黒神の聖女〜言葉の紡げない世界で〜   作:きつね雨

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3話のエピローグ。先ずは前編です。


エピローグ 前編 〜祈り〜

 

 

 

 

 

 後の時代に"救済の日"と呼ばれる事となる魔獣が消えた日から、既に二十日以上が経過している。

 

 鎮魂の祈りはリンスフィアを包み、同時に世界は救われた事を実感していた。

 

 ジョシュや他の騎士や森人、北を防衛した者達が東で戦い散った事実も直ぐに知れた。彼らが命を賭けたであろうその事実は、側で倒れている魔獣の死骸達が証明したのだ。間違いなく南へ魔獣が流れるのを防ぐ為に決死の戦いに臨んだのだろう。もしかしたら僅か数匹とは言え、その魔獣がカズキの命を奪ったかもしれない。その犠牲に皆が祈りを捧げた。

 

 主戦派の残党は自ら剣を捨て、全員が捕縛されて牢へ繋がれた。復興が始まる時、裁かれる事になる。身体の怪我では無く心すら癒されたのか、全員が素直に自供すると誓った。また、ユーニードは牢獄で自害しているのが見つかった。首謀者の死は主戦派の終わりを象徴して、全てが変わったと誰もが思っただろう。

 

 そして、まだ僅かだが森の開拓は進んでいた。

 

 魔獣が消え去ったとはいえ、心の奥底に根付いた恐怖は簡単には拭えない。森人を中心に騎士が同行して調査が行われているが、それは決して早いとは言えない。それでも従来を上回る資源が手に入り、リンスフィアは復興の足掛かりを掴んでいた。

 

 周辺の村々にも少しずつ人が戻り、破壊された家や柵、家畜や畑の手入れにも力が入る。それは大変な労力なのに、人々に笑顔は絶えない。

 

 勿論多くの犠牲者が出た事で、実態の把握も未だ終わっていない。悲しみが消える訳など無いが、世界が救済された事はやはり喜びを生むのだろう。滅亡は直ぐそこにあると考えていた人達にとって、それは奇跡だったのだ。

 

 聖女による世界の救済は今や皆の知るところとなった。リンスフィアに避難していた国民の多くは救済の光を目撃したし、何より騎士や森人の証言が物語っているのだ。光に包まれた魔獣は世界から消え去り、命を繫いでいた人々は尽く癒された。他国からの報せはまだ無いが、光が世界を包んだ事を誰もが確信している。

 

 

 

 

 

 あの日、アストはカズキを抱き上げリンディア城に帰った。その途中、アスト達は多くの歓声に包まれた。誰もが二人を讃え、涙を流す者も多い。両手を天に突き上げ、大きな声を上げている。

 

 リンディアの栄光、騎士や森人、新たな英雄、そして聖女……実に300年も続いた斜陽の時代に終止符を打った。民衆は大きな喜びに包まれたのだ。それも当然だろう。

 

 だがその内、一向に目を覚まさない聖女の姿に静けさが広がっていった。

 

 悲壮な表情と涙の跡を隠さないアスト。

 

 その腕に抱かれた聖女。

 

 失われた腕、短く切られた黒髪、まるで陶磁器の様にひび割れた容貌、薄っすらと開かれた目蓋の奥に見える翡翠色の瞳に力は無い。

 

 そして、誰もが如何にして救済が行われたのかを理解したのだ。

 

 慈愛と自己犠牲に溢れた聖女が何をしたのか。自らの命を失う事すら厭わず、世界と人々の為に捧げた……それが伝わったとき、聖女の道にシンと静寂は訪れた。

 

 そして一人も欠けることなく、静かに神々へ祈り始めた。膝をつき、空を見上げる。

 

 そんな聖女の道を、アストはゆっくりと歩んで行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの髪飾りの様に銀月と星々は静かに瞬いている。リンディア城は夜の帳が降り、篝火が風に吹かれて揺れて星光が届く。

 

 そして聖女の間からも光が漏れている。

 

 そこには、カズキの無事な方の手を両手で包むアスティアの姿があった。

 

 聖女の間、その中央にあるベッドにカズキは横たわっていた。毎日クインやエリに体を清められ、時にはアスティアも手伝う。失われた右腕や傷だらけの身体を見るのは何より辛い。それでも優しく、いたわる様に世話をした。

 

「アスティア様……そろそろお休みにならないと……」

 

 エリは心配そうにアスティアに声を掛けた。日が沈んで随分と時間が経過している。ランプと暖炉が灯す明かりだけがカズキとアスティアを浮かび上がらせて、哀しさを誘った。

 

「もう少しだけ……二人とも先に下がっていいわ……私なら大丈夫だから」

 

「アスティア様、そうは参りません。貴女が体調を崩してはカズキも悲しみます。どうかご自愛を」

 

 アスティアが最近体調を少し崩しているのは分かっている、勿論その理由も。だからクインは、心を震わせながらもカズキの名を出すのだ。アスティアは暫く動かなかったが、立ち上がりカズキの頬へ唇を落とした。振り返ったその瞳は揺れ、少しだけ赤い。

 

「カズキは生きて、いつか目を覚ますでしょう。その時アスティア様が笑顔でいなくてはカズキが心配します。さあ、こちらへ」

 

 クインは促してアスティアの手をエリに預けた。そしてベッドに身を沈めるカズキを眺め、ゆっくりと全身を視界に収める。

 

 あれから何日も経過したが、不思議な事にカズキに変化は無い。エントーの加護が舞い降りる事も、身体に異変が起きる事も、そして目を覚ます事も。聖女に死は訪れていないが、同時に時が止まったかの様で……アスティアは恐怖に駆られて毎日カズキの元へ参じていた。

 

 カズキの右肩から先に腕は無く、魔獣に引き千切られたソコから出血はしていない。あれから何人も掛けて探したが、右腕は見つからなかった。あったのは輝きを失わないナイフだけ。肩の傷口はまるで消え掛かる炭の様に小さな光が灯り、ゆっくりと明滅している。その付近は細かな傷が走り痛々しい。

 

 あの美しかった貌はまるで古い陶磁器の様に小さな割れ目が幾筋も走る。以前アスティアはアンティークドールの様にカズキが消え去ったらと心を痛めたが、今のカズキは正に人形そのものだ。

 

 短く切られた黒髪は伸びない。クインが綺麗に整えたが、それから全く変化しないのだ。

 

 そして、綺麗な翡翠色の瞳からは生気は感じられず、あの強い意志も宿っていなかった。

 

 聖女は封印から解き放たれ、残るのは慈愛とその癒しの力のみ。そう、カズキから黒神の加護は失われた。言語不覚も自己犠牲も、利他行動や欺瞞も憎しみも全ての黒神の刻印は消え去った。

 

 今、カズキは慈愛と癒しを心と身体に刻む一人の聖女。もし目を覚ましたら、笑顔を浮かべ皆の名を紡ぐのだろうか?

 

 その小さな唇から……

 

 クインは涙が溢れそうな自分を自覚する。アスティア様が立ち去るまで我慢しなくては……そうボンヤリと思ったクインの耳に規則的な音が響いた。

 

 それは聖女の間に人が訪れた音。そしてこの時間に現れる者など一人しかいないだろう。静かに叩かれた扉はエリにより開かれ、予想通りの人が立っている。

 

「アスティア……いたのか」

 

「兄様……」

 

 アストも毎日カズキの元を訪れていた。

 

 復興に向かうリンディアは酷く忙しい。王国を纏める王家、カーディルとアストの役目は激烈を極め、正に目が回るかの様だ。それでもアストは毎朝毎夜必ず聖女の間を訪ねる。アスティアと同じ恐怖が心から離れないのだ。

 

 もしエントーが加護をもたらしたら?

 

 痛みや苦しみに苛まれていたら?

 

 もし目を覚ました時に一人ぼっちだったら……

 

 そんな想いが溢れ出て来て、アストの足は此処に向かう。

 

「大丈夫か? 最近は体調が優れないのだろう?」

 

 アストはアスティアの額に手を当て辛そうな表情を隠さない。カズキが心から離れたりしなくとも、アスティアが愛する妹である事に変わりはないのだから。

 

「はい……心配させてごめんなさい……でも大丈夫。兄様こそ大変でしょう?クインからも聞いているわ……凄く忙しいって」

 

「ああ、確かに忙しいな……でもそれは幸せな忙しさだよ。カズキが与えてくれた平和だから……皆も少しずつ元気になって、笑顔も増えてきたからね」

 

 アストは無理に笑顔を浮かべ、アスティアの髪を撫でた。

 

「今日はマリギの復興について話し合ったよ。北は長い間ずっと森に入って無かったからね、沢山の資源があるはずだ。マファルダストが中心になって向かってくれる」

 

「マファルダスト……カズキが一緒だった」

 

「そうだね、ロザリーが率いていた隊商だよ。今はフェイが纏めている。以前にカズキの髪飾りやナイフを持って来てくれた人だ」

 

 別に意識などしていないが、二人の会話からカズキの存在が消える事は無かった。だから二人は目線を眠るカズキに向けた。側にはクインが静かに佇んでいる。

 

 

 その時アスト達は気付いた。

 

 

 聖女の間には自分達しかいない筈なのに、ベランダへと続く扉の前に一人の男が立っている事に。その男はアストよりも長身で、高さだけならあのケーヒルにも匹敵するだろう。細身の身体に不思議な衣装を纏っていた。髪は薄い金で、その顔は非常に整っている。

 

 もしカズキが見たなら大声で叫んだに違いない。カズキだけはその男を知っているから。

 

 纏う衣装はグレーのチノパンとジャケット、中に白いTシャツ。

 

「誰だ!?」

 

 アストはアスティアやクイン達を背に回し、男を睨んだ。手元に剣は無いが、一人くらい何とかなる……考えながらも不安を消せない。今の今まで気配すら感じさせず、見つかった後も動揺が見えないのだ。

 

「誰かいないか!侵入者だ!!」

 

 続けて応援を呼ぶ。万が一にもアスティア達を危険に晒すわけにはいかない。だが、直ぐ外に控えている筈の騎士達が雪崩れ込んで来る事は無かった。

 

「誰か……」

 

「悪いが、聞こえないよ。邪魔はされたくないからね」

 

 背の高い男は遮り呟く様に話すが、その言葉はしっかりと耳に入る。アストは異様な凄みを感じ、身体に力を込めた。せめて三人だけでも……そして何よりカズキを置いてはいけない。そう思うアストに男は言葉を重ねてきて思考が逸れる。

 

「信じられないだろうけど、僕には君達に危害を加える気などないよ。用があるのは()()()だからね」

 

 男の視線の先……そこには未だ目を覚まさない聖女の姿があった。

 

「貴様……カズキを……」

 

「兄様……」

 

「おや?君達はこの子の名前を解読したんだね。アレは中々に難しかった筈なのに」

 

「何を……」

 

 アストの疑問に男は警戒しているクインを見る。クインは最悪その身を犠牲にしてもアスティアやカズキを護る覚悟をしていた。

 

「ああ、確か君はクインだったかな? ()()()()()()にも詳しかったから、不思議でもない。カズキは見事に君達を探し当てたんだね」

 

 三人は意味が分からない言葉を紡ぐ男に益々警戒を強めた。だがクインだけは漸く理解して、アストの大きな背から離れ横に並ぶ。

 

「クイン!隠れていろ!」

 

「殿下、大丈夫です。おそらく彼が……いえ、この方が言う事は真実。私達に危害など加えないでしょう」

 

「何を言ってるんだ……?クインはこの男を知っているのか?」

 

「殿下ならお分かりになる筈。この方は皆がよく知る……とても身近な存在なのですから」

 

「いや、ちゃんと自己紹介するよ。僕は君達に礼をしなければならないからね。リンディア王国の王子アスト、そして王女アスティア、侍女のクインとエリ。他にも沢山の人の幸せを願わなければならないけれど、先ずは君達に心から礼を言わせてくれ。世界を……そしてカズキを救ってくれてありがとう」

 

 表情は変わらない。その姿は目に映るのに何処か存在が遠くに感じる。なのに大きく強い。

 

「僕の名はヤト。君達には黒神のヤトの方が分かりやすいかな?」

 

 ヤトは名乗り、そして微笑んだ。

 

「黒神……ヤト……」

 

「カズキに刻印を刻んだ……そして聖女に……」

 

 アスティアは呆然と呟き、アストは複雑な想いを言葉に込める。世界が救済されたのはカズキのお陰だが、それを遣わせたのは黒神のヤト。だが同時にカズキは苦しみ、血を何度も流した。そして今は覚めない眠りに囚われているのだ。

 

 痛む心、憎悪、悲哀、そして複雑な感謝の想い。

 

 凡ゆる感情が暴れてアスト達は拳を握った。何かを言いたいが、其処に怒りが篭りそうで言葉を紡げない。だが一人クインだけはヤトへ臆せず返答した。

 

「貴方のお陰で世界は救済されました。多くの人が感謝するでしょうし、私もその一人です。ですが、最後の言葉には納得出来ません。カズキが救われたなど……貴方にはカズキの姿が見えないのですか?どれ程辛かったか……訂正して下さい……!」

 

 ヤトは変わらず微笑を浮かべ、クインを見返す。

 

「そうだね……カズキが出会えた相手が君達で本当に良かった。それこそまさに奇跡、一つでも掛け間違えたなら救済は成らなかっただろう。でも訂正は出来ないかな……カズキが救われたのは間違いのない事実。勿論救ったのは僕じゃなく、この世界の人々だ。君達はカズキの心からの願いを叶えたのだから」

 

 心からの願い……その言葉を聞いたアスティアは怒りを抑える事が出来なかった。

 

「願い?黒神ヤト……カズキは貴方が刻んだ刻印に縛られて無理矢理に人々を癒したんです!何故救われたなどと!今更……いまさら礼を言うなど、カズキを馬鹿にしないで!!」

 

 それに私はカズキに何もしてあげられなかった!アスティアの慟哭が響く。

 

「王女アスティア、そして皆の憎悪を感じるよ。僕には慣れ親しんだ感覚だけど……決して馬鹿にしてはいない。だから説明するよ、全てを」

 

「説明?どういう事だ?」

 

 アストも神への気遣いなど忘れ、怒りを露わにする。リンディア王家にとり神々は不可侵の存在だが、アストは構わなかった。

 

「如何にして聖女となったか、魔獣とは何なのか、僕が此処に来た理由……そして、カズキとは誰なのか」

 

「カズキが誰なのか……」

 

「そう……僕はカズキを連れて来た。遠く、想像も出来ない程に遠くから」

 

「遠くから……私達に教えると?」

 

「勿論そのつもりだ。だって君達は……」

 

 

 

 カズキの家族なのだから……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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