前話の投稿からかなりのブランクを空けてしまった事をここに深くお詫び申し上げます。この長い期間の間に少しづつ書き足したため至らぬところもあるかもしれませんが、どうかよろしくお願いいたします。
それでは
第十七話「生と死の辻で されど」
思い出と呼べるほど楽しくも無い、記憶と呼べるほど生々しくも無い。
ただ在った、言葉にするのならただ過去としか形容はできない話だ。人様や世間の視点に立つのであればただ痛々しい悲劇なのかもしれないが、俺にとっては違う。
こうして春の陽射しの中を彼女達と歩く
別れのもたらした出会いが胸に焼きつけた妄執の火は今も消えないが、それでも色の着いた今を生きている。そんな今へ至る道のその道のりを語るのであれば避けては通れない確かな過去の話だ……
「そう……じゃあ命日なのね。普通はこういうのって詮索はしない物だけど、言った以上はしっかり聞くわよ」
「そうそう、別に肩の力抜いて聞いてくれればいいよ。俺は同情とか憐れみとかが一番嫌いでな、当時はこれでも難儀したんだぜ」
昼下がり、いつもの喫茶店を出た俺と二人は四条から三条方面へ、木屋町通りを北へ歩いていた。
木屋町通りはここ科学世紀の京都では数少ない歓楽街、いわば夜の街である。つまるところ酒好きの俺や蓮子にはなじみ深い町である。
とはいえ昼の通りは行きかう人の層も、空気感もまた随分と違っていた。
「あなたの性格じゃあね、傷心とか喪失感よりもそういう周りの視線に対する苛立ちの方が勝ってそうだもの」
一瞬、景色に気を移した俺の意識は蓮子の声で引き戻された。
蓮子としては半分茶化しているつもりなのだろうが、正直図星ではあった。
「わかってるじゃないか、何か可哀想に見られるのが本気で気に食わなくてな、今まで何一つ関わりの無い奴らがだ。あの頃は本当に人間ってのに辟易したさ。ただ今はそうでもないけど……」
俺もあの頃はやはり若かった。憐れみなんて侮蔑でしかなかったし、所謂 現実の人間の言葉の何もかもがまやかしで、どうしようもなく取るに足らない物に思えたからこそ、行き場のない憤りをそんな視線で俺を見る人にぶつけたりもしたのである。今になれば彼らの気持ちだってよくわかる。
何となく懐かしく、恥ずかしい話だ。それでも話さないといけない訳だが、そんな俺の左後ろからメリーが言う。
「じゃあ、これでも丸くなったんだ。その何かしら……尖ってた頃のあなたも見てみたかったなあ。なんてね」
「別に尖っちゃいないって……この調子だと話しそびれそうだが」
「それは困るわね、しばらく黙ってあげるからさっさと話して頂戴」
「ちょっと蓮子、人に物を聞く態度じゃないじゃないの。まあでも、私もここは聞き手に徹してみようかな」
高瀬川の畔、まだ花を付けない寸前の桜の木に木漏れる日差しと影の中、半歩程後ろについて歩く二人。
はてさて何から話したものか。歩きながらの話だし、そう長話は出来ないしするつもりも無い。
それでも順序立てて話すのならばまず、どうしても今日の空には似つかない灰色の記憶を呼び覚ます他なさそうだ。
「一回しか話さないからよく聞けよ、それと先にも言ったけど何も面白くは無い話だ」
あれは、暗い灰色の空の下……春雨にしては余りに苛烈な雨粒が叩きつける。そんな長期休暇の昼下がりの事だった。
雨、ガラス窓を霞ませる水滴の無数。それ程広くも無いミドルクラスのミニバン、黒色のそれの最後部座席。三列目に座る俺は、窓の外に流れる景色をただ眺めていた。
滴る水滴にぼやけてはいるが、行く山道のうねりの遥か左方に見える山々に、打ち付ける雨が作り出したのであろう雲、もとい霧のようなものがその峰の稜線に纏わりつく様はいかにも雨の日、といった様子だった。
どうして、俺はこんな山道で車に揺られているのか。何のことは無い、所謂”家族旅行”のその道中なのだ。
科学世紀に突入した日本では、最早前時代的な都道府県の概念は過去の物とする動きさえあるが、俺の記憶を走るこの車はまさに愛知と長野、その県境を越えた所である。
特別裕福な家庭では無かったが、どうにも旅行好きだった両親は、夏、冬、春と長期休暇のある事に遠出をしたがった訳だ。
それはさておき、俺も当時は高校生だ。所謂まあ思春期の真っただ中な所もあって、どうも家族との関係とかは距離感とかは測りかねるそんな年頃だった。
それでも、まあたまにはと同行した国内旅行、その道すがらの事と思ってくれればいい。
わざとらしいシニカルな表情で、どこか達観した心づもりで一歩身を引いたそんな気持ちでイヤフォンで耳を閉ざした、青臭さの抜けないままの青年の姿を想像してくれればいいだろう。
信州旅行、長野県は古都にも劣らない歴史と自然に満ち足りた場所で、当時の時世からすればうってつけの国内旅行先だった訳である。
科学世紀の世の中では、いわば逆説的にそういったノスタルジアを求める風潮が強まっていた。情報弱者にして、ミーハー的な俺の両親もそんな風潮に影響された事だろう。
遷都されてまあ間もない都心からそう遠くも無い、郷愁の残る地に足を運びたくなった気持ちも今でこそ理解できる。
さて、細かな話は省くとして交通インフラが張り巡らされたこのご時世にどうしてこんな曲線的にも程がある、下道を走らせているのかというとこれにも少々訳があるのだ。
世間的にも大型連休に差し掛かる時分、所謂”帰省ラッシュ”ってヤツで高速に乗るには渋滞が危惧されたのだ。せっかくの旅行、渋滞に足止めされるくらいならと下道を選んだのだろうが……これがいけなかった訳である。
「なあ、ハイドロプレーニング現象って知ってるか」
「何それ、メリーは知ってる?」
「いいえ、何なのそれ?」
「おいおい、自動車免許の学科で習わなかったのかよ」
「だって取ってないもの、私もメリーも。このご時世じゃ必要ないじゃない」
「これだから科学世紀っ子は……。アングラな方面しか勉強して来なかったってのか」
「余計なお世話ね、今日日そんな免許取りたがる方がアングラでしょ」
「蓮子はともかく私は一般常識くらいはわきまえてるわよ、でもその何だっけ……。何とか現象は知らないわ、良ければ教えてくれないかしら」
「ハイドロプレーニングだ、そうだな簡単に説明するなら例えば自動車が水の張った路面を走行している時に、タイヤと路面の間に水が入り込んで車が水の上を滑るような状態になる。そうなるとハンドルやブレーキが利かなくなる事があるんだな、その現象の名前って事」
「大方そんな所だと思った、文面的に。けど車のタイヤの溝って水を排出する為にあるんでしょう」
「ああ、本来はそう起こる事じゃない。タイヤがすり減ってまっ平にでもなって無ければな。ただそれ以外にも要因はある、あの日は運が悪かった……としか擁護のしようは無いが……」
結果の見えた話、それは二人にもよくわかっている。続きを話した所で別に何らのカタルシスも無い……そんな話だ。
「ここまで大方予想通りだと思うけど、まだ聞くかい? マジで面白くないぞ」
「そうね……。でもまあ聞くって言ったんだから最後まで聞くつもりよ、多分だけどあなただってその方が良い、違う?」
「……そうだな、それじゃもう少し付き合ってもらうとしようか」
「ええ」
「私も聞くわ」
「ありがとな、じゃあ続きだ」
そうだ、その日は本当に雨が降っていた。それでいて下道ではあったが車も少なく、旅行気分で浮かれた足はいつもより強くアクセルを踏ませたのかもしれない。
下り坂のカーブに差し掛かった時だ。車はハンドル操作もブレーキ操作も受け付けなくなった。
ハイドロプレーニング、最後に見たのはフロントガラス越しの谷底の景色だった。
「と、まあそんな所で今日もピンピン生きてるぜ俺は」
視界は惨劇の雨の日から、小春日和な木漏れ日の下へと移る。自分で話しておいてだが何一つ面白くない話だ。
「いや、どんな所よ……。もう少し悲しそうな顔でもして締めたらどうなの」
「言ったろ蓮子、もう終わった話だって。それこそそんな調子なら今頃後追い自殺でもしてんだろうが」
「洒落になってないわよ」
蓮子はそう呆れたように言った。別に取り繕っている訳じゃ無いので、構わない。
「でもそうね、その調子ならついでにそんな状況下からどうやって生存したかくらいは聞いても良いわよね?」
「蓮子の言い方はあれだけど、私も少し気になるなあ……」
「おいおい、二人してか。せっかく昼飯の事考えようと思ったんだけどな……。まあいいか、これは別に記憶にある訳じゃなく後から聞いた事なんだが……どうにも救助された時には崖に生えた木に引っかかっていたらしい」
そう、永い夢の唐突な終わり。それに伴うこの世界においての覚醒……。それ以降幾度となく聞かされた話だ。
車内にいて、なおかつ扉も無い三列目に座っていた俺がどうして生き残れたのか。当の車体は俺以外を乗せたままに谷底でぺしゃんこになっているというのに……
「ま、あまりにも有り得ない事だったからか。結局、事件性も否定されたし報道も大してされなかったのだけは僥倖だったかもな。今の世の中、被害者だからってただ同情されるだけじゃないだろう」
「まあ、そうよねえ……」
「はい、この話は止めだ。忘れてくれよ、やっぱり面白くなさそうな顔するじゃないか……。それより、そろそろ三条に出るけどどうする?」
忘れてくれと言ったってどうせ忘れてはくれないだろう。まあ、話を切り替えようという所である。
「はあ、そうねえ。喫茶店で簡単に昼食、を蹴って此処まで歩いて来たんだから少しは良いもの食べたいわよね。メリーはなにか食べたいものある~?」
「うーん、優雅にイタリアンなんてどう? それも合成食品じゃないとびっきりのを食べたいわあ」
「食べたいはわかるけど、相当高くつくのは覚悟しといた方がいいわよ」
「ええ、もちろん。セレブですもの」
メリーは本気か冗談か曖昧な笑顔でそう言った。当たり前だが、合成の食品が主流になったこの科学世紀では、天然の食材は希少であり一種の嗜好品とすら呼べるやもしれぬ。
合成食品とはいえ有機的に培養された物であったり、精進料理のように肉や魚を他の食材で”模した”物であったりと、聞こえほどケミカルな物ではないし、味も天然と比べて大きく劣るという事も無い。
例えばカニカマなんかは魚のすり身で蟹を模した合成食品と言えるだろう。その魚のすり身すらも魚以外から作り出す。科学世紀の食の事情はまあそんなイメージだろう。
さておき、蓮子は俺の肩を軽く叩いて、視線の僅か数歩前で振り返る。そして意地悪気な表情で言った。
「メリーはそう言ってるけど、どうする? 私は全然賛成なんだけどね。おいしいイタリアンなんて随分と食べていないもの」
「いや、金がだな……」
そこそこ格式の高い店で、なおかつ天然食材オンリーとするならランチ価格でも10kは下らないか。払えなくは無いがやはり高い
「情けないわよ社会人、ねえメリー」
「おい、同意をいちいち求めんでいい」
「私は無理にとは言わないわよ~」
と、メリーは言うがセレブを自称する彼女の事だ。せっかくの休日の昼下がり、それこそミシュランガイドの星持ちくらいの店で優雅にランチしたいのが八割方の心中ではないだろうか。
いや、別にその気持ちを汲みたくない訳ではないのだが……。
「月の煙草代がバカにならなくてなあ……。よし、うだうだ言ってたって仕方ないし公平な方法で決めようぜ」
「公平な方法?」
メリーがそう言って首を傾げる、俺はそれに答えるでもなく二人に向かって握り拳を突き出した。
「二対一よ、勝てると思う?」
意味合いを察したのか、自信ありげな声色で蓮子は答えた。別に負けられない訳でもないけれど、勝っておいた方が良い気もするので、握った拳に願を掛ける。
「よし、俺が勝ったら”その辺の街中華で飲み”だ。負けたらどこへとなり……。さあ行くぞ」
「OK、行くわよ」
「え、ああそういう事ね……OKよ」
”じゃんけんポン”
三人同時に右手を突き出した……。
「やっぱり良いわね、天然物」
「ああ、間違いない。のかな」
すでに平らげられた少し洒落た皿、意識の高そうなそれが腹が立つくらいに真っ白なテーブルクロスに点在していた。
持ち慣れぬワイングラスを傾け、仄かな黄金色を無造作に流し込んだ。横を音も無く緩やかに流れる高瀬川を横目に。
グラスをテーブルに置いて、メリーが言う。
「ワインって高いわよね」
「金になるらしいな、ヴィンテージ物は」
「そうね、自然物の味や香りは今の科学技術でも再現不可能……。置いておけば確実に価値が上がるんだから投資の対象にもなるって訳よ」
「そうそう、英国じゃあワインファンドって言って手堅いビジネスなんだと。どうだ蓮子、酒が好きなら手を出してみないか」
「遠慮しとくわ、だってお酒は飲む為の物でしょう」
「まあ、ごもっともだな。金持ちの趣味ばかりは理解しかねるよ」
蓮子の言う通り、酒は飲むものである。果たしてどんな数奇か数億の価値のあるワインが転がり込んだ所でそれを飲むかと言われれば否だ。換金するに決まってる、どのみち馬鹿舌には価値の推し量れぬ物だろう。
「安いワインでも、酔えればそれでいい酒だ」
勝負事には弱いのかもしれない、結局じゃんけんにも負けた俺はこうしてメリーの要望通りにそこそこ値の張る天然物のイタリアンのランチメニューを平らげ、こうして食後のワインと洒落込んでいる訳である。
妥協はした方ではあるが、ランチ価格で五千円。ままよと調子づいてボトルで頼んだので割り勘でもプラス五千円……。身の丈に合わぬ昼食ではあったが、まあたまにはいいだろう。
蓮子は蘊蓄じみた口調で言った。
「これでも天然物には及ばないのよ、合成の混ざりものがしてあるから、格式で言えばミドルより少し下くらいかしら」
「どうでもいいさ、もうこれだけ飲んでしまった訳だし。俺から言わせれば合成の方が悪酔いしなくて良いって所だ」
「あら、経験がお在りで?」
「そうだな、前に下らん催事の引き出物で天然物を一本貰った事がある。置いてても仕方ないんで即日飲んだんだが、あれは記憶が飛ぶな。仕事を休むはめになった」
「ふふ、ワインってそういう飲み方をする物じゃ無いんじゃないの」
メリーはそう言ってくすりと笑う。
ごもっともで、しかしまあ転がり込んだ高級品をいかに卑しく消費してやろうかという心理が働いていたのだろう。若気の至りってヤツだ。さほど昔でもないが、そうしておくことにする。
蓮子はグラスを思いきり傾け、残ったワインを飲み干しながら言う。
「ふぅ、さてこの後どうする?」
「これ以上金を使うのは勘弁だぜ、それなりに酒も入ったし解散でもいいが。会長殿のご高説も拝聴した事だし」
「京都の境界をもう少しだけ、暴いてみようかしら?」
「この際だ、地獄でも天国でもお供しますよ、ってな」
さて、そういう訳で。会計は結局割り勘になった。曲りなりにも天然物……、中々に値は張ったがこの際だ、考えない事にしておこう。
会計を済ませ、店を出る。
木屋町通り、その横を高瀬川がゆるやかに尚流れていた。”この後どうするか”その問いの応えは今だに不明瞭だ。なので、俺はもう一度わざわざほろ酔い気分の会長、蓮子に再び尋ねてみる。
「それで、どうすんだよ。この後はさ」
かくいう自分はかなり酔っていて、正常な判断力はすでに失われてはいるが、今はまさに昼下がり……全てを忘れる刻にはまだ早かった。
「あーあ、やっぱ天然物は高くつくな。俺の財布も泣いてるぜ」
「文句言わないの、じゃんけん弱いあなたが悪いんだから。ノブレスオブリージュよ」
「”高貴さは義務を強制する”だっけか、どこが高貴なんだ俺の。よっぽど余裕あるだろうがよ、華の大学生」
「メリーに言ってよ、セレブらしいからこの子」
「ごめんなさいね、セレブで。ふふふ」
高瀬川を右に、セレブを自称する彼女は意地悪そうに、それでいて楽しそうに笑う。
うん、割り勘とはいえ高い昼飯代を払わされたって
そんな無邪気な笑顔で微笑まれては、俺も毒気を抜かれてしまう事を彼女は織り込み済みでいるのなら、俺は大人しく自腹を喜んで切るしか無い……。わかってやっているなら俺は到底敵いませんと、降伏の意を示さねばならないだろうか。
「気持ち悪い笑みを浮かべないの、ニヒルに決めときなさいよいつもみたいに」
「図星で悪かったな蓮子、ワインは悪酔いするんだよ」
「あっそ、じゃあまあ歩きましょうか」
何が”じゃあまあ”なのかは分からないがまるで示し合わせたように、何も知らない三人は気ままに木屋町を南へ下る。
四条、三条と非常に解りやすくも区分された道を歩いて
じゃんけんに勝てれば行くつもりであった街中華を左に流し、それなりに人波の行き交う四条河原町のその交差点をのんびりと進む
行く当てなどは無い、されどさもそれが在るかのような足取りは何だかいつも通り過ぎて安心感さえ抱きそうになりながら、鴨川を左に望み、晴れた午後の路を歩む。
「ねえ、どこ行くの?」
メリーが道すがらにふと、零した。
「うーん、地獄?」
間髪入れずに蓮子は言うが、とんだ問題発言だ。まだ死ぬつもりはないし、地獄なんてもっての外である。
「縁起でもない、六道参りか……この季節に」
六道珍皇寺、清水寺の近くに閻魔大王を祀る珍しい寺がある。鴨川を渡り、歩くこの道は古来、六道の辻と呼ばれ、現世と他界の境にあると考えられていたようだ。
「小野篁の話だよな」
「当然よ、それでわざわざこの道を歩いてるんだから」
「何それ、初耳なんだけど、教えてよ蓮子」
「うーん、そうね平安時代に昼間は天皇に遣えながら夜は地獄で閻魔大王に遣えた官僚がいた。って話ね」
「面白そうな話ね、あなたは知っているのかしら? その逸話を」
緩やかに流れる鴨川を横目に、橋を渡る三人……。流れゆく景色は早春のそれらしく仄かに温かさを孕んで吹き抜ける。
「小野篁は平安時代の官僚で、どうにも井戸から冥府……まあ地獄に出入りしていたとか何とか……。それくらいしか知らん」
「一応の日本史でこの世と冥府を行き来したのは小野篁くらいじゃないかしら、だから彼と所縁のある珍皇寺で地獄参りって訳」
四条大橋を渡ればそのまま右、鴨川の流れに並行して連れ立って歩くのは、摩天楼の麓の小さな地獄への道か。
「はい、ここを左ね。ここが松原通りよ」
「ここまで来ると一気に人も減るのね、あんまり観光地でも無いのかしら」
「まあ、有名ではあるけど観光しに来てわざわざ閻魔大王とか水子供養だとかを見て帰りたい人間はいないだろうな。そういえばちょうどこの辺は……」
俺が言いかけたとき、ふと立ち止まったメリーは行った。
「あ、ここから何だか空気が重いわ……。結界の解れも見えるし……どおりで人通りも少ない訳ね」
「やっぱりメリーには見えるのね、羨ましい。何となく明るい雰囲気では無い、くらいしか私にはわからないけど……。そうねここは鳥辺野のちょうど入り口だから」
「あーあ、今それ言おうとしたんだがな。ここは六道の辻って言うんだそうだ、と付け足そう」
「言いたければとっと言えばいいのよ、あなたっていつもカッコつけて溜めるじゃない」
「いや別にカッコつけてないからな、溜めも大事だろ……うん」
とは言え、実際ちょっとカッコつけてたので強くは出られないのである。
「六道って言うと、餓鬼道とか修羅道とかだっけ、地獄っぽいわね」
「そうそう、あと確か天道、人間道、畜生道、地獄道で六道だったかな。そう考えると六道も結構物騒な名前に思えるよな。ま、メリーには地獄なんて縁のない話か」
「そう願うけど、あなたは縁があるのかしら」
「天国に行けるような生き方はしてないからな、だから生きてるうちに桃源郷へ辿り着くのさ。それが叶わぬならその時は、いよいよ志望を決めるしかないな」
「オーソドックスに地獄道! みたいな?」
「そうそう、蓮子も考えとけよ」
「私は地獄行きになるような生き方してないわ、その調子だと本当に地獄に落ちそうね」
「厳しいな、冗談だよ」
松原通り、緩やかな上り坂を歩く。そんな中、民家の外壁に張られた小さな紙切れが目についた
「お、書いてあるな轆轤町って」
「へえー、ろくろってあの轆轤?」
メリーは両手を前に出して回すジェスチャーをして見せる。ご名答……むしろそれ以外の轆轤を俺はしらないが、陶磁器を作る粘土が回転しているアレである。
「でもなんで轆轤なの?」
「それはねメリー、さっきも言ったようにここは鳥辺野の入り口……。風葬地に死体を運ぶのにこの道が使われたって訳、つまり……」
「あ、待って蓮子。わかったわよ、轆轤町の由来」
メリーはペラペラと語り出した蓮子を制止した。どうしても当てたいらしい、ちなみに俺は知っているので何も言わない事にする。
まあ、諸説はあるが
「よし、当てるわね。轆轤町の由来……それは髑髏から来てるって事でしょ!」
「あー残念、当たりよメリー。結構そのまんまよね」
「残念って何だよ」
「やっぱりね、確かにドクロの町には住みたくないかなあ~改名したくなるのも納得できるわね」
そう言ってメリーは笑った。さて、そんな感じで駄弁りながら歩いていると雑居ビルの切れ間、左前方に朱い門構えが見えてきた。
「結構ぽつんと建ってるんだな」
「面白いでしょ、こんな市街地の真ん中に地獄への道があるなんて。ここだけじゃないわ京都の一大観光地”清水寺”のすぐ隣にだって大谷本廟がある……人の営み、喧噪のすぐ隣で息づく死の世界、京都って楽しいわ」
おおよそ共感できるが、そう言って楽しそうに笑う蓮子の笑いのツボだけは理解し難い
確かに、異界は必ずしも未開の山奥や夜の暗闇の中にしか存在しない訳ではないのだろう。日常、何気ない日々……、そのすぐ隣にこの世ならざる世界は存在しているのかもしれない、だからこそ面白いのだ。
だからこそ街の喧噪、人波の中に彼女の姿を探してしまったりもする。有り得ないは有り得ないと知ってしまったから……。
「何ぼーっと突っ立ってるのよ、行きましょ」
蓮子の声に我に返る。そうだな、いつだって大それた冒険活劇である必要は無い。
「ああ」
閑散とした境内、扉の閉まった本堂の前に歩み寄る。
「思い付きで来たからね、展示も見れないしそもそもお堂が開いてないけど……ま、いいわよね」
この辺では六道まいりと言って、八月ごろの所謂お盆の時期に大きな祭りがある。その頃に来ればこの境内ももう少しは賑やかだったかもしれないが、静かなのも嫌いではない。
賽銭箱に小銭を投げ込み、三人並んで手を合わせた。
一応、目を閉じてみた。暗闇だ
よく考えてみると、寺で何を祈願すればいいのだろうかという疑問が生まれた。せっかく来たんだから何か適当に願っとけ的な根性では仏様も微笑まないだろうか……
隣の二人は何を考えて手を合わせているのだろうか……
「結局何も祈願出来ないまま参拝を終えた訳だけど、二人は何か願い事とかしたの」
「私のは秘密よ、メリーは?」
「うーん、私も実はあんまり思いつかなかったんだけどね。三人で楽しく過ごせますようにってお願いしておいたわよ」
そう言ってメリーは恥ずかしそうに笑った
俺も変に考えないでそう願っておけば良かったと後悔するが、メリーの言葉は嬉しかった
「なあ、三人って俺も入ってるよな」
「ええ、もちろんよ」
よし、とガッツポーズはしてみるが眩しすぎるメリーの笑顔に正直目は合わせられないでいる。
「やっぱりはメリーはメリーね。私のメリーはやっぱり違うって事、でも薬師如来にお参りしただけじゃ地獄に来た感じしないわよね」
「ちょっと、私がいつ蓮子の物になったのよ……そういえば閻魔大王も祀ってるのよね」
「閻魔堂ならそっちだな」
件の小野篁と閻魔大王を祀る閻魔堂は本堂向かって右側の後方にある。尤も正面の戸は閉ざされており、中の像を覗こうと思えばくすんだ小さなガラス窓から覗く他は無い。ともあれ折角だ、行ってみよう。
「あー見える見える、暗いしガラスくすんでるけど見えるぞ閻魔大王」
「本当だわ、やっぱり怖い顔してるのね。右の人が小野篁?」
「そうだな、多分」
「多分じゃないわよ、メリーに適当な事教えないで欲しいわね。あ、あと小野篁の和歌が百人一首に載ってるのは知ってるかしら」
傍から見ればおかしな光景である、閻魔堂の小さく微妙に高い位置にあるガラス窓を三人で必死に覗き込みながら話しているのだから、冷静になってみるとこれがなかなか面白い。
「ははは、何だっけ百人一首?」
「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出ぬと 人には告げよ 海人の釣り船~って聞いた事くらいあるでしょう」
「それなら私も聞いた事あるかも、この人の歌だったのね」
ちなみにこの歌は篁が隠岐に島流しされた時に詠んだ歌だという説もあるようだ。諸説あり、だが。しかしまあ二年後に都に舞い戻って参議まで上り詰めたというのだから閻魔の側近というのもあながち嘘でもないのかもしれない
「ねえ、さっきお願いし損ねたなら閻魔様に手を合わせといたら?」
「は? いや閻魔だぞ」
「いいじゃない、中々無いわよこんな機会は。神仏ならどこにでもいるけど」
と、よくわからない理由で謎の提案をされた。まあ確かに民間信仰では閻魔大王を地蔵菩薩と同一視して信仰してるなんて話もあるが……。
いや、そんな事どうでもいいか。どうせ地獄に落ちるなら今のうちに閻魔に喧嘩でも売ってやろうか。そんな意気込みというか憤りが何故だか湧き上がってきた。多分、ワインがまだ効いている
「いいぜ蓮子、特大の地獄参拝と行こう」
「え? 特大って何よ」
思いっきり手を打ちあわせ、合掌。人気のない境内にその音が反響する。
くすんだ暗闇の中に偉そうに座す閻魔大王を睨みつけて祈る
「俺はまだ死ぬつもりは無いし、地獄にだってまだ落ちてやらない。俺は生きて失くした夢にもう一度辿り着く、そういう事でよろしく」
「ちょっと聞こえてたんだけどそれって願い事って言えるのかしら。地獄行きが早まったんじゃない?」
蓮子はそう言ってからかうように笑う。割と小声のつもりだったので聞こえていたのは恥ずかしいが、仕方ない
「私はあなたらしくて良いと思うわよ」
メリーそれはフォローなのか、ありがとうと言いたいが辛い。ワインはやはり地獄を見るという事か。
「よし、参拝も終わったし日も傾いてきていい時間だ。一杯引っかけて迎え酒と行こう」
纏わりつく微妙な空気を肩で切り、本堂に背を向けて歩き出す。いつのまにやら、早春とはいえまだ日は早いようで雑居ビルの谷間から射しこむ夕日が境内の石畳を照らしていた。
「そーいうことなら私も付き合うわよー」
後ろから蓮子の声と走り寄る音
「ちょっと二人とも、いや蓮子はともかくあなたは止めといた方がいいんじゃないー?」
その後ろから追いすがるメリーの声、寂しい境内には似つかわしく無いほどに馬鹿らしく楽し気な声が反響した。
ああ、俺はこの世界に生き残った事を後悔なんてしない。今のこの日々、二人との日々があるから
そして、遠くない未来でもう一度君に会えると確信出来るから。
申し訳ないがまだまだ、この日々は明日も明後日も続くはず
そう思った時、どうしようもなく生きている心地がした。死の匂いが漂うこの街で……。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
就活も終わり、最近やっと余裕ができたので取材では無いですが京都の木屋町周辺や清水寺、六道珍皇寺など見て回って来ました。もちろん緊急事態宣言が発令される前ですが…
本当に、世の中の在り方が変わってしまったなという感じですが。もし秘封倶楽部の二人ならどうするでしょう?
活動自粛?リモート秘封倶楽部?
どちらにせよ彼女達ならなんだかんだで楽しくやっているような気がします。
さて、これからも本当にマイペースな投稿となりますが自分の作品を楽しみにしている方がいると信じ(いなくても)頑張っていこうと思います!
それではまた!