『……珍しいな。お前から電話をかけてくるなんて』
『……そうかも』
『見ていたぞ。先鋒戦。まさかお前が同世代に負ける日が来るとはな。もしお前が負ける時があるのなら、勝つのは私でありたかった』
『……やっぱり強かった』
『だろうな。あいつが強いことなど、去年の個人戦決勝で身に染みて分かっていたさ。……それでも、私はお前が勝つと思っていたのだがな』
『聞きたいことがある』
『……聞こう』
『彼女……倉橋多恵さんについて、どれくらい知ってる?』
『どれくらい、とはまた抽象的な聞き方だな。お前が知っていること以上のことを、私が知っているとはあまり思えないが』
『そう……』
『……牌理に関して無類の強さを誇り、おそらく、超常的な力が及ばない麻雀というゲームがあるのなら、それを制するのは間違いなくあいつ。中学生の頃から動画配信を行っていて……もうその頃には今と遜色がないほどに牌理に優れていた秀才。大会においても、多面張で確実にツモ和了る力と、去年私達に見せ、そして今年もお前を相手に行使したあの“ナラビタツモノナシ”で、超人を凡人に引きずり降ろすことができる』
『……』
『これだけでは不服か?』
『去年、あの力を……“ナラビタツモノナシ”を受けた時、どう思った?』
『どう思った、か。お前とは違うかもしれないが……私は心が躍ったよ。あいつの主戦場で、本気の戦いができるのだからな』
『そっか』
『しかしお前相手に支配系の力が及ぶ日が来るとは思わなかったさ。一時的な強力な力にあてられることはあっても、全く無効化される日が来るとは思わなかった。……そして更に今日、それを打ち破ったお前に驚かされた。やはり、お前はチャンピオンなんだ、と』
『……けど、負けた』
『結果はな。最後の倉橋の手組み、見たか?九連の誘惑を断ち切って、あいつは自分の麻雀を貫いた。そこまでは、流石のお前も読めなかったんだろう』
『読めない。倉橋さんは、読めない』
『……お前の
『初めてなの。同い年じゃなくても、プロ相手にだって、読めなかったことは無かった。それなのに、倉橋さんは、底が、見えない。見えない何かに邪魔されて、その先が見えない』
『……』
『去年もそうだった。彼女がどれだけの努力をしてきたのかの軌跡は見える。多面待ちにしたら一発でツモられるのかってことも、わかる。けれど……ナラビタツモノナシは、わからなかった。だから初めて受けたとき、驚いた。何も、できなかった』
『……あいつの奥底に眠る力……それがナラビタツモノナシか』
『うん……あと、今日わかって、私がどうしても伝えたかったことがある』
『なんだ?』
『多分、これは確定でいいと思う』
―――――“ナラビタツモノナシ”には、まだ「先」がある。
『……は?』
『あれは、まだ終わりじゃない』
『……あれよりも強大な力が待っている、と?』
『うん』
『にわかには信じられんな。ではもし仮に持っているとして、何故お前との先鋒戦で使わない?』
『条件が、そろわなかったから。多分、私が付け焼刃だけど、ナラビタツモノナシの影響下でも戦えるよう、勉強したから』
『……では条件が揃う、とは?』
『わからないけど、もしかしたら、ナラビタツモノナシでも抑えられないほどの強力で、理不尽な力と相対した時』
『……お前は力だけでなく、違った攻め方をして和了ったから、そのナラビタツモノナシの先には出会わなかった、と?』
『多分、そう』
『……その話が本当なら、どんな強力な力を持つ打ち手と当たったとしても、倉橋ならば勝てることになる』
『多分、勝てるよ。きっと私以上に』
『ナラビタツモノナシに抗うことができる力というのも想像しにくいが……それこそ鹿児島の巫女の最高の状態か、去年のMVP、長野の月の神でも連れて来れば、か』
『……私にはもう1人、心当たりがあるけど』
『……ん?よく聞こえなかったが……まあいい。それを私に言って、お前は何が言いたい?』
『単純な話。智葉なら、倉橋さんに勝てるから』
『個人戦を見据えて、か。確かに、その話が本当なら今のアイツに勝てるのは私か――――もしくは同じチームメイトのあいつくらいだろうな』
『私は怖い。あれ以上の力を持っている倉橋さんという存在が』
『……』
『けど』
『?』
『もう一度戦いたい。戦って、今度こそ勝ちたいと思ってる、私もいる』
『ふふふ……お前なら、そう言うと思っていたさ』
『だから、個人戦は勝つ。倉橋さんにも、智葉にも』
『受けてたとう。だが、去年のような共闘には期待しないことだ。私も全力で、頂点を狙いに行く』
『うん、それでいい』
『話はそれだけか?』
『そうだね……』
『では、切るぞ』
『……ねえ、智葉』
『……なんだ?』
『倉橋さんって、
『……!……わからないな。確かにあいつは謎が多すぎる。中学生の時からあれほどの知識量、経験。そして、何故か養子。個人的な話は、あまり聞いたことが無い』
『……』
『ただまあ……1つだけ分かってることがあるぞ』
『なに?』
『あいつは生まれながらの「麻雀バカ」で……誰よりも「麻雀という競技を愛している」ってことだ』
『……そうだね』
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
副将戦決着。
興奮冷めやらぬ対局室の中で、由子は静かに呼吸を整えていた。
最後の牌姿。
{9}をツモり上げて、満貫を和了った牌姿。
(なんとか……プラスで終われたのよ)
深く、息を吐く。
対局室はもう照明が点き、ライトが煌煌と照っている。
背もたれに、体重を預けた。
心地よい疲労感。
「最後、やられました」
そんな由子の隣に座る初瀬が小さく呟いたことで、由子は目を開ける。
初瀬はもう、対局中の刺すような好戦的な表情は鳴りを潜め、今はただ、じっと最後の局面を見つめていた。
「なに言ってるのよ~。こっちは最初っから最後まで、初瀬ちゃんにやられっぱなしよ~」
「……完全にツイてましたからね……」
「そんなことないのよ~。初瀬ちゃんらしい、強い麻雀だった」
「……」
謙遜、というわけでもなく、初瀬はただ事実を言っているように見えた。
確かに初瀬は確率以上に和了り牌を引けてはいる。
ただ、その和了り牌を引く権利を持つ者は、その莫大なリーチというリスクと心中する必要がある。
由子は微塵も、「初瀬が運が良かった」等とは思っていない。
由子が背もたれに身を預け、天井を見上げる。
それは奇しくも、中堅戦の終わりに親友の愛宕洋榎がやっていた動作と同じ。
「楽しかったのよ~」
そしてその身を震わす感情もまた、洋榎と同じだった。
初瀬はその隣で、開かれている由子の手牌を今一度確認する。
(河の{⑤⑥}は手出し……手役が絡んでるのかもと思ったけど、ターツ選択だったのか……選び抜いたのか。最適解を)
完璧にではないが、初瀬はなんとなく由子の手順を想像する。
そして、そこにはきっと、自分が踏めない手順であることは容易に想像できた。
河に{④⑦}は多くない。払う理由は、今の自分には見つけられない。
きっと、自分ではたどり着けていない最終形。
「最後、高そうだったのよ~」
「……そうですね、私がリーチするには、十分な打点ではありました」
変わらず背もたれに体重を預けている由子が、横目で初瀬を見る。
初瀬は特に手牌を開くことはせず、静かに伏せた。
和了れもしなかった手牌を開くのは、恥ずかしい気がして。
初瀬も深く息をついて、席を立った。
名残惜しい気もするが、いつまでもこうしてはいられない。
(来年も、必ず来るんだ。この場所へ)
階段を降りるべく、歩みを進める。
その前に。
「勉強になりました。準決勝と合わせて4半荘……ありがとうございました」
座ったままの由子に頭を下げると、由子は「ほえ?あわわわわ」となんとも締まらない席の立ち方をした後。
「こちらこそ、とっても楽しかったし、強かったのよ~。ありがとうございましたなのよ~!」
由子から手を差し出され、初瀬が下げていた頭を上げる。
自分よりも華奢で、背も低い。
けれど、この目の前の人が3年間積み上げてきたものは、きっと想像を絶するものであるとわかるから。
初瀬は、しっかりと由子の手を握り返したのだった。
晩成高校控室。
「ただいま、戻りました」
控室の扉を初瀬が後ろ手で閉める。
帰ってきた初瀬を迎え入れたのは、晩成の全メンバー。レギュラーも、控えの選手も全員が笑顔で。
そんな中で、同級生の憧が足早に初瀬へ近寄ってきた。
(あれ?これもしかしてまた殴られる流れ?)
準決勝の時の記憶が蘇り、とっさに腹部に力を入れる初瀬。
しかし次の瞬間初瀬が感じたのは、柔らかい、憧の身体の感触。
勢いよく近づいてきた憧が初瀬の身体を力強く抱擁する。
抱き着いてきて数秒、憧から言葉が出なかったので、初瀬は優しい表情でそれに応じた。
「……ありがと」
「ばーか。お前のために戦ったんじゃないよだ」
「ふふ……知ってる」
しばらくして、憧が初瀬から離れる。
後方を見れば、皆が笑顔で初瀬を待ってくれていた。
そしてその中心。椅子に足を組んで腰掛けたやえが、真っすぐに初瀬を見る。
「副将戦トータル、+23900。区間2位の姫松が+1000だから、ほぼあんたのマルエー。……本当に、よくやったわ。初瀬」
「……!ありがとうございます……!」
優しい笑み。
席を立ったやえが、初瀬の肩に手を置いた。
「相手も十分に強かった。けど、あんたは決して自分のスタイルを曲げなかった。私はあなたを……岡橋初瀬を……誇りに思う」
「……!」
涙が出そうだった。いや、ほとんど出ていたかもしれない。
頭を下げていたからバレなかっただけで、初瀬の目尻には涙が溜まっていた。
この人の力になりたいと決意して、はや一年。
自分が一心不乱に取り組んできたこの1年間は、間違っていなかった。
そう思えるだけの喜びが、今の初瀬の身を震わせる。
一呼吸あって。
「さて。初瀬が最高の結果を残してくれた。紀子も、憧も期待以上に頑張ってくれた。……最後は、誰の番?」
全員の視線が、一点に集まる。
泣いても笑っても、インターハイ団体戦は大将戦の2半荘を残すのみ。
この2半荘が終わった時、それはインターハイの頂点に輝く高校が決まった時だ。
晩成の悲願。
小走やえを頂点に連れていくという夢。
それを胸に最後に戦う戦士。
去年無力感に絶望し、必ず次は勝つことを心に決めて立ち上がった戦士。
「行けるわね。由華」
夢は、巽由華に託された。
目をゆっくりと開く由華。
その目は、確かに燃えている。
「必ず。優勝を届けます」
全員が、好戦的に笑う。
誰も疑っていない。
今年優勝するのは自分たちだと、誰も信じて疑わない。
王者の剣が、悲願達成のため、最後の戦いに赴く。