丸瀬紀子は、レギュラーに定着したのは、インターハイ直前だった。
完全な小走やえのワンマンチームと呼ばれていた時代、例に漏れず丸瀬紀子という少女もイマイチ目立った長所のない一人の1年生として晩成高校麻雀部に所属していた。
同学年で頭一つ抜けている巽由華と仲が良く、志も共にしていると自負してはいたものの、結果がついてこなければレギュラーにもなれはしない。
「秋の選抜、補欠で丸瀬先輩入ったらしいよ……」
「意外だよね……そんなはずないって信じてるけど、巽先輩と仲良しだからとか……」
3年生が卒業し、2年生がメインにになる。
王者小走やえが晩成高校の主将として率いるチームとなったその初陣。
丸瀬紀子は補欠として1軍に帯同していた。
正直、校内ランキングだけで言えば補欠にもなれるか微妙な順位。
秋は下級生育成の意味合いもあるとはいえ、紀子が現1年のリーダー的存在である巽由華と仲が良いから運よく入れた……とこのように噂されても反論はできないかもしれない。
「ロン……!16000!」
「うん。由華、あなたはそれでいいわ。このチー聴を取らなくていいのはあんただけよ」
「はい!」
由華の活躍は凄まじい。
夏の敗戦を受けた後、由華は麻雀修羅となった。
有無を言わせぬ弛まぬ努力と、それに比例するようにメキメキと伸びる実力。
夏のインターハイが、彼女にとってどんな意味をもたらしたのか、ありありとわかる光景だった。
由華が狙い撃ちを受け、やえが先鋒戦で稼いだ大量の点棒が失われていったあの試合を、紀子は観客席から見ていた。
悔しかったという気持ちに嘘は無い。やえにこんな顔をさせたくないと願った気持ちに、嘘は無い。
しかしどこか、自分にやれることなどないのではないかという気持ちがあったのも、また事実だった。
由華のように派手な打ち回しはとてもできない。
今チームに求められている『攻撃力』となれるような麻雀は、どうにも自分には向いていないように思う。
例えばやえのような、苛烈な攻撃。同卓者に息すらも許さない、常に相手の喉元に爪を突き立てるかのような麻雀。
例えば由華のような、重すぎる一撃。いつその場を破壊する大きな和了が出るかもわからない恐怖を相手に抱かせる、懐の広い麻雀。
自分には、そのどちらもない。
どちらの方向にも、行けるような打ち方をしていない。
ここ数ヶ月、紀子の雀風は攻撃に寄せる余りバランスを崩していた。
役に立ちたいという願いと、役に立てないという無力感が、紀子の中でゆらゆらと揺れていたのだ。
部活が終わり、帰り道。
日が沈むのも早くなってきたこの季節。
部活が終わる頃には真っ暗になっていることは、もはや珍しくなく。
「ふう……」
紀子も自主練習を終え、校門の前で由華を待っていた。
「あら、紀子お疲れ様」
「やえ先輩……お疲れさまでした」
ダッフルコートにえんじ色のマフラーを巻いたやえが、ちょうど校舎から出てくる。
思わぬところでやえに遭遇してしまった紀子は、やや落ち着きがない。
「ええと……由華は……」
「由華は洗牌軽くしてから職員室に鍵返すって言ってたわよ。もう少しで来るんじゃないかしら」
靴箱からローファーを取り出し、ゆっくりと履く。
このまま自分をスルーして帰宅するのかと思っていたが、やえは自分の前で歩みを止めた。
「紀子、あんた最近スランプ気味ね」
「あ……そう、なんです」
補欠でしかない自分の状態をやえが把握していることも驚きだったが、紀子がスランプなのは紛れもない事実だった。
晩成に必要とされる攻撃力をなんとか手に入れようと、無理な鳴きが増えたり、無駄なリーチが増えてしまっている。
自分ではわかっていても、何かを変えなくてはいけないという漠然とした意識が、紀子の調子を狂わせていた。
「やえ先輩の……チームの役に立ちたいんです。けど、どうすれば攻撃力のある麻雀ができるのかわからなくて……」
中学時代からずば抜けて才能があったわけではない。
そして悲しい事実ではあるが、持て余すような才能と能力があったなら、晩成高校には入ってきていなかっただろう。
晩成なら、全国に行けるかもしれないし、自分が試合に出ることができるかもしれない。
そういった考えがなかったとは言わない。
しかしやえを見て、この人の下で麻雀を打ってみたいと思った気持ちにも、嘘は無い。
やえが、寒空に長く息を吐いた。
「攻撃って、なんだと思う?」
「え?」
やえの質問の意味が、よくわからなかった。
「紀子にとっての攻撃は、高い手を和了ったり、より早く和了ったりするみたいなイメージ?」
「そうじゃないんですか?」
「まあ、それが間違いだとは言わないわ」
やえが、紀子の隣で腕を組む。
強い芯を感じられるその瞳は、とても眩しく。
「間違いじゃない……けど正解でもないわね。少なくとも、ほとんど和了を握りつぶしていつの間にか負けてた……なんてこと、私は今まで何回も経験させられてきたわ」
誰のことを言っているかなど、聞くまでもない。
やえが麻雀を打っていた関西最強と呼び声高いメンバーの中には、守りを駆使してトップクラスの強さを誇る打ち手がいる。
矛盾しているようで、麻雀においては守備も攻撃なのだ。
「紀子を今1軍に入れてる理由の一つにね、あなたの麻雀が面白いと思ったからっていうのもあるのよ」
「え……?」
初耳だった。
やえはよく麻雀部のメンバーが麻雀を打っている所を後ろ見したり、牌譜を眺めていたりするが、まさか自分の麻雀を「面白い」と言ってもらえるとは思っていなかった。
「率直に、余り見たことのない打ち方だと思ったわ。誰かを真似たわけでもない……違ってたら悪いケド、どうしたら勝てるのかを純粋に考え続けてきたんじゃないの?」
「……!」
まさしくその通りだった。
正攻法で戦っていても、大きすぎる力の前には打ち負かされてしまう。
自分の力量を理解して、どう工夫すれば戦っていけるのかを追求した打ち方が、紀子の麻雀。
この先輩は、それを理解してくれている。
なんか時たま多恵っぽいし、と小声でやえが呟いたのは、紀子には届かなかったが。
「ま、せっかく1軍に帯同しているんだから、たくさんの人の打ち方を見て、たくさん学んで頂戴。由華も言ってたわよ『紀子は必ず晩成のレギュラーになります』って」
「由華がそんなことを……」
「じゃ、私はそろそろ行くけど……それにね」
やえが紀子の肩に軽く、手を乗せる。
ひらひらと手を振りながら歩いていく憧れの先輩の言葉が、紀子の胸に響いた。
「無理に攻撃を意識しなくても、あなたの麻雀は元から攻撃型よ」
「……!ありがとうございます!」
由華ほどではないにせよ、紀子だってやえに対する尊敬の念はいつもある。
それが今日、更に大きくなった。
(そりゃ、由華じゃなくても心酔するね……)
こういうのを、カリスマと呼ぶのだろうか。
下げていた頭を上げて、小さくなっていくやえの背中を見送る。
(ああやっぱり、私もあの人と一緒に全国に行きたい)
今のままでいい。
やえにそう言ってもらえたことは、紀子にとって大きな自信へつながった。
だからそう。
「ごめんごめん、お待たせ!……ってどしたの紀子」
「え……?」
「いや……顔真っ赤だしめちゃくちゃニヤけてるけど」
少しくらい、頬が緩んでしまうのも仕方がないのだ。
東4局 親 紀子
「リーチ」
発声は、親の紀子。
静かに場に置かれた千点棒が、卓の緊張感に拍車をかける。
『晩成の丸瀬紀子選手、先制リーチです!晩成の中ではリーチ率は高くない打ち手ですが……これは驚きのリーチになりましたね』
『いやーわっかんねー!おもしれえなこのコ!』
第三者目線で見ている実況解説や観客はともかく、同卓している人間からすれば、この親リーチは厄介この上ない。
せっかく一つ和了って勢いに乗れたと思っていた泉も、思わず顔をしかめた。
(晩成……!目立たないのになんか打ちづらい……!)
紀子の河を見てみれば、どこか違和感を覚える打牌。
教科書通りの打ち筋が通用しないことは、チームメイトである船Qから警告を受けている。
同巡 菫 手牌 ドラ{3}
{②②④233445赤五六西西} ツモ{七}
聴牌。
ドラドラの手牌で、{西}は姫松の漫が持っているであろうことから、待ちになるように調整してきた。
(晩成には間に合わなかったが……)
リーチ者の紀子へと視線を移す。
宣言牌は、{赤⑤}だった。
({赤⑤}切りリーチの場合、{①④}待ちと{⑥⑨}待ちは大本命だが……今回は私の目から{②}が全て見えている。{①④}は無い。そして染め手やチャンタが予想される河でもなく……ましてや七対子でもない。赤がかなり見えていて、ドラドラでなければ高くはない……)
親のリーチに立ち向かいたくはないが、今回は条件が整っている。
場と自分の手に赤が見えていて、残り2枚のドラを持たれていなければ高くはなさそうで、加えて{④}はリーチにはかなり通りそうだ。
二家リーチとなれば安牌に困った姫松から{西}が期待できる可能性もある。
(もしかすれば、晩成はそこまで見越してのリーチかもわからないな)
姫松を削る。
次鋒戦における暗黙の了解。
少し考えた後、菫は手牌から{④}を持ち上げた。
「リーチ」
めくり合いになれば厳しいかもしれないが、姫松からの出和了りが期待できる。
菫にとってその条件は大きかった。
「ロン」
「……!」
しかし菫から放たれた{④}は、紀子に通らない。
紀子 手牌
{⑤⑥33789一一一二三四} ロン{④}
「7700」
({④⑦}待ちだと……?)
『晩成の丸瀬紀子!白糸台からの出和了で7700点の加点です!』
『いやー当たるなんて思わねーよなあ。自ら打点を下げる赤切り……けどま、ツモれば同じ4000オール……なら少しでも出和了率を上げる赤切りの方が期待値は高そうって感じかねえ?知らんけど!』
開かれた手牌に、紀子以外の3人が目を見開く。
3人は紀子に釘を刺されたのだ。
赤を切っても油断するなよ、と。
丸瀬紀子には、高打点も、仕掛けて速攻もあるわけではない。
しかしそれでも今、対戦相手には間違いなくプレッシャーがかかっている。
(これが私の『攻撃』。優勝旗は、必ず私達晩成が持ち帰る)
もう、あの頃観客席から眺めるだけだった丸瀬紀子はいない。
強気の晩成王国の次鋒を務める2年生は、他のメンバーに引けをとらない戦術型攻撃特化の打ち手なのだ。
『驚きの赤切りリーチが実り、丸瀬選手の和了!そしてなんと……!』
点数状況
晩成 丸瀬紀子 114200
姫松 上重漫 110500
白糸台 弘世菫 93000
千里山 二条泉 82300
『姫松ここで一旦トップを譲ります!晩成高校が首位に立ちました!!』
『いやー面白くなってきたねい!』
この紀子の和了で、ついに晩成が姫松を捉える。
トップから最下位までの点数が詰まってきたことで、見ている側の熱量も増していく。
打っている側はたまったものではないが、見ている側は接戦の方が盛り上がるのが麻雀。
そして特に。
一番気が気ではないのは一人の選手。
上重漫が胸に手を当てて深呼吸をしながら点数表示を見た。
(まだ、終わってへん。次鋒戦が終わるときにウチがトップにいればええんや)
落ち着け、落ち着け。そう、自分に言い聞かせるように。
後日、漫は自分の対局を見て思う。
この時はまだ、自分があんなことになるとは思わなかったな、と。