秘封二次創作「秘恋映すは少女の瞳」   作:八雲春徒

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お久しぶりです。
以前の投稿から半年以上の期間が開いてしまったことをここにお詫びします。
新しい職場、新しい街での暮らしに余裕を欠いてしまいなかなか執筆に身が入らず本日の投稿になります。

本筋からは逸れた幕間という扱いにはなりますが、楽しんでいただければ幸いです。
それでは、


幕間 「そよ風に吹かれて」

 幕間「そよ風に吹かれて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「五月雨が響く昼下がりにふと過るあのメロディ窓を打つ音が瞼に写すのは夜を駆けたmemories」

 

 

 

 

 風が吹いた。

 

 

 春の兆しを孕んだ、生温い夜の風が

 

 安っぽいトタン屋根のベランダに吹き抜けた。吐き出した紫煙はその風に揺られて溶けて彼方むこうの空気に消えていった。

 

 遠く見渡す南西方向の景色の奥、爛々と煌めくのは阪神高速のLEDの灯りだろうか、澄んだ空気とは言えぬ、少し饐えた空気の中

 

 微か霞んだ光を眺めるでもなく見つめたまま再び吸い込んだそれを吐き出す……

 

 

 

 こうしていられるのも、冷たいはずの夜風に混じり吹く春の訪れのおかげ、まだ少し肌寒いがどこか温い風に吹かれて俺は煙草をくゆらせている。

 

 別にいまさら、部屋の壁紙をヤニで汚してしまう事を懸念した訳でもなく

 

 ただなんとなく、郊外の高台の湿気た借家のベランダからそんな輝きを見つめていた。

 

 

 

 こういう時には浸れるだけ感傷に浸りたくもなってしまう。そんな思慮、浮かぶ無数の泡沫の中にあの日の夢のその欠片を見ていた

 

 そういえば、決別の瞬間のその言葉は残酷にも奔流の中に聞き取れやしなかったっけ……

 

 突如として訪れた悲劇……突如として訪れた彼女との時間……。

 

 それらの持つ意味すら解らないまま、俺はこんな日々を享受している。いつしか時は流れ季節は廻っても、心はあの日に置き去られたまま……。

 

 数奇な出会いがその止まった時間を動かし始めた時、その穴を埋めるように辻褄を合わせる様に動き加速し始めた時間に俺の精神は耐えうる事が出来ているのだろうか……

 

 

 

「はぁ……」

 

 溜息か否か、それもわからない程度で吐き出した煙が緩やかな横風に流されていく。

 

 ただこうしている事に何の労力も要する事は無い、ただあるだけの感情に浸れた気でいるだけだ。

 

 

 しかしわかった、彼女達との出会いで

 

 それではいけないのだと、それでは何も変わらないのだと……。

 

 

 過去を、思い出を抱きしめたまま前へ踏み出すのにはそれ相応の覚悟が必要で在る事を

 

 学のない馬鹿な俺が唯一、胸を張れる事を突き通す為……

 

 

 夢をただ見ているのは容易かった、しかしそれを現に変える事は俺のような凡人には難しい。それは身を持ってして経験した事だ。

 

 雨の谷底に置き去った過去も、 夢の果てで得た愛おしい日々も……白紙の天井と変わり果ててしまった。

 

 

 俺はいてもたっても居られずに意味も無く旅をした。見知らぬ街角が夢に見た景色と繋がるような、根拠の無い期待と焦燥に駆り立てられるままに……

 

 けれど穴の開いた器には結局何も残せないまま、色の無い季節と時間だけが過ぎた。そうして出来たのがついこの間までの自分である。

 

 変わったのか、それとも変えられたのか……

 

 

 間違いなく後者だろう。

 

 嗤う、これが一体どんな感情か分からないけど。

 

 火を着けた煙草のフィルターが焦げ付く程の時間が経った頃、右のポケットの携帯端末が振動して誰かからの着信を告げている。

 

 

 暗いベランダ、空調の室外機の上に置いた灰皿に短く焦げたそれを押し付け、いまだ鳴りやまぬポケットの中に手を伸ばした。

 

 

 意外に次ぐ意外である。

 

 

「こんばんは、珍しいな」

 

「ハロー、夜遅くにごめんね。何してるの?」

 

「ベランダで感傷に浸ってたとこ、俺は夜行性だから気遣いは無用だ」

 

「 今日は温かいものね。多分だけど煙草吸いながら遠い目をしてる……どうかしら?」

 

「正解、いつのまにか透視まで出来る様になってるんじゃないか」

 

「ふふ、馬鹿言わないでよ。マクモニーグルじゃないんだから」

 

「よく知ってるな、でもメリーなら本物の超能力捜査官になれるんじゃないか」

 

「ちょっとかっこいいかも、卒業した後の進路の候補に入れておこうかしら」

 

「今日日儲からない商売だけどな」

 

 

 電話越しにメリーがくすりと笑う、こうして彼女と端末越しに他愛のない会話をするのはもしかしたら初めてなのかもしれない。

 

 この会話の行く末はわからないが、とりあえずポケットの煙草に手を伸ばし、咥えた。

 

 そしてだれに見られている訳でもないのに、少し恰好付けて片手でオイルライターの蓋を弾き、火を着けた。

 

「 それにしてもメリーが俺に電話してくるとはな……嬉しいけど何か相談事でもあるのかい」

 

「全然そんなんじゃないの、ただ暇だから何となくあなたと話したくなっただけよ」

 

「光栄だけど俺に話せる事なんてそれほど無いぞ、基本的に寡黙なタイプなんだ」

 

 

「なんでもいいのよ、あなたの話嫌いじゃないから。そうね、どんな感傷に浸っていたのか……良ければ聞かせてくれない?」

 

「はは、そうだな感傷か。人に話すのは結構恥ずかしいんだけどな、でも俺の事だし何となく想像はつくだろう」

 

「うん、いつか見た夢……あなたにとっては紛れない現実。あなたにとって大切な誰かとの思い出かしら」

 

 

「ああ、こうして春の夜風に吹かれていると思い出すんだ。彼女の声も、横顔の儚い美しさも何もかもを」

 

「主時間はセーブが出来ない。だからきっと思い出は美しいのだと思うけれど、それ以上に辛いわよね」

 

「ああ、その時間に立ち返る事は出来ないんだ。だからこうして追想して振り返る、全ては後になってからだ。いまや夢か現かも定かではない……そんな話だよ」

 

「私はそれでも聞きたいわ、あなたの幻想を」

 

 

「わかったよ、まあ小説ほど面白い話でもないが眠れないって事なら一つ……つまらない話を聞かせよう。情けない男の見た夢の話を」

 

 

 深く、煙を吸い込む。

 

 目を閉じ、それを肺に満たした。

 

 胸に感じる心地の良い重さと一緒に、暗闇の中を泡沫のような記憶のハイライトが明滅する。そんな切ない輝きを拾い集めて、ゆっくりと息を吐いた……

 

 

 

 ああ、あれはそうだ。不思議な世界で目を覚まし、彼女と出会ってから体感にしてしばらくの時が経った頃の事だったか。

 

 

 

 出会い、それは彼岸であった。

 

 何もかもを一瞬で失い、目を覚ました草原の一面のシロツメも、突き抜ける様に高く青い見上げた空も、そんな景色を呆然と仰ぐ俺に伸ばされた白く冷たい手の暖かさも……

 

 その全てが夢や幻覚の類だとしても、その瞬間の俺にとってはこれ以上なく幸せであったのだと思う。

 

 こんな時間が永遠続くような気がして、もはやその時間が過去や思い出に変わってしまう事など夢にも思わず、この今が永遠に続くのではないかと錯覚させる程に時間という概念が摩耗した世界で紡いだ彼女との永くも短い思い出の泡の一つ、季節にすればきっと春だったのだろうか……

 

 

 

 

 温い、風が吹いた。

 

 

 

 揺れているのは、彼女の金色の髪だけではない。

 

 田園に張られた水面もあぜ道に咲く蒲公英もその空間に息づく全てがその春風を受けて心地良く揺れているように感じた。

 

 

「ここにはもう、慣れたかしら」

 

 

 風のそよぐ音と虫の鳴き声だけの道に妖艶に透き通った声が響いた。

 

 

「ええ、貴女があちこち連れまわしてくれたおかげで随分と。どうしてか懐かしい気持ちになれるんです、こうして歩いていると」

 

「気に入って貰えたようで嬉しいですわ、退屈してるんじゃないかって心配してたの」

 

 

 初めてあった時と同じ白い日傘の影の中

 

 振り向いた彼女の微笑はここに来てから幾度となく目にした表情で、それでも何度だって微笑みかけられる事をどこかで望む自分がいる。

 

 足を少し速めて前方を歩く彼女に近づくと、そよ風に揺れる毛先が俺の頬をくすぐったような気がした。

 

 

 

「これだけ天気が良いと歩いてるだけでも楽しいものなんですね、ここに来てから一度だって退屈なんてしてませんよ。ずっとここに居たいくらいだ」

 

「あなたが居たいと思うなら、いつまでだって居てくれていいのよ。言ったでしょう、幻想郷は……」

 

「全てを受け入れる。でしたよね、そしてそれは残酷な事だと貴女は言った。けれど俺にはこの時間にも景色にも残酷さなんて感じられない」

 

「ええ、そうね。かつてこの場所が境界によって隔絶される前、人ならざる者達の巣食う東の国の辺境の地がまだ人の社会と地続きであった頃にはきっと存在しなかった物なのですわ……その残酷さは」

 

 

 

 彼女は並んで歩く俺に目を合わせたまま、その微笑を物憂げな表情に変えた。

 

 

 彼女は確かに俺と同じ人間では無いのかもしれないが、その実情は陶磁器の人形のように冷たい訳では無かった。

 

 彼女はその表情や声に、俺のようなつまらない人間以上に感情を豊かに表現する。

 

「何の因果なのかは分からないけど貴女が創った”幻と実体の境界”が死の谷へ落ちていくばかりの俺の魂をこの箱庭に繋ぎ留めたのだとしたら、出会えて良かったと思うんです。例えそれが残酷なことだとしても」

 

 

 本音だった。なぜなら今こうして春の陽気に包まれたあぜ道を彼女と歩いていることがイレギュラーな事象であり、きっと本当ならば雨の谷底で無惨な圧死体として発見されるのがきっと俺の人生における正史であり、幕引きになるはずであったのだから。

 

 夢のようで現実のような微風と微笑、ぬるま湯のように吹き抜けては一面の緑を波打たせる。

 

 

 連れ立って歩く二人の距離は近く、彼女の淑やかな声もまたよく届いた。

 

 

「私もそう思いますわ、本当に分からない物ね……。それとも出会いを理屈で考える事がナンセンスなのかしら」

 

「ナンセンスですか。やっぱり何だか時系列が滅茶苦茶だ。いったいここはいつの日本なんです」

 

「貴方が生まれるずっと前、人間一人の人生では収まりきらないくらい昔……。とでも言えばいいのかしらね」

 

「なるほど、確かに僕が生きていたはずの時代とは何もかもが違う様だ。しかしそれにしては……」

 

「ええ、それにしては言葉も通じるし違和感無く意思疎通もできる。不思議でしょう?」

 

「そうそう、それがずっと疑問だったんです」

 

 

 きっとここが俺の生きていた二千XXX年と同じ時間、タイムラインの上に無いのだという事は薄々気付いていた。一昔前のSFではありきたりな設定のタイムリープを今まさに経験しているという事になる訳だ。

 尤もこれが長い走馬灯のような物で無い限りは、だが。

 

 俺の知りうる限りの科学であったり技術は見る影もなく。その変わりに所謂”魔法”のような理が当たり前のように存在していた。

 

 ここに来てからは時間の感覚すらも曖昧になっており、シロツメクサの大草原にて彼女と出会ったのも昨日の事のようでもありながら或いは百年前のようでもあった。

 

 

 こういった言い方をすると極めて異常で不思議な事態かのように錯覚してしまうが、人間にとっては元々これが普通なのである。

 

 人にとっての時間という物は元から不確定な幻想に類する物であって、例えば時計の長針が一周する事を仮に一時間と定義したとして、その針が一周する間に感じる時間は自分と他者、個と個の関係では全くもって相違を齎すのである。

 

 簡単な話で、我々人間の定義した時間は所詮一つの物差しに過ぎず、実際のところ過去も未来もありはしないのではないだろうか

 

 

 

 

 

 

「私は境界を司る妖怪ですもの」

 

 

 俺の問い掛けにしばらく考え込むような仕草を見せていた彼女だったが、ふと閃いたようにそう言った。

 

 

「境界、それが答えなんですか?」

 

「ある意味ではそうね、けれどこの言葉は無限の意味を持っているわ……。例えばこの幻想郷と外界を隔てる”幻と実体の境界”これはあなたも知っていますわね」

 

「外界を実体の世界、そしてここを幻の世界とする事で妖怪の存在を保護する結界……そんな感じであってますよね」

 

「正解、流石ね」

 

「いえいえ、貴女から聞いたそのままを言ったまでです」

 

「ふふふ、覚えていてくれて嬉しいわ。さて、実体と幻……相反するそれらには大きな隔たりが元々存在しているのはわかるかしら」

 

「まあ、幻と実体ですからね。そりゃあそうでしょう」

 

「ええ、それなのにどうして結界を線引いてまで私達妖怪はこの箱庭に移る必要あったのか、そう疑問に思わない?」

 

 

 

 他に疑問があった気はするが、確かにそれも気にはなる。

 

 相反する事の出来る存在であった人と魔性、対等であるはずの両者に共存の道は無かったのだろうか。

 

「いや、だからこそなのか。相反し混じり合う事の無い両者だからこそその間に諍いが生じた……とか」

 

「あら、正解ですわ。貴方って意外と勘が鋭いのかしら」

 

 

 驚いた、意外だと大きく瞳を見開いて彼女はそう言うが。そんなに鈍そうに見られていたことに些か傷つく。

 

 

「そんなに鈍いつもりは無いですが……。いや、そんな事より人と妖怪の間に何があったんですか」

 

「人を襲う妖怪と妖怪を殺す事を生業とする人間が現われ始めた……。貴方ももしかしたら聞いた事があるんじゃないの、妖怪退治の話」

 

「ああ、結構好きですよそういう話。頼光四天王の鬼退治の伝説とか……ほら酒呑童子の」

 

「あなたも知っているくらい有名な話なのね、私もよく知っていますわ」

 

「へえ、じゃあ会った事もあったりするんですか、酒呑童子に」

 

「ええ、旧い友人なの」

 

「友人、はは……凄いな。僕からすればお伽話の存在も貴女には友人ですか。確かに冗談では無さそうです」

 

「ええ、お伽話にも伝説にもきっと会えるわ。いまここにいる貴方なら」

 

 

 

 この不思議な箱庭の不思議な法則下では夢物語ももはや夢ではないのだ。

 

 酒呑童子、会ってはみたいが俺の知る逸話から想像するに中々友好的な関係を築くのは難しそうである。

 

 

 

 それはそうと何か忘れている気がした。

 

 ああ、そうだ俺が彼女に尋ねたのは妖怪退治とか人食い鬼の話では無かったのだった。

 

 あぜ道を吹く温かい微風は心地よく忘却を誘う。それでも小さな引っかかりは消えないまま……

 

 その答えが唐突にこの暖かな白昼夢の時間を終わらせてしまう可能性を孕んでいても……

 

 

 

 

「そうだ、そういえばさっきの話なんですけど……」

 

 そう言いかけ口走った、彼女は立ち止まりそして振り向いて

 

 白く細い右手の人差し指をそっと俺の唇に当てがって、囁く。

 

 

 

 

 

 

「答えを急いではいけないわ」

 

 

 

 吹きすさぶ生温い風が止んだ。

 

 

 

 その一瞬、時が止まったように風も全ての音も静寂に変わったのを感じた。

 

 彼女のいつにも増して冷たい声色、けれど口を噤むその刹那の緊迫感は恐怖よりも何故か切なさを感じさせた。

 

 そしてまた風が吹いた。

 

 

「こうして今隣り合う貴方と私の間にだって境界はあるの、境界が無いという事は全てが一つであるという事……。境界が隔てるからこそこうして誰かと出会えるのですわ」

 

 

 

「隔たりが無ければ自分以外の誰かを認識する事すらままならない、そういう事ですか。だけどそれじゃ……」

 

「ええ、それでも私は境界の妖怪。境界の支配者であり境界そのものでもあるのよ。境界が無ければ世界はたちまちに崩壊してしまう。それならわかるでしょう、貴方と私 夢と現 過去と未来の間にその線引きがある意味を……」

 

「その線引きが、人にも妖怪にも越えられない制約を課し続けるなんて……そんなのは残酷すぎやしませんか」

 

「ええ、だから残酷なの。私だって例外じゃないわ。境界である私はそのどちら側にもいられない、線上に一人……寂しいでしょう。それでも私は神になろうなんて思えないの」

 

 

 

 儚い響きを持つ言葉だった。境界に立つという事は彼方にも此方にも居られないという事なのだろうか。だとすればこの出会いは境界線上での出来事なのだろうか……。

 

 そして、それは均一なマトリクスに生じた小さな歪みにすぎず、いつかはこの世界の理によっていとも容易く是正されてしまうものなのだろうか。

 

 

 まるでその瞬間は春の日、優しい日の射すどこまでも続くあぜ道。

 

 されど、その瞬間は春の日……。雨の谷底と落ちゆく全ての景色、喪失の記憶。

 

 

 さながらフラッシュバックするかの様に彼女の指先が触れた瞬間に脳裏を過り明滅する走馬灯は、夢と相反する現を映した。そう、映してしまったのである。

 

 ここにきて目を覚まし、彼女と過ごした穏やかな時間。その中に封じ込めて見て見ぬふりをしてきたもう一つの景色。幾度考えたのだろう、ここが現であちらが夢ならと……

 

 

 夢とは非合理的な物だ。それ故に何もかもが当たり前に成りうる世界でもある。現と夢はまるで鏡映しのように、隣り合い反発しあう物でもあるのだ。

 

 夢の今と現の今、その両方を観測できるのであれば一体、俺はどこに居るのだろう。

 

 

 穏やかな風と景色、どうしようもなく哀しさを拭えないのは俺だけではないと信じたい

 

 近いようで遠い距離感も、彼女の時折見せる冷たくて切ない顔も

 

 その全てのもどかしさの理由が二人を創り二人を分かつ境界であるとするならば、そんな物は存在しなくても良いと思うのだ。

 

 冷たく、優しく触れるビスクドールの指先

 

 少し強引にその手を取った。

 

 

 

「それでも、ここが夢や幻の世界だろうと死の間際の走馬灯だろうと構わない……。俺は貴女とこうして歩いて話す時間が幸せだから、だから……」

 

 

 言葉に詰まる、彼女の手を握ったまま。この境界を越えてしまえば……この線引きを侵してしまえば。もう二度と”会えない”帰れない”かもしれない。

 

 それでもその一歩は、俺が……踏み出さなければならない物なのだ。

 

 

「続き、聞かせて?」

 

 彼女の体が近づいた。体温が伝わる……

 

 戻れなくたっていいとそう思った。

 

 

「ここに居たい。幻想郷じゃなく貴女の傍らに居たい……それも刹那じゃなく永遠に」

 

「……本気で言っているの? この場所がこの瞬間がもしも夢だとするのなら、貴方には帰るべき現があるのかもしれないのよ」

 

「貴女が言ったんでしょう”居たければいつまでも居て良い”って」

 

「それは……ここに、幻想郷に居ても良いという意味ですわ。そんなつもりで言った訳じゃ……」

 

 

 そう言って顔を背ける彼女の表情に愛おしさと少しの罪悪感を感じた。

 

 彼女は優しい……だから、この言葉が重荷となってしまうかもしれない……。だとしても今伝えなければもう二度と、その言の葉が届く時は無い……なぜかそんな気がして、抱き寄せる。

 

 

「わかっています。それでも言わせて欲しい、俺は貴女と永遠を生きたい……どうか俺の居場所になってください」

 

「……」

 

 

 沈黙、逸らした目線が見つめ合う瞬間に変わった。覗き込めば彼女の紫色の瞳は深く、呑み込まれてしまいそうで……

 

 視線の交わるその僅かな距離、一瞬のようで永遠のような静けさ。

 

 微風の春風とその仄かな喧噪だけが俺と彼女の間の小さな隙間を吹き抜けていく。

 

 きっと、風に揺られたせいだ。たどたどしくも彼女の腰に回した両腕の震えるのは……。

 

 

 

 

 

 

 硬直した時間、それを破るように冷たく交差していた彼女の表情がまるで雪解けのように綻んで、突然にそして優しく俺の肩を抱いた。

 

 袖口が首筋を撫で、彼女の吐息が右耳にこそばゆく吹きこむ……。二人の隙間は限りなく零距離近づき、息を飲む。

 

 

「……有難う。貴方の言葉、本当に嬉しいですわ。私も幸せなのよ、月並みな台詞だけれど貴方と過ごす時間が」

 

「感謝をするなら……俺の方ですよ……」

 

「謙遜しないで。初めて、そう……初めて私と同じ線上に立った人……初めて偽りのない気持ちを伝えてくれた人……。不思議ね、永い時間を生きて幾多の出会いと別れを知る私が、こんな感情を抱くのは」

 

 首筋と肩に伝わる彼女の感触が強くなった。それに呼応するように腰に回した両腕も強く引き寄せる。

 

 

「貴女の事を愛してしまったんです」

 

「私も、貴方を愛してしまったようですわ」

 

「それなら……だったら……!」

 

 

 境界を越えて、永遠に一緒で居られるはずだ。と、そんな根拠のない言葉はどうしてこの時に浅はかな俺の言の葉と変わらなかったのだろうか……

 

 きっと、彼女はわかっていた。俺の偽りなき気持ちも……二人を分かつ境界のその大きさも……。自分の気持ちと、いつか訪れる物語の顛末も。

 

 だからきっと彼女はこう言った。焦らすつもりもなくただ誤魔化すように、夢がまだ覚めてしまわないように。

 

「ええ、きっと気持ちは同じなのでしょう。だけど今はどうか答えを急がせないで欲しいの……。今が、幸せだから……」

 

 囁くような声、入れ違う表情は見えないが。その声は泣いているようにも震えているようにも聞こえた。

 

 それはどちらにせよ俺の知る彼女らしからぬ声で、それ以上の言葉を噤ませるだけの理由になった。

 

 

 だから、せめてと。強く、彼女の体を抱き寄せるのがきっとあの瞬間の精一杯だったのだと思う。

 

 

 

 

 それは記憶。夢の記憶だ、戻りつつある時間の中で何度もリフレインした彼女の台詞が脳裏に響いた。

 

 

「だから……幻想郷に桜が咲き乱れる頃に、もう一度貴方の気持ちを聞かせて欲しいの。生と死の境を舞い散る花弁の雨の下でならきっと私も貴方に本当の言の葉を伝えられるから……。そしてその時には私の事、名前で呼んでくれないかしら……?」

 

 

 約束をした。花弁舞い散る桜の下で、その契りを果たす。そんな夢を何度も見て、今も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「果たせなかった約束の話だ」

 

 煙のように浮かんでは風に吹かれて流れて行ってしまう。そんな遠い記憶……

 

 こうして人に話すことになるとは思ってもいなかった。しかしどうしてか彼女に話したいと思ってしまったのである。

 

 

 

 

 

 メリーの声が電話越しに言う。

 

「果たせなかった、か。切なくてやりきれない結末だったんでしょうね……。話してくれてありがとう」

 

「まあ、そう辛気臭くなる必要もない。少しでも眠くなればいいと思っただけだ」

 

「ふふ、なんだか眠れなくなりそうよ。聞いていてドキドキしちゃったわ、でもやっぱり恋愛小説ならハッピーエンドじゃないと」

 

「同感だな、だけどまだ終わっちゃいないって最近は思えるんだ。出会いから始まる新たな物語は今度こそハッピーエンドで終わるってさ」

 

「そうね、私もそう願ってるの。出会いはきっと私の結末を変えてくれるって……」

 

 

 そう語る彼女の声にはいつもの物憂げな雰囲気とは違う何かがあるような気がした、そしてその声に何故かデジャヴを聞いた。

 

 取り繕うように続く彼女の言葉に、俺も無意識に詮索を避けてしまう。

 

 

 

「そういえば、あなたの思い人に再会できたら何て言おうと思ってるの?」

 

「ん、気になるか?」

 

「ええ、これは私の好奇心。きっとまたキザな事言うんでしょ?」

 

「あれはだな、そういう感じだったから言っただけでだな……」

 

「うんうん」

 

 

「ああ、そうだな……。もう一度彼女に会うことが叶うなら今度こそ約束した通り桜の季節に、ちゃんと謝りたいかな」

 

「あら、謝罪なのね」

 

「一緒に居ると言ったんだ。それを果たせなかった俺に開口一番言える事なんてそれしかないさ」

 

「その人ならきっと……あなたを責めたりなんてしないと思うけどなあ」

 

「はは、だけどそうして許して貰わないときっと面と向かって愛してるなんて言えないんだ。情けないよな」

 

「ううん、あなたらしくていいと思う。そうして一途に愛されるって何だか羨ましいわ」

 

「へえ、メリーにもそんな願望があったとはな、けどそれなら蓮子がいるじゃないか」

 

「もう、何でいつもそうなるの。私と蓮子はそんなんじゃないってば……。蓮子は知らないけど、とりあえず私は違うからね」

 

 

 少しムキになって訂正するメリーはやっぱり年相応の愛らしさがあり、いつもの如くこの流れを気に入っている自分がいる。

 

 付き合ってくれるメリーには感謝だが、そういえば少し喉が痛い。何本目かも分からぬ煙草をまだ煙の立つ吸い殻の残る灰皿にまた押し付ける。

 

 

 吸い過ぎたようだ。

 

 

「はは、それはまあ冗談として。メリーの事だからそういう輩は少なくないと思うんだけどな」

 

「えー、そうなのかしら?」

 

 

 こんな話の流れだからつい口走ってしまったが、容姿端麗で性格も温和なメリーの事だから。思いを寄せる人間がいたって何らおかしくは無いのである。

 

 どうしてかそれを思考の外に追いやって見ないように、触れないように働きかけていた自分に気付き また情けなくなった。

 

 

 やっぱりメリーは、マエリベリー・ハーンは彼女に……

 

 

「今、何か言った?」

 

「……いいや、なんでもない」

 

「そう、あらもうこんな時間。話していると時間が立つのが早いわね……」

 

「だな、気付いたら吸い殻の山が出来てる」

 

「体によくないわよ」

 

「ああ、まあ善処しよう」

 

「うんうん。はあ……やっと少し眠くなって来たかも。ありがとう、遅くまで付き合ってくれて」

 

「いいって、それにこちらこそ……つまらない話を聞いてくれてありがとう。少しすっきりしたよ」

 

「ええ、どういたしまして」

 

「ああ、そうだメリー。今年も桜は咲くかな」

 

「もう、そんなの咲くに決まっているじゃない。多分、早かったら来週くらいには鴨川の沿道もピンク色よ」

 

「そうだよな、よし。そうときまれば花見酒だ。蓮子と三人で」

 

「うん、満開の桜の下でね。そうだ蓮子と言えば何か言伝を頼まれてたような……」

 

「え、蓮子が俺にか?」

 

「うん、大した内容では無かったはずだけど……。ダメだわ思い出せないかも、とりあえず寝ようかしら……なんだか眠くなってきたわ」

 

 あくび混じりの眠そうな声でメリーは諦めを口にした。言伝とやらは気になるが眠いと言うのだから仕方ない。

 もともと眠れない彼女の為に、哀しき妄執と気恥ずかしい思い出の混じる記憶を自分語りしていたのだから。

 

 

「急ぐことじゃないならいいさ、無理せず寝ていい。おやすみメリー」

 

「ありがとうー、おやすみ……」

 

 

 通話が切れた。

 

 携帯をポケットに仕舞う。

 

 

 

 遠く見えるハイウェイの明かりは変わらず煌めいて余韻に浸って直視していては目に焼き付いて今度は俺が眠れなくなりそうだ。

 

 

 ああ、そう言えば明日も仕事じゃないか。

 

 

 ベランダを後にして、薄暗く暖色の常夜灯だけが暗く灯る部屋のベッドに身を投げる。

 

 

 今になって、柄にも無い事を話してしまったと少し恥ずかしくなった。

 

 君が彼女に似ているからなんて、メリーにも誰にもきっと永遠に言えやしない。

 

 どうしようもなく情けない男だ。こんな俺を彼女が見たらどう思う、自分一人じゃ何も変えられなかった男の姿を……

 

 

 過剰な喫煙から来るくらつきと、心地の良くない微睡の中で今はあの日の夢でなく。

 

 近い未来を夢に見た。出会って初めて見る桜はきっと今度こそ鮮やかに彩られている事だろう。

 

 あと幾つ、季節を重ねれば。約束した春に辿り着けるのかはわからない。

 

 それはまだ未知の道、だけど今年は三人で

 

 

 

 花弁舞い散る桜の下、そよ風に吹かれて……

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ここまで読んでくださりありがとうございます。
次の話からは鳥船遺跡を題材にした物語を展開していこうと考えています。
少し、私生活の方も落ち着き始めたとはいえまだまだ投稿に時間がかかってしまうかとは思いますがどうかお許しください。

仕事中暇があればメモ帳で執筆する、くらいの努力はしていく所存です。
こんな私の稚拙な小説ではありますが楽しみに読んでくださる方がいると信じて頑張ります。

それではまた会いましょう!
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