夏の、良く晴れた日のことだった。
ここ奈良県では猛暑が続き、アスファルトからはうっすらと蜃気楼が見えるほど。
そんな暑い中で、ポニーテールを元気に跳ねさせ、サンダルで走っていく少女が一人。
「たっだいまあ~!」
底抜けに明るい少女の声が響いた。
ジャージを上だけ着たような恰好で、家に帰るなりソファにどすんと腰を下ろした少女は、名を高鴨穏乃と言う。
手元にあったリモコンでテレビをつけると、どこかのニュース番組。
すぐに穏乃はチャンネルを変えたものの、時刻は昼真っ盛りで、流れているのは情報番組かテレビショッピングくらいのもの。
いわゆる人気番組というものはやっていないようだ。
「流石夏休み、ろくな番組やってないなあ」
そうぼやきながら、ポチポチといくつかチャンネルを変えるうちに、穏乃は一つのチャンネルにたどり着いた。
『さあ、全国中学生麻雀大会個人戦決勝戦!現在トップは……』
「お?どれどれ~あたしも麻雀は昔取った杵柄……どの程度か見てあげよう……」
穏乃も幼い頃は麻雀に明け暮れた身。
腕にも少し覚えがあったので、同年代の少女がどの程度強いのか見定めてやろうと、ソファから腰を上げてテレビに近付いたのだが。
直後、画面に映った少女を見て、穏乃の表情が一変する。
『原村和!』
「……え?」
「うわあああああああああああああああ?!?!?!?!」
気付けば穏乃は駆けだしていた。
穏乃にとって、和は幼馴染とも言える仲。
中学で離れてからは連絡を取ることが少なくなり、疎遠になってしまったものの、共に過ごした時間は短くない。
そんな彼女が全国の中学生の中でナンバーワン、つまりはインターミドルチャンピオンになったのだ。
いつもなにかしら体を動かしていないと気が済まない質の穏乃が、抑えきれずに近くの坂を走りだしたのはむしろ自然と言えた。
一通り坂を下ったのち、穏乃ははっと我に返る。
「はあっはあっ……何走ってんだ私?!どうする……お祝いの電話しようか?!いやっ!プライドか何かがそれを許さないい!それに和の連絡先全く聞いてないい!!」
軽いパニック状態。
嬉しさと嫉妬がないまぜになって本人も形容できないような気持になる中で、穏乃は一人の友人の電話番号を必死に叩いた。
数回コール音が鳴った後、電話がつながる。
「もしもし、アコ?!」
「えっ?シズ?めちゃくちゃ久しぶり!どうしたの急に……」
この言い表すことのできない気持ちを伝えるなら、憧しかいない。
穏乃にとって憧は、和と同じ時間を共有した数少ない友人。
憧ももちろんテレビは見ていて、和がインターミドルチャンピオンになった瞬間を見届けていた。
「あたしも、この変な感情をぶつけるなら、シズがちょうどいいわ……」
憧とて、思うところがないわけではない。
一緒に麻雀を打っていた仲間が、全国一位になったのだ。
穏乃と同じような、嬉しさと悔しさの感情は、もちろんある。
そんな憧に、穏乃から思いもよらない言葉が飛び出してきた。
「私も、あの大会に出たい!!!」
一瞬、勢いに押されて憧の息が詰まる。
相変わらず突拍子もないことを言うなあと思いながらも、憧は冷静だった。
「いや、む、無理だよもう」
「え……なんで……?」
「なんでって……ウチら中3でしょ?インターミドルはもう無理だよ」
「あ、そっか……じゃ、じゃあ高校!」
「高校……?インターハイに出るの?じゃあ晩成高校に入らないと。あそこ偏差値70あるよ?あたしは余裕だけど、シズは大丈夫なの?」
「じゃあ阿知賀女子で全国に行く!」
「阿知賀は麻雀部がないし、部員集めたとしても晩成に勝てないよ。あたし晩成にいくから、敵に回るよ?」
「じゃあいいよお!!」
プツリ。
勢いよく切られた携帯の画面を眺めて、憧は一つため息をついた。
「少し前なら、阿知賀で一緒に全国目指してみても良かったんだけどね……」
制服姿のまま、憧は自宅のベッドに横たわる。
和の優勝。
確かに衝撃は大きい。
実際に自分が打っていた仲間が全国優勝したのだから。
しかし、それよりも鮮烈に。
インターミドルが放送された今日から一週間前。
大々的に放送されていたインターハイの映像が、憧の脳裏に焼き付いて離れない。
「シズ……ごめんね。……あたしは晩成に行くよ」
憧が携帯を取り出す。
メールを送る相手の名前には「岡橋初瀬」と表示されていて。
この日。
憧と穏乃の道は決定的に分かれ、二度と交わることはなかった。
『さて!本日もこの時間がやってまいりました!闘牌インターハイ!』
あの日と同じように、テレビを見ている。
映っているのも、あの日と同じように昔馴染みの友達で。
テレビから聞こえてくる人気高校麻雀番組のアナウンサーの声が、どこか遠くに感じてしまう。
『私は今日、奈良県に来ております!そうです。本日の密着は晩成高校!団体戦は初戦敗退が続くここ数年ですが、今年は違います。昨年の個人戦4位、圧倒的エース小走やえを先鋒に置き、今年は1年生2人、2年生2人が団体戦のメンバーに名を連ね、奈良県大会を圧倒的大差で勝ち上がりました!……そんな晩成高校の原動力である、この3ヶ月でレギュラーを勝ち取った1年生2人に、今日はお話を聞いてみたいと思います!』
麻雀部のメンバーが練習を行っている対局室の中。
晩成の制服に身をつつんだ2人の少女が、画面に大きくアップされる。
『晩成高校麻雀部1年、新子憧です!』
『同じく晩成高校麻雀部1年、岡橋初瀬です』
『新子選手、岡橋選手、今日はよろしくお願いします!』
『『よろしくお願いします!』』
思わず、リモコンに伸びかけた手を止めた。
行き場をなくした右手を、そっと胸の近くまで持っていく。
去年のあの時よりも、空虚な気持ちがより一層強くなっていた。
『まず新子選手、晩成高校の紹介をお願いできますか?』
『はい!……私達晩成高校は、主将の小走やえ先輩を中心に、全員が一丸となって全国制覇を目指す学校です!』
『なるほど……やはり、主将の小走選手の存在というのは大きいですか?』
『もちろんです。やえ先輩がいなかったら、ここまでチームは一つになれていないと思います』
画面の中で、憧が嬉しそうにインタビューに答えている。
今年の奈良県予選大会。
晩成高校は圧倒的な力を見せつけて全国出場を果たした。
出場した団体戦メンバー全員がプラス収支。
憧もあの頃と比べものにならないほどに強くなっていた。
その県予選を見ていたからこそ、自分がもし出ていても団体戦で全国に出ることができなかったろうことは容易に想像がつく。
それがまた悔しさを掻き立てた。
『次に岡橋選手、晩成高校の強みを教えてくれますか?』
『はい。私達晩成は、攻めが売りです。どんな状況でも貪欲に和了りを求めに行く姿勢は、どこの高校にも負けていないと思います』
『なるほど!小走選手のような攻める麻雀を、全員が実践しているということですね?』
『そうですね。みんなスタイルは違いますけど、その気持ちだけは全員が同じだと思います』
岡橋、と呼ばれた茶髪の少女は少し緊張しているようで、表情から固さがとれていない。
しかしその真っすぐな目からは、確かな意志が感じられた。
その後も続くインタビュー。
15分ほどの番組のはずなのにも関わらず、とても長く感じる。
「……いいなぁアコ」
ポツリ、と呟かれた言葉は、誰にも届かない。
どこで道が入れ違ってしまったのだろう?
なにがいけなかったのだろう?
いくら考えたところで、答えは出ない。
気付けば番組も佳境に差し掛かっていて。
『ありがとうございます!最後に、お二方は何故晩成高校を選んだのか教えていただけますか?』
どうやら、憧の出番はこれで最後のようだ。
下に向いてしまっていた視線を、今一度テレビへと向ける。
そこにはあの頃と同じような表情で、しかし決定的にあの頃と何かが違う瞳で立つ、憧の姿があった。
『あたしも初瀬も、去年のやえ先輩の姿を見て晩成に進むことを決めました』
『この人の力になりたい、って思って晩成を選んで、その想いは入学した後さらに強くなりました』
だから、と憧と初瀬が笑顔で顔を見合わせる。
『『今年は私達がやえ先輩……晩成を全国制覇に導きます!』』
『ありがとうございました!……偉大な先輩への憧憬。2人のその感情は今、「力になりたい」という強い意志となりました。1年生の力も借りて、悲願の奈良県勢初の全国制覇へ!晩成高校が全国の頂へ挑みます!』
憧の出番が終わり、今はインターハイの日程などを確認する案内が流れている。
なにをするわけでもなくその画面を眺めていると、不意に携帯が鳴った。
ディスプレイには、「松実玄」の表示。
「もしもし、玄さん?……うん、見ましたよ。アコのやつ張り切ってましたね……ははー……」
テレビを消した部屋は、光源を失って暗闇に支配されている。
そんな中で今までずっとテレビを見ていた人物……穏乃の声だけが静かに響いていた。
「うん……はい、そう、ですね」
暗闇で、穏乃の顔は良く見えない。
しかし、一瞬だけ見えた一筋の光が、穏乃の頬を伝った。
それは抑えきれなかった、感情の発露。
「やっぱり……悔しいです」