まさかこんな所まで行けると思わなかったので、本当に嬉しいです…!
いつも読んでくださる読者の方、ありがとうございます。
これからも応援よろしくお願いします!
嫌な汗が、額を伝う。
別段、派手な和了りはされていない。
だが、何故だろう。片岡優希は、今目の前にいるごく普通の女子高生に、勝てる気がしなかった。
(何を……なにをされたんだ……!)
先ほどまでは確かに吹き荒れていた東の風を、今は感じられない。
自身の右手側にある起家マークを見やる。たしかに、「東」が表をむいていた。
まだ、東場なのだから当然なことのはず。
しかし優希の疑念は晴れない。
疑心暗鬼になりながらも、優希は配牌を開いた。
東3局 親 多恵
優希 配牌 ドラ{三}
{①②③④356二三四六八東北}
(あれ……悪くないじょ)
優希の配牌は、ドラも面子に組み込まれており、タンピン系が狙えそうな悪くない配牌。
先ほどの嫌な雰囲気で、てっきり自身の手が悪くなるものだと思っていただけに、優希は手牌に意外さを感じている。
気持ち悪さを感じながらも、手から{北}を切り出した。
2巡目 多恵 手牌
{②④⑤⑦889一三四七九東} ツモ{東}
多恵の切る動作は早い。すぐに多恵は手から{一}を選んで切り出す。
2巡目 優希 手牌
{①②③④356二三四六八東} ツモ{八}
(ツモも良いじぇ……!まだ東場は私を後押ししてくれている……!)
対子もできた。徐々にタンヤオの目は出てきている。
そういった明るさを持って、切り出した{東}。
その牌は。
「ポン」
現状一番鳴かれたくない相手……多恵から鳴かれることとなった。
(ダブ東……!)
優希は知る由もないことだが、もし仮に1巡目に{東}を切っていれば多恵にこの牌を鳴かれることはなかった。
優希の手牌はタンピン系。役牌を重ねるメリットは少ない。デジタルに徹するなら、ここは初打{東}が正着打になる。
たかが一巡の差じゃないか、と思うだろうか。
しかし「麻雀」という競技は、その一巡の後先の繰り返しであり。
一巡の後先が全ての結果を左右する競技である。
8巡目 多恵 手牌
{②②④⑤⑦⑧88三四} {東横東東} ツモ{赤五}
『倉橋選手、{赤五}を引いて打点アップですね。ターツ選択になりますが、どの牌を切っていくでしょう?』
『……視聴者の皆はわかるかねい?……このコは絶対に{⑤}を切るよ』
『絶対……ですか』
咏の予言は見事的中する。
多恵は少しの考慮も挟まずに、すぐさま{⑤}を切った。
それを見届けて、おお、と呟く針生アナ。
『{⑤}切りの理由は、筒子の部分がいわゆる{③⑥⑨}の「二度受け」になっているからですかね?』
二度受け。多恵のこの手牌のように、{⑥}が2回必要となるような形を、二度受け、と呼ぶ。
基本的に手役が絡まない限りは、ターツ選択になったらこの形をほぐした方が良いとされているので、針生アナはこの質問を咏に投げかけた。
『んまあ~半分正解かな。{②②④⑤⑦⑧} この形から、{②}を切ったらシャンポンの部分でロスが出る。{⑧}を払えば{⑨}がロスになるし、{④}を切れば{③}がロスになる。唯一{⑤}切りだけが、どの牌も聴牌を逃さない、いわゆる最高受け入れ枚数になる』
『確かに……{⑤}切りは一見{③}のロスに見えますが、{②②④}の形で{③}のフォローもできているんですね』
『まあーこれは牌理の初歩中の初歩だわな。けど、こういった小さい努力の積み重ねってのが、麻雀ってもんなんじゃねえの?知らんけど!』
咏が目を細めて多恵を見る。
(インターハイで、そこまで繊細な麻雀を打つコ……久しぶりに見たけどねい)
9巡目 優希 手牌
{①②③④⑤56二三四六八八} ツモ{②}
(一向聴が長いじぇ……!)
形は悪くない。もうすぐにでもリーチがかけられると思って、早4巡が過ぎていた。
優希はじれったそうに{②}をツモ切る。
優希は久しく忘れていたのかもしれない。この、聴牌まであと少しが遠いという感覚を。
今までは東場なら最速で手が来てくれていたのだから。
そうしている間に、だいぶ濃い河になっていた多恵に手牌を倒される。
「ツモ」
多恵 手牌
{②②⑦⑧888三四赤五} {東横東東} ツモ{⑥}
「……4000オール」
点数を告げる、小さな声。
目は相変わらず黒に染まっている。
何の変哲もない和了。
少なくとも見ている側はそう見える。
『倉橋選手!親満ツモで点差を縮めました!!』
『ま、派手な手役なんていらないんよねい。ダブ東、それにドラ2つ。これで12000。十分だねい』
1つ1つの打牌を、素早いながらも丁寧に捌く多恵に、会場からは賞賛にも似た歓声が巻き起こる。
東3局 1本場 親 多恵 ドラ{南}
12巡目 白望 手牌
{③④⑧⑨3457一二三五五} ツモ{8}
一向聴の形が良くなる白望。
白望は多恵が今卓全体にしていることを、半ば理解し始めていた。
(多分だけど……全員の力を抑え込んだ……自分も含めて。……なら、まっすぐ打って勝てばいいか……)
白望は地力が無いわけではない。
散々仲間と三麻はやったし、麻雀についての理解も深い。
({⑦}が河に2枚切れてて……ペン{⑦}の部分が弱い……か)
白望は冷静に他者の河を分析する。今索子で両面ターツができたことで、苦しかった愚形ターツを外すことができるようになった。
多恵の河は初打に{⑨}。5巡目には{④}を切っている。
安全度も比較して、白望は{⑧}に手をかけた。
手牌的には正しい選択が、必ずしも正解とは限らない。
麻雀に理解がある者ほど、巧者の罠にかかりやすい。
「ロン」
その牌は、無感情な声と共に咎められる。
多恵 手牌
{赤⑤⑤⑦⑦⑧2233三三七七} ロン{⑧}
「9600の一本場は、9900」
白望が目を見開く。
河に{⑦}が2枚。多恵の手に2枚。もう絶対に使えないことを見越して待ち頃の字牌を切ってまで{⑧}で待たれた。
『さ、三連続和了……!しかしこの七対子もノーミス……!鮮やかでしたね……!』
『手順も鮮やかだったねい。七対子にするか順子手にするか良く悩みがちな人には今のこのコの手順は参考にしてほしいねい。そして待ち選択も、1枚切れの字牌でリーチを打つより、他家が使えないであろう{⑧}で待った……結果タンヤオもついて9600。どうやら、本当に手が付けられなくなってきたんじゃないの?』
咏が笑みを隠すために口元に扇子をあてた。
ほんとうにこの先鋒戦は面白い。咏は心からそう思っていた。
清澄高校控室。
優希が最高のスタートを切れたと思ったのも束の間。
それ以降東場であるというのに、今は多恵に連荘を許すという、普通なら考えられない事態になってしまっている。
和が多恵の今の和了りを見て複雑な表情をしていた。
「お手本のような七対子の手組と、タンヤオ七対子を他家が使えない{⑧}でダマ……流石ですね……」
和の中で、多恵=クラリンは確定路線だ。
今の七対子への移行も、待ち取りも、何度も見た動画の通り。
基本に忠実。山読みも的確。七対子の残す牌がどれも山に沢山残っている牌を選んでいる。だからノーミス七対子なんていう芸当ができる。
見るたびに憧れた、クラリンの打牌だ。
だからこそ。
「ゆうき……」
悔しそうに歯噛みしながら戦う同級生を応援する。
しかしその奥底で。
和が胸に抱くペンギンのぬいぐるみに力を込める。
(私が戦いたい……!あの場所で……先生に、私の力がどれだけ通用するのか、試したい……!)
一介の麻雀打ちとして、師である多恵に最高の舞台で挑みたいと思う衝動が湧き出るのも、仕方のないことではあった。
白望がダルそうに点棒を払うのを見届けながら、やえが少しだけ顔を伏せる。
(そうよね。あんたはいつもそうだった。どれだけ力あるものに蹂躙されても、己の信じた研究は、決してやめなかった)
いつも隣で打っていた過去を思い出す。
そしてここ数年も同じ。
チャンピオンにボコボコにされ、プロにボコボコにされ、それでも、多恵は自分の信じた麻雀観を曲げることはなかった。
圧倒的強者と相対し、負けた時。
確率の壁を超えた、奇跡のような所業に打ち砕かれた時。
悔しがり、才能に言い訳をする自分に、それでもいつも決まって、「麻雀は、才能だけじゃないから」と澄まし顔で答える多恵の姿は、誰よりもかっこよく見えた。
そんな姿に憧れた。
その背中に追い付きたくて、来る日も来る日も麻雀に没頭した。
だからこそ、今がある。
(多恵。私、あんたに出会えて本当に良かったわ)
普段一緒にいる時なら絶対に言わない言葉。しかし、今対局をしていて、切に思う。
麻雀に真摯に向き合うことをやめなくてよかった、と。
やえが顔を上げる。視線の先には、いつもの優しそうな表情が鳴りを潜め、ただただ無感情に牌を眺める親友の姿。
(でも、あんたの魅力は、強さは、こんなもんじゃないわよね。……これは私があんたに示す感謝の気持ち。あんたに習った麻雀の全て。今日ぶつけてあげる。……だから、早く。……早く目を覚ましなさい……!)
万全の状態ではなくなった。それでもいい。
今はただ、この対局を楽しみたい。
昔と、同じように。
東3局 2本場 ドラ{6}
11巡目 多恵 手牌
{②③④⑥⑦⑧⑨4567三三} ツモ{8}
「リーチ」
多恵からリーチがかかる。
ダマで高目12000の手。が、安めでは2900になってしまう上に、3面張なこともあって、これはツモりに行った方が良いとの判断。
リーチ判断ももちろん早い。
またしてもの親リーチに、他家の手が止まる。
『倉橋選手、良形3面張になっての親リーチです!他家は行きづらいですね……!』
『あの途中の聴牌外しもうまかったねい……勢いに任せず、状況を冷静に見てる。口で言うのは簡単だけど、なかなかできることじゃないねえ』
静かに千点棒を置く多恵。
その姿はもう他校にとっては悪夢そのものだ。
しかし、この人物だけは前に出ることをやめない。
やえ 手牌
{①①④1366789七八九} ツモ{①}
聴牌。追いついた。
しかし最終形が弱い。
この一発目は安牌の{1}あたりを切って回る選択肢もある。
やえは一瞬だけ思考し、それでも手牌の{④}を手に取る。
このカン{2}は、多恵に習った場況の良さで残した愚形ターツ。
それならやるべきは一つ。
(いくわよ……多恵……!)
「リーチ……!」
牌を、横に曲げた。
無表情な多恵を見つめながら、やえは一緒に勉強会を2人でやっていた時のことを思い出す。
『愚形ドラドラは追っかけ曲げでいいでしょー』
『でもこれ待ち悪いわよ?』
『そう?まあでも麻雀ってほら……待ちが強い方が必ず勝つゲームじゃないしね!3面張リーチカンチャンに負けるあるあるだよ!』
在りし日の言葉。
この親友は今とは全く違う楽し気な表情で、やえにそう語って見せた。
(まったく……どの口がデジタル語ってるのよ……)
デジタル派の人間であれば、普通は待ちが多い方が勝つといいそうなものだが。
彼女にはそんな理不尽な負けを笑い飛ばせる強さがある。
この子はどれだけの修羅場を潜り抜けてきたんだろう、と思うほどに、同級生とは思えない落ち着きをたまに見せる。
そんなところもやえは尊敬していた。
多恵がツモ切る。他の2人はオリ気味。
めくりあいだ。
やえが山に、手を伸ばす。
(打つべきリーチは打つ。打つべき牌は打つ。負けても悔いはない。そうでしょ?多恵)
「光」は消えさった。
けれど。
「想い」は確かに、
牌は光り輝かない。
ツモ牌も、静かに手の横に開かれた。
「ツモ」
やえ 手牌
{①①①1366789七八九} ツモ{2}
「2200、4200……!」
真っすぐな打ち筋が、和了りを呼び込んだ。
場況の良いカン{2}を残したことが功を奏した形。
やえは1度だけ、深呼吸をして、多恵の方を向く。
「……悪いけど。あんたのおかげで私はね」
傲慢だった小学生時代。
伸びきっていた鼻は、しかし突然現れた同級生によって簡単にへし折られた。
そこからは日々挑戦した。
勝ちたい。その一心で。
だから。
「麻雀に関しては、もうニワカじゃないのよ」
やえは多恵の真っ暗な瞳に、少しだけ暖かな色が戻ったような気がした。