東3局 親 初瀬
初瀬の麻雀は、鋭さを増していた。
「ポン」
4巡目、浩子から出た{白}をポンで発進した初瀬。
河に別段異常はないが、それでもこの1枚目の役牌を鳴いてきたことに、卓内に緊張感が走る。
(晩成……鳴きの時も打点の振れ幅が大きいんよな……江口先輩くらい高打点狙ってくれた方が対策しやすいんやけど……)
(初瀬ちゃん……絶好調、って感じなのよ~……)
特徴的に吊り上がった目からは、覇気のようなものまで感じられる。
まさに攻めの権化と化している今の初瀬だが、その目は状況を驚くほど冷静に見ている。
勇敢と無謀の絶妙なラインを攻めてくる彼女の攻撃は、全員にとって脅威だった。
6巡目
「チー」
誠子から出てきた{①}を、初瀬が両面でチー。
これで2副露。
浩子 手牌 ドラ{6}
{②④④⑥3467二三四七九} ツモ{東}
(晩成の点数は読めんし……ここはオり気味やな)
浩子が気に食わなさそうに、手牌から現物の{②}を切り出す。
どうにも親の初瀬に主導権を握られて動きにくい。
初瀬は打点のレンジも広い。
安くて速い仕掛けももちろんあるし、高くて遠い仕掛けもしてくるタイプ。
そこはオーソドックスな打ち手とあまり変わらない。
ただ、初瀬の強みは相手の攻めに対してギリギリまで押し返してくるという所にある。
だからこそ、気が付いたら何故か初瀬が放銃してる、なんて場面も無くはないのだが。
8巡目
「ツモ」
手牌はあまりにもあっさり開かれた。
初瀬 手牌
{⑤赤⑤45678} {横①②③} {白白横白} ツモ{9}
「2000オール」
(きっちり
『岡橋選手、親の2000オールを和了って更に加点!勢いが良いですね!』
『いやあなかなかこうなってくると手がつけられなくなりがちだけど……まあ流石にこのメンツが相手だ。気は抜けないよねえ?』
点数状況
1位 姫松 真瀬由子 121100
2位 晩成 岡橋初瀬 111600
3位 千里山 船久保浩子 95800
4位 白糸台 亦野誠子 71500
『1位の姫松との点差も1万を切りました!この親番で逆転もあり得ますよ!』
深く、細く息を吐いた初瀬。
己の底から湧き出る感情が、確かに力になっている。
湧き上がってくる力を上手く制御して、冷静な頭で考えられている。
自分の状態が最高に近いことを、初瀬は身体で理解していた。
サイコロを回して目は6。
浩子が手際よく山を動かし、右手の人差し指1本でドラを開く。出てきたのは{8}。すなわち、この局のドラは{9}だ。
配牌を取り、自らの目の前の山が無くなっていくのに目もくれず、配牌を理牌する。
(……これは……)
4枚ずつ開いていても、配牌の良しあしは意外と判別がつくもの。
初瀬は自らの元に来ているまだ未完成の配牌を眺めながら、好配牌の予感を感じ取っていた。
12枚を開き、最後に、山から2枚の牌を補充する。
丁寧に、理牌をした。
由子が、自らの理牌もしっかりと行いながら、対面に座るそんな初瀬の様子をじっと見つめている。
初瀬 配牌 ドラ{9}
{②④⑤⑥23489六七八西西}
(……)
迷いは一瞬。
『攻め時よ』
心の中で、あの人の声が聞こえた。
手牌から{②}を持ち上げて、力強く横に曲げる。
「リーチィ!!」
衝撃でビリビリ、と卓に電流が走る。
(コイツ……大概にせえよ……!)
(わー……ダブルリーチ、なのね~)
(晩成……ここまで厄介とはな……!)
三者三様。しかしそこに、諦観は混じっていない。
『勢いそのままに岡橋選手ダブルリーチです!!この会場の大歓声が聞こえますでしょうか!』
『ま、ドラが{9}だし、ここは素直にダブルリーチで良さそうだけど~……さあ、他の連中はどうするかな?』
浩子は現物の{②}合わせ。
由子は少しだけ表情を曇らせて、最初のツモ牌へと手を伸ばした。
由子 配牌
{①①赤⑤⑥467三四七東南西} ツモ{二}
(初瀬ちゃんのあの感じやと、待ちは愚形っぽいのよ~)
由子は、初瀬の理牌した後の動作を見逃さなかった。
本当に一瞬だけ、初瀬がダブルリーチを躊躇った瞬間。
これが初瀬と初めての対局であったならば、そこまで決めつけはできなかっただろう。
しかし、由子はもう既に1度初瀬と対戦している。
芯の強い打ち手で、牌理や効率も理解していることを知っている。
配牌を眺め終わった後の動作も、もう何度も見てきた。
だからこそ、あの違和感は、由子にとって『読み』を入れられる要素になる。
由子の第一打。
切っていったのは{東}。
『へえ……』
『どうしました?三尋木プロ』
『いや、{南}や{西}じゃねえんだな~って思ってな』
『……確かに、真瀬選手の手の内には{南}や{西}がありますね。なぜわざわざ当たると痛い{東}から切っていったのでしょう』
『まー多分だけど、姫松のコは、晩成のコが一瞬ダブルリーチに行くかの判断に迷ったことを見逃さなかったんだろーな』
『え?迷ってましたか?』
『わっかんねー!仮に迷ってたとしても、ほんの一瞬なんじゃねえの?けどおそらくそれを読み切って、{南}や{西}よりも{東}の方が放銃率が低いと考えた……ダブ{東}なら、迷わずダブルリーチをかけてくるはずだから』
『なるほど……!』
『んま、結局{南}も{西}も当たりじゃねえし?この別に後か先かなだけだろ、って思う人もいるかもしんねー。……けど、このコ達がやってんのは、その1巡を争う勝負だってことを忘れちゃいけねえわな。知らんけど!』
由子が、自分の目の前にある牌を眺めた。
このダブルリーチ。初瀬にツモられてしまうことだってもちろんあるだろう。
けれど、もしそうだとしても。
自分のできる最大限の努力は欠かさない。
チームメイトに……麻雀に、そう誓ったから。
今年の春のこと。
「ダブリー嫌いやわあ」
珍しくパソコンに向かってネット麻雀を打っていた洋榎が、相手からのダブルリーチを受けてぼやいた。
「あはは……まあ、読みも何もないからね、ダブルリーチ」
「大人しく放銃してください、部長」
洋榎以外のレギュラーメンバーで卓を囲み、洋榎だけがパソコンに向かってネト麻を打っている。
何故かセットの4人よりも、ネト麻を打っている洋榎が一番騒がしく。
「おお!勇敢な{白}ポン!せや!お前が行け!お前こそミスタードリラー!安全牌を開拓せよ~!!」
「部長、静かにしてもらえます?」
恭子が右手で頭を抱えながら、パソコンの前でついに椅子の上に立ち上がってしまった洋榎を見る。
「あはは……でもホンマ、ダブルリーチだけはかわすの苦手で……つい当たったら事故やわ、って真っすぐ行っちゃいますね」
最近レギュラーになったばかりの1年生、漫も洋榎の奇行に引き気味ながらも、意見に関しては同意のよう。
「セットやったら割かし読めんこともないで、漫ちゃん」
「え?」
瞬間、ぐるりと首をこちらに向けてきた洋榎の発言に、漫がたじろく。
「そいつがどういう麻雀を普段打つのか。ダブルリーチに迷いはあったか。目線はドラを見ていたか。……まあ、結局完璧に当たり牌分かるわけやないけど、要素は拾える。……はずがなんやこのクソゲー。ネト麻やったらホンマになんもわからんやないか!」
『ロン!』という機械的音声に次いで、洋榎が声にならない奇声を上げている。
洋榎の言ったことが上手く飲み込めていない様子の漫に対して、多恵が補足した。
「洋榎のやってることは、かなり難しい話だけど……ダブルリーチで何もわからないから真っすぐ行く、っていうのは、全然間違ってないと思うよ。けど、毎巡通る牌は増えていくし、通ったスジも増えていく……何も考えずに押し返すよりは、これがどの程度危険で、自分の手牌にはどれくらいの価値があって、っていうのを理解しているのとしていないのとじゃ、全然違うと思うんだよね」
「せや。だからこそウチら姫松に課されてんのは、『積み重ね』や。どんな事象にも、絶対はない。けど、確率を上げていく作業は、できるはずなんや」
「な、なるほど……ガンバります……!」
全てを理解できたわけではなさそうだが、必死に先輩達の教えから学ぶ漫を見て、隣に座っていた由子も、笑顔で頷く。
(こんなんやってるの、もしかしたらウチらだけかもしれへんけどね~)
由子が知っている限り、今まで由子に麻雀を教えてくれた人は、こんな考え方ではなかった。
役と、点数の計算だけ教えてくれて、後はほとんど運と才能だから。
そう言われたこともあった。
しかしこの姫松に入って、洋榎や多恵、恭子に出会って。
由子の麻雀観は大きく変わっている。
パソコンの主電源のコンセントをぶち抜いている洋榎と、今同じ卓を囲んでいる3人を見回して、何も言わずに、由子は更に笑顔を咲かせる。
(やっぱり、姫松の麻雀、大好きなのよ~!)
『最善を尽くす』ただそれだけのこと。
しかしその行為はひどく、由子の性格に合っていたのかもしれない。
6巡目 由子 手牌
{①①赤⑤⑥⑦4567二三四七} ツモ{九}
『真瀬選手聴牌です!……が、これだと{7}が出ていってしまう形ですね』
『いや~。このコはこれで{47}は打たないんじゃねえの?知らんけど』
河を見渡せば、{八}は既に河に1枚切れている。
由子は少し考えた後、初瀬の河に並んでいる{④}のスジである{①}に手をかけた。
{1}が通っていることから、もし仮に由子が聴牌を取るとしても、切っていたのは{4}だろう。そんなことは、姫松のメンバー以外誰もわからないことではあるが。
基本、片スジが通っている時は内側の牌を打つのが定石。
今回のようにドラが端牌であれば、尚更。
由子の打つ姿勢は変わらない。
たとえ、ダブルリーチを受けたとしても、少しでも自分に『得』になるように。
7巡目 由子 手牌
{①赤⑤⑥⑦4567二三四七九} ツモ{一}
『真瀬選手これは無スジですね……オリになりそうですか?』
『いやー知らんし。ま、オリっつーより……回るんじゃね?』
無理はしない。
相手は2着目の親のダブルリーチ。
放銃すれば、ほぼトップを譲ることになるだろう。
(皆からつないでもらった点棒、大事にせなあかんね~)
優しく、丁寧に。
決勝の舞台でも、由子のやることは変わらない。
10巡目 由子 手牌
{①赤⑤⑥⑦4567一二三四七} ツモ{7}
『山に3枚残っていた{7}でしたが、ここで真瀬選手の元へ!これでもう一度テンパイを目指せますか!』
『ま、聴牌はとりにいくだろーよ。晩成のコも、まだ2枚あるなら勝機あるねえ~』
12巡目。
「リーチ、なのよ~!」
(……!)
ここまで安牌しか切っていなかった由子が無スジの{一}を横に曲げてきたことで、場は沸騰する。
しかもそれが、あの『姫松の真瀬由子』が打ってきたリーチであるとあれば更に話は変わる。
(流石真瀬さん……待ち、相当良いんだろうな。……けど、負けないよ)
追いかけを受けた初瀬だが、その表情に焦りはない。
こちらは打点もあるダブルリーチだ。そして仮に何度この場面が訪れようとも、自分はリーチを打つ。
その信念があるから、怖くはない。
初瀬の覚悟は、この団体決勝に来てもう常人のそれを遥かに超えていた。
初瀬が、戦斧を大きく振りかぶる。
ボロボロの布は既に防御としての意味をなしていないが、初瀬はそれでいいと思っていた、
トップの座を奪い取ろうと、由子に向かって飛び上がる。
振り下ろされた戦斧は……由子の前に現れた大きな盾によっていなされた。
(……!それは!)
由子がステップバックで距離を取り、それを逃さんと初瀬が前へ踏みでる。
が、その足元に、5本の
「ツモよ~!」
由子 手牌
{赤⑤⑥⑦3456777二三四} ツモ{3}
「2000、4000は2100、4100よ~!」
『決まった!鮮やかに回り切りました姫松の真瀬由子選手!!勢いのある岡橋選手の親番を終わらせました!』
『いや~……見ごたえがあったねい。ダブルリーチの押し引き……良形の勝負手になったら、迷わずリーチ……楽しく見させてもらったわあ』
由子が点棒をしまって、一つ息をつく。
『最善を尽くす』
不思議とその信念を持つことで、仲間達が常に後ろにいてくれるような気がするから。
迷わず前に進もう。
私の大好きな麻雀には、頼れる仲間がついているから。