ニワカは相手にならんよ(ガチ)   作:こーたろ

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第174局 麻雀を、打つ

 

 

 うだるような暑さは、夜になってもその手を緩めてはくれない。

 日中から気温自体は下がったものの、未だ高い湿度と無風の気候が息苦しさを感じさせた。

 

 時刻は夜8時。

 夏とはいえ光源は街灯に頼らざるを得なくなってきた頃合いに。

 東京の一角にある屋敷では、5人の少女が夕飯を終えてテレビ画面に向き合っていた。

 

 「これ、白糸台負けるのかな……」

 

 「やべーな。マジでこんな展開になるとは思わなかったぜ」

 

 驚きを隠せないといった表情でおずおずと発言したのは、国広一。長野県の高校、龍門渕高校の2年生。もっとも、龍門渕高校の麻雀部員は2年生しかいないが。

 そして一の言葉に呼応するように、こちらも驚きを隠せずに感嘆の声を上げたのが、井上純。

 

 テレビ画面の横には、視聴者にわかりやすいように大きく点棒表示が出されている。優勝候補筆頭として誰もが疑わなかった白糸台高校の点数は、実に3万点を下回った。トップの晩成は14万点近く。ここからトップまで巻き返すことは、それこそ奇跡でも起こさない限り不可能に見えた。

 

 「白糸台が弱いんじゃない……他が強い」

 

 「ともきの言う通りですわね……」

 

 黒髪ロングで眼鏡な沢村智紀と、金髪お嬢様の龍門渕透華。いずれも表情は神妙。この大将戦の行方を静かに見守っている。

 未だ放心状態のように見える白糸台の大将。彼女は今何を想っているのか……。戦う気力は残されているのか。それすらこちらからではわからない。

 

 「畢竟するに――――」

 

 全員が沈黙する中。全員よりも少し背の高い椅子に腰かけた少女が口を開く。

 それは神に愛された白糸台の大将と同じ、『金』の少女。

 

 「異形の力が跋扈する麻雀という競技は……今、転換の時を迎えているのかもしれない」

 

 「……どういうことですの?衣」

 

 天江衣は無邪気に笑う。以前のような狂気に支配された『嗤い』ではなく、屈託のない笑み。

 それはある意味彼女の低い身長に合った年相応の笑み。

 

 「神によって選定されるのではない。人が人であることを理解しながら、それでもなお高みを目指そうと歩を進めることでこの競技は永遠に昇華され続ける」

 

 瞳をキラキラと輝かせて。

 椅子の上で足をぶらぶらとバタつかせながら話す衣の姿を、いつのまにやら全員が微笑みながら見つめていた。

 

 もう、一人ぼっちだった衣はいない。それがいつからか……それは今年の団体戦だったかもしれないし、もしかしたらもっと前にどこかの高校と練習試合をした時だったかもしれない。

 けれど、そんなことはどうでもいい。

 今こうして、笑顔のまま5人でこの高校雀士の頂点を決める戦いを見れていること。それだけが紛れもない事実なのだから。

 

 クスっと笑って衣は立ち上がる。

 天真爛漫、朗らかに。

 

 

 「なあ――――。麻雀というゲームは、本当に楽しいな!」

 

 

 全然答えになってませんわ、と透華が笑う。

 けれど、この衣の様子を見ただけで透華だけでなく、全員が衣の言わんといていることがなんとなくわかったから。

 

 龍門渕の面々も、この戦いを最後まで見届けようと、もう一度テレビに向き直るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女にとって、これまで麻雀というゲームは強きが弱きを挫くゲームでしかなかった。

 ルールを覚えた時から。役を覚えて、どういった手牌進行がいいのかと分かった時から。

 漠然と思った。もっと早く聴牌できたら楽なのに。最初から聴牌してれば楽なのに。欲しい牌が来てくれれば楽なのに。

 

 おおよそ、麻雀と言うゲームを理解した頃に誰しもが夢想するような事。なんでも自分の思い通りになってしまえという我儘。しかしそれがかなわないことだからこそ、プレイヤーは四苦八苦し、「確実」ではなく「最善」を目指すようになる。

 

 では、四苦八苦することがなかったら?

 思い通りの牌が来て、配牌で聴牌をすることができるようになった。同世代の子達はまるで相手にならず、年上であってもちょっと本気を出しただけで容易に蹴散らすことができてしまったら。

 努力など、するはずもないだろう。必要性が無いのだから。

 

 それほどまでに大星淡は、『愛されて』しまっていたのだ。

 

 

 南3局 親 淡

 

 

 『姫松の誇るスピードスター末原恭子が止まりません!南2局も制して一撃で前に出た晩成の背中を追います!巽選手の親を落とせたというのは、気分的にはだいぶ楽になりましたかね?』

 

 『いやあ~そんなこたあないだろうねい。この大将戦は、末原ちゃんからしてみれば、自分が和了らなければ高打点が出ちまうって確定してるようなもんだ。毎局、自分が和了るつもりでいなきゃいけない……。基本25%以下でしか和了れないはずのゲームで、その心労は測り知れねえんじゃねえの?知らんけど!』

 

 『巽選手は超火力型ですからね……それに大星選手も、清水谷選手も今大会大きな和了りを何度も記録しています!前半戦は南3局、さあ、配牌を見ていきましょうか……!』

 

 サイコロを回して、自分の山を右から5番目で区切って牌を取る。

 そんな動作の間も、淡はどこか落ち着きのない気持ちで牌を迎え入れていた。

 

 (結局和了れなかった……なのに……)

 

 前局、淡は人生で初めてダブルリーチチャンスを崩した。今まで極めて機械的に、最初の牌を横に曲げるだけで勝ててきた淡にとって、それは暗闇の中を手探りで進むの如く。

 しかしそれでも、和了りに結びつくことはなかった。

 ではやはり、ダブルリーチをかけた方が良かったのか?それを判断する材料も、経験も淡にはない。ただなんとなく。感覚でしかないものではあるけれど。ダブルリーチをかけていたとしても、淡は和了れていたとはとても思えなかった。

 

 淡 配牌 ドラ{4}

 {⑧⑧⑧224678一二三四六}

 

 またもや配牌はダブルリーチチャンス。何度も見た光景。自分が本気を出せば、いつもこのように牌は巡ってきてくれる。

 {⑧}がきっと山に眠っていて、おそらくそれをカンすれば裏が乗る。単純明快で、強力無比。

 

 じっと、この牌姿を淡が見つめる。

 

 

 『大星選手またダブルリーチチャンス!とんでもないですねこれは……!』

 

 『……けど、この牌姿、あのコにはどう見えてるかな……』

 

 {4}を横に曲げてしまえば楽だ。後は山から持ってくる牌がカンできるか当たり牌かだけを確認すればいい。

 そこに思考は介在しない。今までだってそうやって勝ってきた。きっとこの半荘を経験するまでは、一も二もなく淡はダブルリーチを宣言していただろう。

 しかし、その手はただ小さく震えているのみ。

 

 

 『たくさん悩んでいいんだぜ。何秒、何分かかったっていい。お前さんが今この瞬間牌とにらみあっているその時間が――何より大事な財産になるはずだ』

 

 

 今彼女は悩んでいる。目の前の牌とにらみ合って、頭の中を様々な思考が行き交っている。その事実が咏にはどうしようもなく、嬉しかったから。

 しばらくして淡から切られた{一}を見て、その表情を更に綻ばせた。

 

 『聴牌を外します大星選手!ここまでダブルリーチダブルリーチと来ていましたが、この大事な親番で聴牌外し!これもなかなか度胸がいる選択だったのではないですか?』

 

 『そうだねい……少し考えればそう不思議な選択でもないんだ。手牌はダブルリーチをかければ愚形ダブルリーチのみだけど、{一}を切ってしまえば他の牌は全てタンヤオ牌。タンヤオって役がほぼ確約される。それだけでダブルリーチの2翻にはもう追い付く。んでもってドラにくっつけば更に打点アップ……外すのは自然な思考だぜい』

 

 『確かに、言われてみれば外したほうが得なことが多そうですね!』

 

 『……けど、それはあくまで表面的な部分でしかない。きっとこの聴牌外しは彼女がこれまでやってきたことに、真っ向から反することなんだ。だから悩む。考える。……っはは。最高に、面白くなってきたんじゃねーの?知らんけど!!』

 

 

 淡の選択は聴牌外しだった。

 

 (イライラする……なんで……なんでこんなこと……!)

 

 握った拳は震えたまま。しかし彼女は同時に気付いていた。この感情は、怒りではあるけれど。

 それ以上に、今自分が抱えているのは明確な悔しさだ。

 

 分かってしまったのだ。今までのままやっていても、目の前の打ち手に勝てないことを。

 何かを変えなければ、手をこまねいているだけでは勝てないことを。

 

 それはまさしく、自分よりも相手が上だと認める行為だから。

 

 恭子 手牌

 {①③⑦2469二七東南西白} ツモ{発}

 

 (きっつ……大星はおそらくまたダブルリーチチャンスやった。遅かれ早かれ、リーチは来ると思っとったほうがええ。けど……これだけ役牌が手牌に多いとなると……!)

 

 恭子が顔を上げる。正面に見据えるは、晩成の剣。 

 燃え上がる炎が、その瞳に宿っている。

 

 (役牌を、全て切り飛ばして先に聴牌は厳しい。これから大星から大量に中張牌が出てくると仮定しても、それより先に巽に大物手が入ってまう。それだけは、避けなあかん……!)

 

 巽由華に大物手が入る。それは同時にこのゲームの終局につながる可能性まであるのだ。

 それだけは、絶対に避けなければならない。

 

 恭子は{9}を切り出した。役牌を重ねられれば和了りを見つつ、白糸台の出方を伺う。

 今はそれぐらいしかできることがない。

 

 

 由華 手牌

 {①⑧1389一九南南白白発} ツモ{発}

 

 由華が持ってきた牌を手牌の上に重ねて、一つ息を吐いた。

 

 (相変わらず末原さんの速度には恐れ入る……。けど。そんな簡単な状況じゃないのは、こっちも、むこうも同じはずだ)

 

 恭子からすれば由華は脅威に映ったが、それは由華も同じこと。準決勝でのあの最後の局面を由華が忘れるはずもない。

 誰にも追い付かれることなく、目にもとまらぬ速さで和了りを取り切った恭子を由華はただ見ていることしかできなかった。

 

 (ああなる前に……終わらせる)

 

 ベストは後半戦オーラスまでに圧倒的点差をつけておくこと。

 なんなら、白糸台をトバしたってかまわない。

 

 (けど……)

 

 由華はすっ、と目を細めて隣に座る淡を見た。

 瞳に宿っていた狂気はだいぶ収まっているように見えるものの。今にもはらわたが煮えくり返りそうになるほどの激情をその内に秘めていることなど、想像に難くない。

 

 (こいつはこのまま終わるだけのタマか?)

 

 正直に言えば、この大星淡という選手が今後どうなろうが、由華は興味が無かった。

 あの時、由華の頭がぷっつりと切れてしまったのは、このインターハイという舞台そのものを汚していると思ったから。

 

 先鋒から副将まで、激戦に次ぐ激戦を目の当たりにしてなお、そんな舐めた態度をとったままだったのが、どうしても気に食わなかった。

 

 河に{①}を放って、なおも由華は淡の様子を見る。

 揺れる瞳は、まだその悔しさの矛先を定められていないように感じられた。

 

 

 6巡目 淡 手牌

 {⑧⑧⑧224678二三四六} ツモ{④}

 

 あれから5巡。経過しているのにも関わらず、淡は未だ聴牌を入れられずにいた。

 

 (くっそ……!こんなことなら……)

 

 ダブルリーチしてしまえばよかった?そう思いそうになったのを、淡は飲み込んだ。

 

 前局。淡が組みなおしたリーチをかっさらっていったのは、下家に座る恭子。

 そしてその捨て牌には、索子の良形ターツが並んでいて。

 

 (私が索子を集めているのを知っていて、索子じゃ勝てないってわかったってわけ?)

 

 厳密には、淡から索子が零れないのを悟り、鳴けるターツを残したのだがそこまでは淡の頭はついてこない。

 それでも『場に悪い索子を払った』という事実だけは淡でも理解することができた。

 

 持ってきた{④}を忌々しそうに握って、顔を上げる。

 

 ふと、目に留まる。

 先ほどと同じ感覚。

 前局、恭子の河を見て感じたこと。

 それと似た感覚が、今の淡の胸にどっ、と去来する。

 

 「……あ」

 

 思わず、声が出た。

 5巡。たった5巡だ。

 ここまでに要した巡目は。

 

 それでも、この5巡で切られた河……20枚の牌達が河に並んでいる。 

 当たり前の事実。しかしこの当たり前の事実が、何故か淡の胸を強く突き動かす。

 

 (晩成が集めているのは……索子、なのか)

 

 あまりに単純。由華の河には筒子萬子が並び、索子は1枚も出ていない。

 だから、手の内には索子があるのだろう。こんな簡単な理論。

 

 それでも、それだけでも、淡にとっては、新しい発見。

 今まで自分の手だけを見ていれば勝てた淡にとって。欲しいと願えばすぐ来ることが当たり前だった淡にとって。

 

 淡は、1枚の牌を河へと切り出した。

 

 

 『大星選手ドラを切っていきました!くっつきとしてはここは残しておきたい牌ですよね?』

 

 『そうだねい。ここはフリテンになる可能性もある萬子を切りたいところだけど……ま、あのコなりに考えたんだろ。河と、自分の手を見比べてさ』

 

 (そーだよ大星ちゃん。それが、麻雀を打つっつーことだ。正解か不正解かは、後で考えりゃいいさ)

 

 

 

 

 8巡目 淡 手牌

 {④⑧⑧⑧22678二三四六} ツモ{七}

 

 ドラを切り離してから2巡。ようやく淡の手に聴牌が入る。

 それも、多くの人が切り離していそうな萬子を引き入れての、聴牌。

 自分の感覚がまちがっていなかったことを確信し、思わず口角が上がる。

 

 (よし……これで!)

 

 

 時間はかかった。しかし結果的にタンヤオがついて、良形の、聴牌。

 場に安い萬子を待ちにして。

 

 「リーチ!」

 

 淡は力強く宣言する。今日何回目になるかもわからないリーチ。

 けれど、こうやって河を睨みつけて、自分の手で手牌を作っていく感覚は。

 

 何故だろう。

 不思議と、嫌いではなかった。

 

 

 

 

 

 

 「ツモ」

 

 

 

 

 淡が行った、自分で手牌を作るという行為。

 河を見て、何が山に多くありそうで、なにが少ないかを考えることは。

 

 ここにいる全員が……いや、今日ここで対局に臨んだ全員がやっている。

 

 そしてその中でも、今ここに座るのは紛れもないトッププレーヤー達で。

 

 

 由華を警戒して役牌が切り出し辛い恭子と。

 役牌が重ならず手が進まない由華。

 

 そこに割って入れるのは。

 静かに、しかし強い意志を持って耐え続けた一人の打ち手。

 

 

 竜華 手牌

 {⑤⑤⑥⑥4477五五七七八} ツモ{八}

 

 

 

 「3000、6000」

 

 

 

 冷たく言い放った竜華の瞳に、()は無い。

 

 

 淡が考えに考え抜いた待ちはしかし。

 幾年も辛酸をなめ続けた打ち手の執念によって握りつぶされた。

 

 

 

 

 

 


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