ティウ・マルティンは騎士としては新米だ。
リヴォニア帯剣騎士団というエストニアに根を下ろす伝統的な魔術組織に所属する両親を持ち、自身もまた魔術師としての適性を持って生まれた彼女は、当然のように伝統を受け継ぐ後進として育ってきた。
そこに特別なドラマはなく、波風立つようなイベントはない。
自身が魔術師であること、そして魔術結社に所属しているということ。
二つの裏の顔こそ持っていた者の少女は一般的な年頃のそれと変わらない日常と変わらない経験で以てまだまだ先の長い人生を歩んできたのだ。
だからこそ此度のような経験は人生に一度たりともない。
『まつろわぬ神』の降臨、自国の危機、そして……。
「んー、相変わらず気分が滅入る天気ね。それにゴロゴロゴロゴロ鬱陶しいこと。何をしようとしているかは知らないけれど、この騒音被害だけで万死に値するわね。せっかく高級ホテルに泊まったのに、音のせいで八時間しか寝れなかったわ」
『……ふむ、私の知識からしてそれは十分な熟睡では?』
「バカね。高級ホテルよ、高級ホテル。飛び込むだけで全身が脱力するようなベッドとかあるのよ? 惰眠してくれっていっているようなもんじゃない。最低でも十時間ぐらいごろごろした後、ルームサービスでワインを嗜んだ後、ほろ酔い気分でマッサージを受けつつ、微睡むぐらいしないと元が取れないでしょうが」
『つくづく俗物だな貴様は……というか元が取れないと言うが貴様はびた一文も払っていないだろう』
「ふふん、愚問ね。だからこそ良いんじゃない! ペコペコと畏まってくる下々の施しを喜んで受け入れながら堕落の限りを尽くす……これこそ魔王の醍醐味ってものよ。存分に楽しまなきゃ損でしょ、損」
『……貴様は最低かッ!!』
鼻歌交じりに都市ナルヴァへと続くイダ=ヴィル県の街道を歩きながら割とロクデナシな発言をする上機嫌な女性と会話に付き合いつつ、時折強い語気で罵倒を繰り返す鷲。
曰く、“神殺し”の神上御先とその眷属神である。
二人の会話に緊張感と呼ばれるものは欠片もなく、それこそ散歩でもするかのように口調は軽く、会話も盛り上がりを見せている。
これから『まつろわぬ神』と殺し合いをしに行く者の会話にはとてもじゃないが聞こえない。
(なんていう剛毅……というか何も考えていないっぽい?)
不敬にもティウが内心でそう思ってのも無理はなかろう。
戦場に向かう道すがら会話は終始こんな感じであるし、かといって事前に出現した『まつろわぬ神』の情報や対策などの作戦会議を十全に行ったわけでもない。
事前準備無しのぶっつけ本番。彼女がリヴォニア帯剣騎士団の依頼を受けた時もそうだが、彼女は何事にも気負わないし、深く考えない。
万事が万事、まるで気分によって道を選ぶ旅人のように。
神上御先は自由であった。
伝統的な組織とはいえ、小国の魔術結社であるリヴォニア帯剣騎士団において“神殺し”など殿上人に等しい伝聞のみの存在であるが、それでも彼女らはその恐ろしさや伝説の数々を耳にたこができるほど聞いてきている。
だからこそ、目前の飄々たる振る舞いの美女が“神殺し”であると言われても実感が得られない。何せ、あまりにも人間的だ。
少々、自由人で傍若無人の気質こそあるものの精々がやや傲慢の風変わりな旅人程度の範疇に収まることだろう。
神を下すほどの戦士にも魔王にも到底思えない。
(“神殺し”は恐ろしい者だってお母さんもおばあちゃんも言っていたのに……)
曰く、傲岸不遜。
曰く、唯我独尊。
己こそ絶対の覇者なりと唱える彼らは最強にして最凶だ。
一度彼らが動けば、その地は災禍の中心になるとも。
故に決して、決して誰も逆らえないのだと。
四年前、魔王の命令で各地で魔女や巫女たちが攫われているというニュースが騎士団内において騒がれた際、両親や家族がしつこく説いた話だ。
“神殺し”は人に見えても人に非ず。最大の畏敬を持って接するべし、と。
だが……。
「──ところでティウちゃん。エストニアのおすすめ観光スポットって何処かしら? 私、北欧には割と足を運んでるんだけれどエストニアは初めてなのよねー。やっぱり旧い遺跡とか教会とかがメインなの? それともド派手なカジノとか、風光明媚な景色とか、そういうの?」
「え、あ、は……はい。アレクサンドル・ネフスキー大聖堂とか、後はタリンにある旧市役所とか建築物がエストニアの主だった観光地になります。景色の方をご所望でしたらタリンの旧市街を一望できるコフトウッツァ展望台などが御身のお眼鏡にかなうのではないかと……その、お望みでしたら騎士団から観光案内に人を出しますが……」
「別に良いわ。こういうのは自分の足と意思で行くのが旅の醍醐味だから……。それにしても相変わらず堅い堅い。もっとラフな感じで接してくれて構わないのに」
「も、申し訳ありません! わたし……じゃない、自分はまだまだ新米の騎士ですのであまりこういった場は不慣れで、御身の気分を害することに」
「だ・か・ら、そういうのが要らないって言ってるのよ。もっと軽くでいいの、かるーくね。……そだ、私のことは御先と呼びなさい。これ王様命令だから」
「え、えッ!?」
「ほらほらー、どしたのー、呼んでみなさいな」
突然の無茶振りに瞠目するティウを見ながらニヤニヤと笑う御先。
実年齢の差は親子でも違和感がないほどに離れているはずだが、生来の気質なのか御先の態度は姉が妹を揶揄うそれに酷似している。
そこに魔王足る王威や覇気は一切無く、ティウからして何処までも普通だった。
学校で話す年上の先輩や近所のお姉さんのそれと何も変わらない。いっそ今が非常時の非日常であることを忘れてしまいそうな程に。
「で、では……御先様、と」
「うーん。それも時と場合によっては良い感じの呼び方だけれど、今は良いわ。御先よ、御先。こうフランクに友好的な感じで」
『……こういうのが人間社会では時に
「五月蠅いわよ駄鷲。ていうか貴方こそ俗物ね、神様のくせに無駄な人間社会の知識を仕入れているなんて。そんなんだから神様(笑)なんて呼ばれるのよ」
『神様(笑)!? 一体誰だというのだ、この私をそんな不敬極まりない呼び名で呼んでいるのは! というかそれは一般化された呼び名じゃないだろうな!』
「安心しなさい。今私が考えた渾名だから。普及するのはこれからよ♪」
『貴様ァァァ──!!』
「あ、あの……」
「うん? ああゴメンなさい。ちょっと五月蠅かったわねこれ」
ティウそっちのけで再び愉快な会話に戻る二人にどうすれば良いのか分からなかったが、幸い二人のやり取りはすぐに終わる。
眷属神の方はこれ呼ばわりに対して抗議の声を挙げているものの、御先の関心は既にティウにあるらしく、眷属神の声を完全に黙殺している。
「それじゃあティウちゃん。フレンドリーにフランクに、さあ私の名前を呼んでみなさいな」
「は、はい……そ、それでは、その……み、御先さん!」
ティウが御先の要求に出来うる精一杯で応じる。
魔王を名前呼びなど両親が見れば卒倒しそうな状況であるものの、命令とあれば是非も無し。緊張に舌が縺れたが、何とか要求には応えてみせた。
するとその健気な態度が御先は目を見開き、次いで。
「ッ! っくー、ナニコレナニコレ! 良いわ! 良い感じよそれ!!」
「わ、わわ、きゃ……!」
歓声を上げながらティウを抱き寄せ、踊るようにクルクルと回る。
思わぬスキンシップにティウが小さく悲鳴を上げるが一顧だにしない。
「こう、何? ザ・小動物っぽい感じ? どっかの禿鷲とは大違い! こんな妹か娘が欲しかったわ、全く!」
『貴様は“神殺し”だからな。喪女候補筆頭というわけだ!』
「てい」
「キューッ!?」
軽いかけ声と共にティウを抱く御先の手先がブレた。
声とは裏腹に恐ろしい速度の手刀が眷属神を強襲する。
その威力に鷲は憐れにも吹き飛ばされ、素の悲鳴を上げた。
『き、貴様! この暴力女め! だから男が出来ないのだ!』
「ふん、勘違いしないでミスタ。私は出来ないんじゃない、作らないの。私は一つの場所に囚われるのが趣味じゃないから。身軽で自由気ままな旅人が似合ってるからこその独身貴族なの。作ろうと思って作れない敗北者たちと一緒にしないで下さる? 恋人を探して焦燥に追われる無様なんて、私は晒さないわ」
胸を張り、髪をかき上げながら言い切る御先。
当人の言う通り、そこに焦りや不安と言った態度は欠片もない。
己は望むがままにあるのだと自信の笑みが称えていた。
因みにこの時、言い合う二人が知らぬ所で何処かの英国重鎮の秘書を務める女性とアメリカが誇る“神殺し”が同時に胸を押さえて倒れかけたという。
閑話休題。
「み、御先さん……様……!」
「あ、ちょっと我を忘れていたわ。苦しかった?」
「いえ大丈夫、でした」
己の名前を呼ぶ声に御先は抱き寄せていたティウを解放する。
衝動的に抱き寄せたことに謝罪しつつ、気を遣う。
「ゴメンなさい。ちょっと私好みに可愛かったから、ついね」
「そ、そうでしたか……可愛い、私が……?」
「ええ、とても」
御先の評価にティウは思わず小首を傾げるが、御先は断言しながら頷いた。その言葉と評価があまりにもストレートなものだったからティウは頬を赤らめながら照れる。
「その、ありがとうございます」
「別に礼を言われることじゃないわよ、ただの事実だしね。でも……そうね。せっかくだから後で可愛い貴女に観光案内でもして貰いましょう。旅は道連れ世は情けってね。私は基本的に一人旅だけれど、やっぱり道中は賑やかなのが良いし」
「観光案内ですか? 構いませんが観光案内をするなら専門のガイドに頼んだ方が……」
「私は顔見知りの貴女が良いの。ダメかしら?」
「いえそんな! そういうことでしたら、一緒に同行させて戴きます! 観光地には然程、詳しくありませんが……地元で有名なチョコレートが美味しいお店とかなら案内できると思います。御先……さんの好みに添えるかどうかは分かりませんけど……」
自信なさげなティウの提案。だが、そんな彼女を裏切るようにティウの言葉を聞いた御先の眼が爛々と輝き出す。
そういうのを待っていたと言わんばかりに。
「チョコレート! 良いわねそれ。うーん、俄然やる気が湧いてきたわ!」
そういって猫のように背筋を伸ばしながら微笑む御先。
やはり、せっかく自由観光するならばパンフレットにありがちな場所巡りをするよりも外国ならではの文化や体験が出来る方が御先としては好ましい。
万人が通りに王道を習うも良しだが、知る人ぞ知るものを観光する方が浪漫があるというものだ。
「うん、尚のこと……面倒事はさっさと終わらせないとね」
後に楽しみが待っているというなら尚のことに是非も無し。自由気ままな旅の続きと現地で出来た知人との観光をするためにも無粋な仕事は速やかに終わらせよう。
「じゃ、そういうことでティウちゃん、戦いが終わった後に私の観光に付き合うこと。チョコレート以外にも色々とね。約束よ?」
ティウとの約束に御先は風鈴のような涼やかな笑顔を浮かべる。
一つ楽しみが出来たと言わんばかりに。
「はい……約束ですね。その約束を果たすためにもどうか……──我らが祖国を覆う曇天の災いから力なき我々をお救いくださいませ……『王』よ」
「ふふん、任せなさい。私は約束には義理堅いの。“私の上には天も神も人も非ず”がモットーだからね。道を阻む者は対等の下に、ぶっ飛ばすだけだわ」
そして同時に足を止めた。
そう──後に楽しみが控えているならば尚のこと。
下らぬ騒ぎの解決など所詮は些事、蛇足に他ならない。
首都タリンから一県跨いだ先にあるイダ=ヴィル県。エストニア北東部に存在するロシア領と国境を分けるその場所こそ此度の乱の爆心地である。
『バルド海の真珠』とも称えられるイダ=ヴィルが誇るエストニア第三の都市ナルヴァから川を挟んで、向こう側。
絶えず稲妻奔り、曇天が色濃いロシア領のイワンゴロドの城塞を御先は不敵に睨み付け、意識を切り替えながら、傍らの少女へ問う。
「街の避難はもう当然済んでいるわよね?」
「──はい、既に住民には騎士団の名義で予め街を離れるよう伝えてありますので。後の事は気にせず、ご存分に」
当たりを見渡しながらに問う御先の言葉にティウが頷く。
彼女の言う通り、平時は興隆を誇る都市ナルヴァは死んだ都の様に静まりかえっていた。リヴォニア帯剣騎士団の仕事だろう。
集団催眠か、或いは人よけの結界か、ともあれ国家を守護する裏存在の面目躍如とばかりに都市には人という人の存在が失せていた。
まるでそれは嵐の前の前兆であるかのように。
否、正しくこれは前兆である。
“神殺し”と『まつろわぬ神』。
人知を通り越した超常の存在が相争わんと集っているのだ。
空気は自然と重くなり、常人であっても今この場所に想像もつかないほどのチカラが働いていると無意識に予感できるほどの『圧』があった。
それは人に限らず獣も同じなのか、都市には野鳥や野犬の影すらない。都市には相応しからぬ静寂が、より一層に緊張を重く奏でる。
「そ、なら良いわ。此処から先は私の領分。貴女も巻き込まれないように離れていなさいな。観光案内、楽しみにしているから。また後でね」
しかし、大戦の演者となるはずの“神殺し”の調子は変わらない。
御先は春風のような軽い口調で微笑んでいた。
微笑みながら──充溢する魔力と研ぎ澄まされていく本能と直感がこれでもかとばかりにティウに対して『引け』と言外に命じている。
此処から先は『覇者』と『神々』の戦場であると。
「ご武運を──信じています」
ティウもまた、御先に習うように意識を切り替えた。
御先の言葉に頷くと戦いに巻き込まれないよう速やかに御先の元を離れていく。その去り際に信頼の言葉を残しながら、少女は戦線から離脱していった。
「──良い子ね」
『貴様とは大違いだな』
ボソッと口に出た言葉に相方が皮肉に笑う。
しかしその皮肉に対し、御先は……。
「ええ、全く。──だからこそせめて信頼には応えなくっちゃね」
肯定と決意で以て答えを返した。
そう……どれだけ平和的に見えても。
どれだけ温厚に見えても。
彼女の本質は覇者であり、戦士であり、王であった。
御先は世界を愛している。
人も文化も国も自然も、認識が及ぶ何もかもを。
千差万別、多種多様、なればこそ面白いと。
極彩色に輝いている色彩豊かなこの世界が大好きだ。
だからこそ彼女は常に全力で楽しむ。
俗的な欲望も、生意気な相棒との悪態も、可愛い年下の少女との会話も。
全てが全て、好きだからこそ衝動のままに。
自分を偽らずに自分らしく、やりたいようにやるのみ。
「だから、これもその延長。私は何気ない日常も愛しているけど、それと同時にやっぱり非日常も大好きなの。せっかくの人生ですもの、山あり谷ありのドラマチックな方がやっぱり映えるってものでしょ」
そう、彼女は色とりどりが好きなのだ。
生を受けたならば全部堪能しないと勿体ないから。
何気ない日常を愛するように、血沸く闘争もまた然り。
「何処までも私は私のやりたいようにやる。他の事情や柵なんて私にとっては知ったことじゃないし関係ない。邪魔するというならば粉砕するだけのこと」
我とは即ち、自由の徒である。
故に阻む者──此れ一切は障害であり、敵なり。
例え神であろうとも自由気ままな旅人の足は止められない。
「さっさと出てきなさい、不貞腐れの雷神さん。何か文句があるんだったら手っ取り早く
不敵に微笑み、挑発するように御先は告げた。
何よりもそっちの方が愉快だと。
これまで欠片も見せなかった獰猛な空気を漂わせながら。
遂に四番目の王冠が神に対して戦を宣する──。
そして……。
『獣が。我を誰と心得るか』
雷霆が天罰の如くに来襲した。