中堅後半戦 東4局1本場 点数状況
1位 姫松 愛宕洋榎 119100
2位 晩成 新子憧 107900
3位 白糸台 渋谷尭深 87000
4位 千里山 江口セーラ 86000
『今の直撃で3位と4位が入れ替わりました!白糸台高校が3位に浮上です!』
『おお~!1位から4位までの点差もケッコー縮まってきてるし、こりゃこっからどーなるかわかんねーな!』
尭深の執念とも呼べる和了で、白糸台は3位に浮上。
その点差は僅差で、次局に誰かが1000、2000以上をツモれば逆転してしまうような差ではあるが、まず一つ上の順位の高校を捉えた、という事実が大きい。
1位の姫松まではまだ3万点ほどの点差があるが、それも悲観するほどではない。
大将戦も含めまだ残り4半荘残っていることを考えれば、決して逆転不可能な点差ではないからだ。
そして尭深は、自分たちの大将がどれだけバケモノなのかを知っている。
3万点差など、あって無いようなものだ、と考えれば少し気も楽になる。
千里山高校控室。
セーラが一時的にラスになってしまったものの、チームメイト達に、焦りの色は見えない。
「竜華、セーラ、調子悪いんかな?」
「んーそんなこと無さそうやけどねー?シンプルに、相手が強いんちゃう?」
いっこうに竜華の太ももから離れようとしない怜と、別段それを諫めようとも思わない竜華。
それを後ろから見守るのは、この後半戦が始まってからずっと同じ体勢で疲れないのかと別の意味で心配になっている後輩2人。
「セーラ先輩、手は入ってるんですけどね」
「手入ってるっていうより、手作りにいってるって方が正しい気もしますが……」
後半戦に入って、まだセーラに和了りは無い。
前半戦あれだけ暴れただけに、後半戦に入って加点が無いというのは、普通であれば焦り始めるべき場面ではあるのだが。
「まあ、セーラやしな……次の親番で、どっかーんってやってくれるんちゃう」
「親番じゃなくてもやりそうやね、セーラは……」
勝負は東4局に移っている。
セーラは東家であることから、次の親番が、セーラにとって団体戦最後の親番になる。
いつも心底楽しそうに麻雀を打っていたセーラ。
チームメイトとして、彼女がどれだけ頼りになるのかを、ここにいるメンバー全員が知っているから。
「見守りましょう。あれだけ努力してきた人なんですし、きっとこの最後の舞台で派手なのやってくれるはずやと思います」
「お、船Qがそんなオカルトチックなこと言うんは珍しいな」
「……オカルトというか、ただそうであってほしいな、と思っただけです」
この千里山女子で全国制覇するという夢を、セーラがどれだけ必死で目指していたか知っている。
彼女自身の努力する姿、そしてチーム全体を盛り上げる姿を見てきた。
だからそう、あの江口セーラが、このまま終わることなんてありえないのだ。
東4局 1本場 親 尭深
「……ツモ!1100,2100!」
憧 手牌
{④赤⑤⑥67888二二} {四横四四} ツモ{5}
『この局を制したのは晩成高校新子憧選手!!渋谷選手も2副露で聴牌していましたが、この局は新子選手に軍配が上がりました!』
『負けはしたものの、白糸台のコも相当粘ったねえ……打点をどれだけ落としてでも、親番にしがみつく理由があった……そう見えるねい……』
『さあ、これでついに中堅戦も後半戦南場に移ります!』
東4局1本場は憧が制した。
必死に親番にしがみつこうとする尭深の猛追をなんとか振り切り、中堅後半戦は南場へと移っていく。
(危なかった……正直、渋谷尭深の上家が守りの化身じゃなかったら、連荘されてたかもしれない……)
この後半戦の席順、前半戦のように洋榎からのアシストがもらえるような席順ではなくなったが、尭深の上家に洋榎が座ることで、尭深はそうやすやすと鳴くことができなくなっている。
是が非でも連荘したいこの場面においては、このアドバンテージはあまりにも大きい。
(どこに座るかで戦局が変わるとか……本当にバケモノよね)
改めて愛宕洋榎という存在の恐ろしさを痛感する。
局を支配する、という言葉の本当の意味は、こういう存在にこそ相応しいのだろうと本気で思う憧だった。
南1局 親 セーラ
(んで、またまたヤバイ人の親番が回ってくるのね……)
無言でサイコロを回し始めたセーラを横目に見て、憧はもう一度息をついた。
先ほどまでは絶対に連荘をさせてはいけない人間の局流し、そして次は、高すぎる打点を許さないための親流し。
(やること多すぎて頭痛くなってきた……)
憧に課された中堅戦での使命は、彼女の脳を酷使し続けていた。
これではまずい、と卓の隣にある個人用の机からペットボトルを掴んで、水分を補給する。
いつのまにやら相当乾いていたらしい憧の喉は、あっという間にペットボトルの水を半分ほど減らしてしまった。
「ええ飲みっぷりやな」
「え?!あ、恥ず……ど、どうも……」
そんな様子を洋榎にガン見されていたとは知らず、赤面する憧。
「アホみたいに暑いからな。水はしっかり飲んどき」
「あ、ありがとうございます……?」
「……こっからまた、あつくなるで」
「……?」
近所のおばさんなんかこの人は、と。
その瞬間、思いがけず、幼馴染と一緒に近所の公園で遊んでいた頃を思い出す憧。
(そういえば、穏乃は、皆は、見てるかな……)
憧の幼馴染である穏乃もまた、麻雀が好きな小学生だった。
同じ麻雀教室で学んでいた、麻雀仲間。
進学先が離れて、2人の道は分かれてしまった。
ずっと麻雀を続けていた憧とは違い、中学3年時に突如電話をかけてきたのが、穏乃だった。
もっとも、その頃には憧は晩成で麻雀をやりたい、と必死に努力を始めていたため、彼女の呼びかけに応えることはできなかったが……。
けれど、そうしてこの晩成に来たことに、1ミリたりとも後悔はしていない。
憧がゆっくりと、配牌を受け取りに手を伸ばした。
(1年生だからまだ次があるとか、そういうのは、関係ない。やえ先輩は、今年が最後なんだ。そういう意味なら、私だって最後ってコト。……今まで会ってきた全ての人達のためにも、私自身のためにも。今日必ず勝つ……!)
南1局 親 セーラ
中堅戦最後の親番が回ってきたセーラ。
最後の2枚を手中に収めて、ゆっくりとその配牌を開く。
セーラ 配牌 ドラ{八}
{①②④⑥468二三五九東白中}
(洋榎をぶちのめすチャンスやってのに、親番でこの配牌かいな……さて、どうすっかねえ……)
最後の親番だというのに、あまりに配牌が悪い。
速度はもちろんのこと、打点の種すら見えていない。
(満貫になりゃ良い方か。ま、気楽にいきますかね)
色の偏りもなければ、タンヤオに行きやすいとも言えない。
苦しい形の中で、セーラは{①}から切り出した。
6巡目 セーラ 手牌
{②④⑥468一二三五七九東} ツモ{四}
萬子の形が伸びてきた。
一気通貫ドラ1が見えてきたセーラは、自風牌の東を残して、筒子のリャンカンへと手を伸ばす。
「チー!」
その牌に、下家に座る憧が食いついた。
憧 手牌
{⑤⑥⑧⑧⑨⑨中発西西} {横②①③}
『この局も仕掛けました!晩成の新子選手!』
『ん~いいんじゃねえの?どうせ親番の千里山は牌を絞れねえから染め手だと分かっててもある程度牌は切らなきゃいけねえし、万が一攻められた時も安牌がかなり残ってる。攻守両用で使える混一ってのは本当に良い役よなあ、知らんけど』
咏の言う通り、この場面、セーラは憧に対してあまり絞れない。
自身は最後の親番で、ある程度打点が欲しいし、速度も欲しい。他家の動向などを気にしている暇はない。
8巡目 セーラ 手牌
{④⑥468一二三四五七九東} ツモ{八}
(構わず突っ込むぜ)
セーラは{東}を切り出していく。
これも憧には鳴かれる可能性のある牌だ。
(一気通貫ドラでリーチ打てりゃいいが……雀頭もねえ、良形もねえ、じゃ和了れる形になるんかわからんな……)
ほぼラス目でむかえる最後の親番。
セーラはそうやすやすとオリてやるつもりはなかった。
が。
9巡目。
「ポン!」
洋榎が切った{⑨}に、ポンの声が上がる。
余った字牌を切りだしていく憧の河と手牌を一瞥した後、飄々とした態度で椅子に座る悪友をにらみつけた。
「洋榎てめえ……」
「お~怖い怖いなあ……そんな顔しとったら、せっかくのセーラ推し女子フォロワーが減ってまうで?」
「ふざけやがって……」
そもそもSNSなんてほとんどやってねえわ、とどうでも良いツッコミをしたくなるところだがグッとこらえて。
冷静になってセーラは憧の河を見る。
一向聴以上は確定だろう。
聴牌でもなんらおかしくはない。
10巡目 セーラ 手牌
{④⑥468一二三四五七八九} ツモ{⑦}
カンチャンが両面になった。
と、同時に、この{④}を切らなければいけなくなった。
下家の憧は筒子の{①②③}で鳴いていて、{⑨}をポンしている。
はっきり言って、この{④}は聴牌していればかなりの確率で当たる。
セーラは少しだけ考えた後、{4}を切り出した。
(洋榎が鳴かせたせいで、この晩成の1年にはほぼ聴牌が入ってるやろ。しゃーねー。少し回るか)
攻めっ気が強く、打点も高いことで攻撃面に目が行きがちなセーラだったが、防御面もザルではない。
幼少期に周りにいたトップクラスの打ち手たちの局回しや読みを間近で見ることによって、彼女の相手の手牌に対する嗅覚は一級品。
それでも、自分が勝負手であれば文句なく突っ込んでいくのだが、セーラの目から、自分の手は今回そこまでの価値はない。
自分が最後の親番であるということを差し引いても、だ。
腹立たしいことこの上ないが、ここは回るしかない。
後頭部をガシガシと何度か掻いて、どうやったらこの手を成就できるか考えようとしたその瞬間。
「ツモ!」
憧 手牌
{⑤⑥⑧⑧西西西} {⑨⑨横⑨} {横②①③} ツモ{④}
憧の発声で、最後の親番は瞬く間に落ちてしまった。
姫松高校控室。
「よしっ!江口の親番落ちたんは大きいな!」
「これでセーラちゃんの大連荘大得点はなくなったのよ~!」
「配牌も良くなかったんが幸いでしたね……」
今まさに、セーラの親番が落ちた。
トップの姫松としては、これだけ嬉しいことはない。目下一番の脅威であったセーラの連荘が無くなったのだから。
「……?多恵、どないした?」
「いや、セーラが、ね……」
とりあえず一安心の姫松メンバーであったが、多恵は一人、セーラの様子を真剣に見つめている。
モニターに映っているセーラは最後の親番が落ちてしまったというのに慌てている様子があまり見受けられなかった。
そして、多恵には少しだけ見えた。
モニター越しにでもわかる。
なんなら、打牌だけでわかるのだ。
セーラが今、限りなく良い状態であるということ。
「……強くなったね、セーラ……」
多恵は少し昔のことを思い出していた。
5年前の夏。
多恵がセーラに出会ってから、まだ1、2年ほどの時だ。
「っかあ~!!ま~た~負~け~た~!」
「ふんっ!まだまだねセーラ!」
「お疲れさんさんさんころり~」
4回目の半荘を終え、セーラはここまで4連ラス。
ここまでの総合的な成績を見ても、他のメンバーに比べて、セーラが一歩遅れていることは明白だった。
この年齢でこの結果を受けても癇癪を起こしたり、打牌が荒れたりしないのはセーラの器の大きさを物語っていたが、とはいえセーラも結果には納得していない様子。
「じゃあ、今の局3着だった私とセーラで、コンビニ行ってくるね」
「多恵!私はおにぎりとアイスね」
「あ、ウチは焼き鳥とアイスで~」
「はいはい~」
卓に突っ伏していたセーラを起こして、多恵とセーラは教室を出る。
階段を下りて、靴箱で外靴に履き替えて外に出てみれば、真夏の太陽が2人を出迎えてくれた。
ここからコンビニまで、そこまでの距離はない。
駐輪場に行って自転車を確保してしまえば、往復でも15分ほどだ。
その駐輪場へと向かう道すがら。
「な~んで勝てへんのや~!洋榎とやえ、ホンマムカツくわあ~!」
「あはは……まあ勝負は時の運とも言うしね……」
「……けど、多恵も分かっとるやろ?」
「ん?」
並木道のちょうど日陰になっている場所で、ふとセーラが立ち止まる。
多恵が後ろを振り返れば、セーラはまだ浮かない顔をしていた。
「俺が、一番下手や。いまんとこ」
「……なんでそう思うの?」
「結果見ればわかる。多恵が一番上手くて、やえも強い。洋榎も……いつの間にか、強くなってる」
「確かに、ね」
「俺も強くなりたい」
一歩、多恵に近づいたセーラの瞳は、真剣そのものだった。
その真剣さは、思わず多恵が気圧されるほどで。
(ほんと……普通の子供じゃないよ、君たち全員)
この年齢でこんなにも麻雀が好きで。
それだけで多恵は十分だったのに、全員が全員、強くなることに貪欲なのだ。
だからこそ、この4人でいる時間は、多恵にとっても最高の環境で。
そして、全員に強くなって欲しい、そう心の底から思うのだ。
「セーラ、最近悩んで麻雀打ってない?」
「あ、やっぱバレるん?」
「打ち方色々変えてみてるのかなーって思ってるよ」
「多恵とか洋榎は放銃せえへんなーって思って、俺もちょっとはオリるようにしなきゃな、って思ってな……」
「そっかあ……」
多恵が歩き出したことによって、立ち止まっていたセーラも歩き出す。
多恵に追い付くために駆け足で隣まで来ると、今度は逆に多恵の正面に回った。
「アカンのか?!教えろ多恵~!教えるまで俺はここを動かんで!」
「教えろって言われても別に私が絶対正しいわけじゃないよ?!」
「それでもええんや!俺が今まで一緒に打ったことある人で、一番強いのは多恵やから、多恵の話なら、聞くわ」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど……」
初めて会った時はもっと子供っぽい感じだったのにな、とセーラの成長に驚く多恵。
それだけセーラにとって、多恵という存在が大きかったこともあるのだが。
そこまで頼りにしてくれるなら、セーラもどんどん強くなって欲しい、と思うのが多恵。
麻雀が好きで、強くなりたいという思いが、多恵は大好きだから。
「じゃあ、考え方を変えてみよう。セーラ」
「考え方あ?」
「オリるのが正解とは限らないでしょ?だから、まずは、自分の手牌と相談しよう」
「手牌と、相談?」
「セーラ、高い手好きでしょ?」
「おお!高い手和了ると気持ちええからな!」
嬉しそうに笑うセーラ。
多恵はこの感情に蓋をしてほしくなかった。
オリるのはつまらない。それは仕方ない。
オリるのが正解だということを押し付けて、麻雀そのものが楽しくなくなってしまったら本末転倒。
今はまだ、彼女の楽しいと思う麻雀を尊重したい。
その中でできるアドバイスをしよう、というのが、多恵の考え。
「手牌がそんなに高くならなさそう……形も悪そう……みたいなのは、勝負されたらオリるのも考える。けど、手牌がすっごく良くて、ドラもたくさんあって、形もよさそう!なら、思いっきり勝負に出る!」
「ええ~!そんな簡単でええんか?」
「最初はそれでいいと思うよ!思いっきり腕振ってこられるのは、相手としても怖いしね」
「それやったら今までも同じような感じやけどなあ……」
「だから、そのラインをはっきりさせていこう。これから、この手でこの状態で押して良かったのかどうか、とか、積極的に聞いて?その局が終わった時でいいから。そしたらそれを皆で考えよ?」
「お、おう、せやな……」
「それで、最後に1つ約束!」
まだ少し納得がいってなさそうなセーラに、多恵は小指を差し出す。
「高い手になりそー!って時は、本当に1番高い手を目指してみて。その手の、最大点数。セーラは、高い手の作り方が誰よりも上手だと思うから」
「誰よりも、上手……ほーん、1番高い手か……よっしゃ!それやったら得意やからな!」
『誰よりも上手』と言われたのが嬉しかったのか、セーラは笑顔で多恵の小指を、自分の小指で握り返した。
この時期から、既に多恵は感じていたのかもしれない。
この江口セーラという少女が持つ才能。高打点への嗅覚。
前世で出会った雀士の中にもいた。
とんでもない高打点を、一見ひどい配牌から作ってしまうような人が。
だから多恵はその人のようになって欲しいと、そう思ったのかもしれない。
このアドバイスの後、すぐにセーラの成績が良くなることはなかった。
釣り合わない放銃も何度もあったし、逆にもっと攻めて良い時にオリてしまうこともあった。
何度も何度も、そんな失敗を重ねて、彼女の押し引きの精度は上がっていった。
セーラは迷わなくなった。
オリるのか、攻めるのか。
この手牌の最高打点はどの形なのか。
ずっと貫いてきたその姿勢は、武器になる。
いつの間にやら、4人での対戦成績も徐々に良くなっていった。
そしていつしか、彼女はこう呼ばれるようになった。
『関西の打点女王』、と。
南2局 親 憧
セーラ 配牌 ドラ{三}
{①①②⑧⑨1123一一二三} ツモ{赤五}
セーラが、目を細めた。
その様子を見て、洋榎が表情を固くする。
5巡目 憧 手牌
{④④赤⑤⑤⑥67五六七八八九} ツモ{9}
(どうしてこう親番の時ばっか手牌が良いのよ……!渋谷尭深のオーラスを考えたら、もう連荘はしたくないんですケド……!)
とはいえ、憧の手牌はかなり優秀。
かなりの高打点に期待できる手牌。これをまざまざと見逃すのは、晩成の戦士の取る選択ではない。
(やるからには、これを面前で仕上げる必要がある。鳴いたら意味ない。絶対に面前で和了るんだから……!)
持ってきた{9}をツモ切って、絶対にこの手を完成させると意気込む憧。
今の所、どの箇所も鳴くつもりはなかった。
鳴いたらこの手の打点は2900点。
それでは連荘する価値には至らない。
が、面前なら話は別だ。満貫が色濃く見える手牌なのだから。
憧の長所は、こういった場面では鳴きを抑えられる所にあった。
10巡目 憧 手牌
{④④赤⑤⑤⑥67五六七八八九} ツモ{赤5}
(……ッ!)
心臓の鼓動が明確に早くなる。
赤が入ったことによって、ダマでも11600以上が確定した。
筒子の中ほどは程よく切れていて、なんなら前巡に洋榎が{③}を切っている。
洋榎から出たっておかしくない牌だ。
(初瀬ならリーチだろうけど……私はダマ。ここは絶対に和了りをとる……!)
リーチの選択肢もアリだろう。ツモれば跳満からで、偶発役が重なれば倍満まである。
しかしこのメンツを相手にリーチを打って出てくるとは限らないし、絶対にツモれる自信のある待ちでもない。
憧の選択は、ダマ。
そっと{九}を縦に置く。
憧の額を流れる汗。聴牌を悟られまいと、憧は必至に平然を装う。
同巡、残念ながら洋榎から{③}は出てこない。
流石に対子落としではなかったようだ。
そんなことを気にしていたら、憧の耳に入ってきたのは、備え付けの点箱を開く音で。
それが何を意味するかなど、ここまで戦ってきた憧にはすぐにわかってしまう。
「リーチ」
同じ巡目だった。
上家に座るセーラから、リーチの発声。
(嘘でしょ……!)
残念ながら宣言牌は憧の当たり牌ではない。
一つ呼吸を置いてから、憧は山へと手を伸ばす。
願わくば、もうこの巡目でツモってしまいたいと考えながら。
11巡目 憧 手牌
{④④赤⑤⑤⑥赤567五六七八八} ツモ{二}
自分の和了り牌でもなければ、現物でもない牌。
憧はセーラの河へと目をやった。
セーラ 河
{①発⑧1赤五2}
{⑥西4東横⑧}
ツモ切り手出しは覚えている。
打点を愛する江口セーラという打ち手が、どのような手順で手を作ってきたのかを、憧は瞬時に考えてみた。
この{二}で、放銃する可能性がどれだけあるのかを。
({一三赤五}って仮に持っていたとして、あの江口セーラが{一三}に固定する?手役が絡まなきゃあり得ない……)
大きな点は2つ。
{赤五}を切っていること、そして現物に、{⑥}があること。
ダマを続行するとしたら、リーチ者のセーラの現物に{⑥}があることはあまりにも大きい。他家からの出和了りにも期待できる。
{赤五}を切っていることから、三色や純チャン等の手役が絡まなければこの{二}は当たりえない。
そしてそれらの手役を狙っているような河には、とても見えない。
以上の情報から、憧が出した結論。
(これでオリてたら、晩成の皆に、やえ先輩に顔向けできない……!)
誰がどう見ても、押し有利に見える。
そしてこの一巡でもし、周りから当たり牌が出てこなかったその時は、リーチをかけてもいい。
この手は、それだけの勝負手だ。
憧は極めて静かに{二}を縦に置いた。
隣に座る愛宕洋榎が、目を、手牌を、ゆっくりと閉じた。
「ロン」
小さく、憧の身体が震える。
恐る恐る、開かれた手牌を見た。
セーラ 手牌
{①②③⑨⑨123一一二三三} ロン{二}
「……ぇ?」
脳の処理が追い付いていない憧をよそに、セーラがドラ表示の下に眠る、裏ドラへと手を伸ばす。
人差し指1本で牌の端を押せば、その牌は簡単に表を向く。
裏ドラは……{②}。
憧の視界が、歪んだ。