晩成高校控室。
次鋒戦を終えて帰ってきた紀子をねぎらい、今は中堅戦が始まる様子を眺めているやえ。
その隣には、今戦っている憧の幼馴染であり、やえの後輩である初瀬の姿があった。
対局前の紹介でベタ褒めされていた洋榎について、初瀬がやえに尋ねる。
「実際、愛宕洋榎ってどういう打ち手なんですかね?」
「そうね……」
守りの化身。
初瀬も噂には聞いたことがあるし、実際に他校研究の際に打ち方や牌譜も目を通している。
初瀬の印象は、派手さはないが、本当に放銃をしない打ち手といったところ。
たまに、当たり牌が見えているんじゃないかと思うことすらある。
そして、卓越したゲームメイクセンス。
配牌を確認した段階で、これが本手なのか、それともかわし手なのか。
そういった分析を瞬時に行い、状況に合わせた打牌をする。
言わずもがな、戦略の引き出しも多彩だ。
少し考えてから、やえが口を開く。
「初瀬は、『ブロック読み』って知ってるかしら?」
「一応、名前は知ってます。かなり高度な技術なので、私はなかなかできませんが……」
ブロック読み。
面前の相手にも使えるが主には鳴いた相手の手牌を考える時に使われる読み。
例えばだが、2鳴きしている状態から{2}を{123}の形で鳴いたとして、チーして出てきた牌が{1}だったとする。
そうすると元々の手牌は{113}という形で持っていたことがほぼ確定し、残り4枚の手牌の内に、染め手でなければ索子の下をまだ持っているということをほとんど考慮しなくてよくなる。
これはかなり簡単な例だが、このように鳴いた形から、相手の手牌がどのあたりの牌で構成されているかを読むのが、「ブロック読み」と呼ばれる手法だ。
初瀬が首をかしげるのを見て、やえが言葉を続ける。
「その『ブロック読み』を、高い次元で的確に、そして誰よりも早く行っているのが、洋榎っていう女よ」
「……だとすると、プロでもなかなかできないことをしてる……ということになりませんか?」
「当たり前じゃない。……派手さがないからって見逃されがちだけど、放銃をしないって普通はありえないことよ?……あいつは実力だけでいえばもうプロと同クラス……それこそ理不尽な和了りに見舞われなければ、日本トップクラスの実力を持っていると言っても過言じゃないわ」
悔しいけどね。と付け足して、やえが頬杖をついた。
「……けど、やえ先輩が先鋒で当たった倉橋多恵よりは、火力は低いですし、流石にあんなえげつない清一色の牌理理解みたいなのは無いですよね?」
「……確かに、牌の形に強いのは圧倒的に多恵ね。けど……」
気付けば晩成のメンバー全員がやえの話に耳を傾けている。
やえを含めた関西4人組が雑誌等の記事に載ることは多く、その中でもやはり脚光を浴びるのは多恵やセーラ、そしてやえ。
必然的に、一番注目されないのが洋榎だった。
だからこそ、晩成のメンバーの中には勝手に4人の中で洋榎1人格が下がるのではないかと勘違いしている者もいた。
その勘違いを、やえが正す。
「私含め
東1局 親 憧
憧 配牌 ドラ{東}
{②③⑦358二四七九東東発発}
(いきなり配牌のダブ東対子に……!{発}まで対子……!)
東発の親である憧に、好配牌が舞い降りた。
鳴けば問答無用の2翻であるダブ東が、ドラ。
仮に{発}が鳴けて、{東}まで鳴ければ、その時点で親跳確定。
(鳴けるところは全部鳴いてやる……!)
憧が意気込む。
次鋒戦を終えて、晩成の点数はほぼ原点。
2回戦でも成績の良かった憧は、もちろんこの準決勝でも点数を稼ぎに行くつもりだった。
であれば、この配牌は是非ともモノにしたい。
しっかりと理牌した後、はやる気持ちを抑えるために一つ息をつき、憧は{8}から切り出した。
少し順目が進んで、3巡目のできごとだった。
北家の胡桃が切った{1}に、洋榎から声がかかる。
「それポォ~ン」
(?!……{1}のポン?)
鳴かれた胡桃も、怪訝そうな目で洋榎の河を見つめる。
特に派手な捨て牌はしていない。字牌と一九牌からの切り出し。
染め手に向かっているようでもないし、狙いの読みづらい鳴きに、3者に緊張が走る。
6巡目 久 手牌
{①③⑤⑥2467三四五七西} ツモ{東}
(あら……こんなタイミングでドラの{東}……手は悪いし、最終的に{東}単騎にできるなら勝負……ってとこかしらね)
久の手元にドラの{東}がやってくる。
手は勝負形ではないし、久はこれをすぐに切ることはないだろう。
そうして切り出した{七}に、また洋榎から声がかかる。
「それもポォ~ンや」
(……{1}に続いて、{七}のポン……?)
ポン出しは{六}。洋榎の手から、脂っこいところが河に出た。
久と胡桃が洋榎の手の考察をする。
(役が見えない……対々和……に見えなくもないけど、そもそも対々和なら{六}を残しておく理由がないし、生牌の字牌も多すぎるし、最悪{東}の暗刻持ちなんて言われたら目も当てられないわね……)
(ブラフかもしれないけど……こっちは行く手じゃないし、ここは一旦様子見しとくよ……)
洋榎の鳴きの
であればこそ、久と胡桃が、最悪のケースであるドラ{東}暗刻であったり、役牌暗刻を想定するのは、至極当然のことだった。
しかし、そうすると被害を被るのが一人。
8巡目 憧 手牌
{②③357四赤五七九東東発発} ツモ{一}
(手が進まない……!{発}が鳴けないのはまだ仕方ないとして、他のターツまで鳴けないなんて……!)
鳴きを得意とする憧だったが、鳴ける牌が出なければ意味がない。
一刻も早く形にしたい手であるのに、下家に座る洋榎の河が濃い。
おそらくこれでは他家から{発}と{東}が出てくることに期待はできないであろうし、憧の目からはなんなら持ち持ち……つまり{東}を洋榎と2枚ずつ持ち合っているのではないかとすら思えてきてしまった。
(姫松が張ったとして、更に{東}バックと仮定するなら{東}と何かのシャンポン。当然片方のシャンポンでは和了れないはずだし……私が攻めなきゃ誰も攻めない……なのに!)
憧以外の2人には、当然{東}の居場所など知る由もない。
憧の額に、汗が流れる。
そんな中でも、姫松のエースはいつもの調子を崩さない。
「っかあ~!また{六}かい!」
やかましく{六}をツモ切りする洋榎の姿に、誰もが警戒の色を濃くする。
9巡目 胡桃 手牌
{①②③赤⑤⑦⑨278一一二中} ツモ{発}
(また生牌!……どっちにしろ姫松に{中}と{発}の両方は切っていけないし……)
他家に、ずるずると憧が欲しい牌が吸収されていく。
胡桃も洋榎の聴牌気配を警戒してか、合わせ打ちが増えてきた。
憧が鳴けない牌が河に並ぶ。
(これ……サイアクなんですけど……っ?!)
宝の持ち腐れ。まさにその言葉通り、配牌時に見えた跳満を、憧は今遠くの彼方にしか見えなくなっていた。
そのまま17巡目。
憧の最後の手番がやってきた。
憧 手牌
{②③④357三四赤五東東発発} ツモ{⑥}
(聴牌すらできなかった……!道中、{発}を切っていくことも考えたけど、それで姫松に当たったら目も当てられないし……!)
手形を変えようにも、下家の洋榎に字牌が切りにくいので、字牌の形が変わらない。
とすると最終形はどうしても字牌シャンポンになるわけで。
愚形の部分が埋まらないのは、麻雀ではよくあることだった。
({⑥}は姫松に通っていないスジ……清澄と宮守はオリてるし、ここは姫松の現物で、一応他にも安全そうな{三}かな……)
大物手の可能性があった手牌を成就できなかった悔しさを噛み殺しながらも、憧はしっかりとオリを判断する。
が、ここで憧がその表情を更に驚愕に染めることになる。
「お、それチーや」
(はあ?!)
憧が切った{三}を、洋榎がチー。
ツモ切りを続けていたはずの洋榎の手牌は、4枚になった。
(聴牌じゃなかったってこと……?!それ以前に、なんで切った牌を鳴くの……?!)
憧が、信じられないという表情で洋榎の手を見つめる。
18巡目 洋榎 手牌 他家視点
{裏裏裏裏} {横三四五} {七七横七} {1横11}
久がその鳴きを見て山へと手を伸ばす。
胡桃も、心底嫌そうな表情で洋榎を睨みつけた。
(やられた……今回は完全にブラフだったわけね……)
(相変わらず気持ち悪い……!)
海底牌を、久が切る。
東1局は、流局だ。
「「「ノーテン」」」
憧、久、胡桃の3人が手牌を伏せる。
「テンパイ……やな?」
これこそが最高の瞬間だと言わんばかりの表情で、洋榎が手牌を開けた。
洋榎 手牌
{⑧⑧⑧東} {横三四五} {七七横七} {1横11}
「『引き』の鳴き……洋榎の奴……」
忌々しそうに、やえがポツリと呟く。
対局を悔しそうに見つめる初瀬が、その声を辛うじて聞き取った。
憧が、悔しそうに開かれた手牌を睨みつける。
最初から、洋榎に和了る気なんて無かったのだ。
自身の手牌進行を遅らせるための手をまざまざと見せつけられて、憧が悔しそうに歯噛みする。
「……晩成の。やえの一番弟子らしいやんか」
悔しそうにノーテン罰符を払う憧に、洋榎が人の悪い笑みを隠そうともせず話しかける。
「……技術と精神は教えてもらえても……やえも苦手な
「……!」
洋榎は、配牌の配られた時の憧の表情を見逃さなかった。
表情だけではない。理牌の速度もだ。
通常。麻雀と言うゲームは親が第一打を切らなければ始まらない。
こういった大会ではあまり見られないが、親というものはどうしても他家に迷惑が掛からないように、瞬時に見えた「いらない牌」を切ってしまう傾向にある。
洋榎は、そのクセを事前に全員分調べていた。
この選手は親の時第一打を理牌の前に切るかどうか。
その結果、憧は基本的に速めに第一打を切る派だった。
しかし今局、憧は丁寧に理牌をした後、一息ついてから第一打を河に放った。
何故か?
どこからでも鳴けるように、憧は鳴く所をきめていたからだ。
そういうクセが出る時は、配牌がかなり良い時。
平面的な麻雀をやっているだけでは確実に身につかない、感性。
憧の好配牌を、洋榎は見抜いていたのだ。
それを理解してしまったから、憧は、自分が見透かされているような嫌な予感が全身を駆け巡るのを感じていた。
この「守りの化身」には、いったいどこまで自分の牌姿が見えているのか。
手牌の構成を、全て知られているような、そんな背筋の凍るような気分。
守りの化身が、挑発的な笑みを浮かべながら、自分に牙を剥いている。
「……顔に出てたで?鳴きたい鳴きたい……ってな」
頭では、理解していたつもりだった。
しかし憧は今、身をもって体感したのだ。
目の前に座る人物が、自身の敬愛する最強の先輩すらも抑え込める打ち手であることを。
準決勝第二試合中堅戦は、まずは洋榎からの挨拶代わり。