インターハイ決勝大将戦。
派手な打点の飛び交ういつもの大将戦になるのかと思っていた高校麻雀ファンの期待は、大きく裏切られた。
「おいおいどうなっちまうんだよこれ」
「ここからすぐ終わっちゃうかもしれないわね……」
南北海道代表で団体戦に出場していた有珠山高校の面々も、この決勝戦の最後を見届けようと、全員でテレビの前に集まっていた。
あまりにも予想外の展開に岩舘揺杏は思わず後頭部に手をやり、桧森誓子も心底意外そうに顎に手を当てる。
「末原さんの真骨頂はコレだよね」
「……?」
そんな中、楽しそうに目を輝かせている爽に、成香は疑問符を浮かべる。
いったい何が真骨頂なのか。
一人真剣に大将戦の様子を見ていた由暉子が、爽の呟きに反応した。
「とにかく速い。そういうことですか?」
「イグザクトリー!この速度。体験してみるとほんっとーに早くてねえ……」
「そんなどっかの飲食店チェーンの売り文句みたいに……」
確かに誓子の言う通り、爽の表情からしても今まさに注文を終えた客のようにしか見えないが。
そんなことは気にした様子もなく、爽は言葉を続けた。
「麻雀ってさ、どんなすごい手を聴牌したって和了れなきゃ意味ないんだ。役満だろうが、ダブル役満だろうが、聴牌に意味なんてない。絵にかいた牛丼さ」
「餅です。飲食店チェーンに引っ張られないでください」
「そうそう餅ね、餅……。まあ何が言いたいかって」
爽はいつものおちゃらけた調子で言う。
心底楽しそうに。
大きな手になる可能性のある手牌達を蹂躙する恭子の姿がたまらないと言うように。
「速度は“絶対”なんだ」
決勝大将後半戦 南一局 点数状況
1位 姫松 末原恭子 134500
2位 晩成 巽由華 124600
3位 千里山 清水谷竜華 111500
4位 白糸台 大星淡 29400
親番。
それは、和了り続ける限り半永久的に続くものであり、ある意味この親番を手放さずに和了り続けることさえできれば負ける可能性は0に等しくなる、まさしく無限の可能性を秘めたもの。
しかし一度他に和了りを許してしまえば、自分の親番はもう一周回ってくる以外に回ってくることはない。
親番は全員平等に、東場で1回、南場で1回。
決勝大将戦は、南場に入る。
ここから先は全員が最後の親番。
親番が終わってしまった者から、大逆転の可能性は著しく低下する。
つまり。
トップと10万点以上離された大星淡にとって。
絶対に手放せない親番がやってきた。
南一局 親 淡 ドラ{六}
『インターハイ団体戦決勝大将後半戦は、南場に入ります……!この一周、この一周が終われば、全国を制する高校が決まる……!運命の瞬間は刻一刻と近づいています……!』
『ああ、間違いないねい。それにさ……今さっきの局でわかっただろ』
『はい。あの和了り、間違いなく……』
恭子 配牌
{①③⑤356二四八九九中中}
『末原選手は、自力で引導を渡すつもりです……!』
『自分の東場の親番で悪い配牌がきたとたんあっさりと諦めた。それも全て、全員にまだ親番が残っているから。自分が連荘して局数を稼ぐのはもちろん自分の点数を稼げる確率は上がるが同時に……このバケモノだらけの3人に勝負手が入る可能性を増やすことにもなる。……ところがこの南場の親番を全員引きずり降ろせば、もう逆転の芽は潰える。最後まで徹底的に、冷酷に。これが、末原ちゃんの優勝への覚悟。……ま、知らんけど』
『信じる皆が控室で祈っています。真紅の優勝旗を持ち帰るのは姫松高校末原選手になるのでしょうか……!』
『おいおいそれでも忘れてもらっちゃ困るぜ。まだ親番が全員残ってんだ。状況は最悪。点差は大きい。けどな……』
淡 配牌
{①③③⑥⑦34679四五六八}
『諦めてなんかいねえ。さあ、根性見せろよ大物ルーキー』
淡が、もらった配牌を理牌する。
淡の心中は、自分でも経験したことのない感情でぐちゃぐちゃだった。
こんなはずじゃなかった。それはそうだろう。
前半戦から全員をねじ伏せて、絶望に叩き落して、今頃自分は心の中で高笑いをしているはずだった。
けれど実際は……叩き落されたのは、自分の方だった。
今まで見下していた打ち手達にやられ、最強だと思っていた自分も、照も、敗れた。
腸が煮えくり返りそうになるほどの激情に駆られるはずの自分の状況のはずだがしかし。
今淡の内に燃え上がる感情は、怒り、憤りといった類のものではない。
(最悪。ほんっと最悪。なんかダブルリーチも打てなくなっちゃったし。この親番逃したら一位は絶望的だし)
三連覇なんて当たり前だと思っていた。
他の高校の対戦相手はどれも大したことなくて。麻雀なんて簡単なゲームだと思っていて。
しかしその考えはものの見事に粉砕された。
他でもない、目の前に座る3人の打ち手によって。
(ケド……この配牌がダブルリーチじゃなくてよかったって思ってる私も、変だ)
淡の能力の特性は、文字通り規格外だ。
全員の配牌が重くなり、自分は確定でダブルリーチを打てる。
ある一定のところまでツモが進めば、跳満の手に仕上がる。
通常なら、どうやったって負けないようなその能力。
けれど、このメンツを相手に通用しないことをはっきりと思い知らされた。
だから、結局和了りまで時間がかかるダブルリーチではなく、自分で手を組める好配牌がきたことに安堵している淡がいて。
(なんだろう……ほんとーにさいあくのはずなのに……ふわふわしてる)
一度親の跳満を和了ったあの時からだろうか。
緊張しているわけでも、委縮しているわけでもないのに、どこか落ち着かない。
身体が酸素を求めるように。新しい感覚に、あの和了りの瞬間の感覚を求めている自分がいる。
大きく、息を吐く。
(……絶対、諦めない)
それは照のため、自分のため。
そして……白糸台の皆のため。
2巡目。
「チー」
「……ッ!」
竜華の切った{②}に声がかかる。
恭子が手牌から{①③}を晒してチー。
『末原選手ここから仕掛けましたよ……?!今日のお話を聞いている限りだとそこまで鳴かなくてもよさそうなところなんですがこの鳴きはいかがでしょう三尋木プロ』
『ああ、確かにそこまで無茶して鳴くとこでもない気がするねい。けど、わかってんだ末原ちゃんは』
『と、言いますと?』
淡 手牌
{①③③⑥⑦3467四五六八}ツモ{中}
『今のお前さん達に、役牌止めてる余裕なんかねーよなって』
淡が奥歯を強く噛んで、それでも致し方ないとばかりに{中}を強打する。
「ポン」
(……!別にいーよ……私のツモ番が増えるだけ!!)
幸いなことに恭子の上家に座っているわけではない。
どうせ役牌を絞る余裕なんてないのだから、自分の手を最優先に考える。
淡が選んだのは、対面に座る高校麻雀界一のスピードスターとの、真っ向勝負。
4巡目 淡 手牌
{③③⑥⑦3467四五六七八} ツモ{3}
淡の、手が止まる。
『こ、れは……難しい牌を引きましたね大星選手。しかし対面の末原選手はもう2副露、間違えられない選択……!』
『……難しいな。牌理的な正解はあるが、自分の点数も考えるとここは……』
淡の額に汗が流れる。
間違えられない。確かにそう。
対面から伸ばされた剣の切っ先が、自分の首筋にあてがわれているのはわかっている。
1つでも判断を誤れば、もうきっとこの剣は自分の胸を貫くであろうことは、感覚的に理解できる。
だから、この究極の状態だから。
伸ばされた剣先を、
(楽しい!!!!!)
淡の感情が、その瞬間裏返った。
天高く持ち上げた{4}を、河に叩きつける。
『切り出したのは{4}……!これは、どうなんでしょうか……!』
『いや、悪くねえんじゃねえか?速度を最優先するなら打{7}がベストだろうが……それは678三色を消す打牌になっちまう。和了ることもそうだけど、なにより点数が欲しい選択としちゃあ……悪くねえはずだ。知らんけど』
『打点は逃さない……!このルーキーの選択、いったいどのような結果を生むんでしょうか……!』
最高打点を目指して。
淡の目指す最高打点は、メンタンピンツモ三色ドラドラの倍満以上。
それが絵空事ではなくできるという確信が淡にはあった。
5巡目 淡 手牌
{③③⑥⑦3367四五六七八} ツモ{六}
それをできるだけの運と力が、彼女にはあるから。
(もっと楽しませてよ、スピードスター!!!)
淡が前半戦に発していた黒いオーラは生まれない。
そこにあるのは、ただひたすらに他家と手をぶつけあい楽しむ……一人の少女の姿。
白糸台高校控室。
「大星!行け!!」
「淡ちゃん……!」
気付けば誠子が立ち上がり、尭深の手は固く強く湯のみを握りしめている。
点差は絶望的。
けれど、自分たちが招いた状況なのは火を見るよりも明らか。
照に甘えて、全員が区間で役割を果たせなかった。
それでもどこか、この1年生ならやってくれるんじゃないかと期待していた。
勝手に期待して……彼女を壊しかけた。
(本当に度し難い人間だな私は)
菫は自嘲気味に苦笑する。
勝手に期待して、彼女に寄りそうことができなかった。
彼女は数年に一度のバケモノだから、と勝手に決めつけた。
自分たちとは違う、と勝手に思い込んだ。
ふとソファに座る照の方を見た菫が思い出すのは、いつも照を慕って、隣に無邪気に笑う姿。
(あいつだって1年なんだ。勝手な勘違いをしていたのは……私達の方だった)
もっとやれることがあったのではないか。
教えられることがあったのではないか。
後悔は、絶えない。
「淡……」
ソファに座った照が、小さく呟いた。
モニターに映る彼女は、笑っている。
心底楽しそうに。ギリギリの戦いを無理やり楽しむように。
そんな姿を見て、照は静かに願う。
「最後まで、楽しんで」
その言葉は、会場の喧騒に飲まれて消えた。
6巡目 淡 手牌
{③⑥⑦3367四五六六七八} ツモ{2}
関係ない。いらない。たたっ切る。
7巡目 淡 手牌
{③⑥⑦3367四五六六七八} ツモ{⑧}
そう、これが、これが欲しかった。
「リーチ!!!」
『追い付いたっ!!追い付きました大星淡選手!!満貫は確定、積もれば安目跳満、高目倍満の超ド級聴牌!!』
『きっちり仕上げたか……さあ、どうなるよ……!』
淡の目が輝いている。
あの日照と満天の星空を見上げたあの時のように。
麻雀を初めて覚えた、あの頃のように。
『淡、はいこれ』
『なにこれ?』
『麻雀の、勉強本』
『え~いらな~い』
『でも、私も、読んだよ』
『え~……でも私べんきょー苦手なんだよね~……』
―――あの時、あの本を読んでたら変わってたのかな。
―――照のいう事をちょっと聞いて、真面目に勉強してたら変わったのかな。
「ツモ」
姫松の誇る最速の打ち手に、『一巡』は重すぎた。
恭子 手牌
{567四五九九} {中横中中} {横②①③} ツモ{三}
「300、500」
剣先は、確かに淡の身体を貫いた。
淡は今まさに振り下ろそうとしていた腕を、ゆっくりとおろして。
笑いながら、泣いていた。