秘封二次創作「秘恋映すは少女の瞳」   作:八雲春徒

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お久しぶりです。
本当に投稿が遅くなってしまい申し訳ございません。
プライベートが多忙でなかなか手が付かず…
久方ぶりにやる気を取り戻したので投稿させていただきます。
構想だけで形にできないもどかしさはありますが
もう少し頑張ってみます。
それでは


第二十話 「錦織り成す長堤に 暮るれば昇る朧月」

 第二十話「錦織り成す長堤に 暮るれば昇る朧月」

 

 

 

 

「21××年4月10日 買取店を巡る旅は恙なく進んだ。予定通り都内の古本屋、リサイクルショップを数軒ハシゴした訳だが、私の巧みな交渉術のおかげもあって予想したより大幅に多い額の軍資金が手元に残った。それは良かったのだが……ゴミ捨てから戻って以降、彼の様子が少しおかしい。いつにも増して何か考え込んでいるようだし、古本屋に行っては本棚を端から端まで見ては残念そうな表情を浮かべる。彼としては平静を保っているつもりのようだが私にもメリーにもバレバレなので、お酒を飲みながらでも聞いてあげるとしよう。何より早く花見酒を呷りたい所だ。私が書くんならこんな感じかしら? なんてね……。  ~秘封倶楽部会長 宇佐美蓮子の独白~」

 

 

 

 

 

 

 

 

 京都の夜は早い。

 

 メトロームのように一定周期に揺れる向かいの車窓の暗闇には、過ぎては訪れる白いLED灯の軌跡と

 

 それをぼうっと足を組んで眺める自分の姿が映るばかりである。

 

 近鉄京都線の車内には休日のこの微妙な時間帯にもまばらだがそれなりに乗客はいたし

 

 都心へ近くなるにつれて各駅停車のたびに乗り込んでくる客数も加速度的に増えていくようだ。

 

 都内に行って飲んで帰りたい時にだけ便利遣いをしているこの近鉄線だが、神亀の遷都以前の京都から科学世紀の京都までを走り抜けてきた歴史ある路線で、俺の様な郊外住みの人間……エデン外人類にとっては必要不可欠な生活の足でもある。

 

 ちなみにこのエデン外人類、楽園外人類というのは俺が京都都内、洛中区画に居を構える連中を皮肉って作った造語で

 

 彼らの驕った選民意識を心底軽蔑するつもりで時折自虐的に使用している。

 

 という話をこの前蓮子にしたのだが

 

「知恵の実も生命の実もお金さえあれば手に入って、追放する神もいない楽園なら誰だって出ようとしないわよ」

 

 そう言われて、返す文句も思い浮かばずただ惨めな気持ちで空を仰いだのは良い思い出である。

 

 尤も、彼ら楽園内人類とて生まれながらに特別な存在であった訳ではない。

 

 然るべき努力、功績

 

 相応の収入、社会的地位

 

 それら個人としての資質を踏まえたうえでかの楽園の一部を形成するに相違ないと数多の国民から選ばれたいわば勝ち組……。

 

 それを僻むのは確かに浅はかな話だ。

 

 はて、そんな事を考えていると視覚情報へのアプローチが疎かになるようで、気付けば俺の乗る列車は京都環状モノレールの高架を潜り抜け

 

 夜の京都盆地の中ほどに座す、煌々とした銀河の星間を縫うように進んでいた。

 

 時刻はもう二十時前。

 

 あの後大学を出て蓮子に命令されるがままに古本屋、またリサイクルショップを周り

 

 何とか段ボール二箱の出土品を全て換金し終えて二人を荒神橋近くで一度降ろして急いで帰宅。

 

 車をアパートに置いて、こうしてまたとんぼ返りしているのだから本当に休まらない休日だ。

 

  それほど座り心地の良くない緑色のパイル織のモケットのベンチシート、傍らに置いた所謂支給品のビジネスバッグにはあのノートが静かに収まっている。

 

 こうして車窓を流れる摩天楼の輝きを黄昏た面持ちで眺めているようで、決して動揺が無かった訳ではない。

 

 まさに夢が現に転び出でたような感覚、人はいつだって自らの無責任な夢がひょんなことから現と変わらぬものかと日々願い、生きる訳だが。

 

 仮にその夢が突如として現の物として眼前に顕われたとしても、多くは為す術無くそれを持て余すだろう。

 

 そう考えれば、二人と出会い数多の不思議に触れた事で自分自身、そういった埒外の事象への許容量は大きくなったと確信している。

 

 考えたくは無いが、もしも人の人生が運命や因果律に定められた物であるとしたら、夢の果ての出逢いも、秘封倶楽部との出会いもそして捨てられるはずだったノートに目を通した事すら因果に紐づいたシナリオなのではないか……。

 

 そう思える程に、確かに目まぐるしかった日々。

 

 それでもきっとそれが定められた事ではなく、自らが選び手を伸ばした結果の偶然であると、そう信じて向きあう事が今の俺にとっては一つの矜持だった。

 

 

「意外とすぐ、だな」

 

 周りの乗客がそそっかしく各々傍らや膝の上に置いた荷物を弄り始めた様子に乗っかって、そろそろと降車の準備を始める事としようか。

 

 

 窓を過ぎる光線のような軌跡が、いよいよLED灯として視認できる程に当列車も減速したころ

 

 シートのハンドレストに手を掛けて立ち上がり、その心地よくも無い揺れにそのまましばし身を傾けていよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 列車の揺れは最後のそれを皮切りに圧縮空気の吹き出す音に連れ停止する。

 

 機械音声のアナウンスが近鉄京都駅に到着した事を告げた。

 

「さて、バスか……地下鉄か……」

 

 列車を降り、相も変わらず迷路のような京都駅の構内を歩く。

 

 JRの中央口方面への連絡通路の端、人の流れを縫って立ち止まり。コートのポケットから携帯を取り出す。

 

 連絡先、発信、コール音。

 

 

「……。もしもし、どちらさま?」

 

 しばらくの間を置いて、応えるいつもの声その向こう側には冥い街の喧噪がノイズのように混じっている。

 

「ああ、俺だけど」

 

「そうでしょうね。今どこ?」

 

「京都駅、そっちまで何で向かおうか考え中なんだ」

 

「バスで良いんじゃない? 荒神橋まで来るんなら、そっちの方が近かったと思うけど」

 

「なら、そうするか。そっちは?」

 

「買い出しは終わったから今から場所取りに向かう所よ、思いの他混んでるけど桜は見頃だし仕方ないわね。あ、お酒の方はバッチリだから期待しててね」

 

「おっ、何買ったんだ?」

 

「それは着いてのお楽しみ。早く来ないと勝手に始めちゃうわよ」

 

「おいおい、酷いな。ああそうだ、メリーは一緒か?」

 

「一緒に決まってるでしょ、声が聞きたい? 

 仕方ないから変わってあげる。メリー、呼んでるわよ」

 

「おいおい……」

 

「……私に? わかった、代わるわね……。こんばんは、メリーよ。一時間ぶりくらいかしら? こっちは予定通り 今夜のお花見会場に到着する所だけど、貴方の方はどれくらいで来れそう ?」

 

 メリーに代わってくれとか、ましてや声が聞きたいだなんて一言も口にしていないというのに、あの憎たらしい会長は俺をからかうようにして彼女に電話を渡したようだ。

 

「ううん、そうだな。今バスターミナルに向かってるとこなんだが、乗ってしまえば直ぐだ。あとニ十分ってとこかな。大丈夫、もう待ちぼうけはさせないさ」

 

「だーかーら、本当に気にしてないってば。八割蓮子が悪いんだし。それはそうとそんなに私の声が聞きたかったの?」

 

 

「訂正しておくけど、俺はそんなこと一言も言ってないんだからな。いつもの如く蓮子のジョークだよ、まったく」

 

「そうなの? それじゃあ、私の声なんて聞きたくなかった?」

 

「違う、違うからな。聞きたくないなんて一言も言ってない。本当だ

 ぞ」

 

「ふふ、知ってるわ。冗談よ。気長に待っていますわ」

 

 

「ありがとう、メリー」

 

「……。はい、蓮子さんに代わったわよ」

 

「まあ、そういう事だからちょっと待っててくれ。切るぞ」

 

 右耳に端末を当てながら早足で京都駅のエントランスを抜ければ目下、下る階段の向こうには絶え間なく無人巡回バスの往来するバスターミナル。

 

 荒神口までは確か、都営4系……。

 

 走って駆け込むか、と予定に無い坂道ダッシュ競争で筋肉痛の兆候を見せる足に無理を言わせようとした時

 

 惰性で耳に当てっぱなしだった端末から呆れたような声。

 

「ちょっと、切れてないわよ」

 

「あ、ああごめん。もうバスに乗る、切るよ」

 

「待って」

 

 今度こそ、と通話終了のアイコンを押そうとしたが

 

 いつにもなく真剣な声にその指を未遂に止めた。

 

「どうした?」

 

「こっちに来たら、話してよ。活動に関係がある話なら、だけど」

 

「……あれ、バレてた?」

 

「バレバレ」

 

「そうか……。別に隠してた訳じゃなくて、ただ酒飲んで落ち着いてからにしようとだな……」

 

「オーケー、ならいいの。じゃあ切るわね」

 

 容赦なく通話は終了した。

 

「まったく……」

 

 少し、軽くなったような気持ちで

 

 仄白い明かりの灯る無機質なバスに乗り込んだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「荒神口、荒神口です。ご乗車ありがとうございました」

 

 いつか、京都に来てからはもう聞きなれた機械音声。運転手のいない運転席横のリーダーに端末を翳し、ステップを降りた。

 

 橙色の街灯が石畳のプロムナードに反射する川端通りの一角に立ち止まる。

 

 眠らない科学世紀の街は人通りに絶えず昼に見たのとは違う様相を見せる都の夜。

 

「壮観じゃないか」

 

 向かう鴨川の岸辺にはソメイヨシノの桜色がライトアップされ、まるでランプシェードのようにして黒く流れる水面にその光を煌めかせる。

 

 その向こう側に依然として聳え立つ摩天楼はいつも通り仰々しくもその瞬きを絶やす事なく聳え立っているのが相変わらず不気味だと笑い

 

 二人の待つ河川敷へ向かうべく、足を北に向ける。

 

 腕時計を視る。

 

「時刻はもうすでに二十時三十分って、夜桜を見始めるには遅すぎるんじゃないか?」

 

 独り言、行き交うのは金太郎飴みたいに同じ形の無人バスばかりの川端通を右目に、がやがやと喧しい人の波をのらりくらりと掻き分け荒神橋方面へ……。

 

 左目に街路樹越しに見やる河川敷には予想していた通りこんな時間でも夜桜に浮かれた花見客の影があちらこちらに揺れて見える。

 

 恥ずかしながらこの俺も今からその輪に加わろうとしている訳なのだが。

 

 気味の悪いくらいに治安の保たれた京都の街だからこそ、この鴨川河川敷の仮設花見会場は夜遅くまでライトアップが施され、治安維持の条例に束縛された美しい街並みの一角で飲酒する事が認められているそう。

 

 と、いう訳なら喫煙だってOKだろう。

 

 荒神橋を横切りきらないまま、その手前で左後方反対向きに踵を返す。

 

 河川敷に降りるためのスロープは先ほどまで歩いてきた遊歩道と同じように艶やかな石畳に舗装されていて、そのまま公園の芝生敷きの中を進んでいくらしい。

 

 視点を少し変えてみるだけでその憧憬は大きく姿を変え、見渡す視界には煌びやかに彩られた桜……黒に白と揺らめく鴨川を右手に挟み向こう岸にも桜、桜ばかり。

 

 向こう岸にいたら面倒くさいな。なんてぼんやりと考えながら来た道とは逆方向に、惚けた雰囲気漂う束の間の春の街道を見慣れた姿を探しながら。

 

 通り過ぎては背後へ消えゆく誰もかれもが、桜の下でレジャーシートなんか敷いて思い思いの美酒と肴を片手、気の置けぬ友人……恋人とこの儚い春の夢に興じているようだ。

 

「それと、大学生が多いな。俺みたいのは場違いってか、全く……気分がいいな」

 

 やっぱり俺も春の風がどこからか連れてきた陽気に中てられたか。そう遠くない過去に感じていたような焦燥や不安も忘れ、無意識に火を付けた煙草を咥えて居る。

 

 そうして、目前手前より二桜先のソメイヨシノの白の下。

 

 見慣れて飽きぬ、紫色とモノトーン。手を振る影にまたいつかのように手を振った。

 

「悪い、待たせたな」

 

「遅刻よ、遅刻。この宇佐美蓮子を美酒の水瓶を前にしてどれだけ待ちぼうけをさせるつもりかしら?」

 

 トレードマーク、白いリボンの中折れ帽の縁をくいっと持ち上げて肩越しの憎まれ口を叩く少女は、その語気とは裏腹に相方と向かい合って腰掛けるレジャーシートの不自然なくらい自然に空いた空間をぽんぽんと右手で叩き、誘う。

 

「じゃあ、お邪魔しよう」

 

 使い古した革靴を、二足並んだ黒いローファーと赤茶のブーツの少し間を開けた横に揃え、今宵宴の席に腰を降ろす。

 

「メリーも、一時間と少しぶりだな。思っていたより夜桜が綺麗でびっくりだ」

 

「ええ、待ってたわ。私……日本に来てからお花見するって始めてなの。蓮台野の桜も綺麗だったけど、生きてる桜も風情があるのね」

 

 本気か冗談か。いつかの秋の深い夜、そんな景色を引き合いに出して紫色のワンピースに艶やかな金髪の少女はくすりと笑う。

 

 

「生きてる桜、か。春は生の季節で死の季節でも在る。その境界の狭間で今年も桜は花を咲かせて散っていくんだな。死を生きる様に……」

 

 境界に咲く花、メリーはいつか彼岸花を気持ちが悪いと評してはいたが桜は気に入っているようで、時折吹く風に舞う花弁を手に取っては愉快そうな様子だ。

 

 俺も、黒い水面の向こうの桜を眺めて少し感慨に耽りかけたところで

 

 左から脇腹にぐいっと押し当てられる右肘

 

 心底からかうような声色の蓮子。

 

「どうして急にポエミーになっているのかしら? もしかして我慢できずに途中で飲んできたの?」

 

「ああー、蓮子は本当に茶々入れの天才だな。今のは全部受け売り……。俺はここに感慨に浸りに来たんじゃない、酒を飲みに来たんだ」

 

「はいはい、私だってそれは同じ。見なさい、今宵に相応しい最高のお酒を用意したわ」

 

 にやり、と彼女は笑い。茶色い紙袋から和紙製のラベルの目立つ一升瓶を取り出して見せた。

 

「おいおい、萬寿じゃないか。新潟県産完全天然の旧型……。あれで足りたのか?」

 

「ぎりぎり予算内よ、アテはコンビニ産の合成乾物で我慢して貰うけど」

 

「ああ、不満はない。さすが蓮子」

 

 当然、とばかりにしたり顔の蓮子の頬をつんつんともの言いたげな様子でメリーが突く

 

「見つけたのは良いけど、最後まで渋ってた癖に……。破天荒ぶってる割に意外とケチなんだから……」

 

「違うわよメリー、そこの旧型依存症が喜んで全部飲み干しちゃうのを危惧していただけで、決してケチっていた訳じゃ……」

 

「人を飲酒の悪魔みたいに言いやがって、でも結局買ったんだな」

 

「まあ、いいお酒があってのお花見でしょう」

 

「間違いない、さて。積もる話は後にしてとりあえず乾杯にしないか?」

 

「いいわね。お酒が入ると頭が冴えるって蓮子も言ってたし」

 

「全くだ、ただ自分で嗾けておいてなんだが盃もコップも持ってきてないんだけど」

 

 と、言うのと同時くらいのタイミングで差し出された白に青い蛇の目のお猪口……。

 

「準備がいいじゃないか、蓮子」

 

「さっき言ってた酒屋の店主がおまけで付けてくれたのよ。さ、それじゃあ乾杯といきましょう!」

 

 蓮子はもう待ちきれないとばかりに一升瓶のキャップをくるくると片手で勢いよく開け自分の猪口になみなみと注いだ後、瓶の首を持ちこちらに差し出す。

 

 

 京都は亀屋町、摩天楼を見上げる一面の夜桜の下。三人は揃いの白い猪口に揺れる美酒を掲げ、突き合わせる。

 

「「「乾杯!」」」

 

「お疲れ様ね。秘封倶楽部会長としてここに宴の始りを宣言するわ」

 

 そう言って猪口をぐいっと飲み干す蓮子に釣られて、俺も高く美酒を呷る。

 

「ふう、悔しいけど天然の旧型は美味しいわね」

 

「ああ、キレのある辛口……それでいてフルーティーな米の甘い香りが鼻に抜ける感じ、美味い!」

 

「今日は先代からの奢りって事で、さあさあ飲むわよ!」

 

 既になみなみ三杯は飲み干した蓮子

 

 俺も負けじと注いでは飲む、淡麗でスッキリとした飲口はアテを口にせずとも体に沁み込んでいくようだ……。これは良い。

 

 いや、良くないな。

 

 風情もへったくれも無く既に飲んだくれかけた俺たちを横目に

 

 呆れたわ、とそんな様子でそよ風に揺れる夜桜を見上げては小さく酒器を傾けるメリー

 

 そのどこか遠くを見ているような眼差し、

 陶器の白より透き通る肌と揺れる金色に

 

 一瞬、酒でなく息を飲んだ。

 

「……メリーが飲んでると途端に絵画っぽくなるな、ほら。メリーももう一杯」

 

「ありがとう、もしかしてもう酔ってる?」

 

「いや、まだまだ。話さないといけない事もあるしな」

 

 そうだ、春の夜を着飾る美しい桜の下で酔いしれるのも一興ではあるが、俺には一つ鞄に忍ばせた使命が……

 

「そう、それよ!」

 

 急に叫ぶような、本気で思い出したような素振りで蓮子がびしっと俺を右手で指差す、左手でお猪口を口に運びながらという珍妙な恰好で。

 

「ちょっと、いきなり大きな声だしてどうしたの?」

 

「どうやら彼には私達に隠し事があるみたいだから、それを白状するよう話していたのを思い出したのよ」

 

「もしかして、ゴミ捨てから戻ってきてから何だかずっと様子がおかしかった事と関係のある話かしら」

 

「ええ、面白いくらいわかりやすいんだもの」

 

 まるで知った事のようにそう掛け合って笑う二人。

 

 あれから、喉を突いて飛び出しそうな言葉を至って冷静に、TPOを考慮した然るべきタイミングで話すのだと……そう在れたつもりだった自分の滑稽さを呪う。

 

 が、まあ。二人はいつだってこんな感じだったか。

 

「はあ……敵わないな。なに、大した話だが大した話でもないんだ。これを見てくれ」

 

 右手側に置いた鞄を手繰り寄せる。いつのまにか幾つか桜の花弁の乗ったのが滑り落ちていく。

 

 そうして、取り出したそれをこれ見よがしに掲げた。

 

「うん? それって……」

 

「蓮子が捨てちゃったあの日記帳みたいだけど……」

 

 それがどうしたのか、そもそもゴミに捨てた物を何故わざわざ拾って来たのかという訝し気な視線は敢えて気に止めない。

 

「最後まで読まなかったろ、これ」

 

「読むに耐えなかったし、メリーと貴方に止められたもの」

 

「ふふ、何だか素っ頓狂な感じだったわよね」

 

「捨てた物が帰ってくるなんてまるで古典的なホラー展開だろうが、まあ。最後のページを読んでみてくれないか」

 

「仕方ないわね、化かされてあげましょう」

 

 不承不承ながら、といった顔で小汚いノートと再会した蓮子は、訝し気なその眼差しをそのままに頁を捲り始める。

 

 そんな蓮子に身を寄せて、それこそ頬がくっつきそうな距離で同じようにその顛末を眺めるメリー。仲が良いのは良い事だ。

 

「……」

 

「……」

 

 ぴくり、と瞼を驚かせたと思うと、蓮子は口角を少し吊り上げて笑う。

 

「へえ、面白いじゃない」

 

「……。幻想郷、貴方の口上以外でそんな言葉を目にする事があるなんて。確かに蓮子の言う通り、面白いわね」

 

「まあ……。そういう事なんだ。それで、二人はどう思う?」

 

 ノートを閉じ、それを俺の前に置き差し出した彼女はまた、大げさな素振りで酒を呷って言う。

 

「そうね、幻想郷縁起……。このノートの続編が見つからなかった以上、その内容を推し量る事は不可能な訳だから。貴方の話との整合性を確かめる事も現時点では難しい……。それこそ数十年前の微弱な痕跡を辿って、その原本を見つけでもしない限りわね」

 

「ああ、それでも奇妙な偶然だとは思わないか。これまで何度も幻想郷について、色んな方法で検索をかけてきたのに一件もヒットする事がなかったんだ」

 

 少し、考え込んでいたメリーが何か思いついたように口を開く。

 

「先代のオカルトサークルについて調べてみたら、何かわかったりしないかしら?」

 

「とは言っても、俺が生まれるずっと前に活動していたサークルの情報をどこまで追えるか、それは問題だ」

 

 一升瓶を傾け、注いだ透き通るそれをまた一気に飲み干す。

 

 幻想郷縁起、それはかつて俺が”彼女”から聞かされた数々の幻想の逸話の一つ。

 

 かつて、幻想郷にいた人々が脅威たる妖怪に対する対策や知識を編纂したものが、いつしか幻想郷の風土やその地に住まう妖怪たちを紹介する旨の本になっていったと聞くが……

 

 

 蓮子は携帯端末を弄って、しばらく眺めていたかと思うと。それをぽいとレジャーシートに投げた。

 

「今、軽く調べてみたのだけれど。公的に出版された文書含め、電子媒体で保存されている記録を辿ってみても、幻想郷縁起に関する該当はゼロね。国立図書館のアーカイブのお墨付き」

 

「ねえ蓮子、それなら個人出版とか所謂同人誌のような物だった可能性は無いかしら?」

 

 妙案、という風にメリーが手を叩く。

 

「なるほどな、確かにこのノートの記述を信じるとして。仮にそれがこっちで書かれた贋物だとすれば、あるかもしれない」

 

 

 あるかも、知れないが。

 

 水面に揺れて消える花弁、幻想的な都会の夜桜も酔いが回り始めて霞んだ視界に見ればいつか彼女と二人で見上げたその景色のようで。

 

 ぼけっとした俺の様子を察してか、蓮子は咳払いをした。

 

「確かに、幻想郷……なんて何時か何処かの誰かが思いついてもおかしくは無いような文字列がどこにも存在しない事。それが何故か私達の前に現れた事……。ロジカルじゃ無いけれど不気味で、ワクワクする話ね」

 

 いつの間にやらビニール袋から取り出したあたりめ

 

 その実、烏賊の干物風の合成乾物をその小さな口の右端に噛み締めながら、いつもの不敵な笑顔を。

 

 その化け猫のような笑みを浮かべた蓮子。

 

 乗ってきた、という風な彼女だが。そんな気取った調子を傍らの相棒は訝し気に見ているようだ。

 

「もう、行儀が悪いわよ蓮子。いくら蓮子だからってうら若き女子大生なんだから」

 

 本日何度目か、呆れた溜息のメリーは、相も変わらず咥え煙草でもするかのようにあたりめを咀嚼してはしたり顔の蓮子の前に身を乗り出して、彼女の咥えたそれをぷちっと引きちぎり自分の口へ運んだ。

 

「ひゅう」

 

 つい、ベタな冷やかしが声に出てしまった

 

 目には悪くないが……。いくら仲の良い同性でも俺は金輪際行う事がないであろうスキンシップを眺め、僅か感じた手寂しさに少し軽くなり始めた一升瓶を手繰り寄せる。

 

「ん、どうしたのかしら。今日はやけに積極的ね」

 

「んー……」

 

 嬉しそうに笑う蓮子の顔を睨むメリーだが、口に運んだそれを必死に咀嚼しているため言い返そうにも言い返せない悔しさに、か。

 

 薄暗い照明の照る桜の下にいても分かるくらい紅潮した頬を少し膨らませた。

 

「仲が良いようで何より。確かに、メリーの言う通り。会長殿には淑女って言葉は似合わなそうだ」

 

「ふん、余計なお世話よ。メリーになら兎も角……。紳士って言葉が一ミクロンも合致しないような男には言われたくないわね」

 

「まったくその通り……。俺は科学世紀の反面教師だからな」

 

「それで私は科学世紀の申し子、って? 

 馬鹿ね。私は何にも隷属するつもりはないのだけど」

 

 今更、分かり切った事を言わせるなと言わんばかりの表情で彼女はまた俺の前から瓶をひったくる。

 

 彼女の言葉に一つ思い出すことがあった。

 

 科学世紀の日本では結界を暴く行為は法律で禁じられている。

 

 確かにサークル活動と称し法を侵し続ける事を厭わない蓮子は申し子というには少しばかり、いやこれ以上ないくらい背教的なのだ。

 

 しかし、今まで真剣に考えようともしていなかったが。どうして結界暴きを禁じる法律なんかが存在しているのか……。

 

 天然のアルコールでかき回され反芻を繰り返す思考の深淵より、浮かび上がった泡沫をぱん、と割るように。

 

 やっと咀嚼を終えて、メリーが声を上げた。

 

「……ふぅ、いろいろはさておいて……」

 

「ん、どうしたの? メリー」

 

「ええ、さっきの話を聞いていて気になることがあったの」

 

「どうしたんだ?」

 

「ええ、幻想郷って単語が一切検索に引っかからないって話だったでしょう。もし、仮にだけれど。幻想郷を知る貴方が、それを例えば掲示板なんかに書き込んだとしたら……その前提はどうなるのかしら?」

 

 メリーは問う。

 

 そして思い出す。その問いにはもう答えがあった事を。

 

「二人に会う前の話だけど、実はやってみた事があるんだ。あの日は相当飲んでいて、やけくそでいつもの掲示板に幻想郷について書き込んだ事があった」

 

「あの日は、っていつもでしょ。それで、どうなったの?」

 

 俺はメリーに聞かれたから答えようとしていたんだが、と。口を挟んだ蓮子には言わないまま……。

 

「翌朝になって、馬鹿な事をしたと思って過去ログを漁ってみたんだが……。消えてたよ。跡形もなくな」

 

「……」

 

 何か言おうとした素振りのメリー、しかしそれを辞めて蛇の目を呷る。

 

 無理もない、それまでの話。

 

「とはいっても、だ。相当べろんべろんだったし記憶違いとか夢だったとか……いくらでも合理的な説明は付く話だ。記憶ってやつはどうもあてにならないらしいんでな」

 

「……。それが本当なら、きっと何か……そこには大いなる秘密が隠されているんでしょうね。秘封倶楽部の宇佐美蓮子としては暴かずにはいられない、って所かしら」

 

「はあ……。蓮子ならそう言うと思ったわよ。でもどうしましょう、その幻想郷縁起を探してみる?」

 

 それに、それに辿り着くことが出来れば。俺の追い求めた全ては思いの他簡単に見つかるのかもしれない。そうして暴き出した真実のその先で、もう一度彼女に逢う事が出来るのかもしれない。

 

 しかし……。

 

「叶う事なら。けれど、答えを急ぐ必要なんて無いのかもしれないと、今はそう思うんだ」

 

「らしくない事言うわね。でも、文明の利器を駆使したって見つからない探し物なら……私の頭脳を持ってしたって、アナログな手段を取る他ないんでしょ。不服ではあるけれど……。いつも通りって事ね」

 

 興奮していた様子の蓮子だったが、何かを悟った様な、それか憂いでもしたような苦笑いでそう言って、半端に開けた合成乾物のパッケージに手を伸ばす。

 

 黙って、そんな様子の黒髪の少女を横目に見ていたメリー。

 

 どうしてか、嬉しそうに。安堵から肩の力の抜けた笑顔をその白く綺麗な、キャストドールの横顔にも似た表情一杯に浮かべて、隣に居る彼女の頬を突く。

 

「そうそう、探し物ってね。躍起になって探している時ほどどこをどう探したって見つからないけれど、ふとした時に足元を見てみたら見つかったりする。そういう物だと思うの」

 

「エアコンのリモコンなんかはいつもそうだな」

 

「あと、目覚まし時計?」

 

 蓮子は左手で、肩程まで伸びた横髪をかき上げて、そうおどけた。

 

「目覚まし時計どころか、携帯のスヌーズが鳴ってたって起きないじゃない。蓮子は遅刻っていう観念をどこかで失くしてきたのかしらね?」

 

 辛辣なメリー

 

「私は常人よりも高密度な時間を生きているから遅刻したって問題ないの、私がからかったから拗ねてるの?」

 

「拗ねてない……」

 

 そう言ってメリーはまた頬を膨らせた。

 

 やれやれ、何だかやはりいつも通りな二人の惚気た空気につられてか、先ほどまで少し真面目な話をしていたような気もしながら、半ばどうでもよくなりつつある自分をやけに客観的な視点で見つめている。

 

 相対精神学において、主観にこそ世界の真実があると言うのであれば俺の真実はいったい何処にあるのだろう。

 

 ここでこうしているように、ただ他愛も無くありふれて……それでいて何に代え難い幸せに享受していたいだけなのか……

 

 それとも……

 

「どうしたの? お手洗いかしら」

 

 立ち上がり、並んで座る二人の前を離れて靴を履きなおす。

 

「何でもない、そろそろ一服したくなってな」

 

 数歩先、少し離れた桜の幹にもたれ掛かって咥えた煙草に火を付けた。

 

「なあ、メリー。蓮子の遅刻を無くそうと思うなら、一つ良い案が浮かんだんだけど」

 

「それは気になるわね、教えてくれる?」

 

「ああ、簡単な話。メリーと蓮子、同棲すれば良いんだ」

 

 目前に揺れる紫煙の中……満開の桜の下、虚を突かれたように、ブロンドの少女は口に含みかけた清酒を吹き出しそうな勢いでむせ、口元を抑えた。

 

「れ、蓮子と私が同棲って……どうしてそうなるのかしら?」

 

「どうしたんだメリー、メリーも一緒に住んでればこの寝坊助の遅刻魔を起こしてやれるだろう。他意は無い」

 

 とは言いながら他意は無くもないのだが、我ながら妙案だと思う。とはいえ三分の二くらいは冗談のつもりではあるが。

 

「毎朝メリーに起こして貰えるなら、幸せな朝を迎えられそうね。どうかしら? うちに来ない?」

 

 調子づいた蓮子は嬉しそうにはしゃぐ。

 

「どうして私が引っ越す前提なのかしら? 蓮子が来てくれるって言うのならまだしも……」

 

「良いの? それじゃあ帰ってから引っ越しの準備を始めるとしましょうか」

 

「いや……その。そういう意味じゃなくてね、蓮子……」

 

 夜桜の下、仄明かりの中でもわかってしまう程に頬を真っ赤にしたメリーはあたふたと取り繕う。

 

 そんな様子が可笑しいのか愛らしいのかそれは定かではないが、心底楽しそうにご機嫌の蓮子もまた顔を真っ赤にして……。

 

「女の子同士で一緒に住むくらいなんて事は無いと思うけど? ほら、科学世紀の世の中じゃあそういった多様性も今や当たり前に認められている訳だし……。家賃も安くて済むんだからメリットしか無いと思わない?」

 

「それは……そうかもしれないけど……」

 

 いや、単にアルコールの多量摂取による紅潮なのだろうが。酔っぱらった蓮子は手に負えない。

 

 酔っているとはいえどうもそれなりに本気らしい蓮子は上機嫌に随分と軽そうな水音を立てる一升瓶をひったくり豪快に……俺の狙っていた残り数杯分すら、それはそれは豪快に所謂ラッパで飲み干した。

 

「ふう……そういう事だから、私の荷物を置くスペースは空けていて頂戴ね。あ、ベッドは一つで良いわね。大丈夫……何もしないから! 安心安全の蓮子さ……ぐふっ」

 

 最高潮の蓮子がそれを言い切る前に、しびれを切らしたメリーの鋭い肘鉄が彼女の脇腹を抉った。

 

 聞いた事のない呻き声、あれは本気で痛いやつだ。

 

「……そういう発言が全く安心安全じゃないのだけれど……」

 

「い、いたい……今のは本気で痛かったわよメリー! まあそれはいいとしてそんなに怒るなんて私と一緒は嫌……?」

 

「別に、嫌なんて言っていないわよ。蓮子の事は……ほら、あれだし……。でもまだちょっと早いかななんて……」

 

 

 今度は少し切なそうな顔をしてメリーを見る蓮子。メリーもメリーで本気にし始めたようだが、これでは多分堂々巡りのような気もする。

 

 軽い冗談のつもりだったのだが。思いの他痴話喧嘩臭くなってきて周りの目も気になるのでそろそろ何とか収拾を付けるべきと短くなった煙草を灰皿に押し込む。

 

「まあ、まだ時間はあるんだし。お互い独り暮らしに心底飽きてから考えてみてもいいんじゃないか。それと蓮子、お前全部飲みやがったな俺の酒……」」

 

「貴方が焚きつけたんじゃない、それにこれは私のお酒よ。秘封倶楽部の予算から捻出したんだから会長である私の、ね」

 

 そう、ぶっきらぼうに言い放ったかと思うと。蓮子は空の一升瓶を片手に握ったままレジャーシートの上に寝転がる。その弾みで彼女の中折れ帽がずり落ちて

 

 さも気持ちの良さそうに寝転がる彼女の枕元に転がった。

 

「どっちが旧型依存症だか……。しかしそろそろ宴もたけなわか」

 

 時刻は既に23時を回っている、終電ももう時間の問題だ。ここについた頃には大勢いた花見客も大多数は捌けてしまい鴨川河川の花見会場は俺たちを含め遅くまで飲んでいる数組を残し静まりかけているようであった。

 

「そうね、そろそろ帰り支度をしないといけないわね。蓮子がこんな様子だしお水を買って来ますわ」

 

 そう、呆れたように開き直ったようにメリーは長いブロンドの髪を揺らしながらに渋々と立ち上がりローファーに足を通す。

 

「悪いな、それか俺が行ってこようか?」

 

「ううん、大丈夫。すぐ戻ってくるから蓮子を見ていてあげて欲しいな。何をしでかすか分からないもの……」

 

「そっか、任されたよ。その、何か悪かったな変な話焚きつけてさ」

 

「ふふ、全然良くはないけど。良いのよ、実はまんざらでもなかったりするし……」

 

「ん、何だって?」

 

「何でもないですわ、それじゃあ行ってくるわね」

 

「ああ」

 

 おそらく、アルコールに依る紅潮ではなく頬を少し赤らめてくるりと背を向けて歩き去るメリーの背中を見送りながら、だらしない姿の我らが会長の元に目線を下ろす。

 

「起きてるか、酔っ払いの会長さん」

 

「はあ、誰が泥酔して寝てるって? 私は今までお酒に飲まれた事は無いし、これからも飲まれる事は無いのだけれど」

 

 開いてるのか閉じてるのかよく分からなかった瞼を開いて軽くこちらを睨むような視線を向ける蓮子、思ったより元気そうだ。

 

「ああ、そうかい。にしても相当飲んだだろう俺の分まで」

 

「何? 希少な旧型酒を取られて怒っているのかしら?」

 

「そういう訳じゃない、いつかの東京の夜とは逆だなと思ってさ」

 

「だから、私は泥酔してないって言わなかったかしら」

 

 そう言って蓮子は片手に握っていた一升瓶を杖のようにして上体を起こし、また俺の方を軽く睨んでいる。

 

 懐から取り出した煙草に火を着け、そんな彼女の言葉に返す。

 

「まあ蟒蛇だもんな……。俺はただのアルコール依存症だけどさ。そうだ、あの時貰ったこれちゃんと持ってるんだけど」

 

 長財布のカードポケットに挿したそれ、ESPカードの片割れを右手に差し出して見せる。

 十字の記号の描かれた飾り気のないそれを。

 

「ふふ、持ってたの。ほら、私のは”星”」

 

 蓮子は惚けたような声でごそごそと黒のハイウエストスカートのポケットをまさぐり折り畳みの小さな革財布から、俺の持つそれと同じ意匠の模様違いの少し色あせたカードを掲げて見せた。

 

「そうそう、でメリーは”波”だったか」

 

「ええ、そうだったわね」

 

「あの時聞きそびれていたんだが、そのチョイス何か意味があったりするのか」

 

 はらり、と散り落ちる桜の花のような素振りで再び掲げたカードを財布に戻し、少し遠い目の彼女は口を開く。

 

「波のようで粒のようで、不確定性の今を生きるあの子にはぴったりだ、なんてあの時の私は考えたのかしら」

 

「波であって欲しいって? 干渉し合う事が出来るから、か」

 

「はあ……きっとそこまで考えていなかったのよ、私は」

 

「俺の十字は?」

 

「それは適当よ」

 

「適当かよ……」

 

 温く、春の夜風の吹き抜けるソメイヨシノの木々の間

 

 緩やかな水面を揺れる高層摩天楼の煌めき

 

 しばしの沈黙。その紫煙を掻き払う様に蓮子はその遠い目を辞めないまま、さながら意趣返しのように蓮子は俺に問う。

 

「貴方なら、その十字のカードにどんな文句を取って付けるのかしら?」

 

「何だよ、思いつかないから自分で考えろって言うのか。

 

「思いつかないなら別にいいわよ、ちなみに私の”星”にそれらしい文句を取ってつけるならこう……。私の瞳は知っての通り夜空、天球を回る星々から時間と自分の居場所を読み取ることが出来る。信じられないかもしれないけれど物心がついた時からずっとそうだったのよ」

 

「疑っちゃいない、で?」

 

「ええ、だからよく家の窓から夜空を見上げては何時何分何秒、北緯何度東経何度って具合に星を読んでいたわ。でも別に便利な能力じゃあ無いじゃない、今の時間も自分の居場所もそんな能力が無くたって簡単にわかるんだもの」

 

 珍しく、自嘲気味に笑った彼女は中折れ帽の鍔を撥ね上げてビルの間の夜空の、霞み消えてしまいそうな星と朧月に視線を移す。

 

 ただ、火を着ける。

 

「それでももし、この瞳が映す物に意味があるのなら、それは多分私が”今ここに居る”事。人類史の遥か彼方から悠久を廻り続ける星の海。その無限にも等しい大海原に溶けてしまわないように、呑み込まれてしまわないように……。だから私は……。うん、まあそれで私のカードは星、適当よ」

 

 視線をこちらに落として、蓮子は誤魔化すように話を締め括る。

 

「はあ、端折っただろ絶対。蓮子らしからぬ詩的な物言いだな。やっぱ酔ってるのか?」

 

「余計なお世話よ。それで……思いついた? 私だけこんな恥ずかしい話させて自分はだんまりなんて、良い恰好ばっかりしたがる貴方のプライドが許さないんじゃないかと思うんだけれど」

 

 そうは言われても、しかし。あの蓮子が真偽こそ定かではないが謎に満ちた彼女の生い立ちを語ってくれたのだから、蓮子の言う通りだんまりという訳にはいかない。

 

「そうだな、このカードの示す十字。それは俺にとって”交差点”なんだ。それも因果の交差する場所……。因果の糸が混じり合う、即ち”出逢い”だ。俺はいつだって出逢いに運命を変えられてきたからな」

 

 ”彼女”との出逢い、”彼女達”との出逢い。

 

 俺の人生は今この瞬間に至るまで、出逢いという特異点によって歪められた奇妙なマトリクスの中に在るのかもしれないと……そう常々

 思うからこそ、俺を象徴するのは”十字”だとそう文句を付けて見たのだが……。

 

「出逢いは運命を変える……。月並みな言葉ね、悔しいけどそれは本当だと思う。でもそれだけじゃない……”別れ”だって人の運命を変えてしまうでしょう?」

 

 蓮子はいつもの馬鹿にするような表情では無く、どこか遠く。対岸の煌々として少し鬱陶しいくらいに照らされた桜を瞳孔に映しては、諭すように問い掛けるように毒気の無い声色でそう言った。

 

「ああ……交差した線はいつしか遠のいてしまう。それでも別れが在るからこそ再び会う事が出来るんだと俺は信じてるんだ。夜空を駆る星の軌道共鳴みたいに」

 

「それってアンドロメダ座のウプシロン星だけでの話でしょ……」

 

「そうだったけ……」

 

 風が吹き、花を散らす。

 

 夜も更け、閑散とし始めた鴨川河川の花見会場には最早、煌びやかにも冥い街を行き交う数多の喧噪と、無機質な無人EVバスの不気味なくらい静かなモーター音が僅かに谺するばかり……。

 

 そうして何故か、不思議と心地の悪くない沈黙の中で

 

 揺れる桜と朧月、遠く向こうの微かな星を二人見上げていた。

 

 そうしたまま幾分と時が過ぎ、何本目かも分からない紙巻のフィルターの焦げた頃。

 

 パタパタと、芝生に半ば浸食された石畳の遊歩道をこちらへ向かって、レジ袋を左手に早歩きの少女。

 

「お待たせ~。あら、蓮子は思ったより具合が良さそうね。お話中だったかしら?」

 

 メリーは、少し気まずそうに笑いながら。

 

 俺と蓮子によく冷えて結露したペットボトルの飲料水を手渡した。

 

「ありがとう、メリー。大した話じゃないわよ、少し星の話をしていたの

 

「こんな場所じゃ目を凝らさないと見えないけどな。光害も甚だしい街だよ、全く」

 

 キャップを捻り、冷たい水を喉に流し込む。

 

 時間も時間、名残り惜しいがそろそろ解散の時間だ。

 

 だらしなく座っていた蓮子も、また一升瓶を杖のようにして立ち上がり、ハイウエストスカートは両手で払った。

 

「私が居ない間に秘密の話? 何だか疎外感を感じちゃうわね、これだけ街も明るくて月も出ているんだから、きっと星なんて見えないわよ」

 

「もしかして妬いてるの? 安心してメリー、私の目には映っているわ。どんなに暗く消えてしまいそうな輝きも」

 

「一体、何を安心すればいいのかしら? 六等星の向こう側が見える瞳なんて気持ちの悪いだけだと思うけれど」

 

「あら、辛辣ねえ。やっぱり拗ねてるんだ」

 

「拗ねてないってば……。さあ、そろそろ行きましょう。私達は歩いても帰れるけど貴方はそう言う訳にも行かないでしょう」

 

「ああ、郊外在住の辛い所だな。全く名門大学の特待生は羨ましいな、選ばれし者のみだけが住める洛中区画で下宿出来る訳だからさ」

 

「あらあら、拗ねてるのかしら? ふふ、まあそんな待遇も私達が大学生でいられるうちだけなんだと思う、今は将来の事なんてあまり考えたくはないけど……」

 

 手際よく持参したレジャーシートをビニール袋にしまいながらメリーは少し憂いを含んだような声色でそう返した。

 

 くだらない冗談のつもりではあったが、特別であるという事は決してくだらなくは無いのだと知らないはずは無かった。

 

「出た出た、大学生コンプレックス。あまり私のメリーを困らせないで欲しい物ね。それに都心にアクセスの良い郊外が一番住みやすかったりするでしょ」

 

「すまん、別に皮肉とかじゃないんだ。今更だが、大学生やってれば、なんてな」

 

「ほんと今更ね。それじゃあ今の自分を後悔しているのかしら?」

 

「いいや、それほど」

 

「あらそう、なら良かった」

 

 

 

 宴もたけなわ……。連れ立って歩く足取りは酒気に浮かれて。

 

 意味のない会話と三人分の靴音だけが閑散とし始めた春の夜の河川敷に沁み込んでは消えていく。

 

 泡沫の春の夢のような時間は瞬く間に過ぎて行き、遊歩道への小さな坂道を登り切った所で、二人の方へ向き直る。

 

「今日は楽しかった、美味い酒が飲めたし。話したかった事も話せたからな」

 

「貴方が言わなかっただけでしょ、今後はつまらない隠し事しないで迅速に共有する事ね」

 

「ああ、悪かったって。しかし謎は深まるばかりだ。なあ蓮子、次はいつ集まる?」

 

「思いついた時、かしら。これは私だけの話じゃないわ。メリーが、貴方が。秘密に触れて何かを”想った時”ならいつだって秘封倶楽部を始められるのよ」

 

 冥い街の輝きを背に、不敵で掴みどころの無い笑みを浮かべた蓮子。その隣でメリーもまたいつもの呆れたような笑みを零す。

 

「だから、それっていつも通りって事じゃないの。貴方も知っていると思うけど、蓮子はいつもこんなだから……」

 

「よく知ってるさ、それでもこんな会長の元に集まってしまったのが、俺たち秘封倶楽部なんだよな」

 

「ふふ、そうね」

 

 

 腕時計を見る、時刻は二十三時四十五分を周っている、いよいよのんびりもしてしられない。

 

「そろそろ終電か、慌ただしくて悪いが、俺はそろそろお暇させて貰うとしよう、そんじゃまたな。二人とも」

 

「ええ、気を付けて帰りなさいよ」

 

「バイバイ! またね!」

 

 偉そうに腕を組んで見送る蓮子と楽しそうに手を振るメリーに後ろ手に手を振って早足気味にいまだ減りそうな様子も見えない人ごみの中を早足で進む。

 

 京都駅まで急いでバスで戻って近鉄線の最終便にギリギリ間に合うか……。

 

 早足のスピードを上げる。

 

 全く。こんな日々は二年前の俺では考えられなかった。「彼女」と出逢い、別れるまでの全てを捨てて、独りで。再び巡り合う為に馬鹿ながらに考えて、生きてきた日々は何だったのかと笑いたくもなれど、それでもこれが今の俺だ。

 

 何だか悪くない気持ちで、足取りは軽く。行き交う人波に逆らってバス停を目指す。

 

「そこの貴方、少し……」

 

 そうだ、俺は秘封倶楽部。世界が秘めた秘密を暴き、いつかもう一度……

 

「貴方ですよ。そこの早足で不敵な笑みを浮かべて夢見心地の貴方です」

 

「……」

 

 人影が一つ、立ちふさがった。

 

 立ち止まった二つの影を避けるように、人だかりの中をぽつんと空いた隙間で向きあうその影を睨んだ。

 

「急いでるんだけど、何か?」

 

 顔を上げる。

 

 男だ。丸眼鏡に茶色い背広の男。やけに綺麗な身なりこそしているがそれが余計に胡散臭い。

 

「いえ、実は私はこの街の外れで古本屋を営んでいる者なんです。貴方が本を探しているのではないかと思いましてね」

 

「古本屋がこんな時間に呼び込みか、ぼったくりの居酒屋ならまだしも。マルチと宗教の勧誘ならお断りだ。悪いけど急いでるんだ、どいてくれ」

 

 相手していられない、男の左肩を持ち押し退けて進む。

 

 その間際、男が表情も変えずに囁いた。

 

「幻想郷縁起をお探しなら、必ず力になれますよ……」

 

「あんたは……」

 

 男の言葉に冷たい稲妻が走り、心臓が強く脈を打つ。]

 

 固まる俺に、その男は不気味なほどに不気味さを感じさせない笑みに目を細め、名刺を差し出した。

 

「私はこういう者です。先程のお話、興味がありましたらこちらまで。お待ちしておりますよ」

 

「……、あんたが何を知ってるって……」

 

 そう言わぬ間に、その男は消えた。

 

 手元には白地に黒字の簡素な名刺だけが残されている。

 

「……。これも、春の夜の夢なのか……?」

 

 再びバス停目指し、歩き出す。何かが始まる予感を封じ込めて。

 

 




ありがとうございました。
次話はなるべく早く、といいながら一年の時を得たわたしですが
まだまだ先は長いので何とか文章に…
もしも読んでくださっている方がいるのなら
もう少し、見守ってくださいませ…
それでは、また次回もよろしくお願いします。
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