 クイン……あのお説教のお姉さんだ。名前はクインって言うのか……

 

 

 

 

 そして遠くから、いや直ぐ近くから、また声が聞こえた。この声には間違いなく覚えがある。

 

 

「……ありがとう、よく届けてくれた。 ところで、聞かせて欲しい……カズキは、聖女は元気にしていただろうか?」

「信頼の置ける素晴らしい人だよ。隊商マファルダストの隊長で、優れた森人でもある。名前からも解る通り、優しくて強い女性だ。ロザリーなら安心出来る、カズキを守ってくれる、それは保証するよ」

「アスティア、全部読んだんだろう? カズキがまたお酒で騒ぎを起こしたみたいだから、叱らないといけないな」

「いや、その通りだ……私は何処かで距離を取っていたと思う。もっと寄り添って上げれば、いや寄り添いたいのに」

「あの時もこうやって君を見ていた。やはり眠ったままで、その美しさに驚いたものだよ」

「最初からアスティアはそうしていた、カズキは手の掛かる妹だと。聖女などではなく一人の人間と認めていなかったのは私だけだった様だな……情けない話だ……」

 

 アスティアにそっくりな銀髪は彼女と違って短い。

 

 いや、アスティアが彼に似ているのかな。

 

 二人は兄妹なんだから当たり前か。

 

 

 

 また、変わっていく、景色が……

 

 

 あそこは……確か……綺麗な月が浮かんでいた……

 

 長い階段を降りて、遠くに大きな木が見えた。沢山の篝火がユラユラ揺れて、美しい泉があって、大きな木は真ん中の小島に立ってる。

 

 ()は私を抱き上げ、飛び石を飛ぶように跳ね連れて行く。恥ずかしさと、ちょっとした怒り、情けなさ、それと少しだけ怖かった。なんで私は怒ってたのかな……

 

 手を大木の幹に添え、声が聞こえた。

 

 今なら分かる……彼はただ、私の為に連れて行った。少しでも気が紛れる様に、あの庭園の美しさを見せたくて、そして話せない自分に声を聞かせてあげたならと、手を取ったんだ。

 

「言い伝えがあるんだ。 この木に触れて耳を澄ますと、逢いたい人や亡くした人の声が聞こえるって……」

 

「カズキが逢いたい人の声が聞こえたらいい」

 

 そうやって、青い瞳をずっと向けていた。そこには暖かい眼差しと、少しだけ悲しげな色がある。

 

 

 彼の声は、他の者とは違う。

 

 決して救いを求めない。寧ろ危険から遠ざけようと……来ては駄目だと、なのに会いたいと、抱き締めたいと願っていた。それは不思議な感情の波、でもこんな感情は知らない。けれど……心地良い。

 

 何だろう?

 

 そう思うと目の前に新たな景色が映る。

 

 叫んでいる……何度も、何度も、名前を。

 

 その名前には憶えがある……当たり前だ、自分の名前なんだから。

 

 血だらけの小さな女の子を胸に抱き、悲壮な絶叫を繰り返す。涙が幾筋も流れて、ポタポタと顔に掛かる。

 

 ああ、あれは……()()

 

 ついさっきあの化け物の爪に引っ掻かれて、情けなくも意識を失った。よく見れば右腕が無い。血が流れて今にも死んでしまいそうだ。

 

 他人事の様にそれを眺め、もう一度私を抱き締める彼を見た。

 

「カズキ……頼む、お願いだ……死なないでくれ……」

 

「神よ……どうか救いを、私の命を代わりに捧げてもいい!」

「何故、こんなの酷すぎる……」

「こんなに血が……ああ、死んでしまう……カズキが、カズキが……!」

 

 それは正に慟哭だ。魂からの叫び、心からの願い。

 

 そして理解した。彼の名前を、彼の気持ちを。

 

 それはつい最近の記憶。あの大きな部屋で、()()()が私に言った。

 

「カズキ……大丈夫だよ。必ず守ってみせる……愛しているから……」

 

 そしてアストは口付けを落としたのだ。

 

 

 

 

 愛を囁いた?

 

 そんなの知らない……こんな気持ち、知らない!

 

 アストは、あの血だらけの女の子が好き?

 

 だから死なないでと叫んでいる?

 

 駄目だよ……そんなの……

 

 だって……アストが抱き締めてるのは、その女の子は……カズキ、私なんだから……

 

 私は……ワタシ? アレ?いつから……だって、自分はあんな小さな少女なんかじゃ……

 

 ううん、あの子は私。

 

 あっちの世界にいた和希も、この世界にいるカズキも、同じ。

 

 ほんの少し変わってしまったけれど、それは嫌なことじゃないから。

 

 ほら、やっぱり……暖かいよ……

 

 

 

 

 

 もし、クインがそれを見たら、叫び、泣き、そして歓喜しただろう。其処に顕われたのだから。

 

 右胸に僅かに残っていた封印は今、その力を全て失った。其処に在るのは、世界にたった一つしかない刻印、人がどんなに望んでも手に入れる事が出来る筈のない力。

 

 黒神の加護、5つの刻印はカズキから去っていく。

 

 

 

 かつて、黒神ヤトはカズキに言った。

 

 

「もっと……もっと優しくされたい、愛されたい、誰かに抱きしめられて、もう大丈夫と言って欲しい。そして、そんな事を思う弱い自分が世界で一番嫌い」

 

「本当にすまないと思ってる……どうかあの世界を救って欲しい。 勝手だけれど、これは君の救いの道にも繋がっているかも知れない、そう信じているよ……」

 

 

 アストもアスティアも、世界に住まう人々はまだ気づかない。

 

 赤い身体を震わせる魔獣ですらも、理解出来ない。目の前に在るのに……

 

 

 力無く、意識もない。

 

 小さな身体の非力な少女。

 

 戦うことも、叫ぶことも出来ない。

 

 だけど、変わったのだ。

 

 

 

 

 5階位の刻印、その力は神そのもの。

 

 司るのは癒し。

 

 それは傷付いた者を助け、傷付いた世界すら癒すだろう。 

 

 カズキは全てを理解した。

 

 この世界も、アスト達の愛も、人々の希望も……そして魔獣達の悲鳴さえも。

 

 魔獣に依り捧げられたカズキの血肉は、その対象を選びはしない。泣いているなら助けるだけ、泣き顔なんて見たくない。

 

 魔獣は別の世界から飛ばされて来た。カズキのいた世界では勿論ないし、此処とも違う。それは事故だったのだろう。

 

 魔獣達は見た事もない世界と、嗅いだこともない匂いに慄いた。そして未知の生物と遭遇した時、その恐怖は限界を超えたのだ。ただ怖くて、元の世界の様に地面を掘った。見慣れない光から逃げたくて暗闇へと潜る。

 

 一人は怖い。

 

 だから本能に任せて仲間を増やし、力を強くした。痛いのは嫌だし、死にたくない。何より元の世界、自分の家に帰りたい……だから遠くへと掘り続けた。いつか帰れると信じて。

 

 怖いから戦う。

 

 あんな生き物なんて見た事が無いのだから。

 

 魔獣の心には、恐怖と怒りが渦巻いている。どうしたら良いのか分からずに、ただ迷子になった子供の様に泣いている。

 

 カズキは助けたいと思う。

 

 だって、みんな泣いてるから。

 

 

 

 アストも泣いてる。

 

 アスティアも、クインやエリも。

 

 ロザリーも哀しそうな顔をしていた。

 

 見渡せばカズキを想う人がいる。

 

 フェイ、リンド、ジャービエル、ドルズス。

 

 カーディル、ケーヒル、ジョシュ、ノルデ。

 

 クレオン、アイトール、チェチリア、エレナ。

 

 他にもたくさん……

 

 

 

 だから行かないと……私を待っている人がいるから……そうカズキは思って、目を覚ます事にした。

 

 

 そうして、世界にたった一人の……

 

 異界の血を持ちながらも、この世界の加護を持つ。

 

 それは、慈愛と、癒し。

 

 真の力。

 

 本当の……今度こそ本物の……

 

 

 

 世界に、黒神の聖女が降臨する。

 

 

 

 

 

 

 

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