黒神の聖女〜言葉の紡げない世界で〜   作:きつね雨

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a sequel(13) 〜慈愛〜

 

 

 

 ほんの僅かな時間、ヴァツラフはアスティアの前に佇み無言だった。少しだけ固まっていたと言っていい。しかし、その沈黙を破ったのも、やはりリンディアの王女だった。

 

「ケーヒル。ラエティティ女王陛下は何処に?」

 

「はっ。直ぐ近く、西街区の境にお待ち頂いております」

 

「まあ!それは……長旅を続けられた女王陛下をお待たせするなど許されません。直ぐにお迎えに上がり、リンディア城にご案内しましょう」

 

「いや、元々は此方の我儘。余り気を使わないで欲しい。目的は其処に眠る少女だ。ラエティティ陛下がもう一度その少女と話したいと言って、我等は此処に来た。だが、どうやらこの少女は貴女もよく知ってある様子だ。誰なんだ?」

 

 既に落ち着いた雰囲気のヴァツラフに、アスティアも息をついた。

 

「この子……名前は()()()と……事情がありまして、今は城で保護しています」

 

 全てが完全な嘘では無い。アスティアは心で言い訳を唱えた。

 

「保護……成る程、ケーヒル殿が慌てるのも頷けるな。普段は街にいないのだろう?」

 

「その通りです。ヴァツラフ様もお気づきでしょう、この子には……少しだけ変わったところがあって……」

 

「そうだな。だが、美しい娘だ。最初は驚いたし、今もつい引っ張られる様な不思議な感じがするな」

 

 だってこの子は、世界に二人といない5階位の刻印を持つ聖女だから……内心アスティアは呟き、判らない様に溜息をつく。

 

「今は体調が優れない様ですので、後ほど改めて女王陛下にもご挨拶に伺わさせます。今はラエティティ様をお待たせしたくありません。カズ……カーラを馬車まで連れて……」

 

 ケーヒルがカズキを連れて行こうと動き出した瞬間、ヴァツラフから思わぬ言葉がかかった。

 

「ならば私が連れて行こう。俺は力の刻印を持つ者、少女を運ぶなど何の負担にもならない」

 

 アスティアは驚愕し思わずヴァツラフを観察してしまう。だが、そこには男としての劣情や打算も無かった。ただ、当たり前に想いを言葉にしたのだろう。

 

「ですが……」

 

「何、先程は失礼した。せめてものお詫びだと思ってくれればいい。それにラエティティ女王陛下に顔を見せたいと思う」

 

 今は聖女で無く、ある意味で一般の国民と一緒だ。ラエティティに見せたいと言われたら、断り難いアスティアだった。ついた嘘は我が身に返ってくるものだ。

 

「……分かりました。では、私の馬車について来て頂けますか?」

 

「了解した。この娘は此方の馬車に乗せよう」

 

 ヴァツラフはベッドまで近づくと、丸まったカズキを抱き上げる。横抱きにしているが、確かに軽いとは言え人を持ち上げているとは思えない様子だ。力の刻印は文字通り、個人の体力に直接影響する事はよく知られている。

 

 今まで固い表情だったヴァツラフに、ほんの少しの笑顔が浮かんだのをアスティアは見て……何故か強い不安に襲われる。そしてその理由に思い当たった。

 

 愛する妹をその手に抱くのは、兄だと当たり前に思っていたからだ。その二人の側に自分も佇むだろう。なのに今、今日初めて会った男がカズキを抱き上げている。間違いなく男に情欲など無いが、その見慣れない笑顔にアスティアは不安を覚えたのだ。

 

 ああ……そう、アスティアは気付いてしまった。

 

 カズキの隣には兄様が居る、それは当然だったのに……未来は誰にも分からない。もしカズキが彼に、或いは誰かに心を寄せたなら、私はそれを否定出来るのか……

 

 嫉妬とも違う独特の感覚に戸惑う。

 

 兄様はカズキと愛し合っているのだろうか? そうでなくとも時間が解決すると考えていたのではないか? このリンディアで兄様を差し置ける者など、いない。だが、目の前の男はどうだ? 小国とは言え、王子として魔獣に打ち勝って来た戦士。私から見ても立派な男性だと分かる。そして何より……彼は力の刻印を持つと言う。

 

 カズキと同じ神々の使徒なのだ。

 

 ()()()()()()

 

 彼は引っ張られると表現した。意識のあるカズキが同じ感覚を覚えてしまったら……アスティアは酷く後悔していた。

 

 

 カズキを聖女だと紹介しなかった事で……聖女ならば彼はカズキの肌に触れる事も、横抱きのまま自分の前から連れて行かれる事も無かったのに……

 

 

 

 扉の向こうに消えて行った二人を、アスティアは呆然と見送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カーラ? この子の名前ですね」

 

 ヴァツラフが別れた場所まで戻り、カズキを預けた最初の言葉にラエティティが返す。

 

「はい。直ぐにアスティア王女が此処に来ます。そのまま城まで案内するそうです」

 

「王女が自らなんて、余程大切な子なのでしょう。でもそれなら何故此処へ?」

 

「女王陛下が先程、話がしたいと……余計な事でしたか?」

 

 言葉は丁寧だが、ヴァツラフには困惑と怒りがあった。意味深な視線まで送ったではないかと。

 

「そうでしたね……でも、何故でしょう? 不思議と、もう一度話がしたい、顔が見たいと強く思ったのです」

 

「確かに……何か引っ張られる感覚があります。それが何かは分からないですが……」

 

「まあ……貴方がそんな事を言うなんて……確かに可愛らしい女の子ですものね」

 

「陛下……この娘は他国の、しかもアスティア王女が保護しているのです。下世話な話は感心しません」

 

「そうね、ごめんなさい……でも、カーラ……」

 

「どうしました?」

 

「いえ……そう言えばこの子、瞳が綺麗な翡翠色でしたね。まるで聖女カズキ様の様です。これで髪も黒ければ、ですが」

 

「はあ……」

 

 次から次へと会話が流れ、ヴァツラフは返事に力が無くなった。よくある事なのだろう。

 

「この包帯は?」

 

 首回りには先程無かった白い包帯が巻かれていた。その下には聖女の象徴の一つ、言語不覚の刻印が刻まれている。

 

 数歩離れて見守っていたケーヒルが身動ぎしたが、幸いラエティティは気付かなかった。

 

「居たのは治癒院です。治療したのでしょう」

 

「痛々しいですね……この髪も何かの理由で傷んだ筈です。眠りも深い……」

 

 決して手触りが良くない髪を撫でながら、ラエティティは改めて観察する。顔立ちは非常に整っていて、着飾れば誰よりも映えるだろう。

 

 耳元に掛かる髪を指先で流そうとした時、アスティアが乗る馬車が視界に入った。そして、カズキを馬車の寝台に乗せて背筋を伸ばす。

 

 子供を優しく見守る大人の女性から、ファウストナの女王へと変化したラエティティは顔を上げた。ラエティティにとっても、ファウストナにとっても、大事な時間が迫っているのだから……

 

 

 

 

 結果だけ言うなら、ラエティティとアスティアは意気投合したと言っていいだろう。ヴァツラフは王子とは言え二人の会話に入らず、護衛の一人として振る舞った。

 

 二人の会話を取り持ったのはアスティアから見てカズキ、ラエティティから見ればカーラだった。

 

 いきなりラエティティの元へ飛び込もうとした事。ヴァツラフに捕まり、母と間違えたと分かったこと。その母はつい最近に亡くなった事。言葉が少し不自由ながらも活発で優しい娘。お転婆で手を焼いている事も二人の会話に彩りを添えた。

 

 アスティアは最初こそ緊張していたが、ラエティティの包み込むような暖かさは何処か母であるアスを思い出させたのだろう。

 

 勿論他国の女王と王女だから、全てを開け広げた訳では無い。それでも会話の間にはカズキが居て、何処か優しい時間になったのだ。

 

 ありがとう……アスティアの感謝の言葉は心の中だったが、それは本心だった。

 

 そうして暫く会話を楽しむと、両国の王族を乗せた馬車はリンディア城へと消えて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうしようか……

 

 

 意識を取り戻したカズキは、薄っすらと目を開けて内心呟いた。

 

 その視界には見慣れた高い天井があり、此処が自分の住う部屋だと知れた。離れた場所には人の気配があるが、恐らくクインだろう。気を遣い、出来るだけ静かにしてくれているのは直ぐに分かった。身体の感覚からロザリーに貰った服は着ていない。毎度の如く着替えさせられたのだ。

 

 つまり……髪どころか首から肩にかけた炎症にも気付いた筈。しかし何故あの場所が分かったのだ?不思議な話だが事実である以上、仕方が無いのだろう。

 

 分からない内に目を閉じる。

 

 どうしよう……

 

 心構えも何も無い。

 

 記憶の最後はチェチリアの病院だが、あの酒はどうしただろうか? あれまで見つかっていたら、もう終わりだ……酷く怒られて、間違いなく禁酒令が出る。いや、少なくとも月の酒はバレてない筈。あの酒だけは諦めたくない。満月の夜に必ず脱走するのだ。

 

 となれば、何か言い訳を考えないと……

 

 いや、言い訳は逆効果だ。

 

 此処は殊勝な態度が大事なのでは?

 

 いきなり謝ろう……ひたすらに謝罪するのだ。

 

 満月まではまだ何日もかかる。ならば、目の前の酒は我慢して油断を誘う。

 

 クイン相手にそれが通じるのか……?

 

 間違いなく頭の良い女性で、自分の悪巧みなんて簡単に見抜きそう……

 

 

 

 ギュッと目を瞑り、カズキがそんな下らない思考を巡らせていた時だった。

 

 聖女の間、その扉が開かれた。正確にはノックの音の後、クインによってだ。

 

「クイン、カズキはどう?」

 

「まだ目は覚ましません。ただ、呼吸は安定してますし眠っているだけですから、安心して下さい」

 

「そう、良かった」

 

「肌の炎症は暫く掛かります。少なくとも10日以上は……特に首回りが一番酷いですね」

 

「ええ……クイン……髪は、カズキの髪は大丈夫なの?」

 

「分かりません。まるで髪から色を抜き出したようで……生え変われば治るのか、別の要因が必要なのか……癒しの力が有れば直ぐに治ったと思いますが」

 

「それは期待出来ないわ。ヤトにより封印されているのだもの」

 

 そうですね……アスティア達二人は会話しながらカズキの元へと寄り添った。

 

「ラエティティ女王陛下は?」

 

「先程来賓室に。この聖女の間とは王の間を挟んだ反対側ね。状況はお父様と兄様に伝えたから、答えは出してくれると思う。このままカーラとして暫く過ごして貰うかもしれないわ」

 

「最初の会談は明日ですね。時間も遅くなりましたし……会談は何度か行われるでしょう」

 

「ええ、今日は顔合わせだけよ。歓迎の宴も元々明日の予定だし。それまでにカズキをどうするか決めないと」

 

 長い会話を聞いていたカズキだが、殆どが意味不明だった。だが最後の言葉はやけにはっきりと聞こえた。そのアスティアの台詞には内心冷や汗が流れる。

 

 どうするか決めるって……やっぱり禁酒令か? お勉強の時間が伸びるのか?それとも両方?

 

 大変だ……恐怖心を煽られたカズキは我慢が出来なくなり、恐る恐る目を開く。

 

 うう……脱走なんてするんじゃなかった……後悔とは後に募る悔いなのだ。とにかく謝ろう……勝手に居なくなって、髪まで灰色になったし……カズキは情け無い覚悟を決めた。

 

「ごめん、なさい」

 

「カズキ……目を覚ましたのね」

 

 アスティアの声を聞いて、ゆっくりと首を動かすカズキ。しかし此処で顔は歪み、僅かに涙が溢れた。

 

 首周りが痛い……首も肩も、頭もひりひりする……化学火傷も後から痛くなるんだ……カズキは呑気にそう思った。

 

「ごめん、なさい。勝手に……」

 

 綺麗な瞳から涙が溢れるのを見たアスティアは、心の痛みを我慢して無理矢理に平静を装った。

 

「カズキ、痛いの?」

 

「え?う、うん。首、痛い」

 

 其処にはカズキを縛る刻印が在る。

 

「アスティア、クイン、ごめ……」

 

「謝る必要なんて無いわ」

 

 謝る事すら許して貰えないなんて……見ればアスティアの表情は何かを我慢しているようだ。まるで溜め込んだ怒りを押さえ付ける様に。

 

「クイン……」

 

 危険……此処はクインに退避だ……カズキから見たら歳下のアスティアからあっさり逃げたが、クインを見て後悔する。

 

 私は知りませんとばかりに違う方向を向いている。しかし僅かに肩が揺れているのを見れば、怒りに震えているのは明らかだろう……カズキは罪悪感からそうとしか思えなかった。

 

「カズキの包帯を変えてあげて。クイン、私はお父様達と話してくるわ……決めないと」

 

「アスティア……何?」

 

 何を決めるの……?

 

「カズキ……今日はゆっくり休みなさい。明日話しましょう」

 

 明日、禁酒令発動?

 

「ア、アスティア……ごめんなさ」

 

「謝らないで!」

 

 ビクリと肩が揺れる。

 

「お願いだから……謝ったりしないで。私、泣いてしまうわ……」

 

 泣くほど怒ってる……

 

 禁酒は決まりか……

 

 カズキは絶望感に襲われてしまう。

 

「アスティア様……」

 

「クイン、お願いね」

 

 足早にアスティアは出て行ってしまった。

 

 真新しい包帯と、何やら塗り薬らしい物を用意しているクイン。背中越しだが、やはり怒っているのだろうか? カズキは耐えられなくなり聞いてしまう。

 

「クイン……怒る?」

 

「そうですね……怒ってます」

 

 やっぱり……

 

「さあ、包帯を変えましょう」

 

 それからは無言で処置が行われて、カズキの包帯は巻き直された。

 

()()()()、今日はもうお休み下さい。明日、起こしに来ますから。それと……もう私達に言わずに居なくなったりしないで下さい……どうかお願いします」

 

「は、はい」

 

 こ、怖い……今日は大人しくしていよう……

 

 カズキはクインが部屋を出るまで身動きが出来なかった。

 

 心の中は後悔で一杯だったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クインが静かに扉を閉めると、直ぐにアスティアの佇む姿が目に入った。カーディル達との打ち合わせは嘘では無いが、時間には余裕があったのだろう。

 

「ごめんなさい……クインに任せきりで」

 

「アスティア様、先程はよく我慢されましたよ。私の方が先に涙が出そうでしたから」

 

「最初、クイン我慢してたものね……」

 

「あんな……哀しい顔で謝られたら……誰でも泣いてしまいます。カズキが謝る必要なんて無いのに……パジさんを助けられなかった事は誰の所為でも無いのですから」

 

「きっと刻印が痛むのね……いえ、それとも慈愛が哀しみを誘うの?」

 

「きっとそうなのでしょう……アスティア様、先程質問されました。カズキに」

 

「何を?」

 

「怒っているか、と」

 

「そう……私も一緒よ。凄く怒っているわ」

 

「はい。私達に何も言わず、一人で行動したこと」

 

「そうね……でも何より」

 

「はい」

 

「何も出来ない、してあげられない自分に……」

 

 クインは少しだけ頷き、静かになった聖女の間に顔を向けた。

 

 

 そうして、ファウストナ来訪の初日は更けて行ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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