久しぶりに友人の家を訪ね、こたつにあたったら……

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火のないこたつの中

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 無沙汰(ぶさた)になっている友人のKから、

「一度遊びに来ないか?」

 と葉書の案内をもらった。久しぶりに旧交を暖めるのもよかろう、そう思って地図を頼りに出かけた。

 世田谷のわかりにくい道を、木枯らしに吹かれながらたどるうち、やっと目的の場所に着いた。約束の午後三時より三十分ほど前だった。玄関が木格子ガラス戸の古い家だったので、仏文学をやっている洒落者の彼には不釣合だなと、くすりと笑いながら声をかけたが返事がない。 戸を開けても誰も出てこない。ふと見ると、上がりかまちにメモが置いてある。

「ちょっと出かけてます。上がって待っていてください。すぐ左手の部屋です」

ふすまを開けると十五畳ほどの和室で、奥の方にはこたつが、いかにもそれらしく鎮座ましましている。フランスゴブラン織風の掛け布団が豪華にかかっている。置きテーブルは大理石。中心に上等のワインが王者のようにふんぞり返り、カマンベールやサラミソーセージの皿や、キラキラと光る透き通ったグラスが、忠実な騎士よろしくひしめいている。花柄模様のクッション付き座椅子は、いかにも人待ち顔の風情だ。さすが洒落者は違うなと感心した。

 グラスの下にもメモがあった。

「どうぞ、こたつにあたって、ワインを開けて飲んでいてください」

 栓抜きもある。いたれりつくせりの心遣いだ。思わず喉が鳴った。だが、あまりずうずうしくも振る舞えない。しばらく畳に正座したまま待った。

左右の壁際に並んだ本箱には、本がぎっしり詰まっている。……古今東西の典籍ことごとくとまでは言えないが、ダンテ、ポオ、スエーデンボルグなどそうそうたる名作の背文字が垣間見える。

こんなこたつに当たって読書三昧とはうらやましい。

 

 ひょいと後を見上げると、円形の大時計がひとつ……部屋の明暗を映していて、まるで巨人キュクロプスの目のようだ。だがこの時計、いくぶん美的価値はあろうが、時間を知るには不適当だった。

 止まっていたのか、ですって?……いや、動いていたのかもしれないが、しかとはわからない。 肝心の針がなかった。

「良くある手だな」

 思わずつぶやいた。

 イングマル・ベルイマン監督の「野いちご」という映画の冒頭。夢の中を彷徨う主人公イサク老人の目にした時計も、やはり針のないものだった。

 時間のない部屋。

 いや、時間はあるが、時間の拘束を受けない部屋。……それが、この部屋の特徴だった。

 

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 いつの間にか十分が過ぎた。……Kは帰ってこない。足が疲れ、とうとうあぐらをかいた。

 人待ち顔のこたつが気がかりだ。あそこへ入って王侯の気分でゆったりしたい。主人の勧めもあるのだし、黄金色の液体をすすり、柔らかいフランスチーズを頬の内側に含ませ、皮表紙のポオの全集をひもときたい。……

 

 また十分過ぎた。……窓はがたがたと鳴り、体は心底冷えきった。

「こたつはあたるために存在するんだ。……これこそ誰はばかることなく断言できる定義だ」

 勝手に結論付けると、誘惑に負け座椅子に座った。すこぶる具合がいい。大理石の卓面でグラスが揺れ、かちかちと微かに音をたてる。人間の習性で自然に足を入れる。深い掘ごたつで、足が吸い込まれるようだ。

 ところがどうだ、足はひやっとした。期待がはずされた。……

 電源コードは見当たらない。炭火でも入れるタイプかと足でそっとまさぐってみる。

つうーと足を伸ばした時、左足に何かが触れた。固い棒のようなものだ。……覗いてみると、なんとこれが骨だ。

 足の骨が一組、大腿部、膝、すね、足首、爪先まですっかりそろった人間一人分の足の骨だ。こたつの横板に、足のあるべき姿そのままにもたれかかっている。いくぶん艶もあり、鈍く光っている。

 

 ああ、一体誰の骨だろう?

 かつて、このこたつにあたっていた人物のものに違いない。何か事情があって、足が残ってしまったらしい。……

 

 ひょっとすると、これは友人Kの骨ではないのか?

 妙な考えを抑え付けようとしたが、イメージが増殖し、はっきりとした映像が、急流のようなスピードで次々に浮かんだ。

 ……もう数週間も前のことだ。ある日、Kは、悠々とこたつに当たってスウエーデンボルグの「天界と地獄」の頁を開き、哲学的気分に浸っていた。ふと読書に疲れ、目を上げて時計を見た時だった。時計のガラス面が急にふくれ上がったと思うと、中心から白い靄が立ち昇り、みるみる広がって恐ろしい姿の異形の者が現われた。ミシュランの広告のタイヤマンからユーモアや漫画性を取り去ったような、ぶよぶよとして不透明で、通常では見ることの不可能な存在だった。そいつが、霊界独特の脅し文句を並べると、絶叫しながら畳を跳んで、Kに襲いかかった。

 Kは動転した。もちろん、Kでなくとも動転しただろう。魂が消えるほどの事件なんだから。

 足は、居心地の良いこたつを離れがたく、上体は恐怖のあまり飛び出そうとした。上下の感情のアンビバレンスな対立が、ついに体を分離させた。

 Kは、足を置き去りにしてこの部屋から出ていったのだ。

 しかし、足もないのに、どうやって?……

 さあ?…………

 あとは魔物の天下。時計の針を外し、この部屋から生活時間を追放した。その時から、ここは霊界の出張所になったのだ。

 ……残されたKの足は、腐って骨だけになった。

 待てよ、骨の周りにあったはずの肉片の残骸がない。おまけに腐臭さえない。屑はきれいに片づけられている。それこそ、魔物の存在を証明する動かぬ証拠じゃないか。

 見よ、魔物は、Kの住所録を開いて、手当りしだいに案内状を書き、ポストに投函した。Kの関係者をこの部屋に連れ込もうという算段だ。

 

 いかにもうまそうなご馳走を用意して、こたつに誘い込む。そして、のんびりと読書を始めたころを見計らって……K同様に脅しをかけようという訳だ。

 うまく誘いに乗ったのがこの私だ。

 

 思わずあたりを見回した。生きた心地がしない。天井の隅の方からこっちをうかがっている目があるようだ。いや、むしろあの大時計だ。あれが今や魔物の目そのものなのだ。

 背筋を悪寒が走る。からだが金縛りになって動かない。そんな馬鹿な話はない。すべて想像の産物だ。と、否定しようとしたが、ますます恐ろしさは募る一方だ。

 

 しかし魔物にも手落ちがあるぞ。こたつに火を入れ忘れ、おまけに足の骨を残してしまった。だからこそこっちも気が付いた。でなかったら、この計略は、普通の人間にわかるはずがない。約束より三十分前に到着したおかげで、奸計を見破ることが出来たのだ。

 

 もう旧交を暖めるどころではなくなった。黄金のワインも、カマンベールも、二の次三の次、さっさとあきらめた。

 ともかくまだ無事に足が付いているうちに、早いとこ、この部屋から出て行ったほうがよさそうだ。

 そう思うや否や、こたつを跳び出した。

 

【挿絵表示】

 

 

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 どこをどう通って戻ってきたのか覚えていないが、気が付くと自分の部屋にいた。

 長年使っている四畳半だ。冬の日はもう沈んだのか、それとも曇っているのか、すりガラスの窓は薄暗い。北風が吹きつけて、がたがたと揺れる。ひっそりとした室内には、相変わらずの薄汚れた本箱。……書きかけの原稿用紙が乗っている机、そして背もたれの布がほころびた椅子。あたりの畳には散らかった書類や本の山。

(ああ、無事に帰ってきたんだ)

 ほっとしたが、ひどく疲れている。体の心棒がずきずきと痛む。全身が今にもばらばらに分解してしまいそうな不安な痛みだ。思わず、敷きっぱなしの布団にもぐりこんだ。

 

 そのまま眠ってしまったが、時々目を覚ましては、また眠り込んだ。ああした経験がよほどのショックだったのか、起き上がる気力がなかった。時には部屋が真っ暗だったり、また朝日があたっていたりした。雨が窓を叩いているわびしい光景を目にした記憶もある。……

 やがてはっきりと目が覚めたが、壁に日が差し込んでいて、枯木の影が、影絵芝居の背景のように映っていて、かすかに揺れている。しばらく天井の木目をひとしきり眺めて考えていた。

(一体何日眠ったんだろう? ずいぶんげっそりしているし、髭も伸びている。……それにしても恐ろしい目に会ったものだ。……)

 無事に逃れてきたのが奇跡のように思われた。起き上がろうとしたが力が出ない。ようやく寝返りを打って枕に顎を乗せた。

 枕元に食事が置いてある。家人が持ってきたのだろう。腹は減っているが、食欲はない。梅干しをつまんで口に入れた。滲みるような酸っぱさに、思わず顔が歪んだ。

 郵便物が五、六通置いてあった。沢庵を噛みながら取り上げて眺めると、ハガキが一枚目についた。例のKからの案内状と同じ筆跡で、小さい字がびっしり書かれている。不安に駆られ枕元の虫眼鏡を取り上げて目を走らせた。

 

「この度はご来訪ありがとうございます。短い間でしたが、楽しい時間を過していただけたようですね。……」

 冒頭の言葉に度肝を抜かれた。

(もしや、魔物が送った礼状ではなかろうか?)

 体中が震えだしたが、なおも読み進んだ。

「今回のご協力に対し、深く深く感謝するしだいです。これで私の面目も保たれたというものです。なにしろこのコレクション作業ときたら、気の遠くなるほど遠大なものです。ご承知のように私の妻ときたら、わがままの上にまれに見るヒステリー持ちでして、日頃戦々恐々としておりますが、このほど宮殿を新築するに際して、階段やテラスの手摺にこだわり始めたのです。いろんな材料を探したのですがどれも気に入らず、唯一合格したのが人間の足の骨。形といい、手触りといい、これ以上のものはないとすっかりご満悦で、早速二五〇組の足の骨が必要になったしだいです。そんな訳で、早速ご提供をいただき深く深く感謝し、御礼いたすしだいです。この上は勇気を持って残りの材料集めにまい進する所存です。

 なお、妻は、現在、庭園の花壇の縁取りに人間の頭骨が欲しいと主張いたしております。今のところ、当方の多忙、および人道上の見地から、このコレクションには反対しておりますが、なにせ気まぐれが相手のこと、ヒステリーの爆発で、収集の着手が早まるかも知れません。今回のかかわり合いも何かのご縁と考えますし、また、宮殿の装飾材料は同質のものが美的見地からもふさわしいと心得ますので、その節は、またよろしくご協力方お願いいたしたいと存じます。なにとぞ今後とも、当方の事情をご考慮いただければ幸いと存じます」

 

 読み終わって茫然とした。何が何だかわからない。足の骨の収集だって? でも、こっちは無事に帰れたじゃないか。すると、このとんちんかんな礼状は何だろう?

 ふと、足の方に不安を覚えた。足の感覚が妙だ。ズボンの中が実に頼りない。思い切って布団をめくった。すると、どうだ、ズボンの下に足がなかった。なんと足がそっくりないじゃないか。

(しまった!)

 足をこたつに残したまま帰ってきたのだ。

(知らなかった。気が付かなかった。なんてどじなんだ。……しかし、どうやって? どんな手段で帰ってこられたんだ?)

 わからない。……何もわからない。あの時どうだったかさっぱり覚えていない。……ただ、帰ってきたという事実が厳然としてあるだけなのだ。

 

 突然茶の間で電話のベルが鳴った。ベルは何度も繰り返された。家人は留守のようだ。そっちへ行こうにも、足がない以上、一歩も動けない。

(もしや、魔物からの呼び出し電話ではなかろうか? いよいよ奥方のヒステリーが爆発したのかもしれないぞ)

 思わず両手で頭を抱え込んだ。……逃げ出すことはできそうもない。生きた心地はしない。ベルは執拗に鳴り続ける。この困難な状況を打開する手だてはないか、必死に考え続けた。

 南無八幡大菩薩……桑原……桑原……


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