秘封二次創作「秘恋映すは少女の瞳」   作:八雲春徒

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本当にお久しぶりです。
長らく書き溜めてはいたのですが、どうしても気力が無く
一年以上のブランクを空けての投稿になってしまいました。
気長にはなってしまいますが必ず物語は完結させる覚悟ですので
もし読んでくれている方がいらっしゃるのであれば
お許し頂きたいです。

言い訳ばかりになってしまいましたが
どうかお楽しみいただければ幸いです。
それでは。


第十八話 「春を駆る 馬車と高く摩天楼」

 第十八話「春を駆る 馬車と高く摩天楼」

 

 

 

「人は概ね自分で思う程には幸福でも不幸でもない。肝心なのは自分で望んだり生きたりするのに飽きない事だ」

 

 

 

 

 けたたましい電子音が耳元で鳴り響いた。

 

 

 意識は朧

 

 

 半ば無意識のまま枕元に置いた携帯を沈黙させれば、再び心地の良い微睡に身を投ずる事ができる事を無意識の彼女は知っている。

 

 締め切った遮光カーテンの裾から零れ落ちる一筋の陽射しには見て見ぬふりをしたまま少女は惰眠を貪る。

 

 彼女には似つかわしく無い程に、さも満足気な表情で……。

 

 

 

 秘封倶楽部会長 宇佐見蓮子の朝は遅い。

 

 

 

 

「あーもう、わかったわよ」

 

 

 

 誰に言うでもなく、スヌーズの喧しい携帯端末を寝ぼけ眼で睨みつけ気怠そうな独り言と共にベッドから身を起こす。

 

 

 昨晩の深酒が祟ったか、さすがの私も頭が痛い。

 

 

 

 酒を飲んで寝ている時はあんなにも心地よいのに、酒が抜けて目を覚ます頃には

 

 嗚呼、こんな風に額に手を当て無いといけないなんて納得がいかない。

 

 

 

「頭痛あ……今何時になるのかしら……?」

 

 

 

 独り言だ。言葉に変換する必要も無く、その余力を持って携帯を手繰り寄せ

 

 正確な時間を確かめる方がまだ有意義であるのは火を見るよりも明らかなのは分かる。

 

 白い天井を見上げてみるがこの目にはその白さ以外何も映らない。当然、私の瞳の星時計は星が見えなければ使えない。

 

 仕方なく、まだ冴えない意識のままベッド脇に置いた携帯端末を手繰り寄せた。

 

 液晶に浮かぶ白文字、デジタル表記の時刻は午前十一時十分を指す。

 

 決して指してはいないけれど。

 

 

 画面のロックを解除せずとも数件のメッセージと不在着信が積もっているのは分かる。

 

 いつもの事だが少し寝すぎたようだ。

 

 カーテンを開け放つと朝と呼ぶにはもうすでに高く昇った陽射しが眩しかった。

 

 

「よし」

 

 

 レースカーテン越しの陽だまりの中で背伸びをして纏わりつく眠気を払う。

 

 心地の良い春の陽気、そんなものに浮足立つつもりは無い。

 

 とりあえず、洗面台に向かう。それほど冷たくない水道水で顔を洗い、顔を上げて鏡を見れば

 

 映るのはいつも通り凛々しい顔の私、宇佐見蓮子。

 

 後ろ髪の撥ねているのが気になる。

 

 しばらく切っていないので伸びてきているようだ。

 

 少し濡らした髪にヘアアイロンをあてがう。

 

 メリーみたいに髪が長いときっと手入れも大変なのだろうなと、何となく思った。

 

 それでも彼女の髪はいつだって艶やかで綺麗だ。

 

 これは本当にたまにだけれど、彼女の金色の長い髪を羨ましいと思うこともないわけではない。

 

 でも手入れが面倒くさいのは困るのでやっぱりいい。朝は少しでも長く眠れる方が好ましいから。

 

 そう言っている間に私のショートボブの黒髪も真っ直ぐ艶やかだ。

 

 

 そういえば、さっきの不在着信。きっと間違いなく彼からだろう。

 

 そういえば昨日の私は彼に迎えを頼んだった。

 

 私がいつになっても電話に応じないからといって、きっとただ呆れているのだろう。

 

 あんまり待たせるのも可哀想だから、さっさと身だしなみを整えてしまおうか。

 

 化粧水、頬を軽く叩く。

 

 乳液、下地、ファンデーション……。簡単でいい、なぜなら私は厚化粧をしなければならないほど自分の顔を醜いと思っていないし、むしろ綺麗な方だと自負している。

 

 

「はい、完成」

 

 

 薄く唇に紅を差し、私の最低限は完成する。

 

 私、宇佐見蓮子の朝は早い。

 

 クローゼットに何着も掛かった白いシャツその一つを木製のハンガーから外して袖を通す。

 

 同じように黒色のハイウエストスカートを少しきつめに締めた。

 

 ここまではいつも同じ、毎回違う服を用意して出かけるのは疲れるし場所も取るからだ。

 

 所謂、制服のような物だと私は考えているが。これは私が私の思う私を護るために必要な鎧のようでもあった。

 

 そうは言っても、全てがその度に寸分違わず同じなんてそんなのは面白くない。

 

 同じ道を歩くのであっても、その時その瞬間によって映す景色が違うように、大切なのは遊び心……。今日は少し趣向を変えて深い紅の蝶ネクタイに手を伸ばし

 

 鏡に向かえば、白いシャツの襟元できゅっと締め付ける。

 

 ベッドから起き上がってからまだ三十分と少し、我ながら効率的で迅速な無駄のない朝だ。

 

 

 さて、出かける前に珈琲だけでも飲んでいこうか。

 

 

 以前、見た目が可愛くて気に入った。それだけの理由でそれほど安くも無い値段で購入した全自動コーヒーメーカーの電源を入れる

 

 カタカタと小さな音を立てながらその面取られた銀色の四角い機械が珈琲を淹れ終わるのを待ちながら

 

 同じく面取られた四角い携帯端末をスカートのポケットからとり出して、さきほどの不在着信の相手に折り返した。

 

 

 メッセージアプリ特有の呼び出し音が鳴る

 

 時間して十秒ほど、彼は通話に答えた。

 

 

「おはよう、蓮子。ずいぶんとよく眠れたみたいじゃないか」

 

 

 いかにも皮肉っぽく、そしてそれが伝わるようにわざとらしくわざとらしい台詞、張り合いがあって良い。

 

 知り合った、というか墓場で出会った。

 

 そう秋の夜更けの丑三つ時の月明りの下。

 

 直進か、死か。そんな危うげな雰囲気の青年と私達は出会ったのだ。

 

 あの時、彼を私の。私達の活動に誘った事を後悔はしていない。

 

 

「おはよう、ついさっき目が覚めたとこ。昨日飲み過ぎたのよ、仕方ないわ」

 

「飲みすぎなくても寝坊するだろ、遅めに出たから急がなくても良いけどメリーはきっとまた待ちぼうけだぞ」

 

「読書に耽るとついついお酒が入ってしまうものよ。珈琲飲んだらすぐ出るから待っててね」

 

「蓮子らしく呑気だな、わかった。待ってるよ」

 

 

 アイドリング音が携帯の小さなスピーカー越しに聞こえる。彼はどうやらもうランデブーポイント、もとい私の住んでいる下宿の前まで来ているようだ。

 

 湯気を立てた深い琥珀色のそれがガラスポットにたまった頃、それを白いコーヒーカップに注ぐ。

 

 

「ちょうど今珈琲が入ったの、あなたも飲む?」

 

 

 一人分には少し多い、味はまあ……可もなく不可も無くといった所だが目を覚ますという目的のそれだけなら悪くない味とも言える。

 

 

「蓮子のオリジナルブレンド?」

 

「ある意味ではそうね、適当に買った豆を適当に買ったコーヒーメーカーが淹れた私のオリジナルブレンドよ。意外と悪くないわ」

 

「それは美味そうだ。興味はあるけど、そのためにわざわざ家に上がる事も無いかな」

 

「誰が家に上げるなんて言ったのよ、持ってて、持って行ってあげるわ」

 

「それはどうも、冷めないうちに早くな」

 

 

 言われなくても、とカップに残った珈琲を勢いよく飲み干した。

 

 木製のポールハンガーに掛けた黒いマントを羽織り、首元でボタンを止め、同じようにポールハンガーの頂上にぶら下がった白いリボンの黒い中折れ帽を手に取り浅く被った。

 

 さて待ちくたびれた彼のために、温かい珈琲を入れていってあげましょう。

 

 キッチンの引き出しから紙コップを取り出して、ガラスポットに残った珈琲を注ぐ。

 

 蓋つきの紙コップなので零す心配は少ない。

 

 そろそろ出ようか。

 

 愛用の黒いローファーを履いて、玄関の壁に掛けた丸い鏡で最終チェック。

 

 

「さ、出発よ」

 

 

 玄関先に出て鍵を締める。

 

 よく晴れた春の空が軒下から見えた。今日も良い日になりそうだ。

 

 視線を落とすと、下宿前の道路の端に寄せて一台の見慣れた時代錯誤的な見た目をした黒い乗用車が止まっているのが見える。

 

 運転席のドアバンパーにもたれかかるようにしてどこを見ているのか遠い目で煙草をくゆらせる男の姿も。

 

 繋げたままだった通話を切る、彼は耳に当てていた携帯を下ろすとこちらを小さく振り向いて手を振り上げた。何だか面白い。

 

 一階への階段を降りて、エントランスを通り抜け外へ出る。

 

 そうして少し辺りを見渡すと春めいたそよ風の中にちらほらと桜の木が揺れている。

 

 

「おはよう、待たせたわね」

 

「いつもの事だから気にしてないよ、もうおはようではないけどな」

 

 憎まれ口を言いながら彼は吸いかけの煙草を灰皿に押し込んだ。

 

「はいはい、こんにちは。ほら珈琲よ」

 

「どうも。じゃあ頂こうかな……」

 

「どうぞ」

 

「うん、普通だな蓮子ブレンド」

 

「ね、普通でしょ」

 

 

 苦笑いを浮かべて彼はコーヒーを飲み干した。私自身あまり美味しいとは思わないけれど、つくづく気の利かない男だ。

 

 でもそういう所が気に入ってもいる。

 

 

「ごちそうさま。しかしまあいよいよ春って感じだな」

 

「そうね、まだかまだかと思ってたけれど。季節の変わり目って何だかあっけないわ」

 

「ああ、いつから春だったんだろうなあ」

 

「どうかしら。ねえ、春は嫌いじゃないの?」

 

「はは、おかしいよな。嫌いになって然るべきなんだけど、好きなんだ……春」

 

 

 そうは言いながらも彼の声は少し憂いを帯びていて、そんな表情でボンネットに落ちた桜の花弁を掴み上げては風に乗せる。

 

 

「いいじゃない、私も好きよ。何て言ったって花見が出来るからね」

 

「間違いない、俺も早く花見酒と洒落込みたいんだが……。何で車がいるんだろうな」

 

「”用事”を済ませない事にはのんびり花見なんて出来ないのよ。手伝ってくれるんでしょ?」

 

「いつもの事だけどな蓮子、俺は詳細を聞いてない」

 

「それは移動しながら話すとしましょう」

 

「わがままな会長だな、ほら乗れよ。メリーが待ってるんだろう」

 

「ええ、でも安全運転でよろしくね」

 

 

 車の反対側に周り、助手席のドアを開けて乗り込んだ。

 

 劣化の目立つ革張りのシートも、煙草の匂いを誤魔化すような強めの芳香剤の香りにも慣れてしまって

 

 今や慣れない事があるとするのなら、この車の微妙に良くない乗り心地くらいだろうか。

 

 

「任せろ、さあ出発だ」

 

 

 エンジンが掛かる。

 

 走り出した車は、曲がりくねった左京区の住宅密集地を西に西に、縫うように進んでいく。

 

 京阪本線まで出れば、鴨川沿いの満開の桜を目にする事が出来るだろう。

 

 なんて私らしくもない少し浮足立つ気持ちで、助手席の窓を開けた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 狭い道は嫌いだ。

 

 いまいちどういった要件なのか、何か活動を始めるのかもよく分からず、呼び出されるままに蓮子を乗せて京都は左京区、狭苦しいせいぜい乗用車一台分と少しくらいの生活道路を慎重に進む。

 

 

「で、何だっけ?」

 

「ん、何が?」

 

「さっき話したばっかじゃないか、今日の予定」

 

「花見でしょ」

 

「それはそうだけど、そうじゃなくわざわざ大学まで車出す用事って何だよ」

 

「あー、その話ね。まあ簡単に言うと部屋の掃除を手伝って貰おうかなって話よ」

 

 

 助手席の蓮子は、携帯を片手間に触りながら気の無さそうな声で言う。

 

 言われた所で腑に落ちないのは変わらないが……。

 

 疑問は尽きないが、やっと狭い住宅街は抜けられそうだ。

 

 右折すると、二車線の比較的広い通りに出た。確か吉田通とかいう名前だったか。

 

 

「部屋って何の?」

 

「部室よ?」

 

「だから何の部室なんだよ?」

 

「何って、秘封倶楽部の部室に決まってるでしょう」

 

「へ?」

 

 

 吉田通をしばらく走って左に曲がる。この近衛通を抜ければいよいよ

 

 首都京都の大動脈である鴨川の沿道に抜ける。

 

 

「間抜けな声出さないでよ、とはいえ私も最近知ったんだけどね。部室があったこと」

 

 

 蓮子が言うにはこうだ。

 

 俺も彼女達も知っての通り、秘封倶楽部の表の姿はまともに活動していない不良オカルトサークルである。

 

 実態こそ禁止された結界暴きを生業とする危険なサークルな訳だが、兎にも角にもそんなサークルに大学の一室を貸し与える事などありえない話のはず。

 

 しかしどうにもそれがあったらしい。

 

 詳しくは分からないが、十数年前に活動していたらしいオカルトサークルの部室が旧校舎の一室にあり、当時のそのまま。

 

 まるで臭い物に蓋をするかのように物置じみた混沌とした姿で放棄されていたらしいのだ。

 

 そしてこの部屋だが現在、秘封倶楽部の部室として割り当てられているらしい。

 

 それが不良サークルの当て付けなのか、は分からないが。先代のオカルトサークル……前任者の遺産が転がり込んだのだから面白い話である。

 

 

「そういう訳で、せっかく部屋があるんだから使いたいでしょ」

 

「まあ、いいんじゃないか」

 

「まあ、って他人事じゃないんだから。でもそうね、その狭い部屋を有効に活用するなら先達の遺産を処分してしまわないと」

 

「処分って棄てるのか?」

 

「大抵はそうなるでしょうけど、お金になる物もあると思うのよね……。それを選別するのも今日の用事よ」

 

「ああ、それで売れそうな物は俺の車に積み込んで店まで持っていこう。って事か」

 

「その通りよ、今日の花見酒の代金くらい儲かれば万々歳じゃない?」

 

「仕方ないな、まったく……」

 

 

 

 

 そうこう話している間に、近衛通りは京阪本線にぶつかりT字に交差する。

 

 開けた視界の先には、京都の街を縦断する清流……鴨川の河川敷を埋め尽くす、満開の桜。

 

 白昼は高く、直上の陽射しを受けて白く輝く壮観に息を飲む。

 

 まるでそれは……いつか覗いた冥き国の景色のようにも見えて。

 

 

 

 信号が青に変わる。

 

 気を取られていつ信号が変わったのかは正直定かではないが、右にハンドルを切り京阪本線へと入る。

 

 

「ほんと、満開ね」

 

「絶好の花見日和……だな。見てみろよ花見の客で賑やかじゃないか」

 

「嫌味な言い草ね、どうせ私達が始める頃には空いてるって」

 

「だといいんだけどな、それもいつになるやら」

 

「それは貴方の頑張り次第、かしら」

 

 

 鴨川を左手に京阪本線を走る、開け放った窓から吹き込む温い風と心地よい気温の中

 

 寄りかかるようにして、窓の外を眺めていた中折れ帽の彼女は、その黒髪を風に揺らせながら猫のようないたずらな笑みを浮かべてそうおどけた。

 

 

「今回も、遺品荒らしみたいなもんだな」

 

「そうとも言えるかもしれないわね、先代の遺品だから。あーあ、ほんとに季節の移り変わりってあっけない……」

 

 

 瞬く間に流れる季節を憂う溜息、あれは去年の秋の頃、彼岸花の赤。

 

 

「彼岸、か」

 

「そう、秋のお彼岸参りのついでに埃を被った秘密を暴く。そんな旅だったわね」

 

「ああ、あれから時間は巡ってまた生と死の境界の季節に居る」

 

 

 京阪本線は川端通り、時速70kmで進む道なりの道。ハンドルを握り直し、少し強くアクセルペダルを踏んだ。

 

 よそ見運転は褒められた事ではないが、少し視線を左に傾ける。

 

 陽射しを乱反射する鴨川の川面の波打ちと埋め尽くさんばかりに咲き乱れるソメイヨシノの白。

 

 その向こう側には不気味に反射し影を落とす高層摩天楼の立ち姿……なんだかアンバランスな景色だ。

 

 無機質なビル群は時にその姿に墓石を連想させ、どうしようもなく冷たい雨に打たれたような悪寒と震えを齎す。

 

 いつかの旧都の廃墟群のように人の創った栄華の象徴でさえ、いつしか虚しい墓石や卒塔婆と変わってしまう……。

 

 それは人だって同じだ。

 

 

「墓場にはよく、桜が咲いているんだ」

 

「……墓場だから、植えてるんでしょう?」

 

「……そうかもな」

 

 

 

 何だか言葉に詰まって、視線を真っ直ぐ前に戻す。前方には鴨川デルタにかかる大橋を行きかう人だかり、路線バスの往来

 

 

「はあ……」

 

 

 助手席で蓮子の小さな溜息が聞こえる。頭を動かさない程度にさりげなく左側を目を向ける。

 

 腕を組む白黒のツートンカラーの少女は見透かすような流し目で俺を見ている。

 

 

「で、どうしたの。何か話したそうな顔しているわよ」

 

「ああ……。先週の事だけど、彼岸参りに行ってきたんだ」

 

「……そう、そういえば言っていたわね。どうだったの? って、聞くのもおかしな話なんだろうけど」

 

「はは、まあどうって程の話じゃない。寂しい墓石に花を手向けてきただけだ。話しかけたってただの石が返事をすることはないんだしな」

 

「そういう物でしょ、誰もあの冷たい石柱に人間性なんて求めてない。ただ、死人を忘れてしまうのが怖いから、石なんかに名前を刻んで通いつめるのよ」

 

「ああ、紙よりも電子データよりも確実に未来へ残せるからな。俺が死んでもあの墓石はあそこで……」

 

「で、どうだったの?」

 

 

 感情をはぐらかした言葉に彼女は満足しなかったようで、催促でもするようにその目を辞めようとしない。

 

 なら仕方ない。

 

 

「情けない事に悲しくなってしまってな

 ただの定例行事でしかない墓参り、感傷なんてもう無いと思ってたんだが」

 

「そう……。でもきっと悲しくないほうががおかしいわよ、だから別に良いんじゃない?」

 

 からかう訳でもなく、彼女は優しく微笑んでそう言った。

 

「……それが普通だったな」

 

「ええ、私もまたお墓参りに行かないとね」

 

「その時はまた誘ってくれ」

 

「あなたでも役に立てそうな事があったらね」

 

「荷物持ちくらいなら……」

 

 

 小さく頷いて、宇佐見蓮子はまた窓の外に視線を移した。

 

 春の日を駆る黒い馬車、もといマイカーは川端通りを道なりに賀茂大橋を横切り、出町柳方面へ鴨川デルタを横目に見ながら緩やかな右カーブの車線を進む。

 

 

「人が多いな」

 

「下鴨神社の参拝客かしらねえ」

 

 

 鴨川デルタの創り出す三角形の中ほどに京都でも特に古くから在るというその神社は原生林に囲まれて、この科学世紀の街の中でも変わらず内外からの参拝者に絶えぬ様子だ。

 

 

「蓮子は行ったことあるのか、下鴨神社」

 

「言われてみれば来た事無かったわね、なにせ私はフィールドワークとは無縁の大学生だもの」

 

「確かに、物理学のフィールドワークなんて聞いた事が無いな。ずっと数式と睨めっこじゃあ退屈しそうだけど」

 

「それがそうでも無いのよねえ、それに秘封倶楽部の活動もあるし退屈とも無縁よ」

 

「はは、野暮な事を聞いてしまったな。そうだ、下鴨神社の境内にある”糺の森”知ってるか」

 

「知ってるも何も、あの鬱蒼とした森でしょ」

 

 

 蓮子は北大路通りを過ぎかかった車の助手席から左後方を指さした。

 

 

「ああそうだ。どうにも縄文時代から残る原生林なんだと」

 

「へえ、それは初耳ね。でも面白いじゃない科学世紀の都の真ん中に太古の生態系が残っているなんて」

 

「随分と昔に世界遺産に登録されているから取り除くわけにもいかないんだろうな。確かに良いものだ、摩天楼の隙間にもまだ不思議は残っているんだって言うんだからな」

 」

 

「不思議?」

 

「ああ、それも七不思議だそうだ」

 

「へえ、面白そうね。どんなの?」

 

「さあ、どうだったかな。糺の森はもともと祭場だったらしいから不思議の七つや八つはあるだろう」

 

「何よそれ、覚えてないだけじゃないの」

 

「そんなところだ」

 

 

 鴨川デルタのY字路を右に、川端通りを駆る。

 

 時刻は午後、十二時三十二分。もう昼飯時なのだが、あいにく蓮子に次いで朝の遅い俺は蓮子ブレンド以外の飲食物を口に運んでいない。

 

 過ぎて、消える。ラーメン屋だとか牛丼屋だとかの看板には見て見ぬふりをして前を向いた。

 

 どこもかしこも桜色、安全運転を約束したのだからいよいよよそ見もしていられない。

 

 

「車を走らせればすぐだな」

 

「もうあと五分かそこらってとこかしら」

 

「ああ、ほらぼち 仰々しいイチョウ並木が見えて来たぞ、大学って感じで嫌になるな」

 

「でたでた、大学生コンプレックス。でもそうね大学にはイチョウ並木を植えろって法律でもあるのかしらね」

 

「それは知らん、あーでもイチョウなら銀杏が取れるじゃないか。秋になったら拾いに行こう」

 

「いいわね、軽く炒って塩振って……日本酒かビールで!」

 

「最高だな」

 

「でも、かなり匂うのよねー。拾うのは任せていいかしら?」

 

「構わないけど、銀杏臭い俺と一杯と言わず一晩付き合えよ」

 

「銀杏臭い男と飲み明かしたくなんてないわ、ただでさえ煙草臭いのに」

 

 

 そうこう言っているうちに大学の門を過ぎ、並木の脇に入る。

 

 車一台通れるくらいの舗装の行き届いていない道を進んで見えるのは、大学構内の片隅にこじんまりと存在する狭苦しい駐車場だ。

 

 

「相変わらず不親切な駐車場だな」

 

 

 消えかかった白線に目を凝らしながら車を停めた。

 

 

「着いたぞ」

 

「相変わらず酷い乗心地だったわ」

 

「それはどうも、タダなんだから我慢してくれ」

 

「もっと安くて便利な車、あるんじゃない

 ?」

 

「そうだな、見た目が気に入ったから金も無いのに買ったんだが」

 

「ローン組んでまで?」

 

「馬鹿らしいとは思うんだけどな、後先考えず行動する性分でして……おかげ様で金があんまり無いんだな」

 

 

「お酒と煙草やめたらちょっとはお金持ちになれると思うんだけど」

 

「蓮子は酒を辞められるのか?」

 

「辞められるわよ、私がお酒を嫌いになったらね」

 

 

「俺も煙草が心底嫌いになったら禁煙するよ」

 

 

 そう言うと蓮子は呆れたように笑った。

 

 

 ヒビの入ったアスファルトと木漏れ日の射す影の中、振り返りもしないままに歩く、白いリボンの中折れ帽のつばから揺れる黒髪の後を追う。

 

 

「ほら行くわよ、メリーが待ちくたびれてるわ。きっと」

 

「蓮子が寝坊しなけりゃメリーを待たせる事も無かっただろう」

 

「誰も起こしてくれなかったんだから仕方がないでしょ」

 

「何回携帯鳴らしても起きないじゃないか」

 

「呑気に外で煙草吸ってる暇があるなら、チャイムを鳴らしてくれれば良かったのに」

 

「二回ほど鳴らして諦めたんだ」

 

 

 ああだこうだと寝坊の言い訳を続ける蓮子の饒舌の応酬をいなしながら

 

 いつか見た、並木道の春の風に当てられて青々と色づき揺れる中を連れ立って歩く。

 

 

「前にここに来たのはいつだったかな」

 

「うーん、去年の十月末くらいじゃなかったかしら。ほらここのカフェテラスでお茶したじゃない」

 

「そういえばそうだ。月旅行の話をしてたっけか」

 

「そうそうお金貯めて行きましょうってメリーと……」

 

「そうだ、その旧校舎棟ってどこなんだよ。俺はあのちょうど目の前に見える気色悪い円筒二段積みの建物しか知らない訳なんだが」

 

「あっちよ」

 

 

 少し先を歩く蓮子は振り向きもしないままに、枝葉のトンネルを抜けてその全貌を現し始めた前衛的な建物の奥、東の山間のほうを指さしているようだ。

 

 

「あっちは山だけど?」

 

「前に言ったでしょ、うちの大学は古くて敷地も広いのよ。旧校舎棟はその最奥……我が大学の顔とも言えるあの大きな積木を越えて数多の校舎、関係施設を横切ってずうっと登った先にあるのよ」

 

 そう言って蓮子は立ち止まり、ポケットから取り出した携帯の画面を指さして見せた。

 

 

 なるほど、ここのホームページか何かの学内マップだ。

 

 

「ええっと、あのデカ積木の奥から一号館

 に二号館……。この端っこにしれっと絵だけのってんのが旧校舎か」

 

「そうそう。実情は田舎の廃校舎みたいな木造のがぽつんと、ほとんど誰も使ってないからろくに管理もされてないそうだわ」

 

「なるほど、それは確かに嫌がらせだ」

 

「やっぱり、今日日オカルトじゃ食っていけないのね」

 

「世知辛いな、まああるだけいいじゃないか」

 

「そーなんだけどね」

 

 

 蓮子の言った通り、進めど進めどその旧校舎とやらに辿り着く兆しは見えない

 

 入り口から例の積木までは、休日とはいえちらほら他の学生の姿も見受けられたのだが。

 いくつか校舎を通り過ぎたあたりから最早見る影も無く。

 

 気持ち良すぎて気持ち悪い程の春も中頃、雲一つない青空の下……閑散とした学び舎の閑散としたメインストリートに二人の足音だけが谺しているようだ。

 

「谺、か」

 

 谺、いつか暴いた結界の中……揺れる蝋燭の火と呑み込まれそうなほど黒い水面。そしておぞましくも”谺した”声がその一瞬フラッシュバックした……。なぜだか無意識に忘れてしまっていたような現実感に乏しい記憶だが

 

 

「そろそろ疲れちゃったのかしら? 意外と体力ないのね」

 

 相も変わらず、それほど歩き易そうにもないローファーでその勝気なペースを乱す事なく前を行く蓮子がからかうように冷笑気味に

 明らか、少しペースの落ちた俺を詰る。その声にふとまた春の日の下に帰る。

 

「そんなに年取ったつもりはないよ、まあ何だ……少し昔の事を思い出していたんだ」

 

「 ぼおっとしてこれ以上遅くなったらどうするのよ、もう」

 

「すまないな、急ぐか」

 

「いっそ走りましょうか、あと少しよ」

 

「少しってあと何メートルなんだ?」

 

「うーん、確かあの雑木林を抜けてすぐだったかしら。さあ、行くわよ」

 

 

 そう言うや否や、黒いハイウエストスカートの裾を激しく揺らしながら彼女は走り出す。

 

 まさか本気だったとは思わなかったので、少し呆気に取られて出遅れたが。

 

 致し方無いと俺もまた舗装が悪くなり始め、建物や人間より木々草花の多くなり始めた道を蹴り込んだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「着いたわ、一番乗りね」

 

「はあ、お前は二番乗りだろうが……。あとそんな元気があるなら頼むから早起きしてくれ」

 

「息が荒いわよ、そろそろ不摂生を改善しないとダメなんじゃない?」

 

 

 息が切れ、膝に手をついてしまう。近頃運動という運動もしていなかったし、悔しいがこれも不摂生の日々に享受してきたツケなのだろうか。

 

 息が落ち着いて、再びまじまじと目の前の建物を眺めてみる。

 

 なるほど、大学の敷地内の末端、舗装や整備も十分に行き届いていない雑木林の奥に佇むそれは。不良サークルへの当て付けと言っても納得なほど古びてはいたが、その佇まいにはある種の感動すら覚えた。

 

 

「よくもまあ、こんな古い建物を取り壊しもせず残し続けた物だな。こんなのは写真でしか見た事ない」

 

「科学世紀の世の中になって、この街にあった古い建物は取り壊されてしまったわ。もちろん著名な神社仏閣は除いて……だけどね。そんな無慈悲な科学世紀の申し訳ばかりの良心がこの旧校舎なのかもしれない……なんてね」

 

「古きを愛する地方都市……。そんな時代からこの街とこの学び舎の学生を見守って来た訳か。そう思うとこの薄汚れて薄汚い建物もかっこよく見えてくるじゃないか」

 

 

 そんな風に少し感慨に浸っていると、旧校舎のドアがギィと音を立て……。

 

 薄紫のワンピースに黒いウエストベルトの装い。セミロングのブロンドを揺らす白い肌の陶磁人形が姿を現した、笑みを浮かべて。

 

 森の奥の木造建築、木々の間から射す陽射し立ち込める少し不気味な雰囲気。軋むドアが開き現われたのは美しいアンティークドールのような少女……。とか、そんな事はどうでもいい。

 

 俺にはわかる。メリーは間違いなく”怒っている”

 

 それもそのはずだ。約束をすっぽかされるのが喫茶店の店内であったならまだしも、だ。人気も無く薄気味悪いこんな所を待ち合わせ場所に設定され、あまつさえ待ちぼうけを食らったのだとしたら温厚なメリーじゃなくったって怒って然るべしだ。

 

 彼女だって仏じゃない……。俺も同罪と腹を括った。

 

 

「二人とも、おはよう。今日はほんとに絶好のお花見日和ね」

 

 

 

 この微笑は麗らかな春の日の兆しか。それとも……

 半ば現実逃避でもするかのようにそう聞こえもしない声で呟き、木漏れる光を見上げた……。

 

 

 

 

 




ここまで読んでくださってありがとうございます。
次話は近いうち投稿するつもりです。
秘封俱楽部は永遠に
それではまた
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