秘封二次創作「秘恋映すは少女の瞳」   作:八雲春徒

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お久しぶりです。
迷いの伏見稲荷編(迷走中)は次のお話で終わり、と文字が多くなりそうなので延長させていただきます。
頑張って書いていきますのでよろしくお願いいたします。

それでは


第十一話 「迷いと岐路 晦冥に耳を立て」

 第十一話「迷いと岐路 晦冥に耳を立て」

 

 

 

 

 一瞬の暗闇、それが晴れたとき。目の前に広がったのは変わり映えのしない赤い鳥居である。

 

 俺は、いや俺達は確かに奥社奉拝所の鳥居から稲荷山の結界に侵入を試みたはずであった。

 

 

 

 

 しかし目の前に広がる景色は先ほど通ってきた千本鳥居と相違なく見えるのどうしたものか……。

 

 右手には、柔く冷たい感触があるのがわかる。

 

 隣を見れば、蓮子もメリーも隣にいるし、三人で結界を越えてきた、という事でいいのだろうか……。いや三人揃って狐に化かされたとかそんな事なのだろうか

 

 目の前に広がった景色に蓮子は少し戸惑いを含んだ声で言う。

 

「結界を越えた、のよね。うん、確かにこの現実のようで現実味のない感覚は間違いない、つまり成功ね」

 

 蓮子は何やら納得したようで、興味深そうに周囲の空間を見渡しながら、鳥居の作る道を進んでいく。

 

 言われてみれば、何だか不思議な気持ちではあるか。

 

 白昼夢のようとでも表現すればいいのか、意識も鮮明で五感も働いているのに、妙に現実感がない……。

 

「明晰夢ってのはこんな感じなんだろうなまあこうして誰かと話せる時点でただの夢じゃない」

 

 そう、こうして話が出来るのだから夢なんかでは決して無い……。

 

 脳裏、その向こう。記憶の片隅にある景色がまた、フラッシュバックする。

 

 一面のシロツメ、青く高い空……。

 

 そうだ、俺はこの感覚を知っている。懐かしく、そして非現実的で……。

 

 だけど”この記憶”は夢なんかじゃない、そう信じてここまで来たのだから、この千本鳥居と変わらぬ景色も何か、きっと不思議を秘めている。

 

 少しぼおっとしすぎたのは、この懐かしい感覚のせいか……。

 

 メリーの声かけにふと我に返る。

 

「心ここにあらず、って感じだけど大丈夫? あと二人して夢みたいに言うけど、私にとっては紛れもない現実なのよねえ……」

 

「ああ……、ちょっと物思いに耽りすぎたかな。少し昔の事を思い出してたんだ……。ありがとうメリー、そうだな。ここは夢じゃなく確かに存在するもう一つの世界だろう」

 

「ふふ、どういたしまして。蓮子は随分と先に行ってしまったみたいよ」

 

 

 

 そう言われて、前方を見ると。蓮子は長い鳥居のトンネルの先で中折れ帽のツバを持ち上げながら、こちら振り向いて早く来いと促しているようである。

 

 未知の空間で怖気付きもせず、楽しそうに駆けていく蓮子の姿は、いつも通りの活動の始まりを感じさせるようで何だか安心してしまう。

 

 さて、その背中を追いかけようと足を踏み出したその時、左手の感触、メリーの手を握ったままでいる事に気づく。本当に耽り過ぎたのかはたまた結界の向こうの感覚が懐かしすぎたためか……。

 

「あら、本当に手を引いてエスコートしてくれるのかしら?」

 

「蓮子の役割だろ、そういうのは。それにそういうのは柄じゃないし慣れてない」

 

 俺はそう言って、その手を解くつもりであった。結界越えてから、どうにも記憶がフラッシュバックして仕方がない。

 

 そういえば……俺はいつも手を引かれてばっかりだったように思う、そうして彼女に手を引かれ……不思議の世界を駆け抜けたのだ。

 

 極彩色の鳥居群、その景色よりも鮮やかに廻り廻る記憶……。

 

 

 

「つれないのね……。何事も経験でしょ、どうせあなたにも蓮子にもこの景色は夢みたいな物なんだから」

 

 そう言われると、この手を放してしまうのも格好悪い気がした。まあメリーも俺と蓮子をからかっているのだろう。

 

 いつもは暴走気味な会長、蓮子を制御してくれる存在がメリーなのだが、かくいう彼女も調子が乗ってくると蓮子並みの頓痴気を発揮するのは困った事……。

 

 ではあるが、そうして年相応に笑っている彼女の表情は、今にも消え入りそうな窓辺に浮かべる顔とは違って、そこに間違いなく存在することを感じられるようで、好きだった……。

 

 そうして俺はメリーの手を引いたまま、この石畳の道を進む事にした……。

 

「蓮子は随分先まで行ったみたいだし、そこまではこのまま行こうか」

 

「うん……、私の我儘に付き合ってくれてありがと。蓮子が何ていうか楽しみねえ。それにしても何だか不自然に明るいと思わない?」

 

 また、寄っては過ぎゆく鳥居の中を左腕の重みを感じながらゆっくりと進む。

 

 その手の感触に気を取られていたというか殆どの神経を集中させていたせいで気が付かなかったが、確かにLEDも蛍光も灯らないはずのこの場所なのだが、こうして歩くには不自由無いほどに明るく見える。

 

 鳥居の隙間から見える外側の景色は森か山か判断出来ぬ程の暗闇だというのに、この無数の鳥居の織り成すトンネルの中は、目の前も蓮子の立つ遥か前方の景色も、例えるなら均一に……。

 

 視認が滞らない程度には照らされているように見える。付け足すようではあるが勿論、照明器具の類は見当たらぬ空間の話だ。

 

「本当だな、狐火でも飛んでるんじゃないか、理屈の通じない場所だしさ」

 

「狐火だったらいいな、でも本当のお稲荷さんと狐は関係ないのよね。どうして今の形になったのかしら……それに千本鳥居のあるこの結界はいつの時代の稲荷なのか……。興味は尽きないのよね」

 

「稲荷信仰に狐のイメージを持ち込んだのは例にもよって空海で間違いないだろうな、大陸から持ち込んだ密教の神を稲荷伸と習合させたんだと」

 

「狐の神様なの?」

 

「荼枳尼天とかいう名前だったかな、狐に跨った女神、元は人肉を食らう夜叉だって。いやまあだから何だって話だとは思うが」

 

「あなたはその池で宣託を聞ければいいんだもんね~。たぶん私も蓮子も探したい人なんていないし、”稲荷大社の真実”が知れるに越した事はないわ。そういえばダーキニーは聞いたことある気がする、インドの怖そうな神様よね」

 

「いや……まあ確かにそれが目的で来たは来たんだけど、二人と出かけるだけでも楽しいんだ、メリーが前言ってたみたいに。なにせこうして可憐な少女の手を引ける事なんてそう無いしなあ」

 

「可憐な少女じゃなくて世にも恐ろしい夜叉の話なんだけど……。でも褒められるのは満更じゃないかもね、ありがとう」

 

「ああ……、どういたしまして。俺の歩幅速すぎたりしないか?」

 

「ん、大丈夫よ予想外にね。それにデートじゃ無いんだからそんなこと気にしなくても……、いや気にした方がいいかも……」

 

 そう言ってメリーは目を伏せるようにして言った。何か恐ろしい物でも視たかのように

 

 一体何が、と前方を顧みた俺は。十数メートル先の鳥居の中で、今にもはち切れそうな怒りか呆れのような表情を浮かべる蓮子を見てメリーの心中を察した。少々待たせ過ぎたようだ……。確かにのんびり歩いている余裕は無さそうである。

 

「ああなるほど……、走ろうか」

 

「ええ……そのつもりよ」

 

 マエリベリー・ハーン、彼女の手を引いたまま、足を速め走り出す。

 

 ゆっくりと寄って、過ぎてを繰り返していた赤い鳥居の群れも、その加速度の中に霞んでいく。

 

 左腕の先、彼女を気にかけながらも、駆り立てられるようにそのたかが数十メートルの石畳を駆ける。

 

 何で全力疾走しなければならないのか、夢見心地なおかげかそれもわからない。

 

 けれど思いのほかメリーは楽しそうだ、上がりそうな息、金色の髪を靡かせる彼女は俺に言う。

 

「あはは、楽しいわ。千本鳥居の中を疾走するなんて」

 

「はぁ……それは……何より、だ」

 

 この世界も視界を共有される側の俺や蓮子からすれば鮮明な夢なのかもしれないが、非常にリアルな徒労感である。

 

 

 

 息も絶え絶えで、何とか蓮子のいる地点まで走り抜ける事ができた。メリーはそれほど疲れた様子も無さそうだ……

 

 手を引いて来たのだから同じ位のペースで走ったはずなのだが、よりこの世界に実感を伴うメリーよりも自分が疲れ果てているという事実は単に肉体よりも精神の衰えを感じさせ、少し凹んでしまう。

 

「あー疲れた、運動不足かな」

 

「んな訳ないでしょう。私達からすればここは何でもありの夢の中、疲れていてどうするの、というか手なんて引いちゃって……これは浮気現場かしら?」

 

 待ちくたびれた会長は訝し気な眼差しでそう言った。こればかりは全く想像通りの反応だ。

 

「そう来るよなあ、これはメリー嬢きってのご要望なんだが……。うん、まあそれはいいとして、どう思う?」」

 

「良くないわよ……。そうね、まだゴールは見え無さそうだけど。変化には気づいたわ」

 

 そう蓮子は言う。変化か、後方を振り返れど鳥居がただ続いているだけである。そもそもここまでの道のりは、変化に気づける程の

 余裕を持てる状況では無かったが。

 

「その変化って何だ?」

 

「鳥居よ」

 

 蓮子は向かって真横にある鳥居を指さした。

 

「この鳥居は八幡鳥居って言って八幡神社に多く見られる鳥居なのよ」

 

「へえ、よく気づくなあ。確かに八幡の物が稲荷にあるのは……おかしいか?」

 

「何で疑問形なのよ、でもその通り。別におかしくは無いわ、稲荷と八幡のそのルーツさえ知っていればね」

 

 一夜漬けの勉強の甲斐もあって、蓮子が今まさに言わんとせん事は何となく分かった。八幡と稲荷、その成立に関わる一つの氏族。

 

「秦氏か……。なるほどな、その伏見稲荷の真実とやらには絡んできそうな気はするけど」

 

 

「それも、進んでいけばわかるでしょう。恐らくだけれど、この結界は稲荷大社の記憶そのもの……。そんな気がするのよ」

 

「女の勘、か。何にせよ進まん事にはわからないって事じゃないか、悪いが俺は谺ヶ池の方を優先するぜ……」

 

「ええ、わかっているわ。そうしてあなたがどこかの誰かに思いを馳せて神頼みしている間に、メリーと稲荷の歴史旅行を満喫する事にさせて貰うわね」

 

「ああ……。そうしてくれればいい、前を見てみろ、どうやらY字状に分岐しているみたいだ。左の道を下れば恐らくその池に続いているはず、二人は右側で俺は左だな……」

 

 

 

 

 結局、俺は過去の妄執に囚われたままでいるのである。彼女達はいつだってまだ見ぬ未知の道への好奇心に溢れているというのに、俺の足を駆り立てるのはただ過去への執念だけ……。

 

 蓮子にメリー、彼女達と本当の意味で同じ歩幅、足並み揃えて歩ける事は無いのかもしれない。

 

 そんな事は考えたくも無いし思っていたくもないが。彼女らと俺ではまた履いている靴が違い過ぎるのも事実な訳だ。

 

 マエリベリー・ハーン、彼女の手を離した俺は、体感にして十メートル弱先の鳥居の分岐路を左に進むべく、少し足を速めた。

 

 前を歩いていた蓮子を追い越すその時に蓮子は静かに呟いた。

 

「あなたはあなたの譲れない何かの為に突き進めばいい、私は私の好奇心のままにこの未知を進み、暴くつもりだから」

 

 薄暗く、薄明るい鳥居のトンネル……石畳の続く道の最中、蓮子はウインクをしてそう言った。

 

 しばらくの沈黙、石畳を踏みしめ進む俺と、二人の足音だけが環境音としての響きを持って、無数に連なる鳥居の群れと、その間に映す漆黒の晦冥の中で反響を続けている。

 

 そんな沈黙と暗闇の作り出す、所謂気まずい雰囲気に耐えかねたのか、その仄暗く妖しい光の中でその美しい金の髪を靡かせた少女、メリーはぼやく。

 

 

「ちょっとお……。二人で勝手に進めないでよね。秦氏がどうとかはさっきに聞いたけど、博識の蓮子が丁寧に教えてくれないと、いまいち要領を得ないわよ……。わかるように説明してよね」

 

 そう言ってメリーはまた頬を軽く膨らせて見せる。

 

 確かにその通りで、伏見稲荷に足を運んだのはこれで初体験のメリーにとって、確かに蓮子は勿体ぶり過ぎではあるだろう。

 

 彼女、メリーの能力無しではここまでたどり着けなかったのだから、それ相応の納得のゆく説明はあって然るべきではあるのだが、まあ意地の悪い蓮子の事だから、やっぱり勿体ぶって、俺が道を逸れた後で不承不承ながらに彼女の頭脳の辿り着いた真実の形を伝えるのだろう……。

 

「ごめんって、メリーにはちゃんと説明するわ、さあ行きましょ」

 

 

 思惑をお互いに抱いたままに鳥居の道の分岐点、その字路に辿り着く

 

「それじゃあ行ってくるぜ」

 

「うん、気を付けてね。何が出てくるかわからないし」

 

「俺は大丈夫、メリーの方こそ転びでもしたら大変だろ。ちゃんと見とけよ、蓮子」

 

「言われなくてもメリーは私が守るわよ、さっさと行ってきなさい。速く戻って来ないと結界の中に置いていくわよ」

 

「おー怖いな。わかったよ、とっととその神託とやらを聞いてきてやるぜ」

 

 俺はそう言って、二人に背を向けて早足に左に下る鳥居と石畳を進む。

 

 一人は少々心細く思うのも事実ではあるがこればっかりは俺一人で行かねばならないだろう。

 

 俺の過去に置いて来たものは俺がこの手で拾い集めるしかない。

 

 やはり不自然な明るさの中、未知への道その道中……。頭に浮かんで消えるのは谺ヶ池のその噂、震災で失われる前のその時代から”失せ人探しの神託”の噂は一部でまことしやかに囁かれていたようだが、この場所だからこそただの噂などでは無いと信じたい。

 

 常識の向こう側、本来人の立ち入る事の出来ない世界、神の座す結界の中だからこそ、そのウワサもこの世界においては理に変わるのではないか。

 

 白昼夢のようにぼやけた現実感の中で、なぜだか強くそう思った。

 

 そしてもう一つ、浮かんでくるのは。蓮子とメリーの事だ、妄執に突き動かされて独りこの道を進む俺の後ろ姿は彼女達にどう見えただろうか……

 

 俺のような男は結界に置き去りにされたって文句は言えないか、そう嗤う。

 

 

 

 体感にして何分ほど歩いただろうか、夢見心地で浮足立つようなこの空間ではその体感というのもあてにはならないが、何にせよ長い鳥居の道が終わり、視界が開ける……。

 

 

 

 

 

 

「ここが谺ヶ池、か。なかなか雰囲気あるじゃないか」

 

 鳥居を抜けた先、その右手から緩やかな曲線を描いて腰の高さ程の赤い玉垣が続いている。それがどこまで続いているのかはわからない、玉垣の向こうには黒い水面が僅かな光を受けて鈍く反射し、そこに池がある事は認識する事ができる。

 

 玉垣の赤をより際立たせるこの灯りは、どうやら道すがらに灯される蝋燭の炎に由来しているようだ。

 

 向こうへと続いていく赤い玉垣のその中ほどに、小さな社のようなものがある。これも蝋燭だろうか、その社の入り口からは爛々とした光が漏れだしているようだ。

 

 周囲が森なのか山なのか、それとも一切の虚無なのか。それもわからない薄明かりの中で引き寄せられるように、その社の方へと足を進める。

 

 

 

 

 その社は社と言えないほどに簡素な物であった。しかし、この池の伝説を立証するに相違無い存在感を持ち合わせている。

 

 その社の中には百はあるかという程の無数の蝋燭が灯され、揺れている。

 

 そしてその向こう、無数の蝋燭の揺らぎの中を横切り進めば、その漏れだす光に照らされた水面が目に映る。

 

 それはまた幻想的で、妖しい景色である。

 

 この池に隣接して建てられたこの社からはいくつか連って所謂”飛び石”のようなものが橙色の光に照らされてぼんやりと見える。そしてその先には……。

 

「池の中の鳥居、なかなかにおあつらえ向きだな。儀式を行うにはうってつけ……。けどあの形はどうしたものか」

 

 その飛び石の先、池のちょうど中心あたりに一際大きな石の足場が見える。

 

 その上に鳥居がかかっているのだが、その鳥居が何とも奇妙な形状をしているのである

 

 普通、鳥居と言えば対になった柱の上に笠木などの垂直方向の木柱や石柱が重なった形のものを想像するだろう。

 

 しかし、目前にあるそれは違った。

 

 

 

 三本の柱、正三角形に並んだそれが三角格子、カゴメ格子の一角のように、余りにも場違いに見える石柱からなるその鳥居は歪な円形の大きな飛び石の周囲を、やはり鳥居にしては歪な形状で囲んでいる。

 

 さて、ここまで来て引き返す訳にはいかない、と。大股に一つ目の飛び石に右足を掛けた。

 

「あの鳥居の中まで行って、柏手を打てばいいわけか……。分かりやすすぎて怖いよなあ」

 

 独りなのを、孤独であるのを良い事に。俺の悪い癖である声に出る独白は留まるところを知らない、隣でツッコミをいれてくれる誰かがいない事がこれほどにも寂しいものだとは久しく忘れていたように思う。

 

 それに、これだけおあつらえ向きにその「ウワサ」への順路が示されていると、どうしてか誰か、何かの思惑の上に転がされているようで非常に気に食わない。

 

 とはいえ、俺は進まざるを得ない事は理解しているので、渋々と次の飛び石へとぎこちない足取りで飛び移った。

 

 そうして相変わらずに薄暗く怪しげな雰囲気漂う周囲を見渡し、顧みた時。一つ小さな不安というか、恐怖のような感情が芽吹いた。

 

「そういえばここ、結界の中なんだよな」

 

 ふと、足を滑らせて、この暗い水面の下にでも落ちようものなら、永遠にこの命朽ちるまで虚無の苦痛を味わったりするのかもしれない……。

 

 いやもしくは死ぬ事も出来ずに永遠の暗闇の中、遠ざかる水面に縋りながら沈みつづけるのかもしれない……。

 

「なんてな……」

 

 何て馬鹿らしく愚かな思慮だろうか。

 

 死ぬことなんて、怖くも何とも無かったはずなのに。今は、ここから消えて無くなる事を恐れる自分がいる。

 

 臆病な感傷をかき乱し、打ち消すように飛ばし気味に、飛び石を蹴った。

 

 全く滑稽で、情けない。

 

 

 

 そして 三本の柱の織り成す鳥居の、その中に俺は立っていた。

 

 さて、ここまでくれば俺がやるべき事はただ一つ、と。深く目を瞑る、その間際に仄かに照らされた黒く波一つない水面に映るものを、黒い自分の影を見た。

 

 俺は一体どんな表情でここに立っているのだろうか、逆光に映る黒い影からは窺い知る事はできない。

 

 たったの一瞬、しかしその影は俺の心に不安を与えた。暗闇、目を瞑りきればそれがある。

 

 周りの様子が分からない、見ることが出来ない、理解できないことへの不安、恐怖……

 

 それらが顔を見せぬよう、この石の足場に強く足を踏ん張り、さらに目を深く瞑る。

 

 脳裏をよぎる数多の景色を必死で振りほどいて、俺は強く願い、思い出す。

 

 ただ彼女の事だけを……、幻想の野で笑いあったその日々を……。

 

 そして、両の掌で強く拍を打つ。

 

「彼女は今、どこにいるのか。どうすれば会えるのか……。教えて見せろ、稲荷の神よ」

 

 パン、と拍を打つ音、その音は暗闇の中を進み、そして反響する。

 

 このままでは単純に谺である。そうでは無く俺はもう一度、彼女に出会う為の手がかかりを得るため、一縷の望みを託しここまで来た。だからこそ、これでは終わらせない。

 

 そう思った時、反響する拍の音に不可思議な変化があった。

 

 残響を残し消え入りそうな音、そうあるのが普通であろう。

 

 しかしここは結界のその中、物理法則も人の作り出した理の何もかもも通じない場所である。

 

 気味の悪い事に、その音は増大の一途を辿っている。光の届かぬ暗闇の中へと放たれた音、それは様相を変え果てしない晦冥の中から再び俺の鼓膜と還ってくる。

 

「っ……」

 

 耳鳴り、それ以外に例えるのなら鳴音、ハウリングに近いだろうか。耳を裂くように波打つ金切り音は耐え難く声が出る。

 

 神の試練か、それとも闇の底から這いだした亡者たちの呻き声か……。

 

 なんにせよ、谺ヶ池の作り出す狂気染みた喧噪はその強さを増すばかりで、どうしようもなく耳を塞ぎたくなる。

 

 それでも、その先にある神託を、彼女への道標を信じ、三半規管を突きさすような金切り音を歯を食いしばり堪えた。

 

 何十秒程そうしていただろうか……。

 

 

 

 

 

 

 ある瞬間、その喧噪は言葉に変わる。そして直接に脳裏にそのメッセージを刻んだ……。

 

 

 

 

 

 飛び石を戻り、社を後にする。頭が痛い、気分はあまりよくなかった。

 

 そして何より、早く二人に会いたい……。なぜだろうか、そう思った。とっくに先に進んでいるだろうけど。

 

「本当に芳しくない、な……」

 

 知りたかった事、その言葉が脳裏に焼き付いたせいだろうか。速足に自分の下ってきた鳥居の中を駆け抜ける。

 

 

 

 

 薄明かりに浮かぶ自らの影法師から逃れるように……。

 

 

 

 




ここまで読んでくださりありがとうございます。
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それではまた

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