TS転生すればおっぱ……おにゃのこと戯れられるのでは?だからチート勇者、テメェはお呼びじゃねえんだよ!   作:Tena

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意識が飛ぶのって結構慣れるもので、何回かトんだ経験があると「あ、これ落ちるわ」って分かるものです。母様が(実技で)教えてくれました。僕が最初に教えたことだけど。

「僕が、間違っているんでしょうか」

 

 クラムヴィーネの部屋を後にして、女子の大部屋にて呟いた。隣にはアイリスがいたけれど、特段答えを求めていたわけではなくほとんど独り言である。

 イフェイオンはシュービルに用があると言っていたので、アイリスと二人きりだ。

 

『やだなぁ、アンブレラさん。手首を切ったくらいじゃ人は死にませんよ。この部屋には治療用具もありますし、手首なら指を傷付けるよりずっと日常生活への支障も少なくて済みます』

 

 困惑した僕がようやく涙を止めた後。

 あっけらかんとした様子で自らの合理性を説いたクラムヴィーネは、床に落ちたナイフを拾って流しに戻してから、僕が咄嗟に治癒した手首を物珍しそうに眺めた。

 

 リストカットは、というか、自傷行為は、僕、あるいはにいろの中でひとつのタブーであった。

 自分がやったことがあるとか、友達が依存してしまっていたという訳ではない。そもそも前世の僕に友達はいない。そうではなく、おそらく現代日本の中で育まれた価値観だ。

 もちろん日本で自傷行為が存在しないわけではないけれど、僕の中ではそれは不健全なことであった。

 

 現代日本でリストカットをする人といえば、その行為に安心感を覚えるというのが理由の一つにあるらしい。けれど、クラムヴィーネが手首をかき切ったのはそういった理由ではなく、純粋に僕の癒しの魔法の効果を調べたかったからだ。

 おかしいだろう、そんな、やりようなんていくらでもあるだろうに。

 

『──? ごめんなさい、どうしてそんなに困惑されているのか分かりませんが、きっと私が悪いんですよね。すいません。いつもそうなんです、私ほんとにダメダメで……』

 

 違う。自己否定してほしいわけじゃなかった。

 しばらく考えて、ようやく思い至った。そもそも思考の基盤が違うのだ。身体、健康の価値が僕が思うよりずっと低い。クラムヴィーネがなのか、この時代の人間たち全員がそうなのかはまだ分からないけれど。

 

 価値基準が違う相手に、どうすればそのおかしさを伝えられるか分からなかった。

 結局僕の持っていた価値観は現代日本人の共通意識に過ぎず、「じゃあその間違ってることはどうして間違ってるの?」という問いに答えられない程度には自分なりの理由を用意できていなかったのだ。浅はかとでも言うべきか。

 

 手首を切って何が悪いのか?

 血が出る? 実際はたいして生死にも関わらない。

 傷が残る? 体の美しさに拘らないなら関係ない。

 

 みんなが言っていたからというのは思考停止だ。

 じゃあ、その間違いを指摘できないのならば、そもそも僕が間違っていたのかもしれない。

 

 そう呟いた僕を、アイリスは静かに見つめていた。

 

「間違っていませんよ。御子様は何も間違えていません」

 

 いつでも僕を肯定する彼女の言葉が、今は苦しい。

 

「突然手首を切り出すことが正しいのであれば、いまごろ往来は血塗れの人で溢れているでしょう」

 

 ……そりゃそうだ。

 ちょっとした極論ではあるが、妙に説得力があってクスリと笑ってしまった。

 

「……ありがとうございます、アイリス。少し気が楽になりました」

「んん゛っっ……。そ、それと、クロミノ様から頂いた手帳によると三大勢力の方々はそれぞれ独特な価値観をお持ちなようですから。特に学園都市(ODO)の研究者というのは、魔法のことになると暴走しがちな傾向にあるようです」

「待って下さい、なんですかその手帳。面白そうです。僕も読みたいです!」

「え、えぇっと……」

 

 おや。

 クロさんがアイリスに何か渡していたというのも初耳だが、この世界の人々に関する情報が記されているというのであれば俄然興味が湧く。私、気になります!

 目を輝かせてアイリスに迫る僕だが、珍しく言い淀まれる。いつもなら快諾してくれるのに。

 

「アイリス、僕気になります。見たいです。すごく見たいです!」

「う、うぅ……そのぅ……」

「アイリス……?」

 

 下から不安げに見上げる僕に、アイリスが意を決したように叫ぶ。

 

「……いいですか、御子様。それ以上近付いたら、私は絶対に落ちます! 絶対です! もう産毛が触れた瞬間に手帳を渡す自信があります!! ……ですがッッ、ですが、クロミノ様に、言われているのです! 御子様にだけは読ませないようにと……ッ!」

「えぇ……」

 

 えぇ……(困惑)

 クロさんの言いつけも謎だけど、それ以上に、その脅迫に見せかけたただの敗北宣言に戸惑う。凄い自信だな。折れちゃ駄目な方に折れてるけど。

 

「──あ、駄目でした。いま御子様が動いたことで漂ってきた空気の香りに屈しました。もはや手帳を渡すことはやぶさかでありませんが、どうなさいますか」

「……いや、流石にそこまで言い含められているなら諦めます。でも、どうして僕は読んではいけないのでしょう?」

「そうですね。クロミノ様は一言おっしゃいました。曰く、御子様には自分自身で世界を経験してほしい(御子に余計な知識を与えるといつか暴発する)、と」

「……そうですね! 確かに、先入観無しでいるほうが僕の好みです」

 

 なるほどなぁ。クロさんなりに僕のことを想ってくれていたらしい。

 個人的に、ネタバレとかは唾棄するほどではないけれど避けたい派だ。一応はエルフも存在するファンタジーのような世界なわけだし、獣人然り、これからもこの世界で面白いことが待ち受けているかもしれない。危険なことは流石に教えてくれるだろうし、ならば楽しみに待っている方が性に合っている。

 

 やれ「年寄りを労れ」だの、やれ「疲れた、寝る」だのとダウナー系おじさんムーブをかますくせに(それが渋い顔に合っていて少し憧れる)、心の底では僕のことを案じているとは、今度はツンデレアピールだろうか。ヘリオでもあるまいに、属性を盛ることを意識し過ぎである。

 

「そういえば、シュービル様と話すことで何か解決案は見つかりましたか?」

「課題ですか。吐かれたことに驚いて、聞くのを忘れてしまいました……」

 

 さっさと学園都市に入って真名について知りに行きたいのに、そもそも入ることでこんな苦労してしまっていてよいのだろうか。

 まぁ、なるようにしかならない。多分なんとかなる。無理なことだったら馬鹿神(ルーナ)に止められているはずで、逆に言えば僕は神様の担保を得てこの場にいるのだ。あの神は、享楽主義のくせしてそういった計算はしている。

 

「アイリスは、もう?」

「はい。まだ意識する必要がありますが、ヤァヒガルに触れても色が変わらなくなりました」

 

 ヤァヒガル。魔力を溜める性質を持つ珍しい石で、これに触れても色を変えない、つまり魔力を放出してしまうことがなくなるのが「卒業」の第一条件である。

 それができるようにならなければ、魔道具の多い町中で無差別テロを起こしてしまいかねない。今のところ僕は核廃棄物と同レベルの厄介者である。

 

 アイリスはできたのか……。僕は抑えられる予兆もないから、先生から「とりあえずイメージを固めましょう」と言われている。諦められていやしないだろうか。

 一体どんな意識をすればいいのだろうか。個人的に、汗腺を自力で閉めろと言われているのと同じ気分である。

 

「私の場合は、先生の仰った『魔力が溢れてしまっている』という表現に注目して、溢れたものを自分の中にもう一度注ぐような意識をしています」

「溢れたものを注ぐ……」

 

 下ネタだろうか。違うか。違うな。思考回路が小学生並みですまん。中学生くらいか。

 

「一度、やってみます」

「御子様ならきっとすぐできますよ」

 

 期待が重い……。あれじゃん、できなかったときに凄いつらい気の遣われ方するやつじゃん。

 

 実のところ、魔力が溢れている感覚というのは分かる。伊達にルーナに魔力の流れを追うことを教わってないからね。

 魔力を感じる技術と、魔力量を増やす技術。ルーナが限られた時間で僕に与えた知識はこれらだけだが、逆に言えばこれらが基礎となって様々なことができるようになるはずだ。

 

 けれども、魔力の放出を抑えるという技術。これはかなり不自然なものだ。文字通りの意味で。

 自然な現象で言えば、魔力が溢れるというのは問題ないことであるはずなのだ。なにも、風船から空気が抜けるように一方的に失われていくわけではない。体に必要な分を取り置いて余りを外側とシームレスに交換しているのであり、それの一切を止めて自分で掌握するというのは、どこか乱暴な気さえしてくる。

 やらないといけないわけだからやるけど。

 

 自分の体を巡る魔力の流れはいつも通り感じられる。

 一つのことに集中するため、ほとんど無意識でやっていた魔力量拡張の作業も一旦やめた。筋肉痛のときのような気だるさを感じる一方、どこか負担が取り払われたような気分になる。

 僕の魔力が溢れているのは確かだ。どこまで広がっているのかは分からないけれど、羊水のように僕を包んでくれている。仮にこれをすべて抑え込んだら、自分を守るものがなくなってしまうような不安感さえ感じられることだろう。

 

 これを自分の中に注ぐ……?

 

 水溶液のようなものだと思おう。僕の中に、魔力を溶かす。

 濃度の薄いところ。何も入っていないところ。

 

 探して、探して、探して……。

 

 多少、「注ぐ」ことができているんじゃないだろうか。

 慣れないことをしているからか息苦しい気さえする。

 

「……は、ぅ、……ぁっ」

「──御子様、大丈夫ですか……?」

 

 遠くからアイリスの声が聞こえる。

 動いていないはずだけど。

 

 大丈夫、アイリスがこれでできたと言うのだ。

 きっとできるさ。

 

 注ぐ。

 

 海底に沈んでいくような苦しさ。

 

 水中で我慢比べをしているみたいだ。

 

「……あい、りす」

 

 霞む視界。平衡感覚もままならないまま、囁くように問いかける。

 

「これは、いつ、まで……?」

「──いつとは……」

 

 返答をすべて耳に捕らえる前に、視界がぐるんと回るのを感じた。

 

 飽和した水溶液に、一体どうやって塩を溶かすというのだろうか。

 


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