TS転生すればおっぱ……おにゃのこと戯れられるのでは?だからチート勇者、テメェはお呼びじゃねえんだよ! 作:Tena
あの子は何も覚えてないしアイリスさんは多分何も考えられなくなってるしで私が冷静じゃないといけないんだけど、そろそろ脳のキャパを超える現実に逃げたくなってきたかもしれない。
「記憶障害です。おそらく、『構造性』の」
縄でぐるぐる巻きに拘束された医者の男に腰掛けながら、看護職の女性が説明した。そのお尻の下の人はどうして口にテープを貼られているんですかと気になるが、あまりにも女性が自然な態度であるばかりに、気にしてはいけないものなのだと思い込むことにした。カンナのような学園都市で育った人間にとって、不可解をそのまま受け入れることは慣れたものであった。
コウゾウセイ? と聞き慣れない言葉に首を傾げるカンナに、女性は「三つ」と指を折りながら説明を続ける。
「記憶障害、一般に記憶喪失などと呼ばれるこの症状は、心因性、器質性、そして構造性の3つがあります。厳密ではありませんが、精神・肉体・魔力がそれぞれ関係していると思ってください」
心因性。これは一番多いパターンで、精神的な要因によって記憶能力の一部が失われるものだ。物凄く怖い体験をしてその時の記憶が飛んでしまうだとか、もはや病院にかかる必要すらないものもある。
きちんとケアをすれば、元通りに戻れる可能性が高い。
器質性とは、言ってしまえば脳の物理的な要因による症状だ。脳の一部が傷付けば、そこの維持していた機能も損なわれる。多くの場合失った部分のバックアップなんてものは存在しないから、これを治すというのは大変だ。
しかしそもそも、脳が損傷した時点で生命維持に支障をきたす場合が多く、記憶障害以前に生きるか死ぬかの問題になるものだ。
素人向けに噛み砕いてはいるだろうが、それでも長々とした説明に椅子役の男が心配になりちらりと視線を向ける。体を支える腕は震えていて、脂汗みたいなのも滲み出している。うわ目が合った。
スッと目を逸らした。許してください、私にこの状況は荷が重いです。
「最後に構造性ですが、これは人の『記憶』というものが生み出されるプロセスの障害……だそうです。記憶は脳とそれに宿る魔力の相互的な補完によって生み出される……と言われていますが、そのどちらかが不具合を起こすと、特定の記憶が生み出されなくなります」
「えっと……、ま、まあ、その、アンブレラは構造性の記憶喪失だと仰っていましたが、治るんでしょうか……?」
記憶が生み出されるだとか、ソウゴ的な補完だとか、正直難しくてよく分からなかった。
女性の伝聞調の説明への違和感も感じながら、一番重要なこと、記憶喪失が解決するかどうかを尋ねる。
「……申し訳ありませんが、構造性記憶障害は
「え、でも原因はその脳と魔力の補完が……って感じで分かってるんですよね?」
「そもそも症例が少ない……いえ、ほとんど存在しないため、専門的な知識を持つ医師がいません。また先程申し上げた説明ですが、あれらはすべて古代の文献に遺されていたもので……」
ああ、
《古の魔法使い》が生きていた、あるいはそれよりもっと前の時代には、現代よりもずっと優れた知識があったらしく、学園都市の生活の様々な部分がそういった現代では証明できない知識に支えられていたりする。
盲目的に信じるとまではいかないが、実際にそれで上手くいったことの方が多く、99%は正しい知識として扱われている。
つまるところ、向こうの言い分は「治るかは分からないし、治し方も分かんないし、なんで発生したかも分かんない。でも原理は分かる」ということだ。
アイリスさんがここにいなくてよかった、と思った。アンブレラに目の前で「どなたでしょうか?」と言われた彼女は、そのままショックで気を失って倒れた。今はアンブレラに近い部屋で寝かされているはずだ。
アンブレラの命が危ないかもしれないと知った瞬間の彼女は、有り体に言って危険だった。
おそらくは【圧縮】が解けたのだろう。目視できたものではないが、あの威圧感は怒りどうこうではなく膨大な魔力の放つものだ。
アンブレラがこのままかもしれないと知ったら同じことになりかねない。病院の中心部であれだけ魔力が溢れたら何かしら被害は免れないだろう。……というか、最近意識しなくなってたけど、本当に彼女らは幽かなる精霊なのだなと実感した。
「……あれ、でも分類ができたってことは、構造性か心因性かの見分け方みたいなのは分かってるってことですか?」
「はい。虹彩色、目の色です。幸いにも院内に生物系の知識に精通した者がいたのですが、精霊の目の色が緑系統でないのはおかしい、と」
「あ、魔色の話ですね。なんとなくなら分かります」
「……医療系の方ですか?」
「いえ、趣味で絵の勉強をしていたので……」
「ああなるほど」
物体そのものの色、いわゆる固有色というやつは含まれる色素の量で決まる。
そこに反射光とか他の物体との対比とか、自分の頭の勘違いだとか、いろいろと足されて実際に見ている色、自然色になるのだ。
魔色はどちらかというと固有色側の話になるのだが、まあ簡単に言えば、魔力を豊富に含む物は色素だけでなくその魔力の性質によっても色が変わる。生物であれば、目(虹彩)や体毛などだ。
また魔力の性質というのは遺伝するから、精霊の目は緑などと、種族ごとに発現しやすい色が決まるのだ。
「……そういえば、関係あるかは分かりませんが、あの子は魔力を使うときだけ目が赤くなってました。今みたいに。アイリスさんはそんなことないので、アンブレラだけのことなんだと思います」
「なるほど。今後治療方法を模索する上で、参考にさせていただきます。他に普段のアンブレラ様のことでなにかございますか?」
「特には……。あ、幽かなる精霊ということで保有魔力が多いのはご存知だと思いますが、あの子はそれ以上に保有量が多いらしいので、転送門が耐えれなかったり……? ──いや、というか、いまあの子の魔力って溢れちゃったりしてませんか!?」
「……っ、すぐに部屋を移動させるよう手配します。我々も突然のことで迂闊な部分が多かったようですが……しかし、溢れるのでしたら保護した時点で気付けたでしょうから、おそらくは【圧縮】を維持されているのでしょう」
記憶を無くして、【圧縮】の方法だけ覚えているなんてことあるんだろうか。
しかしアイリスさんでさえああだったのだから、アンブレラが【圧縮】をやめたら確かに気付けるだろう。
そこまで考えたところで、女性が「ところで、申し訳ないのですが……」と切り出した。
「アンブレラ様にはしばらく安静にしていただきたいのですが、院外に移動していただくことは可能でしょうか?」
「……。それって、いつ魔力が爆発するか分からないから病院には置いておけないってことですか?」
「まさか!」
とんでもない、という風に女性は首を振った。
それから悩むようにしばらく黙り込み、縄で拘束されたまま椅子となっていた男を蔑むように見ながら口を開く。
「──その、変態が多いんです」
「はい?」
「変態が、多いんです」
「いや聞こえてますよ違いますよ。なんですか変態って病院ですよね、
理解したくない言葉に思わず思考停止し、次いで堰を切ったように罵倒が飛び出した。
病院で医者が患者に欲情するとか一番最悪な概念ではないか。
「ご、誤解です! そういう意味ではなく、むしろ、患者様に対しては全力で治療しようとする真摯な者ばかりなんです。
これ、と言いながら、女性は這いつくばる男(やはり医者らしい)の手を踏んだ。ヒールだ。
普通に痛そうだし、患者の関係者の前でそういうのはどうなんだろうと思って男を再度見ると、汗は増えていたが、恐らく別の意味で顔が赤らんでいた。患者の関係者の前でそういうのはどうなんだろう。プライベートの場でやってくれ。
「……ですが、その、幽かなる精霊の、構造性記憶障害というレアケースの掛け算に、研究者としての
「は、はぁ」
「この者だけでなく、他の医師も検査的な意味での夜這いを仕掛けないか断言できず、できれば病院でない場所で休まれた方がよろしいかと……」
「あの、公共機関としてその公私混同どうなんです?」
「優秀な者たちばかりなんです……優秀であるばかりに、この1000年に一度あるかわからない機会をと考えてしまうらしく」
科学者としてはともかく社会人としては劣悪もいいところではないだろうか。カンナは訝しんだ。
まあ、言い分は理解できた。むしろ教えてもらえて助かった。たしかにこんなところにアンブレラを置いてはおけない。……というか、もしかして今日は帰れないんだろうか。
「分かりました、どこか探そうと思います。……貴女は、アンブレラを検査したいとは思わなかったんですか?」
「私は医者ではなく看護師ですから。……それに、一目見て思ったんです。守りたいって」
……。
「惚れました?」
「んなっ!? い、いえ、患者様ですから……。それに、女同士じゃないですか……」
「あーあ……」
これが顔面偏差値の暴力か、と思う。あとはこの人は気が強そうだし、いまの記憶を失って不安定なアンブレラに庇護欲をそそられたか。
まあでも、彼女は運が良かったと言うべきだろう。もし記憶を失ってなかったら、あの子のことだから天然でやらかして彼女の性癖を更にねじ曲げていただろうから。
「失礼します! た、大変です!」
しょうもないことを考えていると、若手の助手らしき男が診察室に飛び込んできた。
一瞬医師の男に目を向けるが、すぐに視線を切ってこちらに向かって叫んだ。きっと日常風景なのだろう。
「ソートエヴィアーカの、第一王女様がいらっしゃって……」
……。
いま、一番大変なのはアンブレラだろう。
いま、一番辛いのはアイリスさんだろう。
それでも、いま一番苦労しているのは自分ではないかと。カンナは涙した。