ニワカは相手にならんよ(ガチ)   作:こーたろ

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第172局 牌に愛されるということ

 

 

 

 

 

 1ヶ月前。

 

 「テルー!」

 

 快活な少女の声が、だだっ広い廊下にこだまする。

 その声に反応して振り向いたのは、表情を変えることがあまりない高校麻雀界のチャンピオン。

 

 照の元までたどり着いた少女は、正面から照に抱き着いてにへら、と笑う。

 

 「テルテルーまた勝っちゃった。部内の対局は照以外負けなしだよ~」

 

 「強いね」

 

 「でしょでしょ~?」

 

 彼女……大星淡はこの白糸台高校に入学してからというもの、照以外の打ち手にまともに負けたことが無い。

 それほど彼女の力は常軌を逸していた。

 

 淡自身も照に憧れて入っただけに、照以外に負けることをよしとしない傾向がある。

 

 「団体戦じゃなくて2人戦みたいなのがあったらよかったのに。そしたら照と私で優勝間違いなしだよ?!」

 

 「……そんなことないよ」

 

 「なんだよつまんないの~」

 

 1年生である淡から頬をつままれても、照は特に咎めたりはしない。

 そのつままれた状態のまま、照は淡の目を真っすぐに見ている。

 

 「淡……」

 

 「なにー?」

 

 にこりと笑う彼女の表情は、あまりに無邪気で。

 照は言おうとしていた言葉をそっと胸に飲み込んだ。

 

 「……?変なテルー」

 

 正直に言えば、照はこの無邪気な少女に対して何を言えばいいか迷っていた。

 

 言いたい言葉の本質はわかる。

 全国には、もっと強い人がいる。もっと、深い人がいる。そう伝えたい。

 

 だが、実際全国で負けたことの無い自分にそれはなんの説得力も持たない。

 照は負けてないじゃん、とそう言われたら返せない。

 淡は自分のようにあれば負けないと本気で思っているし、事実それがまかり通っているから。

 

 けれど照は、負けなしだなんて1度たりとも思ったことは無い。

 少なくとも去年の個人戦。照は一度敗れたと思っている。

 

 あの個人戦の決勝。最終盤。

 吹き荒れた高打点と超速度。

 途中まではいつも通り、強い打ち手との勝負。

 

 しかし、あの瞬間。あの場所からは何もかもが無くなった。

 残されたのは、麻雀卓と、牌と、自分だけ。

 

 ガラガラとやかましい卓内部の音だけが、異様にうるさかったのを今でも鮮明に覚えている。

 

 全ての武器を剥がされ、照はあの時初めて思った。

 どう打てば、良かったんだっけ、と。

 

 結局何もない無の世界で真剣に向き合う侍と騎士の一騎打ちを、遠巻きに眺めることしかできなかった。

 

 そして何故か掴んだ、王冠。

 虚無だけが、照の心に残された。

 

 (……どうすれば、伝わるんだろう)

 

 あの時の無力感を、淡に味わってほしいとは思わない。

 けれど、淡を納得させるためだけの材料を、照は持ち合わせていない。

 

 もし照がこの時ネット麻雀というものを知っていたら、あるいは何かが変わっていたのかもしれないが。

 

 「テルー!麻雀打とう!」

 

 自らの手を引いて走り出す少女に、ついぞ照はかける言葉を見つけることはできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「私のせい、だ」

 

 ポツリ、と照の口から零れた言葉。

 誰も言葉を発さずに……いや、発せずにいたからか、嫌にその言葉が響いた。

 

 「照……?」

 

 「私が、ちゃんと、伝えられたら」

 

 照が、自らの目の前で開いた右手を見つめる。

 汗が、じんわりと手の平を湿らせていた。

 

 淡は大将戦が始まって南1局の現在。4局連続で点棒を減らしている。

 その合計、36900点。

 個人戦なら余裕でトビ終了であるし、この団体戦であったとしても、致命的な失点。

 

 淡の表情に、もはや先ほどまでの余裕はない。

 

 「まさか淡がここまでやられるなんて……」

 

 「淡ちゃん……」

 

 誠子と尭深の2年生コンビも、まさかの事態に驚愕に目を見開いている。

 菫も同じような状態だったが、照だけは、こんな展開になってしまうかもしれないという予感だけしていた。

 

 姫松の恭子の強さを知っているから。それもあるだろう。

 晩成のチームとしての強さを、先鋒のやえから感じたから。

 竜華が去年恭子に敗れて涙を流しているのを、見たから。

 

 それを伝えられなかった自分が恥ずかしい。

 今日の先鋒戦で敗れた自分の言葉は、淡には届かなかった。

 

 『大丈夫だよ。テルが最強ってことは、私が証明してくるから』

 

 そう言い残して出ていった彼女にかける言葉は、照には見つけられなかった。

 

 

 「まだ、終わってないぞ照」

 

 「……」

 

 そう、声をかけた菫の表情も、決して明るいものではない。

 苦しいのはわかっている。そう言わんばかり。

 

 「だが、あいつを大将にしたのも、信じて送り出したのも私達だ。だからこそ最後まで見届け……そしてあいつを迎える義務がある」

 

 「……そう、だね」

 

 過ぎたことを悔やんでも仕方ない。

 とにかく、今は休憩中に対局室へ行くことだけを決める、照だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 点数状況

 

 1位  晩成   巽由華 140500 

 2位  姫松  末原恭子 129000

 3位 千里山 清水谷竜華  97400

 4位 白糸台   大星淡  33100

 

 

 『だ、誰がこんな展開を予想したでしょうか!!昨年度覇者白糸台が、窮地に立たされました!!』

 

 『……まさか、だねい。トップまでは10万点差。残り前半戦の南場と、後半戦の1半荘だけで追い付くのはかなり厳しい数字だねい。知らんけど!』

 

 『白糸台だけではありません!巽選手の三倍満によって、2位の姫松は約1万点、千里山としても4万点のリードを許す展開!他校にとっても厳しい!』

 

 『……晩成のコがこれだけで止まる保証はない。もしかすると……前半戦で、終わるかもしれねーぞ、大将戦』

 

 『……!その可能性まで出てきましたか……!ここから巻き返せるのか白糸台高校!さあ、南場に入ります!』

 

 由華の三倍満。

 放心状態から返ってこれない淡をよそに、それ以上に焦る人物が一人。

 

 (まずい……!巽がこの状態入ってまうとホンマに白糸台をトバしかねん!)

 

 由華の瞳が煌煌と燃えている。

 試合前あれだけ丁寧な挨拶をしてきた少女は、今は鬼神と化している。

 

 白糸台の対策はバッチリハマったと言っていいだろう。

 それ以上に予想外だったのは、不利に回ると思っていたはずの晩成と千里山すら、白糸台を凌いできたことだった。

 

 (……焦るな。凡人にできるのは思考だけや。まだ幸い、一撃でトバされる圏内やない。冷静に、和了りを稼いで巽に追い付く!)

 

 

 

 南1局 親 竜華

 

 点棒状況を見た。

 

 震える右手で、相手との点差を確認した。

 

 これは決勝戦。順位など関係なく、優勝するかしないか。少なくとも、淡はそういう計算の元この舞台に上がってきたから。

 

 (ははは……なに、これ)

 

 対局開始時、あった点棒が7万点ちょうど。

 今持っている点棒は、その半分にも満たない。

 

 たった4局。

 たった4局で、淡の点棒は半分にまで減ってしまった。

 

 淡 配牌 ドラ{⑥}

 {②③④⑤12666三四五六} ツモ{三}

 

 配牌は、変わらない。いっそ非情なほどに、変わらない。

 ぐっ、と拳を握りしめて、淡はその点箱から一本の棒を取り出す。

 

 その音を聞いて、由華が不機嫌そうにその表情を歪めた。

 

 「リーチ」

 

 (……コイツ……)

 

 カラン、と音を立てておかれる千点棒。

 その瞳に、もはや先ほどまでの怖さはない。あるのは、狂気のみ。

 

 まるで、そうすることが当然であるかのように。

 機械のように。

 

 恭子 手牌

 {②②⑥⑦⑨135一二四七東} ツモ{①}

 

 (……向聴数が……)

 

 恭子は最初の1枚をツモってきて……その表情を変えた。

 

 

 『あれ……全員の手牌が、5向聴、ではなくなってますね!相変わらず、よくはないですが……』

 

 『……まずいね。尚更、このままだと……』

 

 ただの放銃マシーンだ、と言ってしまいそうで、咏はその言葉を飲み込んだ。

 

 

 「チー」

 

 淡から切られた牌を、恭子が鳴く。

 容赦はしない。容赦できるほど、なまぬるい相手ではない。

 

 

 (まずい……!時間をかければかけるほど、巽と清水谷が有利になる……!ウチができるのは、なるべく一段目での、早和了り!)

 

 「チー!」

 

 もう一度鳴いた。

 恭子の言う通り、有利なのは恭子に見えて、実はそうではない。

 淡の支配力が弱まっているからといって、カンされない道理はないし、向聴数が上がっていると考えるのであれば、千里山と晩成の大物手が炸裂してもおかしくない。

 

 一撃必殺を持たない恭子からすれば、これ以上の大きな和了りは致命的。

 なるべく早く、千里山と晩成の親を流す必要があった。

 

 そしてそれが、恭子の唯一の勝ち筋。

 

 「ロン……!」

 

 恭子 手牌

 {①②③⑥⑦四四} {横213} {横三一二} ロン{⑧}

 

 

 「2000や」

 

 

 『ここも末原恭子!!姫松のスピードスターここにあり!!あっという間の2000点でダブルリーチをかわしきりました!!』

 

 『……千里山も親を落とされたのは痛いねい。大量加点が難しくなっちまう』

 

 

 竜華が悔しそうに歯噛みする。

 今の局、和了りへの道は無かった。

 

 恭子の仕掛けと、淡のダブルリーチを掻い潜って和了する道は1つもなかったのだ。

 

 (末原さん……ホンマに強い……!付け入る隙が、ない)

 

 残された親番は後半戦の2回のみ。

 竜華も流石に焦りの色が見える。

 

 

 

 

 

 

 南2局 親 由華

 

 淡 配牌 ドラ{7}

 {①②123444888西北} ツモ{西}

 

 和了れない、和了れない。

 初めてだった。ダブルリーチをこれだけ打って、思い通りにならない。

 

 放心状態だった淡の心に、感情の波が押し寄せる。

 

 (なんで……なんでなんでなんでなんで!!!!)

 

 ぐしゃぐしゃと、髪を掻きむしった。

 頭が混乱する。こんなはずじゃない。こんなことあっていいはずがない。

 

 だって、最強は、私と、照の。

 

 (ありえないありえない……!最強は照で、その次がわたしで、全員蹴散らして、優勝するはず、なのに!!!!!)

 

 心の中がぐちゃぐちゃになる。

 

 ちょうど、おもちゃをとられた少女のように、訳も分からず、淡は手に余った{北}を1枚手に取って、感情のままに思い切り横向きで河に叩きつけようと―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「いい加減にしろよクソガキ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その腕を、上家に座る由華が、無理やり掴んだ。

 

 

 

 

 

 

 対局室の、空気が止まる。

 

 

 

 「……なあ、お前今日この会場で、何を見てきたんだよ」

 

 「……は?」

 

 

 

 わずかに下を向いた由華の表情は、前髪で隠れて見えない。

 

 

 

 

 「先鋒戦で、姫松んとこの倉橋さんがとんでもない手順で和了って、私はやえ先輩が負けたってのに、感動したよ。……お前は?チャンピオンが笑顔で「楽しかった」って言った麻雀の、何を見てたんだ?」

 

 「なにを、いって」

 

 「次鋒から副将まで、1ミリも目が離せねえ最高の闘牌を、私は目に焼き付けた。きっと、この会場で見てる人も、全国で見てる人も、全員そう思ってる。この大将戦も、最高のものになるって、そう思ってたはずだ」

 

 「……」

 

 恭子も、竜華も、声が出ない。

 

 由華の迫力と、その声が、少しかすれていたから。

 

 

 

 「なのにテメエは!!!!!!!」

 

 

 

 

 淡の身体が、ビクリと強張った。

 

 

 

 

 「こんッな最高の舞台で、お前の!!!麻雀打ちとしての血は騒がねえのかってそう聞いてんだよ!!!!!!!」

 

 

 

 

 由華の右手が、淡の胸倉を掴んだ。

 ちょうど魂そのものに、訴えかけるかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 突如、ブザーが鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 『じ、実況席から警告です!!巽選手、大星選手から手を放してください!手牌を見る等の反則行為はしていなかったので警告1回になりますが、次は反則行為とみなして大会ルールにのっとり、点数から引かせていただきますので、気を付けてください』

 

 由華が淡の制服から手を離し、乗り出していた身体を戻して席に座る。

 乱れていた胸のリボンの位置を、正した。

 

 

 一度、息を吐いてから、由華は未だ呆然としている恭子と竜華に対し、頭を下げる。

 

 「騒いでしまって、すみません。お見苦しいところをお見せしました」

 

 「あ、ああ……ええけど」

 

 「だ、大丈夫やけど……」

 

 「……では……続けましょう」

 

 

 驚くほど冷静な由華に面食らう恭子と竜華だったが。

 

 それ以上に固まってしまったのは、当事者の淡だった。

 

 

 由華の言葉が、頭の中をぐるぐると回り続ける。

 

 (麻雀打ちとしての、血?は?なにそれ意味、わかんない、わけ、わからないんだけど)

 

 元々、これしか知らないのだ。

 こうやって打ってきて、勝ってきた。

 

 ダブルリーチをすれば壁牌でカンができて、和了れば裏が4枚乗せれる。

 そういうルールが、淡の中には確かにあった。

 

 それが、彼女にとっての麻雀だった。

 

 手牌をもう一度見直す。

 手に持っていた{北}を、手牌に戻す。

 

 手牌を見て、ぐるぐると回る思考の中、それでも思い出すのは、やはり、憧れの照との会話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『テルー!テルテルはどうやって打点作ってるの?』

 

 『……色々。ドラだったり、染め手だったり、配牌に来た牌達が、なんとなく教えてくれるから』

 

 『ふーん。変なの。私は勝手にドラ乗ってくれるから楽ちんだよ!』

 

 『……でもいつか、跳満じゃ足りなくなったらどうするの?』

 

 『あー確かに。その時はじゃあ、染めて裏乗せちゃおうかな』

 

 『……今は、それでいいよ』

 

 『……なにそれ?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「わけ、わかんない」

 

 目の前の景色が歪む。

 自分が切らなければ始まらないのに、どうしても一打目が決まらない。

 

 本能は未だ、「北を横に曲げろ」と言っている。

 それだけで勝ててきた今までが、そうしろと叫んでいる。

 

 震えている。

 この感情は、一体何?

 

 

 

 

 

 

 『……そうだよな。初めて、自分で“打つ”のは、怖いよな』

 

 

 咏が、小さく呟いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「頑張れ……淡……頑張って……!」

 

 

 何も言ってあげられなかった罪悪感に苛まれながら、照が祈って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「っくぁ……あ……!」

 

 

 

 牌に愛されし少女が“初めて”打った打牌は。

 

 

 

 

 卓に、真っすぐに。

 前を向いて置かれたのだった。

 

 

 


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