決勝大将戦 前半戦終了時 点数状況
1位 晩成 巽由華 134200
2位 姫松 末原恭子 131400
3位 千里山 清水谷竜華 114600
4位 白糸台 大星淡 19800
インターハイ団体戦決勝も、残す半荘は1回のみ。
一日を通してしのぎを削り合った4校の決着が、もうすぐそこまで迫っている。
会場も今終えたばかりの前半戦の感想を口々に言い合い、後半戦の開始を今か今かと待ちわびている。
しかしそんな彼らの声に違いこそあれど、ただ一つ、似たような意見があった。
「まだわかんねえけど流石に白糸台はもう無理だよな……」
「白糸台王座陥落か……前評判は白糸台の一強だったのにな」
「チャンピオンはまあ個人戦で優勝すればそれでいいんじゃね?」
王者白糸台が沈む。
もう残り1半荘しかない状況まで来て、トップとの点差はおよそ12万点。
おおよそ1度の半荘では取り返すことが難しい位置まで来てしまっている。
そしてなによりも大事なのはそこではない。この世界の麻雀において残り1半荘で12万点は確かに難しいが『不可能』ではない。
では何がそこまで観客を無理だと思わせるのか。
「白糸台の大将焼き鳥だぜ?」
「え、マジかよあんなダブリー打ってたのにな」
「相手が悪すぎるんでしょ。ダブリー打っても止まってくれるような相手じゃないしな」
前半戦の成績。淡はついに一度の和了も手にすることができなかった。
それゆえの、観客の反応。当然と言えば当然。準決勝で暴れまわったら淡のことをチャンピオンの再来やら超新星などと煽ったメディアが良くないといえば良くないのだが、期待が大きかっただけに落胆も大きくなる。
外側の空気はどこまでも勝手で、無慈悲なのだ。
対局室は奇妙なほどの静けさに包まれている。
先ほどまでは熱気でサウナのような状態になっていたというのに、人が3人いなくなっただけで急激に低下する温度。
きっとそこには、科学的な『熱』では説明がつかない熱さがあった。
1人。その対局室の中心に鎮座する自動卓の席に着いている少女がいる。
後ろから見てもわかる輝く金髪の背中は、今はどこか覇気がない。
いつも元気で、明るくて、後ろを常にくっついてきた少女の背中にはとても見えない。
その姿を見て、ゆっくりと近づいていく。
階段を上って―――やがてすぐ後ろまでたどり着く。
(なんて声をかけたら、いいんだろう)
宮永照は口下手だった。
幼少の頃から今に至るまで、親しい人との会話が上手くできなかった。
それは例えば、そう。
(妹とすら話せないんだから、当たり前か)
実の妹とすら、本音で語り合えない。
伝えたいことがあったところで、それを正確に伝える手段がわからない。
照は臆病だった。
感情の籠った会話ができない自分を嫌だとは思わない。けれど、麻雀が強くなかったらこんな風にもてはやされる人間ではないと思っているから。
敗れた自分がこの少女にかけるべき言葉がわからない。
「ねえ、テルー」
肩に置こうとした手を、止めた。
先に声を発したのは、席に座る少女、淡の方。
「いつから気付いてたの」とか、「大丈夫?」とか。
かける言葉が照の頭にいくつかよぎって……全て消えた。
一瞬の、間。
「……テルーはさ、こうなると思ってた?」
「……」
そんなことはない。本音を言えば、淡の力が他3人を凌駕する可能性も十分あると思っていた。控室を出ていく時の淡にはそれだけの迫力があった。けれど、その一方で、こうなる可能性も、あると思っていた。
どんな言葉をかけても慰めにすらならない。
照はそう思った。
「でもね、テルー」
初めて淡がこちらを向く。
その表情を見ることができる。
いつも輝いていた淡の瞳には……
「私は、諦めないよ」
意志が籠っていた。
照が、息を呑む。
「私までこのまま負けたら、テルーの負けを、認めることになるでしょ?それは、許せない、から」
「……!」
照は感情に疎い。けれど、途切れ途切れになるその意味をわからないほどではなくて。
気付けば、淡の身体を抱き締めていた。
「……テルー?」
「ごめん。……ごめん、淡」
そうすることが正しいとか、どんな声掛けをすればいいとか。
今はどうでもいい。
これだけの重荷を背負わせてしまっていたのは、自分の方だった。
それがどうしようもなく情けなくて、辛くて。
やれることはもっとあったはずだった。
淡が入ってきてからの4ヶ月弱、もっと伝えられることはあったはずだった。
もっといえば、今もなお伝えなくてはいけないことがある、と頭ではわかる。
けれど。
今照は初めて感情を優先した。
「なにテルー、変なの」
「……」
ゆっくりと、その手を離した。
感情の整理はつかない。けれど、今この瞬間淡に伝えられること。
宮永照だから、伝えられること。
「淡、相手は、強いよ」
「……そーだね。それは認めるしかない、かな。けど、べつに
「待って」
相も変わらず表情は固いはずなのに。どうしてか淡には照が優しく語りかけてくれているように感じて。
そんないつもとは違う照の言葉に、淡は一度口を閉ざした。
「私も、そう思ってた。先鋒戦、倉橋さんに負けそうになった時。けど、違うんだと思う。大事なのは、ただ使うだけじゃダメだってこと」
「……?」
何を言っているのか、淡は一瞬理解できなかった。
けれどその照の言葉を飲み込んで、かみ砕いて……。照との付き合いが長いわけではないけれども、それでも淡は照の言葉の意味を理解することができた。
結局のところ、淡も照も、似た者同士だから。
「考えることが、大事なんじゃないかな。どう使うかを。淡のそれは、間違いなく強い武器だから」
「考える……」
「きっと淡は無意識にやってた。今まではやってなかったことを」
言われて、気付く。
ダブルリーチを防がれ、他校に蹂躙されながら藻掻いていた自分。
初めて自分以外の手牌と、河を意識した自分。
最後の局面で、姫松に和了られたくないと思った自分の心。
自らの手の平を少し眺めて、軽く握る。
まるで自分の力をかみしめるように行われたそれを、照も静かに見守っていて。
「わっかんない。わっかんないことばっかりだけど」
未知のことばかりだ。
今までは考えたこともないダブルリーチせずをやってみて。今まさに照に上手く使え、と言われたことも完璧に理解できている自信は無い。
それでもなお、淡の胸に確かにあるものもある。
「負けたく、ない」
「……うん」
当然の感情。
しかし、淡が今までただ勝つだけだったこのゲームに、「負けたくない」という感情が生まれていること。
それは間違いなく変化で。
おもむろに照は淡の手をとって、その手を両手で包み込んだ。
「最後まで、見届ける。応援、してるね」
「……はははっ!テルーがそんなこと言うの初めてじゃない?やっぱり、変だよ!」
徐々に、光が戻ってきた。
あれだけの厳しい戦いの後、それでもなおこの笑みができる淡のことを、照は強いと思った。
少なくとも自分は去年の個人戦決勝の後、数日は立ち直れなかったから。
終わっていない。外野が何を言おうとかまわない。
根底がどこか似た者同士の
白糸台の3連覇の夢は、終わってない。
彼女達の意志が、消えない限り。
千里山女子控室。
「竜華が戻ったで~」
「怜がそれ言ってどーするん?」
対局室近くまで迎えに来てくれていた怜と共に、前半戦の激戦を終えた竜華が控室に戻ってきた。その姿は、まだ元気なように見える。
「竜華最後ええ感じやったな!十分トップ狙える位置やで!」
「いや~……晩成のおっかない子が白糸台の子トバしかねん思ってヒヤヒヤしたわ……」
「ホンマにおっかないな、晩成の大将」
疲れを少しでも癒すべくソファにへたり、と座り込んだ竜華。
その隣に怜も腰掛ける。
「オーラス、よう和了りきったな!姫松も張ってたで」
「まあ末原ちゃんならそーやろな……今日の末原ちゃん気合入りまくりで怖いくらいやわ」
「そら向こうも絶対負けられへんって思ってきてるやろからな」
千里山女子のメンバーももちろん恭子の驚異的なラス親での粘りは知っている。
あのオーラスを制されていたら、あの親がどこまで続いたかはわからない。
「清水谷先輩、ちょっと気になることが」
「ん?なになに?」
冷たい麦茶を机の上置いた浩子が、自らのタブレットを開いて竜華に差し出す。
「薄々気付いてたかもしれませんが、白糸台の大星が、何回かダブルリーチを崩してます」
「あ~やっぱりあれ張って無かったわけやないんやね。聴牌壊したんや」
「サンプルが少ないんでなんとも言えませんが……おそらくダブリーを外すのは初めてやと思います。そのうえで……この局なんですけど」
対局中の映像。
そこには淡が聴牌を組みなおそうとしている姿があった。
「ここ。カン材を、持ってこれているんです。ダブルリーチするとその後カン材を持ってきてカン、それが裏に乗るっちゅうんが大星の打点スタイルなはずなんですけど、リーチをかけていなくてもカン材が持ってこれている……これは頭に入れておいた方がいいかもしれませんね」
「ん~、つまり仮にダブリーをせんかった後半のリーチでも、カンさえ入れば裏が4枚のっている可能性が高いっちゅうこと?」
「そうなりますね。おそらく後半戦、大星は打点を作る手組を余儀なくされるはずです。その中でカン裏4枚は脅威になるかと」
「でもフナQ、大星全然和了れてへんやん。前半戦末原にいいようにやられて焼き鳥やろ?」
竜華と浩子の会話に割って入ったセーラ。
セーラの言い分ももちろんわかる。淡は前半戦焼き鳥……和了り無しで、警戒するのはむしろ他2校ではないか、ということ。
「それはそうですが、前半戦は席順も大星にとって苦しかったですからね。備えるのに越したことはないかと」
「まあ確かに末原に下家座られんのは嫌やなあ」
心底嫌そうな顔をするセーラ。
その隣で、怜も竜華の顔を覗き込みながら、
「それにな竜華、白糸台の子、全然諦めてる風やなかったで。点差はあるけど……無視はできひんよ」
「……せやね」
ここまで上がってきたんだ。油断などあり得ない。
淡は能力の性質上ツモ和了りが少ない。となればある程度打点はロンでも稼ぎたいと思ってくるはず。
その相手はきっと、誰であってもかまわない。その矛先が、こちらに向かないとも限らない。
姫松晩成も死ぬ気でトップを取りに来る。
最速を誇る打ち手と最高打点を誇る打ち手が、死に物狂いで迫ってくる。
前半戦の映像を見ながら……竜華の心臓が、小さく鳴り出した。
と、その時、タブレットの下に、慣れ親しんだ感触。
「失礼するで~」
「ちょっと怜スカートはめくらんといて?!」
「やっぱ生やないと……」
「言い方!!」
するりとタブレットと太ももの間に潜りこんできた怜が、若干竜華の制服のスカートをめくって膝枕しに来る。
「竜華にパワーチャージせんとね」
「もう……」
「……せやけど、もう竜華には必要ないのかもしれへんね」
その言葉に、ピクリと竜華の動きが止まる。
前半戦、竜華は自分の力で和了りを勝ち取った。
怜が先鋒戦で笑顔で帰ってきたから。先の見えない麻雀も楽しいと教えてくれたから。
竜華も一歩踏み出すことができた。
だからこそ。
「それはちゃうで、怜」
優しい声音で、竜華は怜の瑞々しい黒髪を撫でる。
「怜を近くに感じれるから、頑張れるんや。だから今こうしてれば、後でまた怜を近くに感じることができる。それだけで……ウチは頑張れるんよ」
「ふふふ……竜華は大人やなあ……」
「だから、たくさんチャージしといてや?どれだけ大将戦が長引いても、切れないように」
「……せやな。たっくさん、入れとかなあかんなあ……」
去年誓った全国優勝は、手に届くところまで来ている。
あの時散々泣いた。
だから今日は最後に―――笑う番。
怜の髪を撫でながら、竜華は静かに集中力を高めていた。