巽由華は幼い頃から麻雀が好きだったわけではない。
母親がプロ雀士だったこともあり、家族で麻雀をやることは当たり前。
母親から厳しく打ち方を指導され、来る日も来る日も麻雀を打つ日常は、由華にとって苦痛だった。
彼女にとって、麻雀とは生まれた時から常にあったモノ。遊戯というより、コミュニケーションツール。
しかし才能も十二分に秘めていた彼女は、小学校では1番強く、地区では強豪と呼ばれる中学校に進んでからも、彼女が1番強かった。
であるからして、県で1番強い晩成高校に興味を持つのは、当然の流れといえた。
そんな、高校の進路について考える中学3年生になった時のこと。
『由華!聞いた?今年晩成高校にすごいルーキーが入ったらしいよ!』
『小走やえって人なんだけどね、次のインターハイから出場するらしい!』
『なんか噂では春の大会も内密にメンバー入りしてたらしいよ』
由華の耳に飛び込んでくる、大型ルーキー「小走やえ」の噂。
そんな話を聞いていたからだろうか。
興味本位だった。
由華が、高校夏のインターハイを現地の会場で見ようと思ったのは。
――――――『決まったあああ!!夏のインターハイ団体戦1回戦!圧倒的トップで先鋒戦を終えたのは晩成高校!!エース区間をものともしない1年生小走やえ!!とてつもないデビュー戦となりました!!』
目を、心を奪われた。
鮮烈に映るのは、誰にも和了らせず、リーチをかけることすら許さない王者の貫禄。
初めて誰かの麻雀を見て、「かっこ良い」という感情を覚えた。
感動に打ち震えた先鋒戦を終え、やえが凄まじい勢いで稼いだ点棒は。
大将戦を迎える時にはすべてなくなっていたことにも、ひどく胸を突き動かされた。
その年、晩成高校は1回戦で姿を消した。
マスコミがこれでもかというほど画面に映すのは、控室に座ったまま動かない、大型ルーキーの姿。
由華はその姿を目に焼き付ける。
(私が入れば、あの人にあんな顔させずに済む)
この日、由華は晩成へと進むことを決めたのだった。
高校に入学した由華を待っていたのは、想像を絶する部内の不和だった。
『へえ、大型ルーキーさんは先輩に指示するんだ?』
『あんたにはついていけない。そんな強制したいなら中学のお仲間と同じ高校にでも行けばよかったのに』
なんだこれは、と由華は思った。
数々の妬み、僻み、陰口。
同級生で仲良くなった紀子と、あまりの部内の仲の悪さに辟易していた。
「……これじゃあ、勝てるものも勝てないよね……」
「……私達で、変えられるところは変えよう。これじゃあ……全国制覇なんて夢のまた夢だ」
上級生の関係改善に尽力した2人の努力もむなしく。
ちょうど由華が入学した4月から2ヶ月後の6月。
やえの同級生である2年生はやえを残して、1人残らず麻雀部から姿を消した。
そんな事態があっても、日は進む。
インターハイを控えた7月のこと。
暑すぎる太陽は少しだけ姿を隠し、涼しいとはお世辞にも言えないが、多少はマシになった夕暮れ時。
下校時刻になって閑散としていた校内を歩いていた由華が、物音に気付いて麻雀部の対局室を開ける。
そこで見つけたのは、窓際の自動卓で、ひたすら洗牌を行うやえの姿。
その後ろ姿は、とても孤独に見えて。
気が付けば声をかけていた。
「……やえ先輩、手伝います」
「あら、由華じゃない」
後輩の前では、あくまで気丈にふるまうやえ。
しかしその声が、明るいトーンではないのは由華にもよくわかった。
由華の口から、ポツリと疑問がこぼれる。
「……やえさんはなんで、麻雀をやってるんですか?」
ピクリと、やえの肩が止まる。
聞いて良い質問なのかどうかは、由華にはわからなかった。失礼になるかもと思った。
それでも、どうしてか、聞きたくなったのだ。
やえは、すこしだけ目を閉じて思考を挟む。
「……由華は、麻雀好き?」
「え……どう……なんですかね」
質問に質問で返される形となったやえからのその言葉に、由華は即答することができなかった。
ほぼ強制的に始めさせられた麻雀は、由華にとっては「やるべきもの」。
そういう認識が、少しあった。
そんな由華の心境を悟ってか、やえが言葉を続ける。
「……私もね、昔は別に好きでも嫌いでもなかったのよ。勝てるから、やってた。自然とね」
「……」
沈黙で答えたのは、今の自分に似ている部分があったからかもしれない。
やらされてきたから、自然と強くなった麻雀を、「好き嫌い」という観点で見たことは無かった。
中断していた洗牌を再開するやえ。
「でもね、私の親友は……ほんと……誰よりも麻雀が好きな麻雀バカでね。ほんとそれこそバカみたいな話だけど……あいつらと何万局という回数打つたびに、いつからかな……麻雀が心から楽しいって、好きだって。思えるようになったのよね」
だからね、とやえは最初の質問に立ち返る。
「私は、麻雀が好き。だから、やっている。あとは……そうね、『約束』を、果たすためかしらね」
『約束』。幼馴染4人で立てた、目標。
そう答えるやえの姿は、ひどく眩しく見えた。
そして、新しい年。
晩成高校に新入生が入ってくる。
「新子憧です!目標は、やえ先輩と共に、全国優勝をすることです!よろしくお願いします!」
「岡橋初瀬です。憧とは幼馴染で……私も、やえ先輩と全国制覇を成し遂げたくて晩成にきました。よろしくお願いします」
生意気な2人だったが、由華は初めて、後輩を育てる役目を担った。
自分はまだ実力が足りていないと1度は断ったのだが、やえに「後輩を見るのも勉強」といわれてしまっては断れない。
何度も何度も、後輩達と卓を囲む。
「憧、あんた腰軽すぎ!ここは動かなくていい場面でしょ」
「ええ~!でもやえ先輩は『好きにしていい』って言ってくれましたよ?」
「初瀬!なんでもかんでも突っ込まない!あんたの目からドラ1枚も見えてないんだから、相手の方が打点高いに決まってるでしょ!」
「攻めなきゃつまんないですし……やえ先輩も『好きにしていい』って……」
由華の額に、青筋が浮かぶ。
尊敬すべき先輩の存在を、ここまで呪ったことはなかった。
ちょうど同卓していたやえへ、恨みのこもった視線を投げかける。
「やえ先輩……」
「ははは!怖いかおすんじゃないわよ由華」
屈託なく笑う先輩の姿に、毒気を抜かれてため息をついたその時、やえから思いがけない言葉がかかる。
「……どう?由華。最近は麻雀好き?」
対面からやえ。上家の憧と、下家の初瀬。
やえの後ろには、紀子もいる。
惰性で続けていた幼少期。
高校に入って、大切な仲間と出会えた。
1年目に挫折を経験。力になれると思っていた自分の力はあまりに無力で。
この1年は、努力することに必死で、自分の感情を考える暇などなかった。
しかし、その1年があったからこそ。
このメンバーで全国優勝を果たしたい。その想いが、抑えきれないほどに大きくなっていて。
フッ……と、由華が小さく笑った。
対面から優しく見つめてくれる憧れの先輩も。
その後ろでニヤリと人の悪い笑みを浮かべている同級生も。
質問の意味がわからず、キョトンとしている後輩2人も。
「……おかげさまで、大好きです」
東4局 親 咲
点数状況
姫松 末原恭子 126300
晩成 巽由華 110300
清澄 宮永咲 99800
宮守 姉帯豊音 63600
意識外からの満貫直撃を食らっても、咲に動揺は少ない。
一つ息をついて呼吸を整える咲の姿には落ち着きがあった。
(みんなの力が……生きてる)
槍槓も、初めてではない。
自身を模倣するような打ち手にも出会うことができた。
これまで培ってきた経験の全てが、今の咲を動かしている。
(負けない……)
視線をやるのは、そ知らぬふりで理牌をしている、下家の由華。
要注意人物なのはわかっていたが、警戒していてもなかなか止められるものではないようだ。
10巡目。
咲の手に、一つの牌がやってくる。
咲 手牌 ドラ{⑧}
{①①①⑤⑥34赤5二二東東東} ツモ{発}
(生牌……)
咲の手にやってきたのは、生牌の{発}。
問答無用で切り飛ばしてもいいのだが、この卓ではあまり安易なことができない。
役牌を渡せばスピードスターがいるし、対子で持っていたら必ず引き込んでしまう恐ろしい打ち手もいる。
しかし。
(次巡、私のツモが{①}……そこで嶺上開花ができる)
咲にだけ見えている世界。
次巡ツモ{①}の予感。
であればこそ、この{発}は切らなければいけない。
静かに、咲は{発}を河に置いた。
声がかからないことに少し安堵する咲。
しかしその安堵も、束の間。
「ツモ」
すぐにツモ山へと手を伸ばした由華がツモ牌を自身の手牌の右へ軽やかに開いた。
{発} だった。
咲の顔が、驚愕に染まる。
由華 手牌
{③③③⑥⑦⑧999五赤五発発} ツモ{発}
「3000、6000」
『な、なななんと!晩成の巽由華!清澄の宮永咲から出てきた当たり牌をスルーしたうえで、しっかりとツモ和了り!!跳満です!』
『ひゅう~!出和了り6400なんかいらないってか!ツモれることがわかっていたかのような選択だねい?』
恭子も豊音も、この見逃しに気付かないはずはない。
(ツモれるっちゅう確信があるなら……3翻アップのツモ狙いにいくわな……)
(とってもすごいねえ……晩成の巽さん)
由華が、サイコロを回す。
強くなりたくて、寝る間も惜しんで努力した過去がある。
しかしそれは、決して「やらされて」行ったものではない。
全ては、今の晩成メンバーで、全国制覇を成し遂げるため。
(誰が相手だろうと、晩成の覇道は邪魔させない)
晩成の王者、その右腕である彼女が、不敵に笑みを見せる。
麻雀が好きではなかった少女は、憧れの先輩と、仲間を得て。
今この舞台で、大好きになった麻雀を打っている。