黒神の聖女〜言葉の紡げない世界で〜   作:きつね雨

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a sequel(8) 〜家出娘〜

 

 

 

 

 

 

 ラエティティの前に、王都リンスフィアの威容が横たわっている。

 

 全景は見えるのに、今いる此処から一日中馬車を進めないと辿り着けない距離。あの都が如何に巨大かを表していた。

 

 国交が途絶えて久しいが、それでも凡ゆる文献や物語にさえ描かれていた都なのだ。小さな頃からリンディアについて学んでいた彼女にとって、ある意味で空想の産物だった。他国でありながらも、何処か夢見ていたかもしれない……口には出さないが、心躍るのが分かる。

 

 三連の尖塔は天にも届かんばかり。あの奥には有名な白祈の間や黒の間があるのだろう。魔獣との戦いで崩壊したと聞いていた城壁は既に姿を取り戻している。大門は未だ閉じられているが、あの先にはファウストナが幾つも入る程の街並みが広がっている筈だ。

 

 ファウストナは海風の影響から守る為に材木を焼き締めている。防虫の意味もあるそれは、全景を黒く染めていた。

 

 しかし、あの都は対極に位置する都だろう。全体が白く、リンディア城はまるで珊瑚の城だ。王都の周辺は淡い緑色の平原が何処までも続き、広大な畑が作付けされ、放牧も多く行われている。

 

 肥沃な大地……よくリンディアを表す言葉として使われるが、それを証明する光景だった。

 

「美しい……」

 

 ラエティティは周囲に人が居ないのを知り、我慢していた心の声を吐き出した。

 

 国力の差はあれど、これから国の行く末を左右する会談が待つのだ。本来あってはならない事だが、羨望の気持ちが溢れるのを止められなかった。

 

 そのラエティティの元へ、少しだけ離れた場所でケーヒルと話をしていたヴァツラフが歩いて来た。

 

「陛下……あの先で休息し、明日リンスフィアに入ります。既に寝所は設営済みとの事。今夜は雲一つない夜となり、違った姿のリンスフィアが見れるそうです」

 

「そうですか……」

 

「既に第二戦士団は先行しています。安全とは思いますが、一応警戒させていますのでご安心ください。女官も寝所の確認をする為、数人入らせました」

 

 ヴァツラフは風に揺れるラエティティの長い赤髪を眺めつつ、気休めだがと内心呟く。事実、もしリンディアに害意があるなら止めようがない。短時間で包囲殲滅されるだろう。

 

「ヴァッツ」

 

 ヴァツラフの愛称を呟く。

 

「はい」

 

「今は人が居ないわ。普通に話して」

 

「陛下、油断しては……はぁ、分かったよ。どうしたんだ?」

 

「リンスフィアを、リンディアをどう思う?此処まで同行して」

 

「どうもこうも……母上と同じさ。伝え聞いていたまま、いや以上の国だ。俺は母上ほどに詳しくないが、文献を読んだ事もある。あの城壁を見れば魔獣と戦う方がマシだと思ってしまう。それに騎士もそうだ。あの副団長は生半可な相手じゃない、負けるとは思わないが……手一杯になるだろう。あと森人も拙いな……あのフェイとやらは只者じゃない」

 

 如何にも戦士らしいヴァツラフに、ラエティティは思わず苦笑する。自分は乙女染みているのだろうか?そう思ってしまった。

 

「私は……美しいと思ったわ。ただそう思ったの。国土も城も、そして民も……分かる?彼らに害意はないわ。心から私達を歓迎しているのよ……そして恐ろしい。あの彼らをして、絶対の忠誠を捧げるリンディア王が……あの城に座す(おわす)聖女様が」

 

「聖女が? 怖いのか?」

 

「貴方は怖くないの? 彼らの話を聞いたでしょう?」

 

「その身を犠牲にして、癒しの光を放った。逸話も多く、遽には信じがたいが……好きなだけ街に繰り出し聞いてくれていいと言われれば、疑うのも馬鹿らしい。でも、慈愛と癒しを司る聖女を怖いとは思わないな」

 

「彼らは一つの塊となって外敵と戦うでしょう……忠誠を誓う国の為に。でも……自らの背後に聖女様がいる時、それは巨大な生命となって不滅の戦士になるのよ。貴方の力の刻印など意味を成さない……魔獣すらも消し去る力の前では……全ての人々が(こうべ)を垂れなければならないのだから」

 

 そして、その聖女はリンディアに抱かれている……ラエティティは自らに言い聞かせる様に締め括った。

 

 

 

 その聖女の座すリンスフィアまで、あと一日……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラエティティ曰く、恐ろしい聖女様の作戦は佳境を迎えていた。夜の帳が降りた聖女の間にはカズキ一人しかいない。クインも下がり、騒がしいアスティアやエリも夢の中でカズキを追い掛けているだろう。

 

 イチエキとやらを手に入れてから、周囲に見付からない様に実験を繰り返して来た。髪の先や髪飾りに隠れる場所、その全てが脱色されたのだ。髪先はすぐに切断し証拠隠滅は疎かにしていない。

 

 明日早朝に脱走する。夕方までに帰ればいいだろう……この期に及んで聖女は戯けたことを考えていた。置き手紙があれば安心と……

 

 因みに……夜に出歩くのは抵抗があった。カズキにとって不思議な感覚だが、何処か恐怖心が湧き上がるのが分かってしまう。それでも朝から脱走するのは諦める気は無いようだ。

 

 帰った後、何が起こるかは敢えて考えてない。それよりも酒を飲みたい……積み上がった欲望は正常な判断を狂わせるのだ。

 

 お金も既に準備万端。僅かだが街に出た時に貰った物を貯め込んでいた。正直貨幣価値は分かってないが、テーブルにでもぶち撒ければ計算してくれる筈。

 

「完成」

 

 完璧と言いたかったカズキだが、間違いも気にしない。と言うか、完璧な訳がないのに。

 

「いく」

 

 やるか……そう呟いたつもりのカズキは洗面室に向かう。

 

 相変わらず無駄に広いその()()には、澄んだ水を蓄えた桶がある。ある程度時間を置いて洗い流す算段だろう。いそいそと一液の入った瓶を取り出すと、鏡の前に立った。

 

 其処には黒髪を湛えた少女がいて、我ながら綺麗だと思う瞳と目が合う。髪は随分伸びた為に、液はギリギリだろう。慎重にかつ大胆に実行しなければ……いよいよカズキ立案の"街に出て酒を楽しもう作戦"、その時は満ちたのだ。

 

 先ずは薄い夜着を脱ぎ去り、側の台に置く。今は暑い季節らしく、それだけで下着姿になった。胸の形状は比較的に元の世界の物に近いが、巻きつける様に装着するのが違う。小さなお尻を覆う下着は伸び縮みが弱いくらいで、ぱっと見はそっくりだ。

 

 首だけでなく、胸や下腹部に刻まれた刻印が目に入った。聖女と慈愛の刻印だと今のカズキは理解しているが、いまいち実感が無い。貴女は聖女……そう言われても、困ってしまうのだ。

 

 そんな聖女の露わな肢体に、見る人が見れば陶然とするか、恐れ多いと走り去るだろう。だが、本人は僅かにズリ下がる下着に目もくれず、次の行動に移った。

 

 手荒れは無視して、手のひらに液体を垂らす。

 

 両手で広げると頭頂部から塗るように髪に馴染ませていった。それを何回か繰り返し、万遍なく染み込ませる。均一には無理だったが、まあこんなものだろう……そう思っていたカズキだが、鏡の中のカズキも眉間に皺が寄っているのが分かった。

 

 先ず、何度も液体を垂らした手がヒリヒリし始めたのだ。そして頭頂部、側頭部、液体の垂れた首回りまでに違和感が走り始めた。

 

「痛、い」

 

 これは拙いと溜めた水桶に直接頭を浸けて、ワシャワシャと頭を濯ぐ。近くに掛けていた布にも水を染み込ませると首回りも拭った。

 

 しかしそれでも治らず、再び頭を浸す。

 

「み、水……」

 

 砂漠に倒れた旅人のような台詞を吐くが、今は深夜……世話焼きのクインもいない。

 

 暫くの間、洗面室からは水のバタつく音が響いたという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大変……」

 

 聖女は美しい顔を真っ青にして鏡に向かっていた。

 

 左耳から巻き付く刻印が刻まれていた細い首は、肌が荒れて赤く染まっている。勿論刻印は見えるが、無事な肌が綺麗なだけに赤が非常に目立つ。

 

 今は下着姿の為、肩にも荒れは伝わっており痛々しい。聖女の刻印が無事なのはせめてもの救いか。

 

 何より……あの聖女の象徴である黒髪は無残な姿に変わっていた。

 

 基本的な印象は灰色だ。だが、慌てて濯いだ為に浸透に差が出たのだろう、疎らに色が抜けて統一感は無い。それは斑模様(まだらもよう)で、黒、灰色、白が入り乱れている。はっきり言うと汚らしい。あれ程艶やかだった髪からは生命力が失われ、まるで老婆の如くだ。

 

 顔立ちが非常に美しいだけに、違和感が激しい。まるで希少な宝石を態々汚している様だ。

 

「怒る、大変」

 

 怒られる自覚があるなら最初からするなと、誰もが言うだろう。酒飲みたさで行った所業だと知れたら、生涯禁酒させられるかもしれない……カズキはまた青くなった。

 

「怒る、一緒」

 

 カズキは持ち前の男らしさ?を発揮し開き直った。明日は浴びる程に飲んで、捕まるまで逃げよう。その内に諦めるかもしれない……そんな訳ないでしょ!とアスティアの声が聞こえた気がするが努めて無視する。

 

 決意した聖女は髪から布で水分を抜き、ベッドに横たわった。

 

 

 

 これが、ラエティティ曰く「恐ろしい」聖女の昨晩の所業だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「探す怒る、無し、安心、有り、夕方、大丈夫」

 

 アスティアはワナワナと置き手紙を握る手を震わせ、短い言葉を二回読んだ。妙に美しい文字が逆に腹立たしい。

 

 早朝自ら起き出す前に何故かクインから起こされたアスティアは予感がしたのだ。エリは毎度の如く寝坊していて、まだ側には居ない。そして髪を整える暇も無く飛び込んだ聖女の間は……もぬけの空。

 

 クインは既にアストに報せに走り、リンディア城は騒然としていた。

 

 あちこちに騎士が走り、他の侍女すら慌ただしく早足だ。

 

 それはそうだ……聖女カズキはこの城の最重要人物といっていい。カーディルやアスト達は当たり前だが、カズキは重要の意味が違う。

 

 白神と黒神に愛された使徒で、その身を救う為に黒神ヤト本人すら降臨した。何かあれば神々が怒り狂うのは明白だ。

 

 つい半年前にはリンディアを救済した。いや、リンディアだけでは無い、世界を救ったのだ。癒しの力を浴びて命を繋いだ人は数知れない。今も貢物が大量に届き、祈りを捧げたいと願う来城者は後を絶たない。

 

 街にはカズキの絵姿が溢れ、演劇も多く予定されている。聖女役の演者が尽く辞退し、未だ進んでは無いそうだが。余りに恐れ多い……それが理由だ。

 

 何より時期が悪過ぎて、報せを聞いたカーディルは暫く呆然としたらしい。

 

 正に今日、約200年ぶりに他国から訪れるのだ。ファウストナ海王国から統治者たる女王と王子が。リンディアの総力を挙げて、準備を進めて来た。会談が目的とされているが、来国最大の理由は聖女への拝謁なのだ。カーディルとしても、和平交渉の切り札はカズキだと確信していた。

 

 その聖女が家出……多分夕方には帰るのだろうが、間に合わない。昼過ぎには到着するのだ。カズキにはこの行事を深く伝えていなかった。ただ側に居てくれたら良いし、席をたってもいい。ただ、姿が其処にあれば祝福されるのだ。久しぶりに軽く酒も上げるつもりだったし、絶えずアスティア達が付くはずだった。

 

 あの切れ切れの手紙を訳すと……

 

 探したり怒ったりしないで下さい。私は大丈夫なので安心してね。夕方には帰ります……となる。

 

「拙いぞ……コヒン、どうする?」

 

 手紙を読んだカーディルは頭を抱えた。

 

 カズキが居なくとも会談は進む。だが、一向に聖女が現れないとなれば、相手はどう思うだろう?

 

 当然なにかを勘繰る筈だ。リンディアに聖女を抑えられ、政治的に利用すると判断してもおかしく無い。或いは、ファウストナに聖女の加護は渡さないつもりかと内心怒りを溜める可能性すらある。

 

「とにかく探すのですじゃ。準備や何かで遅れていると時間を稼ぎましょうぞ。カズキなら目立つでしょうし、直ぐに見つかる筈。陛下は話を引き延ばし、場合に依ってはリンスフィアを案内するなりすれば……」

 

 その街に聖女は繰り出しているが。

 

「仕方がない、そうするか……目立たないよう騎士団も使え。鎧や剣は無しだ。物々しい雰囲気など与えたくは無い」

 

「それが宜しいでしょうな。ケーヒル副団長にも内々で報せを送ります。少しでも時間を稼いで貰わなければ……」

 

「ああ……アストは何処だ?」

 

「到着ギリギリまで探すつもり、ですかな?まあ殿下なら思い付くところもあるでしょう」

 

「お転婆娘を抱える父親の気分を味わえるとはな……アスに笑われてしまう」

 

「アス様なら腹を抱えて笑うに決まっておりますな……」

 

 二人は互いを見ると、深くて長い溜息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「戦士団の皆様は此方で陣を張り、お待ち下さい。水や食料は騎士に運ばせます。人も付けますので、何なりとご要望を」

 

 リンスフィアにほど近い場所にケーヒル達はいた。流石に他国の軍を街中に入れたり出来ないし、それは不文律だろう。戦士団も不服を申し立てる事なく従っている。

 

「女王陛下、何時でも出発出来ます。しかし長旅の疲れもあるでしょう、御希望に添いますので、ゆっくりなさって下さい。同行者は決まっておりますか?」

 

 馬車から既に降りているラエティティは、もう一度リンスフィアを眺めていた。そしてケーヒルへと向き直る。

 

「ありがとうございます。同行者はヴァツラフと戦士を如何程か、女官は三人を予定しています。構いませんか?」

 

「勿論です。此方も騎士をつけますので、御身には不安の欠片も近づけません。ご安心下さい」

 

 当然見張りはつけるが、それはラエティティも承知だろう。特に反論もせず頷く。

 

「ご配慮に感謝します。先程も申されましたが、王都内を散策して構いませんか?やはりファウストナと違い、とても興味深い。特にヴァツラフには学ぶ事も多い筈」

 

「カーディル王より既に許可頂いております。ヴァツラフ殿下には私が。是非案内させて下さい」

 

「副団長自ら……光栄ですね。ヴァツラフ、迷惑を掛けないようにしなさい」

 

「はっ。ケーヒル殿、宜しく頼む」

 

「城へは陽が高く昇ってからで構いませんぞ。先に軽く街を散策なさいますか?」

 

 ケーヒルは内心、懇願する。頼むから出来るだけゆっくりしてくれと。

 

「陛下、如何なさいますか?」

 

「そうですね……ではお言葉に甘えましょう。リンディア王国の王都を見る機会など中々ないでしょうから」

 

 会談前にリンディアの実情を少しでも知りたい。相手も当然理解しているだろうが、全てを覆い隠すなど不可能だ。何かあるなら違和感を覚えるだろうし、聖女の本当の姿が分かるかも知れない。しかも今朝はケーヒル副団長に落ち着きがない。理由は不明だが、リンスフィアが目の前と言うことに関係すると考えていいだろう。その割に街を案内するとは矛盾するが、無駄ではない筈。

 

 ラエティティはケーヒルの顔色を盗み見ながら思考した。

 

 聡明なファウストナの女王も流石に見抜けないだろう。

 

 聖女が家出して、リンディアが慌てふためいているなど。今朝早く報せを聞いたケーヒルが天を仰いだなど想像の埒外なのだ。

 

 

 

 

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