ニワカは相手にならんよ(ガチ)   作:こーたろ

192 / 221
第166局 牌を愛し続けた少女の話

 

 

 「はえ~。このプロすっごく強いのよ~」

 

 「せやな。2巡目に国士聴牌できるんならそら強いんやろな」

 

 残暑も終わり、過ごしやすい時間帯が増えてきたことが秋という季節の到来を身体に教えてくれる。

 

 インターハイ団体戦準優勝という結果を残した姫松高校麻雀部は、今日も通常通り活動していた。

 あらかじめ録画しておいたプロの対局を見ているのは、その姫松高校のレギュラーである末原恭子と真瀬由子の2人。

 

 ミーティング用に使われる部屋だが、こうしてテレビを使っての牌譜チェック等もここで行っている。

 

 1つ対局が終わって、恭子がリモコンを手に取った。

 

 

 「多恵ちゃんと洋榎ちゃんは、今頃なにしてるんやろね~」

 

 「なにって、そら麻雀やろ」

 

 夕日の差し込む窓の方に呟いた由子に対して、恭子は簡潔に返す。

 ここに2人しかいないのには、理由があった。

 同じくインターハイ団体戦を戦った倉橋多恵と愛宕洋榎の2人は、長野のとある高校に招かれて合同練習中。 

 帰ってくるのは、翌日の月曜日だ。

 

 「んじゃ、次の奴見よか」

 

 「はいなのよ~!」

 

 亜麻色のセーターを少し長めに着ている由子が、元気よくその右手を振り上げる。

 

 「ま、これもなんも参考にならへんと思うけどな……ま、未知な力に対する対応って意味では勉強になるかもしれへんけど」

 

 画面に映る数々の録画リストから、恭子がどれを見るかを決めようと吟味する。

 

 今日、プロの対局を見ようと言いだしたのは、珍しく由子の方だった。

 今日対局はお休みの2人は、牌譜検討と後輩への指導をメインに活動。それらがひと段落して、今は小休止。

 

 無気力にソファにへたりこんだ恭子を、由子が誘ったのだ。

 

 「これは……ああ、去年のファイナルシリーズか。これでええか……いや、でもこれ想像以上の人外魔境になったんちゃうかったっけ……」

 

 「皆強すぎなのよ~!」

 

 うんざりといった表情で、恭子が再生ボタンを押した。

 恭子からしてみれば、年4回行われているネット麻雀最強を決める戦いの決勝戦を見た方が何倍も勉強になると思っているのだが、今日の由子はどういう風の吹き回しか。

 

 ぽすん、と隣に腰掛けてきた笑顔の由子に、なんとなく恭子は突拍子もない質問をしてみる。

 

 「由子は、もし生まれ変われるんならどんな力が欲しいん?」

 

 「え?」

 

 恭子の問いに、由子は目をぱちくりと瞬かせた。

 

 「いや、ほら、あるやん?こんな力欲しいわ~みたいなん。考えたことあるやろ?」

 

 「……恭子ちゃんは、どうなのよ~?」

 

 「せやな~。ほら、このプロみたいに有効牌しか引かんみたいなのは羨ましいな。100%一段目で聴牌やん」

 

 「そうね~」

 

 テレビ画面からは、熱のこもった実況と、歓声が聞こえてくる。

 しかしそれらの音声が、恭子にはどこか空虚に聞こえていた。

 

 「……今年のインターハイで、また思ったわ。ウチがもっと強かったら。そう思わんかった日はない。ウチがアホみたいに強くて、点棒アホほど稼いで優勝できてたら……せやったら、多恵に、あんな顔させへんですんだかもしれん」

 

 「……」

 

 恭子の視線は自然と下に向いていて。

 ちょうど1ヶ月ほど前。絶対に優勝すると意気込んで臨んだインターハイ団体戦。

 

 しかし姫松高校の結果は、準優勝だった。

 十分すぎる結果だと言う人もいるだろう。けれど、姫松高校の目標はあくまで全国制覇だった。

 勝たなければ、いけなかった。

 

 優勝を逃して、たくさんの取材を受けて疲れ切っていたあの帰り道。

 

 立ち並ぶビルの人工的な光。行きかう人々の喧騒。

 しかしふと、立ち止まった彼女の周囲だけが、切りぬかれたかのような静けさで。

 

 

 『私は、諦めないから。来年必ず勝つから……!負けて、仕方ないなんて、言わないでよ……!』

 

 

 目に涙を溜めてそう言った多恵の表情が、恭子の脳裏に焼き付いて離れない。

 重圧を背負わせてしまった。あの正真正銘のバケモノを相手にプラスで帰ってきた多恵に、責任を感じさせてしまった。

 

 本当は、自分が勝たなければいけなかったのに。

 

 恭子が握る拳に、力が入る。

 

 自分がもっと強かったら。

 そう思わなかった日はない。

 

 どこまでも末原恭子という少女の思考は、良い意味で凡人なのだ。

 

 

 「せやから生まれ変わったら、そやな。誰よりも早く和了れるようになれたら、ええなと思うわ」

 

 「ふふふ……友達想いな、恭子ちゃんらしいのよ」

 

 「……なんやそれ」

 

 恭子の願いが、我欲だけではないことを分かっているから。自然と由子はそんな感想が出たのかもしれない。

 由子からしてみれば、恭子も責任を感じすぎだ。大将だから、ということが大きいのかもしれないが、彼女は十分すぎるほど成績を残しているのに。

 

 「そういう由子はどうなん?」

 

 「ん~そやねえ~」

 

 未だに少し下を向いている恭子の隣に座っていた由子が、静かに立ち上がった。

 2歩、3歩と歩いてテレビ画面の前に立ち、恭子の目の前でくるりと華麗に振り返る。

 

 夕日の差し込む部屋で、可憐に振り返った由子の表情。

 

 吸い込まれそうなエメラルドグリーンの瞳。

 

 

 「私は、生まれ変わってもこのままが良い」

 

 「……!」

 

 「洋榎ちゃんと、多恵ちゃんと、恭子ちゃんがいて。みーんなで頑張って、苦しんで。れんしゅーして。色んなことを試して。……そんな大切な日々が、無駄やったなんて、思いたくないんやもん」

 

 ――――恭子が何か言おうと小さく口を開いて……やめる。

 花が咲くような由子の笑顔を、直視できなくて下を向く。

 

 

 「ずるいわ。そんなん」

 

 小さく呟いた言葉は、きっと誰にも届かないけれど。

 

 恭子が立ち上がって、テレビの電源を切る。

 かと思ったら、対局室への道を歩き始めた。

 

 「さ、練習行くで由子」

 

 「ん。はいなのよ~!」

 

 声高らかに。

 恭子の後ろにぴったりと、由子が続く。

 

 

 誰もいない廊下。

 夕日が歩く2人の影を長く伸ばしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 南3局2本場 親 真瀬由子

 

 

 「リーチィ……!」

 

 初瀬が河に切った牌が、横を向いた。

 

 ビリビリと走る衝撃。初瀬の目に映る、確かな意志。

 晩成魂を心に燃やす少女が、今日何度目かもわからないリーチを打ってくる。

 

 『またも!またもリーチです岡橋選手!!腕が引きちぎれようとも……!声が出なくなっても……!点棒が空になるその時まで、彼女は立直を打ち続けます!』

 

 『お、珍しく良いたとえだねえ~。はっはっは……そうさな。あのコの麻雀は、どこまでも真っすぐだ』

 

 初瀬の1人聴牌で流局した直後、親になった由子が一段目で華麗に和了りきって供託を確保。

 南3局2本場へと状況は移っている。

 

 9巡目。晩成の若い狂戦士……初瀬から放たれたリーチ。

 

 (初瀬ちゃん……すごく、強いのよ~。ここまで真っすぐ打てる人は、見たことがないのよ)

 

 持ってきた牌を手牌の上に重ねて、由子が思考を巡らせる。

 初瀬の麻雀はどこまでも真っすぐ。

 いっそ気持ち良いくらいに手牌に素直なのだ。

 

 その真っすぐな麻雀がこのインターハイ団体戦決勝という舞台でしっかりと結果を残していること。

 その事実に、何故か由子は気分が高揚していて。

 

 1枚の牌を切り出す。

 初瀬の宣言牌で、由子の雀頭であった{西}を切り出す。

 

 オリではない、回れる選択肢を見出す。

 

 

 浩子 手牌 ドラ{四}

 {④1236789二四六七七} ツモ{中}

 

 浩子が初瀬の捨て牌に目をやった。

 

 

 初瀬 捨て牌

 {4⑥三白⑧七} 

 {八5横西}

 

 

 (みえみえの七対子。なのに、こうしてド真っすぐリーチを打ってくるのが、こんなにも鬱陶しい……!)

 

 これだけなりふり構わず突き進んでくる初瀬に浩子は忌々しさを覚えていた。

 自分の張った罠にも気付かず。仮に落ちたとしても這い上がってくる。

 

 (それなのに……なんでウチは……)

 

 握った拳に力が入る。

 

 浩子が物心ついて麻雀を始めた時、既に浩子の近くに、同世代で最強と呼ばれる打ち手が2人もいた。

 なんなら、よくつるんでいる人物を含めたら4人だ。

 

 そんな眩しい打ち手にボコボコにされて、浩子は自分の生きる道を模索した。

 

 どうしたら相手は打ちにくいのか。相手がやられて嫌なことは?

 自分にとって得になる選択は?

 

 様々な工夫を重ねるのが、浩子の性に合っていた。

 敵わないと思っていた人たちに認めてもらえたのが嬉しくて。

 

 自分の戦い方を見つけられたと思った。

 自分はこれでいいんだ、と。

 

 なのに。

 

 なんで目の前の少女を、『羨ましい』と思ってしまうのだろう。

 

 

 

 

 

 「ツモ!」

 

 

 初瀬 手牌 裏ドラ{9}

 {①①②②1188二二東東北} ツモ{北}

 

 

 

 「1600、3200は、1800、3400!」

 

 

 『決まった!!!またも、またしてもツモ和了り!到底出てくるような河ではありませんでしたが、しっかりと3枚あった{北}をツモり上げました!!』

 

 『はっはっは!きっと出和了りなんか期待しちゃいねーよ!全員の河見て、{北}は3枚あるって思ったんだろ!』

 

 『強烈なツモ和了り!!副将戦はルーキーの岡橋選手が終始圧倒!!トップのままオーラスを迎えます!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 南4局(オーラス) 点数状況

 

 1位  晩成  岡橋初瀬 122500

 2位  姫松  真瀬由子 115100

 3位 千里山 船久保浩子  90400

 4位 白糸台  亦野誠子  72000

 

 

 

 

 

 

 

 『このままいくと……1年生の岡橋選手が他選手全員を沈めての1人浮き!決勝戦でその偉業を成し遂げてしまうのでしょうか!!』

 

 『いや~知らんし!……けど、十分その可能性はあるよねい……これが1年生。全く、先が楽しみでしょーがねーよな!』

 

 

 副将戦は、ついにオーラス。

 

 ガラガラと回る麻雀卓の音が、対局室に響く。

 

 

 由子が、大きく、息を吐いた。

 

 

 個人戦の無い由子にとって、おそらく、これがインターハイ最後の局になるだろう。

 

 悔いは、残したくない。

 

 

 (最後まで。私は、私らしく)

 

 

 胸に手を当てれば、感じられる。

 皆から受け取った想い。

 

 確かに、ここにあるから。

 

 

 目を開けよう。

 手牌を見よう。

 心の底から大好きな麻雀をやろう!

 

 最後まで、笑顔で。

 

 

 

 

 《1巡目》

 

 由子 配牌 ドラ{⑨}

 {①③⑥23577赤五六九白西} ツモ{発}

 

 さあ、何を切ろうか。

 役牌重なりはまだ採用の余地がある。ならば、{西}か、{九}か。

 

 {西}を選ぼう。相手に鳴かれるかもしれない風牌は、先に処理しておくに越したことはない。

 瞬間{八}のくっつきも、{七}を引いた{赤五六七九}の形も、優秀だから。

 

 

 

 《2巡目》

 

 由子 手牌

 {①③⑥23577赤五六九白発} ツモ{②}

 

 嬉しいカン{②}ツモ!

 ありがとうね、と心の中で1つ唱えて。

 

 2枚切れてしまった{白}を切ろう。

 {発}が重なった時は、まだ保留できるから。

 守りは考えない。悔いは残したくない。全ての和了りへの道を捉えたい。

 

 

 《3巡目》

 

 由子 手牌

 {①②③⑥23577赤五六九発} ツモ{⑤}

 

 これも嬉しいツモ。これで5ブロックがほぼ完成した。

 リーチ手順を、自然に追えそう。

 1枚1枚を、丁寧に手牌に収める。

 

 我が子のように。優しく。

 

 

 

 《4巡目》

 

 由子 手牌

 {①②③⑤⑥23577赤五六九} ツモ{一}

 

 初めて、手牌に現状使いにくい牌が来た。

 打牌候補は、{一}か{九}か。

 

 どちらも横に伸びたとて採用することはほぼない。

 下の三色が見える?けれど、それは両面ターツを壊すことになる。

 そう進むことは、ほとんどない。

 

 親の現物である{一}を残して、{九}を切り出そう。

 

 

 《5巡目》

 

 由子 手牌

 {①②③⑤⑥23577一赤五六} ツモ{②}

 

 状況に変化が出た。対面が、{南}をポン。彼女もきっと、負けられないのだろう。

 これは団体戦。自分が区間で負けてしまっても、次につなぐことはできる。

 

 必死に、和了りに行っている。

 

 皆も、全力なんだよね。

 そう思うと、心に眠っていた熱い気持ちが、ふつふつとわいてくる。

 私だって、負けられないんだ。

 

 さあ、次の最善は?

 安全度比較で{②}をツモ切ろう。

 

 

 

 《6巡目》

 

 由子 手牌

 {①②③⑤⑥23577一赤五六} ツモ{1}

 

 面子ができて、手が進んだ。

 鳥さんありがとう、と決して表面をなぞることはしない由子が、優しく牌を撫でた。

 

 {5}と{一}の選択。

 {赤5}ツモもあるし、{6}ツモにも対応できる。

 

 ここはめいっぱい、いこう。

 {一}を、切り出した。

 

 

 《7巡目》

 

 由子 手牌

 {①②③⑤⑥123577赤五六} ツモ{南}

 

 これは誠子が鳴いている、安全牌。

 この安全牌を残すか、{5}を切るかの選択。

 

 一度深呼吸してから、河を見渡す。

 これも、何千、何万回とやってきたこと。

 

 誰が早そう?多恵に、洋榎に、たくさん教えてもらった。

 初めの3枚だけでも、相手の速度がある程度測れることを知った。

 

 新しいことを知るたびに、由子は麻雀が更に好きになった。

 奥深さに触れるたび、感動した。

 

 親が、早そう。{5}は全員に対して無スジ。

 めいっぱいにすることが、和了りに対する最適解じゃない。

 

 {5}を切り出そう。

 

 

 

 《8巡目》

 

 由子 手牌

 {①②③⑤⑥12377赤五六南} ツモ{7}

 

 持ってきた牌を見て、由子の胸が高鳴った。

 嬉しいツモ。いわゆる、暗刻ヘッドレスの形。

 

 これで両面ターツの牌が重なっても、聴牌になった。

 

 迷いなく、由子は{南}を切り出していく。

 

 

 

 

 

 《9巡目》

 

 由子 手牌

 {①②③⑤⑥123777赤五六} ツモ{8}

 

 由子の手が、止まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『徐々に場が煮詰まってきました副将戦オーラス……!おや、真瀬選手の手が止まりましたね……これは……やっぱりツモ切りが有利に見えますが?』

 

 『そうだねえ~。今の形ってめちゃくちゃ聴牌になる枚数多いし、流石にここから違う牌を切ることはねえんじゃねえかな?知らんけど!』

 

 ここまでスムーズに打牌を繰り返していた由子の手が止まったことに、会場の緊張感も増す。

 ここは聴牌枚数の多さでは{8}ツモ切り。咏の言っていることに、何も間違いはない。

 

 が。

 少しだけ考えた後、由子が切り出したのは、{⑥}だった。

 

 

 『{⑥}……!こ、これはどういうことなんでしょう?聴牌枚数は、減ってますよね?』

 

 『わっかんね~!いやマジでわっかんね~!いや確かに{④⑦}は場況良さそうにはみえねえけど……それでもなかなか両面は落とせねえだろ……?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「綺麗……」

 

 ペンギンのぬいぐるみを抱いた少女が小さく呟いた言葉。

 その言葉に、ちょうど後ろで見ていた久が反応を示す。

 

 「和?どういうこと?」

 

 「あ、いや、すみません。真瀬さんの打牌が、とても綺麗だったので」

 

 「確かに、このコ牌の扱い方上手よね」

 

 「あ、えっと、そうではなく」

 

 和の口ぶりに、きっと牌の扱い方を言っているんだろうと思った久だったが、どうやら違ったようだ。

 

 「この{⑥}切り?私なら、{8}ツモ切りそうだけど……デジタル的にもツモ切りじゃないの?」

 

 「わしにもそう見えるが……」

 

 和の先輩で、チームメイトの中では一番デジタル寄りの打牌選択をするまこも、久の意見に同意だった。

 打{⑥}と打{8}では、聴牌枚数に違いがありすぎる。

 

 和が、エトペンをきゅっと抱きしめた。

 

 「確かに打{8}の場合、聴牌につながるのは{④⑤⑥⑦四五六七}の8種28枚。転じて、真瀬さんの選択した打{⑥}の場合、{⑤四七689}の6種22枚。6枚の差が出てしまいます」

 

 「そうじゃろ?したらやっぱり{8}切りがいいんじゃ」

 

 「一概に、そうとは言えません」

 

 キッパリとした和の物言いに、先輩2人がたじろぐ。

 

 

 「麻雀の目的は、『聴牌』ではない。『和了』なんです。真瀬さんは、どちらの選択が『和了』につながるのかを考えて、打{⑥}を選択したんです」

 

 まこと久が、顔を見合わせて首をかしげる。

 和の言いたいことがわからない。確かに『和了』が目的であるのはそうかもしれない……が、その過程に『聴牌』があるのだから同じでは?

 

 そんな疑問を感じ取った和の弁は続く。

 

 「酷似していますが、その2つはハッキリと違います。聴牌しても、和了れなければ意味が無い。そうなれば、重要になってくるのは最終形です。真瀬さんはこの{7778}の三面張に、強く和了りを見たのだと思います」

 

 「た、確かにこの三面張めちゃくちゃ山に残ってるわね……」

 

 久が、モニターに映る状況を分析する。

 そして逆に、由子が外した{④⑦}のターツは、もう残り2枚しかなかった。

 

 「先に{5}を打っているのも大きいですね。{8}の出和了率が、通常よりも上がっています。逆に、{8}を切った時の有効牌である{六}ですが、これが重なると{赤五}が出ていき、役は立直のみ。正直、これを有効牌とカウントしたくありませんよね。ですから、見た目よりも有効牌に差はないんです」

 

 「で、でもそれなら{⑥}じゃなくて{⑤}から打つべきじゃない?周りにも危なそうだし!」

 

 「……部長。それ本気で言ってますか?」

 

 和が振り返って久を睨む。

 後輩であるはずの和の迫力に、久はもう一度後ずさりした。

 

 「打{⑤}ではなく打{⑥}とした理由。それは、この瞬間だけ。山に2枚ある{赤⑤}をキャッチできることです」

 

 「……そっか……!」

 

 インターハイの大会ルールは、{赤⑤}が2枚入っている。

 普段よりも、赤受けの重要度は高い。

 

 「1枚も、無駄にしない。真瀬さんの麻雀……とても素敵です」

 

 和がモニターに向き直り、エトペンを抱きしめた。

 

 この1局だけで、十二分に感じることができる。

 

 この人は、あの先生(クラリン)が認める打ち手なんだ、と。

 

 

 「かっこ、いいな」

 

 

 

 和がいつの間にか自分の頬に流れていた涙に気付くのは、副将戦が決着した直後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《10巡目》

 

 由子 手牌

 {①②③⑤1237778赤五六} ツモ{七}

 

 持ってきた牌を優しく迎え入れた。

 聴牌。

 たどり着いた最終形。

 

 やることは決まっている。

 姫松の皆のため。自分のため。

 

 笑顔で皆のもとに帰るため。

 やれることをやりきろう。

 

 

 手牌の{⑤}を、優しく持ち上げた。

 器用に持ち上げられた牌は、空中で向きを変える。

 

 洗練された手さばき。卓に横向きで置かれる時も、音すら鳴ることはない。

 

 「リーチ」

 

 発声は明瞭に。

 これが私の、きっと、インターハイ最後のリーチ。

 

 

 直後。

 親が追いかけてきた。

 気迫のこもった、リーチ。

 

 それに対して対面が仕掛ける。それに続いて、上家も仕掛ける。

 

 めまぐるしく、状況が動く。

 全員聴牌かもしれない。

 

 ……打牌に後悔はない。自分にとって最良の選択をできた自信があるから。

 ここで和了れなかったとしても、三年間で得たことを全部ぶつけたから。

 

 けれど。

 

 この胸を熱くする感情はなんだろう。

 

 どんなことがあっても、最善を尽くす。それが姫松の麻雀。

 今日も繰り返してきた。自分にとって最良の選択。

 

 このオーラスも、選び抜いた。一番和了れると思った最終形。

 

 だからこそ。

 

 だから、こそ。

 

 

 

 

 (和了りたいよ!!!)

 

 

 

 

 胸が叫んでる。

 心臓が痛い。胸のあたりを、握りしめる。

 赤いリボンが、握りしめられて歪に形を変えた。

 

 

 

 (このまま終わりたくない!私も勝ちたいよ!)

 

 

 

 

 いつも大人しく明るい少女が。

 

 

 今は、今だけは勝利を渇望する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 確固たる意志を持つ打ち手に。

 

 

 牌は応える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 由子 手牌

 {①②③1237778赤五六七} ツモ{9}

 

 

 

 

 

 

 

 

 爆発する会場の歓声。

 

 うるさい心臓の音。

 

 

 それら全て周りの音が、嘘みたいに遠い。

 

 

 

 けれど、何万回もしてきたことだから。

 

 ツモったら、役を頭の中で反芻して。

 

 

 (リーチ、ツモ、平和、ドラ1)

 

 

 自然にできた。

 

 王牌に手を伸ばす。

 

 由子の細い腕が震えている。

 

 そっと、ドラ表示牌とその下に眠る裏ドラを手に持って、自らの横に置いた。

 

 

 裏ドラをめくる手が、どうしようもなく震えている。

 

 

 

 

 由子はこの時人生で初めて、公式戦で上手く裏ドラがめくれなかった。

 めくろうとした指からコトリ、と牌が離れ、横を向いた形で停止する。

 

 奇しくも、その変なめくれ方は。

 

 卓上でただ一人。由子だけに表を向いていて。

 

 

 

 

 

 

 

 裏ドラ{①}

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 麻雀の神様は最後に、牌を愛し続けた少女(真瀬由子)へ笑顔を見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 副将戦終了

 

 1位  姫松  真瀬由子 124100

 2位  晩成  岡橋初瀬 117500

 3位 千里山 船久保浩子  88400

 4位 白糸台  亦野誠子  70000

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。