TS転生すればおっぱ……おにゃのこと戯れられるのでは?だからチート勇者、テメェはお呼びじゃねえんだよ! 作:Tena
『──多分さ、私達、このままいけば
『あぁ……まぁ君、他に相手がいないし』
『怒っていい? ……否定できないのが余計腹立つ』
『ハハハ、まあ、あの日出会えて……出会え……? 遭遇できて、よかったじゃないか。ボクがいなかったら、長老会に相手を決められるところだったろう』
『それ、母上に情けないって嘆かれただろうなぁ』
『君と番になりたい人は沢山いるんだろうけど、みんなどこか手が届かない存在のように見てしまっているからね。その点、ボクは今日の延長線を歩くだけだ』
『そんなものか』
『そんなものさ』
『……ええと、じゃあ、もう真名伝えておこうか』
『そうだね。そうしておいた方が効率的だ。ボクの名は、マルス。マルスです。君の、名は?』
『効率的って、またあなたは訳の分からない言葉を使う。……テレサ。ノアイディ=サルビア・テレサが私の名だよ。これまで通りサービアって呼んでもいいし、まあ楽な方を呼んでくれ』
『ではテレサ。効率的って言葉はだね……』
『おいおい、説明は求めてないぞ……? もう少し感慨とかをさ……』
『ねぇ、かぁさま。……真名、おしえて?』
『──っ、────さ、テレっ、サ、です……っ』
『はい、よく言えました。えらいえらい』
『──レイン、良い名前だ』
『アンブレラ。素敵な名前をありがとうございます、母様』
『──
テレサの後を追うように隠し通路を駆け下りながら、レインの父親、ノアイディ=キバタン・マルスは考えた。
(……何と声をかけるべきだろう)
実のところ、先ほどまでは「聖域」への隠し通路が存在していたことに驚きを隠せなかった。
奏巫女の夫と言っても、その立場は何か名前がつくようなものでもない。「聖域」を訪れたのは自身の命名式のときだけで、それは社の大樹の入り口を介したものであった。「社」と呼ばれる小さな木のうろにかけられた術式に興味は湧くが、下手をしてしまえば種族そのものの未来に差し障りが出る。そんな理由で、幼い頃に一度だけ訪れたあの場所への憧れはあるものの、仕方ないこととして粛々と受け入れていた。
そして、今日。
「聖域」に再び
聖域があるとされる「神樹」と奏巫の大樹が一本の通路で繋がっていることは知っていた。巫女はそこを通ることで、社を介さずに直接「神様」に会いに行ける。
しかし、マルスは巫女本人ではないから、その道を使うことができない。その道がどれくらいの長さなのかはおおよそ予測できていたし、やけに御子の部屋がそちらに近いとは思ったけれど、どれだけ調べてもこんな通路の痕跡はなかった。
そもそもテレサに出会ったのだって、村中の構造物を調べ尽くし、どうにか奏巫の大樹の構造を知れないかと周辺からぐるぐる計測していた先のことである。そのマルスが調べて何も見つからなかったということは、常人では見つけられない、たとえば巫女の血に反応するような何らかの術式が施されている可能性が高い。
(でも、それを調べるより先に……テレサのことだ)
レイン──いや、ニイロと呼ぶべきだろうか──が「前世」というものを持ち、別の人として生きていたというのは、実はさほど驚くことではなかったのだ。
生まれて一年で自在に言葉を操り、外の人間達が森人ひとりの寿命ほどの時間をかけてようやく辿り着いた発想に、僅か10年と幾ばくで辿り着く。そもそも、命名式以前から成人した人物かと思うほどの巧みな会話をしていた。商人の子でもあるまいに計算能力は卓越しており、明らかに子供の視点を外れた物言いをする。
いやはやこれが真の天才なのかと驚いていたが、「天才」などという理解を諦めた言葉で片付けてしまうより、「前世」という新しい概念のほうがよほど理に適っている。
もっとも、それも彼女を転生させたという「神」……上位者とやらが隣りにいたからこそ補強されたものだが。彼女が作ったという机と椅子。たったそれだけで十分理解できてしまうほどに、アレは異常だった。
だからきっと、テレサも
真名を偽られていた。ただその一点に於いて、彼女はあれほどの反応を見せたのだ。
──レインの表情にすら、気付かないほど。
ほどなくして通路を抜け、レインの部屋の近くに出る。
すると、立ち尽くすようにしている人影があった。
「……アイリスちゃん? どうしたんだい、こんなところで」
専属乳母の娘、イドニ=アイリスがそこにいた。
こちらを振り向いてから、アイリスが不安げな様子で答える。
「だ、旦那様! 御子様の寝室に少し……あ、ではなくてですね、たったいま、巫女様が凄い顔をして去っていったのですけれど、どうかなさいましたか?」
「あー……、うん、少しね。ボクが追うから、大丈夫。……そうだ。それと、今晩はレインが部屋から出てこないかもしれないから、夕食を部屋まで持っていってもらえるかな?」
「えっ……!? は、はいっ」
「ごめんね、ありがとう。よろしく頼むよ」
専属乳母、イドニ一族。御子の幼少期は乳母としての役割が求められるが、その後御子が成人するまではほぼ家政婦のように働いてもらっている。成人後は御子の結婚まで良き相談相手としていてもらい、その後は寿命の限り自由な生活が保証されている。
フェリシアとテレサ、アイリスとレインは仲が良好なので良い友人関係を目指せるかもしれないが、かつて乳母と巫女の仲が険悪だった代では、任期満了後、乳母は自宅で過ごし奏巫の大樹には二度と近寄らなかったという。
それはさておき、言伝をひとつ託してマルスはテレサを追うことにした。
別れ際、アイリスが不安そうな顔をして問いかける。
「……巫女様と、御子様。何かあったのですか……?」
何か。
まあ、あったのだが、一言で伝えるには言えないことが多すぎるし、それを避けて説明するには時間も余裕も足りない。
「昨日と同じ今日が、今日と同じ明日が、続きますよね……?」
何も答えないことで余計に不安を煽ってしまったのか、アイリスは泣いてしまいそうなくらい顔を強張らせて問うた。
長身な彼女はいつもは見上げられることが多いだろう。しかし幾らかマルスのほうが身長が高いから、いまはこちらが見上げられているような形だ。
幼い頃から見てきたから、もう一人の娘みたいな感覚がある。そんな女の子の悲しそうな顔を見て、つい頭を撫でてしまった。
「大丈夫。喧嘩みたいなものだから、大丈夫」
それは大丈夫なのですか? とでも問いたげな表情をアイリスが作る。
大丈夫、と言うしかないだろう。
なぜなら。
「──喧嘩したらさ、次は仲直りするしかないんだよ」
「つ゛、か゛、れ゛、た゛…………ぁっ!!」
おおよそテレサの行き先は分かっていたから、家中、村中を奔走するようなことはなかったけれど。
日頃、机に座って図面を書くか、机に座って巫女関連の書類を捌くか、結局体を動かさない生活をしているマルスは、舞台で12時間歌い通すような化け物フィジカルをしているテレサほど体が強くない。
ひいこら言って辿り着いた場所は、改築を自分が手掛けた樹────社の大樹であった。
舞台は使われている最中だったから、関係者用の通路から螺旋階段に出て上っていく。
樹の頂上。村の隅々までよく見えるその場所は屋根がなく、風がそよいでいる。かなり無理をしたため足がガクガク震えているが、息を整えてから、疲れなどおくびにも出さずに、頂上部の隅にいる人物に声をかけた。
「テレサ」
ピクリと肩がはねる。
まるで小さい子供みたいに膝を抱えて座り込む妻は、出会った頃を思い出させた。
「……どうして、分かったの?」
「この村で一人になれそうな場所なんてなかなか無いからね。それに、君は落ち込むと時々ここに来る癖があった。まあ、50年以上前のことだけれど」
「……あなたは、随分私のことを知っているんだね」
それは、称賛というより侮蔑、嫌味に近い響きをはらんでいて。
当たり前だろう、夫なんだから──その言葉をマルスは飲み込んだ。
「……ボクらも少し話そうか。ここは冷えるし、下の部屋で舞台でも見ながら」
特に嫌がる素振りも見せず、テレサはマルスに付いていった。
向かい合うように席に着いてから、テレサは問うた。
「……それで、何を話したいの?」
温度を感じさせないその言葉は、言外に「話すことなんて何もないでしょう?」と
うんうん唸って、マルスはようやくひとつの言葉を絞り出す。
「何から話したい?」
「──っざ……! ……ふ、ざけ、てるの?」
テレサはすっかり激情の波に囚われてしまったかのように言葉を震わせる。
マルスとしては巫山戯ているつもりも煽っているつもりもなかったのだが、感情に身を任せている人間が自分の言葉でどう感じるかも理解していたから、すまない、と謝って仕切り直した。
「まず、聞くべきことが1つある」
「……」
「どうして、あの場を去ったんだい? それも逃げるみたいに」
マルスは視線をずらすことなく、一心にテレサの瞳を見つめる。
聞かれたくない問いかけだったのだろう。こちらを見返そうとせず下を向いたままの翠緑が、動揺を表すようにビクンと揺れた。
「……真名を、偽られていたんだよ? そりゃあ、ショックを、受けるものだろう」
「そうだね」
なるほど、もっともな言い分だ。
古人曰く、人は知らないものを恐れるという。
世界が生まれたばかりの頃、そこには何もなかった。否。何かあったとしても、それを表現する手段がなかった。
つまり、「何か」は「何か」でしかなく、あるいは「何か」ですらなく、ただ混沌とでも表現すべき状況だけがあった。
それを切り分け、土を、空気を、水を、火を、あるいは人を。そうやって「世界」を生み出したのが「最初の言葉」である。
その
しかし、不十分なまま知識だけが先行すれば──そこには必ず間違いが生じる。
「言葉」を勝手に与えてしまったのだ。
人為は偽。たとえどれだけ本質に近かろうと、本物たり得ない。
なるほど、紛い物の贋作でも世界は回せるのかもしれない。丁度、舞台で神の表現として用いられた機械仕掛けの神のように。
されど、「最初の言葉」の多くが失われるにつれ、段々と世界はおかしくなっていったという。
そんな中……少しでも「最初の言葉」を残そうとした人々によって、世界は救われる。
彼らは「本物」を知る
その罪科の名残が、「仮名」。今では知る人も少ないだろうけれど、「書庫」の奥深くにはそれがまだ残っている。
そして「真名」は、人々の
魂を
自身のそれを知ることは、世界に存在する上で己のルーツを保証することであるから、知れば恐れは減るだろう。
他者のそれを知ることは、相手の不確かさを払拭することであるから、知れば恐れは減るだろう。
もしそれを偽られていたとすれば、今まで見てきたすべてが「紛い物」と伝えられることであるから、相手のことを何も「知らない」と知ることであるから、それはもう恐れが増すことだろう。
「……でも、違うよね」
「なっ────!」
しかし、マルスはその言葉には納得してやれない。
なぜなら、マルス自身がテレサのように追い詰められていないから。
たとえテレサの方がマルスよりレインを愛しているのだと言われても、その分反動が大きいのだなどと説明されても、納得してやれない。
静かに否定すると、ここでようやくテレサと視線が重なった。
「ボクが知ってる君は、そんなことでは逃げ出さない」
相手のことを「知らない」と知ったなら、「もっと知りたい」と思うのが彼女だ。
それだけ、「人と向き合う力」を有している。
奏巫女という役職を務めるからには、色々な感情を向けられる。
彼女を応援する人々、彼女が大好きな人々、彼女を羨む人々、彼女を妬む人々、彼女を嫌う人々。
そういった全員と向き合い、言葉を交わし、認め合い、その結果としていま、森人の誰からも愛される巫女として自由に歌っている。
その過程のほとんどを共に過ごしてきたからこそ出た言葉だ。そもそも、そういった類の「強さ」を有した人物でなければ、たとえ付き合いが長くても結婚しようなどとは考えなかった。
「──す、ごいね? あなたは、私のこと何でも分かってるんだね」
不快感を滲ませた声でテレサが言った。
誰だって、「自分の知ってるあなたは」などと言われれば怒りを覚える。
それは、状況によってはただの理想の押し付けに過ぎないからだ。
「何でもなんて知らない。ボクが見てきたものの中でしか話していない。……だけどそれが、君の本質からかけ離れているとは思わない」
なら、「理想」を見てしまっていると理解した上で。
「理想」と「現実」には違いがあると常に意識しながら、じゃあどれだけ離れてしまっているのかと自問自答しながら、その上で問いかけるしかないのだろう。
それは、本当に君か、と。
より正確には。
どんな人も、その人であることに変わりはないのだ。どんなふうに成長しても、どんなふうに堕落しても、「自分」からは逃げられない。
だから、「本当の君」という表現は正しくない。
より正確には、「それは、君が望んでいる君の姿か?」と。
そう、問いかけた。
「……なに、もっ」
テレサは視線を左にそらしてしまう。
まるで何か気まずいことでもあるかのように頑なにマルスの方を見ずに、その透き通った声音を震わせながら反論の言葉を紡いだ。
「何も、知らないよ、何も分かってないよ、あなたは……!」
憤怒。怯懦。自嘲。拒絶。
いくつかの入り混じった感情に彩られた言葉が絞り出された。
テレサの頭の中を、「それは言ってはいけない」という静止を叫ぶ声と、「この無知蒙昧な男にすべて伝えてしまえ」という激情が巡る。
言うか、言うまいか。何度も開いたり閉じたりするテレサの口元を視界に収めながら、マルスは何も言わずじっと待った。
そうして逡巡を重ねたあと、まるで罪を告白する犯人のように、どこか諦めた眼差しでテレサはマルスを見返した。
「──だって、私はレインを世界で一番愛していたんだから。あなたのことよりもずっと」
「私は、レインに真名を教えたんだ」
その言葉だけで十分であった。
真名を伝える意味合いは二つある。
一つに、子から親、あるいは兄弟姉妹に伝えること。これは、互いが家族であるということ、また自分の生殺与奪の権を相手に与えることを意味する。一族の誰かが過ちを犯したなら、その権を以て責任を取るのが一族の役目とされる。
しかし、これに親から子へ伝えるという場合は含まれない。
ならば、もう一つの意味。
前者の相手に含まれない、親や兄弟以外の者に伝えること。すなわち、互いが番であるということ、己の全てを相手に捧げるということを意味する。
これは本来一人に対してしかおこなわれない。なぜなら、誰かに捧げているものを別の誰かにも捧げるなど不可能だからだ。
そんなことができるとすれば────最初から捧げていなかったか、あるいは、捧げることをやめたか。
「あなたは、知らないだろうけどね……っ、あの子に真名を呼ばれて、あの子の真名を呼んで……。それって、ものすごく嬉しくて、本当に幸せで、わけが分からなくなるくらい気持ちいいことなんだ……っ!」
吹っ切れたかのようにテレサは言葉を重ねる。
抑えていた感情が堰を切った。
「レインが好きだ! レインを愛している。レインの事以外ろくに見ていない……!! 今の私が持っているのは、もう
それは、告白を通り越して、もはや自嘲で。
浮かべた狂気のこもったような笑みは、あまりに不格好であった。
「私は、今日まで何を呼んできたの!? この心は何で満たされてきたの!! ……ぜんぶ、ぜんぶ嘘だっていうなら、じゃあなんだッ、私は、虚無に満たされてきたのか……? あなたを欺いて、すべてを捧げるって決めて、その向かった先が
「知ってたよ」
──────ぇ……?」
息が、止まった。
受け入れるよりも先に、テレサは己の耳を疑った。
「……ま、なん、て」
驚愕。ただその一色に染まった瞳を見つめ返しながら、一音一音はっきりと、聞き逃すことのないようマルスは繰り返した。
「だから、
先程まで様々な感情でグチャグチャになっていた心が、今度は埒外の動揺で揺さぶられ、もはやテレサにまともな思考をする力は残されていなかった。
何より、そのことを、よりにもよって目の前の人物が淡々と口にしていることが理解不能であった。
「ぃつ、から……」
「いつだろう。命名式の後あたりかな。君たちの距離感が前以上に縮まったのもそうだけれど、そもそも君たちあまり隠していなかったし」
もし多少なりとも隠そうと思っていたのなら、隠していないというより、「隠せていない」の方が正確かもしれない。
「あのさ、その上で聞いているんだよ。……どうしてレインから逃げたんだい?」
あまりにやんわりとした物言いで、テレサは問わずにはいられなかった。
「……なん、で、なにも、言わないの」
怒り。
軽蔑。
嫌悪感。
不快感。
騙されていたと知って、返すべき反応は無数にある。
それこそ、先ほどテレサがレインにそうしたように、信じたくない現実から目を背けて、逃避してしまってもいい。
裏切られた仕返しをしたければ、長老会に裁かせることもできる。
少なくとも、テレサは自分が愛されていたという自覚はあった。
それを裏切ることを理解してなお、裁かれるならばそれすら受け入れるという覚悟でレインを選んだ。
どうして、この人はこんなに平然としていられる。
知っていたというなら、どうしてそんな素振りも見せずに今日まで過ごしていられる。
一体何を思って、テレサや娘に、笑顔で「可愛いね」だなんて笑っていられる。
なんだ。
この人、なんなんだ。
違う。
レインも、マルスも。もしかしたら、他の人も。
人ってなんなんだ。
……ああそうか、テレサ自身も。
嘘を振りまいて、見られぬように他人を傷付けて、表では笑って過ごしていられる。
棘を吐き出したその口で、誰かに「愛している」だなんて言ってしまえる。
なんだ、この生き物。
そう思った途端、ブルリと寒気がした。
あまりにおぞましい存在が、自分たちなのかもしれないと気付いたからだろうか。
あるいは、マルスの纏う空気が少し変わったからかもしれない。
「……ねぇ、それは、裁かれたくて言っているのかい?」
なにか言ってほしいということは。
責められたいということは。
それは、無意識であろうと裁きを求める行為であり、救いを求めることにほかならない。
マルスは己の内で揺れる炎に気付いた。
これが、怒りというものだろうか。物心ついてから縁のなかったその感情を、はじめて認識した。
「ボクは、君たちの中にまだ、真実の愛というやつを信じているんだよ……?」
「…………どういう、こと……?」
テレサにはマルスの言葉が理解できなかった。
まだやり直そうと思うだけの
「君がレインに真名を伝えたという事に気付いて、絶望したし裏切られた気分になった。そりゃあ、ボクだって人の子だ。気付いた日は、ロクに物を口にすることもできなかったよ」
その日は確か、体調が悪いと言って食事を摂らなかった。
素晴らしいところをたくさん知っていたから。尊敬できるところをたくさん知っていたから。その笑顔と下らない冗句に何度も救われてきたから。
人並みに、まっとうに、テレサのことを愛していたのだ。
同じくらい、愛されていると思っていた。いや、自惚れではないだろう。ただそれを塗りつぶすかの如く、レインへの愛情がテレサの中で上回ったのだ。
ほとんどのことを理性的にこなしてきたからこそ、理性的でない初めての
息ができなくなる、ということを初めて知った。己の中でテレサの存在がそれほど大きくなっていたことを初めて知った。
その相手がレインだということに、自分が愛してやまない愛娘だということに、もうどうしたらいいか分からなくなった。
──ならさ、何も分からないならさ、もう、考えて生きていくことをやめたらいいんじゃないか?
そんな声が、頭を過ぎった。
『ふざけるな』
『ふざけるな。──今日まで、何に縋って生きてきたと思っている』
思考停止を勧めたその声が自分の一部だと言うなら、恥もいいところだ。
「でもさ、ボクには、
物心がついてから、実に150年以上。外の世界の人の寿命で言えば3人が入れ替わりに生まれ死んでいく時間に近いほど。
ずっと「考えること」で生きてきた。
その答えは単純であった。
己の愛を否定されたと感じたからだ。
愛。
テレサと真名を交換してから、これもまた100年以上。頻繁に考えるようになって、「書庫」にも答えを求めて、それでも分からずに自分の頭の中で考え続けてきたことだ。
その過程で、外の世界における「愛」というものへの理解も深まった。森人にとって試練となる生殖行為も、外の世界の人間にとっては娯楽、快楽を得られるものの一つしてみなされているらしい。
家族愛。友愛。性愛。慈愛。博愛。自己愛。そして、
自分が思い悩むのと同様、過去において数多の人が考え、仮初の答えを与え、それを基に新たな仮初の答えを誰かが与え……そうした行いが、終わりなく繰り返されていた。
共通していたのは、誰もが「真実の愛」というものを仮定していたこと。
その有り様はそれぞれ異なっていたが、必ずどこかで出くわした。
考え始めてから最初の数十年は、そういった知識を集積することに奔走した。
人間であれば、この集積で生涯を終えてしまうことだろう。時間があるというのはなるほど良いものだと感じた。
そして、一つの言葉に出会う。
『真実の愛を知ることは、愛の
愛の真名。
概念の真名などという突飛な話ではあったが、妙にその言葉に力を感じた。
しかしそれでも答えが出なかったから。
とにかく、真名というものを知ろうと、すなわち「この世界の根源」を求めるために、時間の限り「書庫」の奥へと向かった。
テレサが禁忌を犯していると知ったのは、それからしばらく経ってのことだった。
「でもさ、君がレインを愛したからって、
愛には主体と客体がある。そう仮定した上で、その感情の矢印が相互に向かい合っていなければいけないというのは不自然だ。
ならば、過去の人物を愛した場合は、遠い噂で聞いた人を愛してしまった場合は、すなわち、俗に言う片想いというやつは「真の愛」足り得ない?
そんな不平等は、明らかにおかしい。
なら、感情を持たないモノへの愛は愛じゃないのか?
人は、雲を、花を、世界を、愛せないのか?
感情を持つ生物しか、「真の愛」を有さないのか?
それは、あまりに恣意的だ。
人にとって都合の良い定義に陥っている。
そんなことで、世界の根源たる真名に届くわけがない。
「気付いたんだ。ボクは何に縛られているか? 考えているつもりで、実はまったく狭い世界に囚われていた。……少なくとも、『倫理観』というやつを持ち込んでしまっては、ボクらにとって都合の良い世界しか見えなくなる」
「りん、りかん……?」
「倫理観って言葉はだね、つまり、ボクらの『生活』が上手く回るために決まってると便利な、暗黙の了解だよ。盗んではいけない。殺してはいけない。……禁忌を犯してはいけない。そういったものだ」
一度、それを取っ払ってみた。倫理観から外れた行いに準ずるという訳ではなく、思考を巡らせる上で。
実際に倫理観を捨てて道を全裸で走れば、普通に怒られるし罰される。罰されている時間が実に不毛であったから、それは控えておいた。
そうしたら少し見えてくるものがあった。
少なくとも、「マルスの愛」は否定されていない。テレサへ向ける愛情も、レインへ向ける愛情も、微塵も否定されていない。誰もそれを奪っていない。
──奪おうとした奴がいるとしたら、それはマルス自身だ。
「一種、感動した。君たちは、ボクよりずっと先にそれを捨てていた。嫌味じゃないよ? そうやって君たちが愛し合っているということを、たとえ誰が否定しても、村中が受け入れなくても、ボクは受け入れる」
「……あなた、ちょっとおかしいよ」
「今更さ。村中からHENTAI扱いされてる。さっきだって、この貧弱な体でここまでフラフラになりながら走っていたら、『またキバタンが発狂している』って目線向けられたからね」
マルス自身の中にはまだ「真実の愛」が存在しているかもしれない。
あるいは、マルスがこよなく愛する二人の間にこそ「真実の愛」が存在するのかもしれない。
「魅せてほしい。君たちが間違えたときは、ボクが責任をとる。禁忌を破った罰として、ボクが手を下すことも覚悟の上……そう思っていた」
そうやって歩んできて、テレサがレインから逃げたから。
──今こうして、腸が煮えくり返っている。
「なぜ、逃げた。君たちの愛とやらはどこへいった」
自然と言葉に力がこもる。
先ほどふざけるなとテレサが言ったが、マルスこそ「ふざけるな」と叫びたい。
「真実の愛をそこに求めたボクは、どうすればいい……ッ!? ふざけるな、なぜ逃げたッ!!」
かつて見たことがないほどの夫の形相に、テレサは息をすることすら忘れた。
それは、テレサの求めた「裁き」とはまるで異なっていた。
「向き合え!! 立ち向かえ!! 君は、虚無に愛を注いできたと言ったな? 虚無で満たされたと言ったな?
本人がこれで怒っているつもりだというのならとんだ茶番である。
その言葉は、立ち止まったテレサの背中を押すことにほかならない。
「真名を偽ったがなんだ! そんな倫理観に囚われるな! ボクへ愛を捧げることを止めたときから、君はとうに倫理観を投げうっているだろう!!
それでも憤怒に染まったマルスの眼差しを直視して。
ああ、本気なんだな、とテレサは理解した。
「……昔からだけど、あなたって本当に無茶苦茶だ」
「それ、褒め言葉だよ。平凡、普通って言われるのが一番傷付く。……普通じゃあ何にも届かない。森人の大半は『普通』の人なんだ。ボクひとりくらい壊れていても良いだろう」
「……かなわないなぁ」
ずるずる、とテレサはだらしなく背もたれに体重をかけた。
立ち上がったマルスが、手を差し出す。
「おいで。隣で一緒に、観劇しよう。今日の演目はまあ……あんまりだけれど、頭を冷やしながら眺めるには丁度いいだろう。お互いね」
「はは……、私はもう十分冷えたよ。あなたは顔まで真っ赤だね。冷たいものでも飲むといい」
「いやはや恥ずかしい……」
恥ずかしくて顔が赤いのか、興奮冷めやらず血が上ったままなのかいまいち判別がつかない。
マルスの手を取って、舞台が一番良く見える席につく。
「……レインと、もう一回話したい」
「どうかな。君、逃げたわけだし」
「五月蝿いな……誰だって逃げたくなるだろう」
「責めてるわけじゃないさ。いやぁ、あの逃避ダッシュは実に見事だった。奏巫女の身体能力の高さが表れていたね」
「ほ、ほんとうに恥ずかしいからやめてくれ……」
横長のソファに腰掛けて、キャストが新人ばかりで構成されているという劇の一幕を眺める。丁度場面の切換らしい。幕が一度落とされ、その奥ではきっと役者や色々な人が駆け回っていることだろう。
隣には、遠すぎず、しかし寄り添うわけでもない距離でマルスが寛いでいる。
「あぁでも、マルス。あなたが怒っている姿を初めて見たかもしれない。顔を赤くする姿は宴会の席で何度も見てきたけれどね」
「ん゛ん゛っ……、……分かった、君の走って逃げた話はもうしないから、それを蒸し返すのもやめてくれ。散々理性がどうのと言っておきながら、結局怒っているっていうのがもう……」
「恥ずかしい系の話題は、別に、お互い他にも事欠かないけれどね……」
出会ってから100年以上。
変わりのない日々の中とは言っても、その時間の分だけ、恥ずかしいエピソードは挙げればキリがない。
「……とんでもないことに気が付いてしまったよ、テレサ」
「なんだい?」
「つまり、レインは幼少期から自我が芽生えていたんだろう? なら、ボクの真名も知られているんじゃ……?」
「あっ…………」
レインが小さい頃は、まだ呼び方にあまり気を遣っていなかったから。
レインの目の前で真名を呼び合うことは度々あった。
というか、ならテレサの名も知られていたわけで、それを明かさずにテレサの口から言わせたということは……。
(キミは、本当にもう……!)
知らずのうちに赤面するテレサであった。
よし、新人の初々しい演劇を見て頭を冷やそう。そうしよう。きっとこんな大舞台で緊張しているだろうから、大ポカをやらかすかもしれない。
「ま、まああの子なら悪用しないと、思う、よ?」
「もうちょっと断言してあげなよ……。ん? ボクもレインも互いの真名を知っているってことは、実質ボクとレインは番?」
「は?」
「ヒッ…………は、始まりそうだね、劇」
テレサの冷ややかな目線。
テレサもマルスも、体温が上がったり下がったりと忙しない。
話を逸らすように舞台の方を指差したが、実際に照明が再点灯されている。
テレサもソファに身を預けて、ゆっくりと眺めることにした。
──さあ、幕が上がる。
**連絡欄**
いっぱい読んでもらえてうれしいです、いつもありがとうございます。たくさん書きたい。
告白編、父様の掘り下げが二番目くらいの目的だったり。