TS転生すればおっぱ……おにゃのこと戯れられるのでは?だからチート勇者、テメェはお呼びじゃねえんだよ!   作:Tena

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第170話

「で、えらいポイントってなに?」

 

 久しぶりに会って第一声がこうなったことは誰にも責められないだろう。

 とはいえ、冷静に考えればアンブレラは記憶を失っている身だ。共に過ごした日数であれば、体感的には既にコルキス邸の人々のほうが長い。

 声をかける距離感を間違えただろうか、とカンナは少し不安になった。

 

 相も変わらずアンブレラは美しい。

 病床からほとんど抜け出さないためか、シンプルなネグリジェ以外何も纏っていない。しかし過度な装飾が野暮であるように、アクセサリーの類がなくても、身一つで完成された美しさを表現していて、ネグリジェの薄い生地は裸以上に艶かしさを演出していた。

 美しさというものは凶暴性にも似ていて、本来であればカンナのような小心者は萎縮してしまう。アンブレラが末恐ろしいのは、その美に棘がなく、警戒心がなく、簡単に触れてしまえそうに思えるところだ。

 

 瞳が朱、より具体的には丹色であることには未だに違和感を覚える。

 しばらくカンナがアイリスと共に生活していたことも関係しているだろう。御伽噺の頃から幽かなる精霊たちの瞳といえば緑色で、アンブレラのその赤い瞳は、今も彼女が魔法を行使し続けている証左らしい。何の魔法かは彼女ですら知らないようだが。

 

「わたしも詳しくは分からないのですが、貯めた方を褒めてあげるようにと頼まれました」

「貴女、福利厚生に組み込まれてない……? 私たち居候の身で強くは言えない気もするけれど、嫌なら断ってもいいのよ」

「みなさんよく()()()()()くださいますし、沢山しあわせになっていただければわたしも嬉しいので、嫌じゃないです!」

 

 こんなに利他精神のある子だっただろうかと疑問に思う。

 もちろん、記憶喪失の影響はある。以前はもう少し身勝手だった。記憶を失った直後は精巧な人形のようで、何かが欠落している印象を受けた。今は、まるで別人のように感じる。警戒心のなさだけは相変わらずだろうか。

 

 自分が何の感傷に浸っているのかも分からない。

 寝台脇の椅子に腰掛けて、カンナはそっとアンブレラの頭を撫でた。少女は一瞬キョトンとしてからへにゃりと笑う。触れた髪があまりに滑らかで、どちらが撫でられているのか忘れるくらい、指先に伝わる感触が気持ちよかった。

 

 おもむろに口を開いて、真っ直ぐにこちらを見つめて、アンブレラが問うた。

 

 

「──カンナさんも、お疲れですよね。沢山褒めるべきだと思ったのですが、どうでしょうか?」

 

 

 そっとこちらの頬に向けて手を伸ばす姿は、庇護者のような慈愛を感じさせると同時に、どこか捕食者を幻視させるようにも思えた。

 

 

 

 


 

 

 

 

「別に、いらない」

 

 すんなりと出てきた言葉に、アンブレラは少し目を丸くしていた。

 触れられる直前。彼女の手の平は、カンナの頬の産毛に触れるかどうかという位置でピタリと止まっている。

 

 危機察知だとか、なにか算段があったわけではない。

 嫌な予感なんてものを信じたことはないし、この時そんなものは感じなかった。

 

 実際、カンナは頑張った。頑張っている。一学生が負うべきでない重荷を背負って、自宅から遠く離れた場所で何日も何週間も友人のために奔走している。

 なので褒められて然るべきだし、讃えられて然るべきだし、何なら別に頑張ってなくても生きてるだけで偉いねって褒められたい。

 

 ただまあ、思うのだ。いや、だからこそ思うのだ。

 こんなに頑張ってるのに、頭撫でられて「偉いね」って褒められてもなぁ……、と。

 

「褒めなくて良いから、絵を描かせてよ。そこでしばらくじっとしていて頂戴」

「えっと、は、はい……」

 

 絵のモデルというのは、仕事になりうるくらい面倒な役だったりする。

 なにせ、動いちゃいけない、汗をかいちゃいけない、一定の姿勢を保たなければいけない。

 普段軽くラフを書くぐらいならそんなものまで要求しないが、ディティールを観察して本当に描きたいものを描こうとすれば、それは必要になる。

 

 頑張りのご褒美に褒めるというなら、そんなのいいからモデルになってほしい。

 欲を言えばヌードデッサンを頼みたいが、先ほど扉の隙間から某白猫がするりと入ってきてこちらを見ている。はいあの、殿下が変なことしないようちゃんと見張ってます。仕事してます……。

 

 

 

 


 

 

 

 

 そんなこんなで、絵を描いている。

 塔でもそこら中にあるもの軒並みスケッチしてはいたが。あそこはちゃんと買い揃えようとするとお金のかかる紙が自由に使えたから、時間が余っていたのも相まって狂ったように描いていた。

 

 あとは状況が状況だけに、精神が磨耗しているのも関係あるだろう。

 辛い時ほど筆のノリはよくなる。苦しんでいるときほど良いものができたりする。大人になるにつれて本当に逃すとやばい締め切りが増えてしまったけれど、それでも締め切り直前は描いてばかりだ。

 

「記憶、戻せる可能性が高いそうよ」

「……」

「まぁあまり期待させるようなことを言うのも酷だけれど。……アイリスさんが頑張ってくれてる。きっと、大丈夫よ」

「……」

「あ、喋るくらいなら、気にしないから」

 

 アンブレラはホッとしたような声で「そうなんですね」と相槌を打った。

 しまった。モデルとして動くなと伝えれば喋るのも躊躇するか。

 

 ひとつ、疑問に思っていることがあった。

 楽観的な前提になってしまうが、仮にアンブレラの記憶が戻るとした上での話だ。

 

「記憶が戻ったとして、()()はどうなるのかしら」

 

 記憶喪失直後の頃は考えなかったことだ。

 数日が経って、今のアンブレラにも自我のようなものを感じるようになった。

 それは先ほど感じた利他精神にも通じることで、以前までのアンブレラと今のアンブレラは明確に違う部分がある。

 

 一般的な記憶喪失というものは、日数が経てば経つほど回復の見込みが低くなるという。

 それはきっと、新しい精神が優先されてしまうのだ。一人分の陽だまりには、一人しか立てないだろうから。

 構造性記憶障害などという特殊なケースだからカンナの想像とは全く違った治り方をするのかもしれないが、最悪、今までか今、どちらかのアンブレラの精神が消えてしまうのでないか。

 

「『わたし』がいなくなってしまうかもしれない、ということですよね。……わたしは、記憶を戻したいです。きっと家族がいるはずですし、アイリスさんが苦しむ姿も、見るのは辛いです」

「まあ、そうよね」

「……でもうまく想像できないですね。そのときが来るまでは、きっと」

 

 死ぬ間際にどう思うかなんてカンナでも分からない。仮に答えを出した気になっている者がいるとしたら、本当に死に瀕した時同じ答えを持ったままか問うてみたいものだ。

 自我を持って一ヶ月足らずでそこまで気付くあたり、頭の出来が違うのだろう。

 

 カンナ個人としては、以前のままのアンブレラに戻ってほしいという気持ちが大きかった。

 それは過ごした時間というよりは、ほとんど絵のためだったが。

 美・危うさ・幼さ。すべてが調和していたのはやはり以前の彼女の方だったが、流石にそれを口に出さないだけの倫理観は備えていた。

 

 それに、こうも思うのだ。

 そもそも、人は変わりゆくもので。

 時が経てば、姿は変わる。姿が変わるほどの間でなくとも、心は変わる。

 

 昨日までの少女が明日も同じであるとは限らない。

 変わらず美しくはあっても、変化した美を感じることがある。

 

 だから本当は、記憶とか、連続性とか、同一性とか、そんなのはどうでもよくて。

 ただカンナが美しさを感じた事実だけがそこにあって。

 

 カンナは観測者だから、観測者にしかなれなかったから、せめてその事実を嘘にしてしまわぬように、感じたままに手元に描き残すほかなかった。

 今のアンブレラを美しいと思った心を、描き残すほかなかった。

 

 今までのアンブレラも、今のアンブレラも、美しいと思ったから残すのだ。

 それらはきっと、すべてカンナの目指す美しさにたどり着くために必要なものだから。

 

 だから、実のところ、貴女が悩んでること、周りが悩んでることなんてどうでも良くて、貴女を描くことだけができればそれで良くて。

 本当に今の貴女を描くことができているか、自分の表現力に不足がないかだけ怯えながら、必死に、苦しみの中で絵を描いている。

 

 

 

 

 気付かぬうちに大粒の涙を流しながら、カンナは黙々と腕を動かし続けた。

 アンブレラが声をかけても、反応することなく腕を動かし続けた。一切の音を聞いていないようだった。

 

 聞こえないのが分かっていながら、アンブレラはポツリと一言こぼした。

 

「きれい……」

 

 アンブレラの瞳には、今まで見てきた中で一番大きいのではないかというくらいの光が、きらきらと輝いて映っていた。

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