南2局 親 哩
息をひそめていたやえの重い一撃で、状況は一気にひっくり返った。
トップ目から点棒を吐き出す格好となってしまった由華が、自分を落ち着かせるためにも息をつく。
(流石やえ先輩……けど、まだ終わってないですよ)
放銃は痛い。
しかしトップだったとはいえ、元々由華は挑戦者の立場。
少なくとも自分ではそう思っていた。
だからこそ。
(このくらいの点棒がちょうどいい。……この程度で気落ちしてたら、後で初瀬に何言われるかわかったもんじゃないわ)
後輩の試合を見た。
強者を相手に最後まで貫いた己の姿勢。
あれこそが晩成に受け継がれる王者の系譜。
実の所、由華は最高の状態から外れつつあった。
度重なる放銃と、局の経過。開局から発動したこの力を長続きさせるのが難しいことは、自分でもよく理解していた。
本音を言えば、あのまま安全圏まで押し切れるのが一番良かったのだが、今日の相手はそう簡単ではない。
しかしそれは、諦める理由にはならなかった。
(姿勢は変えない。どんな時もやえ先輩が教えてくれた晩成の麻雀を貫くのみ)
そう、どんな時も。
倒れるなら前のめりに。
9巡目 哩 手牌 ドラ{二}
{②②③④④44567二三五} ツモ{③}
哩に聴牌が入った。
前巡に切っているのは{⑥}。本来なら残したいはずのこの牌を切って、残す必要のあまりない{五}を残した。
理由はただ一つ、やえの支配を逃れるため。
(小走は相手の聴牌の直前に聴牌ば入れるんが多か。……効果は出とる)
やえの宣言牌殺しは、徐々に相手の速度に合わせる性質上、相手の直前に聴牌を入れているケースが多い。
とすればこの哩の不要牌を残す判断は効果的と言えた。
もちろんリスクはある。聴牌への受け入れ枚数を減らしているのだから当たり前だが、哩は優れた山読みで少ない種類の有効牌を着実に引き入れていた。
哩は右端に置いてあった{五}を一度手牌の横に伏せ、一つ呼吸を置いてから河へとリリースした。
「リー「ロン」」
しかしそれすらも、やえの手によって叩き落される。
やえ 手牌
{⑥⑥234678三四赤五五五} ロン{五}
「……2600よ」
やえの和了形を確認して、哩がはい、と点棒を払う。
(どっちにとっとっても当たっか……小走……やっぱい強か)
哩は多恵との対局経験はそこそこあるのだが、やえとはそこまで多いわけではない。
データはそれなりに集めたものの、やはり実際に対局してみないとわからないことも多くあるものだ。
手牌をパタリと閉じて、哩は少しの間思考を巡らせる。
残り局数。
この場での最善。
逆転への、道筋。
(嫌な感じやな……)
そんな哩の様子を見ていた恭子は、哩の強さを多恵から聞いているからこそ警戒心を強めるのだった。
南3局 親 由華 ドラ{八}
由華が自身の手元にある点棒表示を見る。
点数状況
東家 末原恭子 26700
南家 白水哩 17600
西家 巽由華 21800
北家 小走やえ 33900
自身は3着目。
準決勝進出ラインの恭子までは4900点差。
由華にとってみれば、一回の和了で十分に逆転できる点差だ。
10巡目 由華 手牌
{一三三四五六八九東東南南白} ツモ{二}
哩から切られた{二}をスルーし、カンチャンが埋まった由華。
しかしその表情に安堵や嬉しさといった感情はあまりない。
(白水哩……どうみても染め手の私に切りすぎだろ……)
由華はその性質上、上家から急所の牌が出ても鳴くことはほぼない。
だからと言って、切って良いわけではないのは百も承知のはずだ。むしろ、鳴かれるよりもまずい状態を誘発することになるのだから。
由華も哩にされたことは理解している。
聴牌を入れさせられたうえで、余った牌を仕留める。
初めてそんな芸当をされたからこそ、哩のこの切り方は不気味だった。
12巡目。
牌を持ってきた哩が少し目を閉じると、もう一度手牌の横に牌を伏せて一つ呼吸を置く。
その強者独特の雰囲気。わずかな間が、3人に感じさせる予感。
(((来る……!)))
「リーチ」
今度の発声に、やえから声はかからない。
(ほんっとにかわすのが上手いわね……セーラや洋榎と打ってるみたいで嫌だわ)
やえに聴牌は入っている。
しかしこの局は哩が上手くやえの支配から抜け出してリーチを打った。
そして打った後、まだ本命の狙いが残っている。
由華 手牌
{一二三三四五六八九東東南南} ツモ{七}
(まあそうなるか……)
哩の宣言牌は{七}だった。
明らかに入れさせられた聴牌。
哩の、河を見る。
哩 河
{八発中18一}
{二④二横七}
宣言牌の裏スジは当たりにくい、とはよく聞く言葉だがやえがいる以上どんな牌の残し方をしているかはわからない。
初打が{八}なのにも拘わらず宣言牌が{七}なのも不気味で、考えれば考えるほど由華が一気通貫の聴牌を取った時に出ていく{三}が当たり牌に見えてくる。
{四五}の両面が残っていてもおかしくないからだ。
初打が{八}なことも考えて、{九}を切って聴牌をとるか。
それとも字牌あたりを切って回るか。
由華の手が{東}にかかって、またやめる。
由華の手が{九}にかかって、またやめた。
この絶好の聴牌を外している余裕があるのか?
この絶好の聴牌を安目に受けていいのか?
どちらも、否だ。
(……バカか、私は)
一枚の牌を、高く持ち上げる。
「リーチ!!」
力強く切られた牌は{三}。
逃げ腰にならない。この手を和了る時は、最高形で和了る。
しかしその行く手すらも、北九州最強のエースは絡み取る。
「ロン」
哩 手牌
{①①345一二三四赤五六七八}
「8000」
『今度は新道寺女子の大エース白水哩!!!満貫の和了で末原選手の後ろにピッタリとついてきたあ!!』
『……巽選手も、弱腰になって{九}あたりを切っていたらもっと痛手を負っていましたから、この選択はむしろ良かったのではないでしょうか』
『放銃しても前向き!しかししかあーし!巽選手にとっては厳しい点差でオーラスを迎えることになります……!』
『……そうでしょうか?』
『へ?』
健夜が見つめるモニターの先。
由華の表情は、何一つ変わっていない。
むしろ自身の手を最後まで信じぬいたことに手ごたえを感じているようで。
健夜が点数状況をもう一度確認する。
点数状況
東家 末原恭子 26700
南家 白水哩 25600
西家 巽由華 13800
北家 小走やえ 33900
『……彼女の平均打点を考えれば、1度和了れば、最終2位で勝ち抜けですよ』
『確かに!!!』
オーラス 親 やえ ドラ{8}
2位争いが激化している中、やえも簡単な立場ではなかった。
満貫を放銃できないというプレッシャーが常につきまとい、他家の動向に常に気を配らなければいけない状況。
一方由華はやることが明確でわかりやすい。
自身の得意な打点作りで手を高めて、和了る。
それだけでいい。
7巡目。
「ポンや」
恭子のポン発声。
哩が、表情を強張らせた。
(張ったか姫松んスピードスター……!ばってん、こっちも一向聴。より早くあがるッ……!)
恭子の速度が速いことなど百も承知。
1000点を争うこの2人の勝負でなによりも重要になってくるのは速さ。
そう聞くと恭子に分がありそうな気もするが、哩も面前派とはいえ牌効率に長けた打ち手。
勝負はまだわからない。
「リーチ」
あり得ない場所から、ありえない発声を聞いた恭子が、哩が、目を見開いた。
晩成の王者の捨て牌が、横を向いていた。
『リ、リーチ!!!晩成の王者小走やえ!!ここでトップ目からリーチを打ってきたああ?!!?』
『これは驚きましたね……。末原選手の仕掛けが安いこと。それに対応している白水選手も高い手ではないであろうことを感じたのかもしれませんが……まあ一番は絶対に仕留められる自信があるのでしょう』
やえが横に曲げた牌から迸る衝撃。
流石の由華も、これには驚いてやえの方を見やる。
「来なさい由華。私を……超えて見せなさい」
由華が、力強く拳を握りしめる。
引く気は、無い。
引く必要も、無い。
超えるんだ。『憧れ』を、『尊敬』を。
「はい……!」
牌をツモる由華の瞳に、炎が宿る。
いつだってこの力はやえのためにあった。
そして今も、やえのために炎を燃やす。
やえが晩成でやってきたことが無駄ではなかったと、わかってもらうために。
由華 手牌
{①①①7888一東東東南南} ツモ{南}
迷いはない。打牌は一瞬。
「リーチ!!!」
河に出ていく牌は{7}。
退路は断った。
この場面で三暗刻ドラ3ごときはいらない。
重ねるために残したこの{一}と、最後まで心中する。
やえから声はかからない。
勝負はめくりあいへと移る。
一巡一巡が重い。
呼吸も忘れて、一心不乱に由華が牌をツモっては切る。
恭子は雀頭だった2人の安牌で回りながら。
哩も虎視眈々と最後まで1000点の和了を狙っている。
残りは1巡。
由華が瞳を燃やして、ツモ山へと手を伸ばす。
由華が力強く盲牌をして。
少しだけ、笑った。
「ロン」
やえ 手牌
{二三四五六六六八八八西西西} ロン{四}
最終結果
1位 小走やえ 46900
2位 末原恭子 26700
3位 白水哩 25600
4位 巽由華 800
「やえ先輩」
哩と恭子の2人が、雑談をしながら会場から出ていって、広々とした対局室には晩成の2人だけが残っていた。
由華はオーラスの自分の手牌とやえの手牌。
そして河をじっと見つめている。
「リーチ……かけないほうがよかったですかね」
由華の中で、あの{四}は確実に放銃だという確信があった。
やえの河に萬子が無く、由華が手なりに打っていれば出ていったのは{一}であったから。
そのスジの{四}は限りなく当たりに思える。
だからこそ、引ける選択肢をとれるダマが良かったのではないか。
打点は役満で確定しているのだから、もちろんその選択肢も由華の中であったのだろう。
その質問にやえはしばらく黙った後、静かに席を立った。
「由華。前提が違うわ」
「え……?」
やえが立ち上がり、未だ卓を見つめる由華の肩をポンと叩くと、そのまま由華に背を向けて歩き出す。
「リーチとかダマとか問題じゃない。あそこで当たり牌を掴む内は……まだまだなのよ」
……ああ、やっぱりこの人はどこまでも。
「由華」
「あなたのその手が何回折れようとも。その手はリーチよ」
……ニワカは相手にならないらしい。
制服のブレザーを肩にかけて会場を後にするやえを、由華は走って追いかけた。
団体戦決勝の実況解説は
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すこやかペア
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知らんけどペア