少々時間は空きましたがなんとか投稿です。
迷走の伏見稲荷編もこれにて完結、という事で暖かい目で読んでいただけるとありがたく思います。
それでは
第十二話「原罪の解明 背負う十字架」
灰色の石畳、仄かに照らされた赤の鳥居の中を速足に駆ける。置いていかれるのは御免だからだ。
伏見稲荷の七不思議「谺ヶ池」の伝説は確かであった。俺の打った柏手は、確かに俺の何より求めた”失せ人”の手がかりを彼女への道標を示してくれたのだろう。
幻聴でも幻覚でもなく、俺の脳裏に ニューロンに焼き付いた”神託”は今も消えそうにない……。
朱の円柱の過ぎては消えゆく道中に、思い返して浮かぶのは、あの神秘的で不気味な暗い池で聞いた声、それについてだった。
三本柱の鳥居のその中で、俺はその暗闇に問いかけた。拍を強く打って……
「彼女は今、どこにいるのか。どうすれば会えるのか……。教えて見せろ、稲荷の神よ」
怒りか、拒否か。それがその問いへの返答なのかはわからないが。不自然で不可解な反響を繰り返すその音は、まるで亡者の呻きのような金切り音で俺を苦しめたのだ。
しかしその不協和音はいつしか声となり、言葉となり。俺の脳裏に焼き付いた。
”遠く、されど遠からざりし日に。決別、それを礎にして│”
テレパシーじみて、焼き付いたその文言はある種、希望をもたらす物である。
遠からざりし日、即ち近いうちに再び”彼女”と巡り合える。というのなら、それは何よりの僥倖で喜ぶべきことであるはずなのだ。
その神託とやらを全面的に信頼するなら……ではあるが。
もちろん、そう言うくらいなのだから。それを信じられない、否信じたくない理由も存在している。
その理由は余りにも自明で、それでいて切実だ。もう、同じことを繰り返してなるものかと……
「決別、だと……。別れなんてもう散々だ、懲り懲りなんだよ」
出会い、それがあるのなら。いつか、確実に別れは訪れるという。
もし、その言葉の通り決別が絶対で。それを礎として進んだ先に、彼女との再会があるというのであれば
俺はきっとそれを望まない、きっと彼女だって望みはしない……そのはずだ。
だからこそ、俺は今急ぎ足にこの朱の道を駆け上っている。
何より、早く彼女達を。蓮子、メリーの顔が見たい、そう強く思った。
もう少しで、二人と別れたY字路に辿り着くきっと、間違いなく彼女達はそこにいないのだろうけど。
諦観を抱きしめてその緩やかな道を駆け登る。
そして……。その分岐路に辿り着いた。
その先の、やはり仄暗く明るい道の交差点に見える、二つの影……。
なんだか、すごく安心してしまった。
「何だ……、待っていてくれたのか。てっきり置いていかれたものかと思ったよ」
その岐路には、別れる前と変わらなく蓮子がメリーが立っている。二人して俺を待っていてくれたのだろうか。
「別に待ってた訳じゃないわ、ここの鳥居が不思議だから、じっくり観察していただけよ」
蓮子は”待ちくたびれた”とでも言うようなけだるげな声で、俺の方に向きなおって言った。
「そうか、なら……良かった。で、鳥居がどうしたって?」
「いや、待たせてごめん。くらい無いのかしら……。まあいいわ、この鳥居見てみてよ」
「蓮子ね、あなたを一人置いて行けないとか言って待っていたのよ。本当に素直じゃないでしょう」
メリーはそう言って、蓮子の言葉に割って入った。
なるほど、メリーの言う通りなら蓮子は俺を案じてこの場所で俺をずっと待っていてくれたという事なのだろう。
それが事実なら、いつもの様に嫌みや皮肉を言ってやる気にもなれなかった。
こんな俺を、妄執に囚われて突っ走る俺をここで待っていてくれたのだから
「そうか……ありがとう」
「いいって、それよりこの鳥居の形見てみなさいよ」
「いや折角素直に礼を言ってるのによ……。あれ、なんだ。ここも三本柱か」
「ん、”ここも”って?」
蓮子は不思議そうな顔をして俺に尋ねた。俺の脳裏にはあの暗闇の水面に浮かぶ不自然な鳥居の姿がまだ、焼き付いている。
そこで聞いた声も。
「ああ……。俺が今さっき行ってきた谺ヶ池、暗闇の中に社と水面だけが浮かんでるような気味の悪い池だったんだけど……」
「だけど?」
「その池の真ん中に立ってたのさ、これと同じような三本柱の鳥居が」
俺がそう言うと、蓮子はいかにも考えています。とでも言うかのように顎に手を当て黙した。
メリーはそんな蓮子の表情を横から覗き込んでからこちらを向いた。
「集中してると蓮子はこうなの、もう少ししたらご高説を拝聴できるわよ。それにしても三本柱の鳥居なんて、何だか日本的じゃないと思わない?」
「謎解きの時間か、それは楽しみだ。確かにメリーのその感覚、わかる気がするよ。三位一体だとかダビデの星、あとはプロビデンスの目何かもあるか……。あまりにも神社の風景に合わないからあんなに気味悪く見えたのかな」
「そうそう、どちらかというと一神教の概念って感じなのよね……。この感覚を信じるなら、そこにこの伏見稲荷の真実があったりして」
「すっかり忘れてたな、それ」
「ひどいわね、すっかり放心状態ってわけなの?」
「うん……、まあそんなところ。思い出したから良いだろ」
その岐路に立ち尽くしたまま、メリーと雑談をしていた時、黙っていた蓮子が突然顔を上げ、言った。
「ええ、思い出したわ。そして多分わかったかもしれない……、この伏見稲荷の真実ってやつにね」
自信に満ちた猫のような笑み、いつもの蓮子の顔だ。そうしてその”本殿”へ続くであろう道を先立って進んでいく彼女の背をメリーと共に追いかけながら、俺は蓮子に尋ねる。
「で、何を思い出したって?」
「二人の話を聞いていて、膨大な記憶の中の一領域に繋がったって感じなんだけど……そうね、三本柱の鳥居、三位一体……。そして」
「そして?」
「そして一神教、つまり基督教よ」
「神社でキリスト教とは随分飛躍したじゃないか、もしかして日ユ同祖論でも引き合いにだすつもりか?」
「図らずも、そうなってしまうわね。ねえメリー、さっき秦氏については話したわよね」
「ええ、大陸から渡来した一族で事実上、この京都。平安京を作ったのもその秦氏なのよね、そしてこの伏見稲荷を作ったのも……」
「ええ、それも秦氏ね。それだけ当時は絶大な力を持った豪族だったのだけど、この一族の正体こそがこの稲荷の真実に繋がると私は考えているわ」
そう言いながらも蓮子はその足を止めずに進んでいく、過ぎゆく無数の鳥居も最初の方とは随分見た目も違って見える。やはり俺たちは伏見稲荷大社の歴史を逆行しながら追体験しているのかもしれない
「正体ねえ、そういえば秦氏は今の太秦に住んでたんだよな。ほら、映画村とかあるとこ」
「ええ、そうね。その太秦に秦氏に由来する神社があることは知っているかしら?」
「うーん、何だっけ……蚕の社だったかな。あった気がするけど」
「ええ、よく勉強したじゃない。正式名称は”木島坐天照御魂神社”だけどね。その神社は古神道ではあり得ない祭神を祀っているわ」
「あり得ない……名前から想像するなら天照大神とか祀ってそうだしおかしくはないとおもうけど?」
「残念ね、蚕の社の祭神とされるのは天之御中主神……。古事記によると最初に現れた神で目に見えない最高神、宇宙の根本の神だそうよ……。メリーはどう思う?」
「確かにおかしな話だわ、八百万の神々こそ神道の在り方なら、そんな絶対神みたいなのって相応しくないし……。その説明を聞く限りだと、その神様ってまるで”ヤハウェ”みたいじゃない?」
蓮子はその言葉に深く頷いた。多神教から一神教へ、そして唯一神の名前までが飛び出している。余りにも出来過ぎていて気持ちが悪いので早く蓮子の辿り着いた答えを聞きたかった。この結界は不審で不親切すぎる。
「前置きはいいから、結論を教えてくれないか?」
「仕方ないわね……。いいわ、私の辿り着いた答えを簡潔に示すなら”秦氏はキリスト教を信仰する一族だった”かしらね」
「なるほどな……、所謂”景教徒”ってやつか」
「私もそれなら知っているわよ、古代の中国に渡っていたキリスト教の一派”ネストリウス派”の事だったっけ、秦氏もそうだったって事ね」
「その通りよメリー、何よりの根拠は蚕ノ社の池の真ん中に立つ……”三柱鳥居”かしらね」
「……出来過ぎた話だな」
「ええ、その反応も仕方がないわ。あなたが見たのと同じような景色を、太秦で見られるって訳だから」
「だとすれば、俺の見た谺ヶ池の姿は。秦氏の開いた神社、池、そして鳥居……。蓄積されたイメージの具現。均一なるマトリクスに生じた裂け目や歪み、なのかもな」
「願望が入ってるように聞こえるけど、そんなに芳しくなかったの?」
心配なのかからかっているのかはわからないが、メリーが俺にそう聞いてくる。
しかしそれでもあの場所で聞いた言葉での全てを彼女に話す事はしたくなかった。
「そーだな、”遠からざるうちに”とか何とかだ」
「じゃあ、良かったんじゃないの。近いうちに会えるって事じゃない? あなたの探し人に」
「そうだと、良いんだけどな……」
そうであればいい、ただそれだけなら良いとそう思う。そんな感情を噛み締めながら結界の中、刻刻と姿を変えゆく鳥居の中を二人と共に進んだ。
「さあ、もう少しで見えるわよ。稲荷神社のそして秦氏の真実が……」
蓮子がそう言った時……
長い鳥居の道は終わりを告げ、見上げる目前には……。
神代の社のその真の姿が現れた。それは確かに想像を絶する物ではあったが、結界を越え蓮子の話を聞きながらここまで登ってきた俺たちにとっては、それほど驚くべき真実では無かったのも事実である。
稲荷神社、それについてこんな話がある。
秦氏、景教徒は単なる”お客様”であった訳ではない。彼らが信じた景教……キリスト教は古代の日本においても広まり、浸透していたようである。
江戸時代、群馬県で景教徒の遺跡が発見されたことがあった。
肥前平戸の藩主の随筆に描かれたところによればこうだ。
「先年、多胡碑 羊大夫碑のかたわらから、石槨が発見された。そこにJNRIという文字が見られた。ある人が外国の文献を見たところ、キリスト処刑の図にもこの文字が見られたので、蛮学に通じた人に聞いてみたがわからなかった。なお、この多胡碑の下から、十字架が以前に発見されているから、それと関係のあることであろう」
多胡羊大夫とは天武天皇の時代に現在の群馬県で力を持ったとされる豪族だ。
そして彼らは秦氏の系譜であるとも……
碑に記された文字「JNRI」は、ラテン語のJesus Nazarenus, Rex Iudaeorumの頭文字をとった略語であって、"ユダヤ人の王ナザレのイエス"の意味で。十字架につけられた主イエスの頭上にかかげられた言葉である
そして……。「INRI」と記される事もあるのだそうだ。
空はまだ暗い
気づけば俺達は奥社奉拝所の鳥居の前にいる。結界の中にいた体感時間を考えれば朝になっていてもおかしくは無い時間なのだが。
腕時計に目を凝らす。長針と短針が指し示すのは二時四十八分。結界を越えてから、帰ってくるまでに、たったの五分しか経って居なかったという事か。
「何だか、狐に化かされた気分だな……」
「狐なんて、忘れてたわ」
蓮子はそう惚けて言う。何だか寝ぼけたような心持ちで来た道を引き返す。
「それにしてもあれじゃあ、願いが叶うどころか参拝すらできないわよねえ」
「賽銭箱も無いもんな、まああれが真の姿なんだから仕方ないんじゃないか」
「ま、世界に隠された秘密を暴き出すのが私達の活動目的だからね……。あなたも良かったじゃない」
「そうだな……。中々面白かったぜ」
メリーは背を向けたままこちらに向かって言う。
「結局、その池で何を聞いたのかは秘密なの?」
「……。いつかは全部話すよ。遠い未来でもこうしていられるなら」
「ふふ、変な事言うわね。まあいっか、それにしても想像もしなかった結果だったわ。本命の願い事も使えず仕舞い」
「ああ、とんだ歴史ミステリーだ……」
世界中の不思議、隠された秘密。それをこうして広い集めるのが何より秘封倶楽部の活動だ。その道がいつか彼女のいる場所と交差する日を俺は信じている。
もはや生き急いでも死に急いでもいないのだから、しばらくはこんな日々が続けば良い
薄明るい千本鳥居、木々の間から遠く京都の街の輝きが木漏れる。
出会いが在るなら別れも在るのだろうが、それでももう別れなんて勘弁だ。
前を歩く二人、彼女達がそこにいる。それだけで何処か安心する、下り道を進む。
明日もまたきっとこんな日々を
ここまで読んでくださりありがとうございます。
見ての通りの出来ではございますが、感想などいただけると本当にうれしいです。
次回はまた原作準拠のお話に戻ろうと思うので、お楽しみに!
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それではまた会いましょう!