「もういいでしょ。離して」
じゃないと、私は冷たく言い放つ。
「もう帰る」
すると「ヒェッ!」と老婆は悲鳴を上げて離れる。
「わ、悪かったよ。そんな意地悪言わないでおくれよ~」と老婆はオロオロと泣き始める。
その涙に、私は何も感じなかった。
「おばあちゃん、大丈夫?どこか痛いの」
わたし、痛みがなくなるおまじないを知っているよと天使なしおちゃんが老婆の背中をさすって痛いの痛いのーとんでけーと言ってあげている。
老婆はオロオロとしたままだけど、しおちゃんの純真で健気なおまじないで私の心は少しは軽くなる。
「しおちゃん、そういうのはいいよ」
「えっでも~」
キョロキョロと老婆と私を見比べるしおちゃんに、私はほほ笑んで手を差し出す。
すると、「分かったよ、さとちゃん」とぷにぷにのお手手を握ってくる。
お手手はぽかぽか、けれど口調は冷たく。
「いいから、早く家に入ろう」と言い放つ。
だけど、老婆は気にした風もなくむしろ喜んで立ち上がり、家に駆けていく。
「すぐに、お茶を入れるよ」
そんな老婆に、
「おばあちゃん、元気になってよかったね!」としおちゃんが笑顔を振りまく。
「うん、しおちゃんのおまじないのおかげだね!」
「ホント?!」としおちゃんが、ぴょこぴょこ嬉しそうに跳ねる。
本当だよ、と私はしおちゃんの頭をポンポンしてあげる。
「えっへへ」としおちゃんが得意げに笑う。
トクンと心臓が囁く。
可愛いぃ~と。
本当に食べてしまいたくなるほどの可愛さで、胸がいっぱいになる。
ああっ、本当に幸せ。
しおちゃんのふさふさな髪を触りながら、でもと思う。
その幸せが薄氷のように薄いことを知っている。
いつ割れてもおかしくない。
そうして、私としおちゃんを奈落の底に突き落とすのだ。
「どうしたーの? さとちゃん、おばあちゃん家に入らないの?」としおちゃんが心配そうに小首を傾げる。
「うんうん、なんでもない。大丈夫だよ」としおちゃんにいう。
そう、大丈夫。そんなこと私が起こさせないと、自分に言い聞かせる。
「本当に大丈夫、どこか痛かったりしない?」
「本当に大丈夫だよ。それになんで急に痛いのを隠してると思ったの?」
「うんとね、もしさとちゃんが痛いのがあるのなら、わたしのおまじないで治してあげようと思ったの!」
「――――しおちゃん!」と私は思わず、天使を、シュガーエンジェルを抱きしめてしまう。
ぽかぽか、ふさふさで、じわじわと、甘さが染み出してくる。
「えっへへ、さとちゃんは甘えん坊さんだな~」としおちゃんに今度は私が頭をポンポンされる。
「そうだよ、甘えん坊さんなの」としおちゃんの胸に顔をうずめる。
ぷにぷにと柔らかい体に、しおちゃんの匂いを思いっきり吸って、肺をしおちゃんの匂いで満たす。
ああっ~なんて甘いのだろう。そのあまりの甘さに体が火照る。
芯にポッと熱が灯ったのが分かった。
そして下腹部から、ジュワ~と湿り気を帯びていくのを感じる。
この感覚は・・・・・・。
「あ、あの美園ちゃんや。お茶が入ったよ」と老婆が恐る恐る声をかけてきたので意識が戻る。
「はーい!いこっさとちゃん」としおちゃんに手を引っ張られながら老婆の家に入った。
よく言えば古民家、オブラートに包まなければ古いだけの木造建築。
それを見て、私は意識を切り替える。
しおちゃんとの幸せ、それを守るために、薄氷の上に立つお城。
それに些細でも、ひび割れがないか確かめる必要がある。
キッチンと居間とが一体になった狭い家屋、漫画でしか見たことがない丸いちゃぶ台。
そこに湯気があがる湯吞が3つ置かれている。
緑茶のようだ。
「いただきまーす」としおちゃんがふぅーふぅーしながら湯吞を両手で持つ。
私はそれを微笑ましく見ながら、冷たい目で老婆を見つめる。
「ここに来て1週間ほど経ちますが、私たちを訪ねてきた人はいますか?」
「いや、いないよ。美園のことを待っているのはあたしだけだよ」
私は無視して、淡々と事務的に話を進めていく。
「そうですか。では私たちのことを近所の誰かに話したりは?」
「してないよ」
と老婆がぶんぶんとあまたを振る。すると老婆の髪の毛が揺れる。
ほつれた糸のように乱れる白髪、そのなかにわずかに残る残滓のように桃色の髪の毛が交じっている。
若いときは、きっと綺麗な桃色だったのだろうと思わせる。
そう、あの写真のように。
分厚い幅を持つブラウン管テレビ、もう随分見ていないのか埃をかぶっている。そこに上だけは綺麗に拭かれているテレビの上に4つほどの写真が置かれている。
どれも共通して言えるのは、桃色の髪の毛の女の子が写っていること。
成長記録なのか、幼女の時から、小学校、中学校、そして―――
「―――この子、さとちゃんに少し似てるよね」としおちゃんがずぅずぅーとお茶をすすりながら、無邪気に言う。
「・・・・・・しおちゃん」と私は窘める。
すると、「あっ・・・・・・」としおちゃんは申し訳なさそうにしゅんと、する。
約束を思い出したようだ。
「美園ちゃん、だった」
ちらっと老婆を見ると、しおちゃんの発言に老婆は気にした風もない。
「お茶菓子もあるよ」と煎餅だの、飴玉などを勧めてくるぐらいだ。
もう一度写真に視線を戻す。
高校生、黒いセーラー服を着た桃色の髪の女の子。
私の学校はブレザー。つまり赤の他人だ。
写真も大事にされているようだが、よく見れば日焼けしてしまっている。相当の年季が入っていそうだ。
少なくとも同い年じゃないだろう。
私は、写真から目を離す。
「私が帰ってきたこと、嬉しくて誰かに話したりしてない?」
「してないよ、美園。だって追われているんだろう?」
「そう、追われているの。見つかったら、連れていかれちゃう」
「させないよ!」
ダンっと老婆がちゃぶ台をたたく、その衝撃で湯吞が倒れてお茶が零れていく。
「大丈夫、おばあちゃん、拭くもの拭くもの」としおちゃんが台所にトテトテとむかっていくの横目で見つつ老婆から視線をはずさない。
ブルブルと手を震わせ、「やっと美園が帰ってきてくれたのに」
目を血走らせながら、「もう何処だって行かせやしないよ」
とつばを飛ばしながら、まくし立てる。
その様子に、私は満足した。
とりあえず誰にも話をしてないというのは信用できる。
あとは私たちが目撃されないように気をつければ一旦はいいだろう。
しおちゃんが雑巾を見つけてきたようで、「これで拭いて~」とゴシゴシ拭いてあげる。
私も手伝うと「ありがとうね、美園は優しい子だよ」と老婆はオロオロとする。
「うんうん、こちらこそ。いつも食材をありがとう。今日も持っていくね」とほほ笑みかける。
笑顔はタダ。この老婆はパトロンでお城の門番。
たまにはサービスしてあげよう。
拭き終わり、要件の確認も済んだ。
老婆が予め用意(前日に言ってさせていた)、食材の入った袋をリュックサックに詰めて、私たちは家を後にした。
「もう行くのかい、お昼ご飯でも食べていけばいいのに」
「やることがあるから、もう行くね」と老婆に背を向ける。
「おばあちゃん、バイバイ」としおちゃんが手を振る。
「あ、明日も来てくれるかい!!」と老婆の声が背中ごしに聞こえる。
私は顔だけ振り返り、一言だけ告げる。
「ちゃんと、約束を守れたらね」
「勿論だよ!」と明日も、待ってるからね!と老婆の威勢のよい声を聴きながら、私としおちゃんは、仮初のお城へと帰る。
山道に据えられた急な階段をしおちゃんとよちよちと登る。
今度のことを考えると、いつまでもここにいるわけにはいかない。
そう余りにも今の立場は危うい。それが成り立っているのが不思議なくらいに。
老婆は、私を見た時、私の美園が帰ってきてくれたと言っていった。
階段を上りつつ老婆の家を見る。
ぼろい木造建築の平屋。
そこに住んでいたのだろう、私と同じ桃色の髪の少女。
死んだのか、それとも家を出ていったのかは分からない。
分かっているのは、老婆は私のことを『美園』だと思っていること。
そして、私はそれに付け込んで山小屋を改良したという家とそこに誰も立ち入れさせないようにと、老婆を門番とすることで、仮初のお城としたのだ。
長い階段は、まるでおとぎ話のシンデレラのお城に続く階段のようだ。
違うのは、ガラスなのは靴ではなくお城ということだろう。
けれど、いつ魔法が解けるとも限らない。
誰かに見つかる。老婆が話す、そして最大の懸念は『美園』本人が帰ってくるだ。
老婆のあの様子では連絡すら取れてないさそうだったけど・・・・・・。
美園
私と同じ桃色の髪に、同じ苗字の松坂、しおちゃんが言うには私に少し似ている女の子。
実はしおちゃんには言ってないんだけど。
写真を見た時、すごい既視感を覚えた。
この女の子をどこかで見たことある。
慈愛に満ちて笑顔、けれど全く笑ったように見えないたれ目。
そうそれは、私というよりも、あの人に似ている。
捕捉
老婆はさとちゃんのことを、『美園』自分の娘だと思っています。
さとちゃんとした約束は、
①誰にもここにいることを話さないこと
②お城(元山小屋だったところを住めるように改良した)に近付かないこと
※お城は老婆の私有地であり、老婆の家の裏手の道からじゃないといけない山道にあります