エストニアは隣国フィンランドからの影響で、サウナ文化が一般的だ。それも熱した石に水を掛けて室内温度を上げるストーンサウナが主流である。
蒸気で部屋を温め、室内での発汗作用を促進させるサウナは病や疲労から守ってくれるモノであり、ことエストニアでは精霊が住み着く地とも信じられる神聖な場所だ。
まあ、一つ残念なのは入浴後は水風呂ではなく冷えたシャワーを浴びるのが一般的であるため、求める者は相応の設備があるスパなどを利用しなければならないのだが……。
「まあ、私には関係ないわね。熱いのも寒いのも苦手だし」
と、エストニアに関する文化的知識を脳裏に展開しながらプールを思わせる高級スパを楽しむ女性。言うまでも無く神上御先その人である。
サウナ文化など知ったことかと言わんばかりにのんびりとリゾート気分で高級スパを堪能する彼女はいっそ不貞不貞しい。
しかも此処は首都タリンの高級ホテルであり、加えて貸切である。
勿論、宿泊料サービス料は込み込みで騎士団持ち。
これぞ『王』の特権であった。
「人のお金で贅沢三昧。んー、最高♪」
とは御先の言。正に傍若無人にして自由奔放。
神殺しらしい、ロクデナシ加減であった。
半身浴の容量で身体を水につけつつ、ふちに背を預ける。
透明な水面越しに彼女の白い肌と局部を覆う黒い水着が晒され、純黒の髪と普段の奔放な生活が生み出した無駄のない肉体美がとても艶めかしい様を醸し出していた。
『もっとも胸元は残念だがね』
「おいコラそこのエロ禿鷲。その羽捥ぐわよ」
『誰が禿鷲だ! 誰がッ!! 私は由緒正しき聖鳥だぞ!? 言うに事欠いて禿などと! それに私は客観的事実を告げただけだ!』
この場には第三者の人間の姿はない。
故に彼女の言葉に応じる存在などありはしないはずだが……。
あろう事か、彼女の言葉に応じる声ならざる『声』があった。
「あら、禿鷲を舐めちゃいけないわよ? チベットやゾロアスター教なんかでは鳥葬の文化があるから神聖視されることが多いからね。人の魂を天へと返す重要な橋渡しの存在として信仰を集めているのよ、禿を舐めちゃあいけないわ」
『……都合良いご高説は尤もだが、君の場合は私を貶めるために使っていただろう。明らかに禿の部分を強調していただろう』
「別に禿を馬鹿にしているわけじゃないわ。貴方を馬鹿にしているのよ」
『もっと質が悪いではないかッ!!』
うがーと捲し立てるように叫ぶ『声』。
最もそれは傍目には子犬のような甲高い鳴き声にしか聞こえない。
キューキューとスパに反響する鳴き声に、彼女は鬱陶しげに浴場際に設置された真っ白なテーブルの上に佇む影に視線を向ける。
「五月蠅い。此処響くのよ」
『誰のせいだと……ええい! 何故、凶悪で野蛮な秩序を鼻で笑うような貴様が我が主だというのだ!』
「そりゃあアンタが負けたからでしょ、
お分かり、と鼻を鳴らしながら何処か楽しげに告げられる言葉。
それに対してカルラと呼ばれた
『無念だ。我が権能を簒奪されるならばいざ知らず、よもや眷属化など』
「残念、それについては管轄外よ。恨むならパンドラさんを恨んで頂戴。殺した神の如何な部分を奪えるかは私の与り知らない所だし、あ、でも傾向として私って殺した神は基本的に眷属として使役することが多いのよねー。桃太郎みたいじゃない?」
桃太郎、と自分で発想した言葉に思わずククッと笑う御先。
それから「雉と犬は居るから次は猿ね」などと不吉な事を口ずさむ。
というか、
だとすれば遂に生物学上の分類すら遠くなる。
『おのれ、
自分の眷属にあんまりに適当な主を目にして、カルラはそう叫ばずには居られなかった。勝敗の結果の従属であればまだ致し方なしと納得出来るものの、雑な扱いにはもの申したい。これでも彼は最強を担う神の一柱であったのだから。
「それにしても……せっかくのスパリゾートもこう天気が悪いと半減ね。昼は大浴場に降り注ぐ快晴の陽光! 夜はブルーライトが妖しげな高級スパ! っていうのがホテル側の売りなのに。やれやれ……」
と、己が不吉を呪う眷属などを無視するように変わらず気ままに振る舞う女主人。その視線は大きな窓の外。どんよりとした雰囲気を醸す曇天に向けられた。
「全く、さっさと一仕事をこなしてもう一回来よ」
『不貞不貞しい奴め。少しは慎みという言葉を学ぶと良い』
「さあ、そんな言葉学ぶ予定は全くないわね。私、楽しむときは全力で楽しむ性格なの。いいえ、楽しむことに限らず、何事にも全力を出しているつもり」
相棒が齎す『謙遜すべし』との忠言に返す言葉は強かった。
それは彼女の芯の部分に触れるモノだったのだろう。
先ほどからの人を揶揄うような声音に真剣さが宿る。
「私はね、『自由』が好きなの。誰にも縛られず、何物にも束縛されず、己の思うがままやりたいようにやって、そうありたいと振る舞う。鳥の貴方にいう言葉ではないけれど大空を飛ぶ鳥のように『自由』にやりたい」
──それは神上御先の根幹を成す生き方だ。
人間社会における関係や立場、そこに住む上での文化に国柄。
そういった個人を縛る道理こそ
「別に反社会的というわけじゃないのよ? 平和な社会での人殺しとか普通に悪だと思うし、闘争は嫌いじゃないけど人間の尊厳を嗤う虐殺や理不尽に何も思わないほど人でなしでもないつもり。でも、それを踏まえて私は自由にやりたい。誰かや何かに『私』が規定されるのは好きじゃないの」
例えば、女は慎み深く、男の一歩後ろに控えろだとか。
例えば、闘争は野蛮であり、忌避すべきという押しつけとか。
例えば、極力人に迷惑を掛けず、常に謙遜すべしとか。
ああ全く──何て雁字搦めで生きづらい。
そんなモノは
「だから
阻むというなら問答無用。一切合切たたき伏せよう。
無論、『自由』は安くないと知っている。
勝手気ままに己を通すためには我を通すための力と能力が必要だ。
だからこそ、彼女は己を守るためあらゆる困難を打倒してきた。
世界を流離う自由を得る立場。
国々で思うがまま振る舞うための言葉と知識と資産。
こちらを規定せんとする暴力や権力に屈しない智慧と力。
その大成果、果ての結果こそ──神殺し。
自由を手にするため遂に天上天下の道理にすら逆らって彼女はこの立場に居る。
「今までも、そしてこれからも私は自由であり続ける。つまりはまあ、そういうことよ。そりゃあ困っている誰かには流石の私も手を差し伸べるけど、そうじゃないなら持っている権利と相手の好意に甘えて全力で今を楽しませて貰うわ。今、こうしているようにね」
『……フン、相変わらず善し悪しの分からない女だな貴様は』
「好意的な評価、そう受け取っておくわ」
喋り続けたことに疲れたのか。んー、と声を漏らしながら伸びをする御先。
それから全身を解しながら気まぐれに水面をバシャバシャと叩く。
自由奔放の有様……彼女は己を鳥と例えたがどちらかと言えば猫のようだ。
『つくづく秩序の敵だな。だが、まあ……ある意味で人間らしいと言える、か』
思わず神の身をして苦笑を漏らすカルラ。
──そういえば昔、似たような人物に出会ったことがある。
奴は神であったが、神にして何処までも人間くさかった。
多くに好かれ、多くに恨まれ──多くを齎した。
遂に神々の王を戴く座にまで上り詰め、英雄神と崇められた。
『古今東西に限らず、似た人種は何処にでも居ると言うことか』
あろう事か敵対者である己に友情を持ち出した大馬鹿者を思い出しながらカルラは静かに女主人の在り方に納得するのであった。
感慨に耽るカルラ。
すると、そう言えばと小さな疑問を思い出す。
『時にミサキよ。お前は傍若無人でありながら人間として守るべき最低限の義を知るというが、では此度の件もそういう事なのか? 弱きを守り、強くを挫くためにまだ見ぬ神と矛を交えると……』
であれば一人の勇者としていっそカルラは振るう所存だ。
神話の頃には理不尽をひっくり返すため、難題に挑んだこともある。
女主人が弱者を助ける義によって立ったならば、己もまた全力で応えよう──と、傍若無人で好き勝手にやるだけの自由人であり、ロクデナシという評価を改めようという意のこもったカルラの言葉に、御先はキョトンとした表情の後……。
「え? 可愛い女の子に助けてって言われたら誰でも助けるでしょ普通」
『…………………』
何当たり前のことを聞いているの、と言わんばかりに言葉を返される。
途端、無言のまま憮然とした表情になるカルラ。
弱きのために立ち上がる、義によって戦う。
成る程、言ってることは間違ってはいない、間違ってはいないのだが……。
どうしてこう、彼女の言葉になると途端に陳腐になるのだろうか。
『……どうも君の言葉は締まらんな。言っている言葉は間違いではないが中身が何処か軽薄になる』
「そうかしら? 善意を使うに極めて
『ふむ、否定はしないが……まあ
「でしょ? 今回、神様を呼び出した輩だって、下心ありだろうしね。いやあ、自分たちの後始末のために他国の魔術師たちを利用して私を使う辺りこっすい輩よね絶対」
『……何?』
何でも無いように告げられた御先の言葉。
しかし、カルラは耳を掠めたその内容に思わず鋭い目を向ける。
『此度の『まつろわぬ神』の顕現。これが人為的なモノだと?』
「ええ、多分ね。最初は霊脈かどっかの遺跡が勝手に暴走した結果かと思ったけれど、それならリヴォニア騎士団が前兆に気づいていたはずでしょ──地域を守る著名な国の騎士団が気象操作を可能とするほどの強大な神の降臨に、異常が起こるまで気づかないなんて、そんなことは無いだろうしね」
ティウの言葉に嘘がないならば異常が起きて、騎士団が調査に乗り出したのは三月の終わりだという。しかし仮にも気象異常を引き起こすほどの存在が顕現するのに何ら前兆を感知できない……そんな事がありうるだろうか?
国を代表するほどの魔術師が所属する魔術組織が?
そして可笑しな点はそれだけではない。
「そして疑問点二つ目。リヴォニア騎士団は国を代表するほどの騎士団。でも言ってしまえばあくまで小国を代表する魔術組織よ。『賢人議会』やイタリアの『七姉妹』のような全世界でも通用するほどの人脈や組織の力を持っているわけじゃない。そんな組織が何でその『賢人議会』や『七姉妹』にも影を踏まさせない私を補足できたのかしら?」
『む……』
神上御先──彼女の神殺しとしての経歴は浅くない。
四番目の神殺しとして三十年間。
世界中を放浪する彼女は多くの神々と争った。
その過程で多くの魔術組織とも関わってきた。
そのため、彼女の出生や個人情報はともかく、経歴と存在は多くの魔術師が知るところではある。
が、自由を尊ぶ彼女はその気質から特定の場所や組織の属さない。
言うなれば年がら年中、行方不明なのである。
加えて、数ある権能の一つが持つ特性上、彼女の居場所を特定するのは極めて困難であり、また気まぐれな性格のため行き先を予測するのも不可能。
別に侮っているわけでは無いモノの、言ってしまえばたかだか小国を代表する魔術組織風情が運以外の要素で彼女を見つけ出し、依頼することなど不可能なのだ。
「最後に、気象異常なんて大層な権能を持った『まつろわぬ神』らしき存在が、何故エストニアに限定して顕現し、尚且つ能動的な動きを見せないまま、ただただ沈黙しているのか……と。どう? これでも全部偶然だって言える?」
『確かに、偶然にしては出来すぎだと言えるか。では、人為的なモノだとしてその目的は何だという? まさか何時ぞやの神殺しのような──』
「ああ、いつかの侯爵のように戦うために呼び出したって? あはは、ナイナイ。新たな神殺しになってやるって馬鹿でもいない限りそんなことは無いでしょうね。他の神殺しにしても剣バカは最近誕生した神殺しと戦って、イタリアで療養中だって言うし、ヴォバンの爺さま、私が何処かに吹き飛ばしちゃったし、中国の中二病は態々北欧まで遠征するほど腰の軽い御仁じゃない。他も然りよ」
現状、御先が把握している神殺しに限定するならば動ける神殺しは居ないと断言できる。唯一、可能性としては英国住まいの『エセ王子』が考えられるが、もし彼が絡んでいる場合、さっさと御先に弁明をしに来るか、真っ先に消しに来るはずだ。
彼が頭脳派を気取っている限り、いつぞや行った御先の『嫌がらせ』を見逃せるはずがないから。
「──と、言うことで。『まつろわぬ神』は人為的に呼び出された、けれど神殺しの関わるような事件ではない。そういうことね」
『ふむ、ではその目的は……』
「利用しようって話でしょうね。守護神にでもするのか、はたまた違う思惑があるのか。まあ、その辺りはどうでもいいわ、私には関わりの無い話だし。ロシアの魔術師は国柄、外部に情報が漏れにくい。考えるだけ無駄でしょう」
そう言いつつ、確信に満ちた言葉でアッサリと犯人に当たりをつける御先。
確信を言い切る様に思わず、カルラが口を挟む。
『ロシアとは、確かこの国の隣国の……。何故、その国の魔術師が主犯だと?』
「そりゃあこの辺りでリヴォニア騎士団にそれとなーく情報をリークできて、私の存在を感知して予め、声を掛けられるような組織力と魔術師がいそうなのが、此処じゃロシアに所属する魔術師だからね。他の魔術組織の可能性もあるにはあるけれど、北欧に住む魔術師は引きこもりが多い傾向にあるから」
そういって肩を竦めながら苦笑する御先。
他にも考えられる理由として、ロシアの魔術師は神秘探求のため国家絡みで遺跡の調査や発掘を行っていることや、近年、耳にした
何故なら政治やら何やら考えることは己の趣味じゃない。
あくまでこの地には神を殺す戦士として招聘されたのだ。
ならば、どうあれ役目に徹するのみ。
(気象操作、それも雷に纏わる神格……天使でも呼ぼうとしたのかしらね。後の処理を神殺しに任せる当たり、思惑通りとは行かなかったようだけれど)
何にせよ、己はただ依頼達成に動くのみ。
如何なる神格が相手だろうと必ず打倒してみせるとも。
意を決し、ザバッと温い水を弾いて立ち上がる御先。
カルラが留まっているテーブルに掛けてあるタオルで水を拭きながらスパを出る。
彼女に続くよう、カルラもまたその肩に降り立ちながら言葉を掛けた。
『では……』
「ええ、面倒事はさっさと片付けるに限るわ。そのためにまずは……」
一呼吸おいて二つの声が重なる。
同時に告げられたその言葉は────。
「まずは旅の疲れを癒やすためにマッサージを堪能しましょう」
『まずは此度の敵を打倒するための入念な準備をしなければな』
自由奔放な神殺しと義を知る元英雄神。
両者は残念ながら以心伝心とは行かぬらしい。