黒子は、床に這いつくばるように倒れていた。結局、あの自分と同じ系統の能力者を捕らえるには至らなかった。
それどころか、今の自分はただ殺されるのを待つのみだ。何故なら、真上にかなりの質量を持つ何かがテレポートさせられようとしている。
「逃げな、ければ……!」
奥歯を噛み締めながら何とか動こうとするが、身体は動かない。戦闘で全てを出し切ったため、テレポートさせることも出来なかった。
奥歯を噛み締める。死ぬのが怖いんじゃない。いや、怖いけど今の感情は別の所にあった。
あのヒーロー様なら、あの女を叩きのめした上で改心させられたんじゃないか、そう思ってしまう。結局、このままでは自分には何も出来なかった、という事実が残るだけだ。
悔しさで奥歯を噛み締める。正義を貫くのも楽ではない。あのヒーローが他人を巻き込みたがらない理由が、今にして分かった気がした。
「非色さん……お姉様……!」
ふと、上を見る。テレポートされていくものが、徐々に形を成して来ていた。
ダメだ。こうなれば、もうどうする事も出来ない。
ここで死ぬくらいなら、最後にあのヒーローに素直な気持ちを伝えれば良かった……と、思わずキュッと目を閉じた時だ。
真下から、超電磁砲によって床がぶち抜かれた。黒子から見えた範囲で、そこにいたのは二丁水銃と御坂美琴だ。
「黒子!」
「! お姉さまに、非色さん⁉︎ 来てはいけません! ここは……!」
と、言いかけた時だった。真下から、バビュンッと何かが射出される。非色が強引に投げつけたのは、上条当麻だった。
その身体は一直線に黒子の真上に向かい、右手一つでその脅威を消し去ってしまった。
「って、お、おお……! 着地着地……!」
なんてやっている間に、遅れて非色がジャンプしてきて、上条を小脇に抱え、黒子の横に着地する。
「さ、サンキュー。固法」
「白井さん、大丈夫?」
「え、ええ……ありがとう、ございます……」
ふと、二丁水銃は自分に目を向ける。最初は何を見ているのか分からなかったが、すぐに理解した。自身の傷口に目を向けている。
「いやー、間一髪だったな」
「まだ終わってませんよ、上条さん」
「あ、ああ。そうだな。残骸を回収しないと……」
そう言いつつも、上条は非色の様子が少し気がかりだった。どうにも、声に含まれた怒気が強い気がする。
「白井さん。何処に行ったか分かる?」
「な、何がです?」
「君をそんなにしたカス」
「っ……」
まずい、と黒子は助かったのに冷や汗をかく。普段、この人から「カス」なんて言葉は出て来ない。
冷静に考えれば、このヒーローが本気で怒った所を見た事がない。その結果がどうなるか分からない以上、今はそれをさせてはダメだ。
そう判断し、黒子は非色に抱きついた。
「うえっ……し、白井さん……⁉︎」
「申し訳ありません……少し、このままにさせて下さいな……」
「……あ、う、うん……」
控えめに頷きつつ、非色はその黒子を抱きかかえた。微妙に、怒りが沈静化し、徐々に落ち着いてくる。
その抱き締めた黒子は、そのまま上条に指で指示を出す。犯人を捕まえて、との事だ。
上条も、非色の様子が普通じゃないことを理解したので、従う事にした。
なるべく足音を立てずに出て行く上条を眺めていると、非色が黒子に声を掛けた。
「ごめん」
「? 何がです?」
「こんな怪我するまで、駆けつけられなくて」
「い、いえ……私こそ、申し訳ありませんの。初春に、言われてはいましたわ。一度、敗北した時点であなたに声をかけた方が良い、と。ですが、それは出来ませんでしたの。ヒーローに、頼りきりになるわけにはいかないと思って……」
「……いいよ、そんなの。ヒーローは、警察や軍には嫌われるものですから」
そう言うと、非色は一度、黒子を離し、正面から言った。
「とにかく……次から、必ず約束します。白井さんはもう、絶対に傷つけさせない。もし、そういう事態に陥ったら、傷つけた奴は絶対にタダじゃおかない」
「……」
この時、黒子は初めて目の前のヒーローが恐ろしく思えた。悪い人じゃないのは分かっている良い人じゃなきゃ、ヒーローなんてやっていない。自身の人とは違う力を人のために使う、という行動原理も立派なものだ。時には規則を破ってでも、自身にとって重要なものへの優先度を測り、判断している。
そんな彼にも、完璧では無い面があるようだ。友達が傷つけられた時の憎悪が大き過ぎる。
「後半はともかく、前半はよろしくお願いします」
「うん。任せて」
とりあえず、冗談半分の言い方で返しておいた。
×××
翌日、白井黒子が入院しているのを聞き、非色と美偉はお見舞いに行った。勿論、白井黒子の、なのだが……。
「あ、ごめん姉ちゃん。俺、知り合いがお見舞いしてるからそっちも見てくね」
「あら、そう。じゃあ先に行ってるわよ?」
「うん」
それだけ言うと、別の病室に向かっていった。世話になってる人がいるのは嘘では無いし、挨拶しておきたいのは本当の話だ。
けど、本題は別にあった。思い出せば思い出すほど、胸が痛くなり、自身が嫌になる。何故、自分はここまで気が小さいのか、と。こんな小ささでは、街の治安を守るなんて夢のまた夢だ。
どうしたら良いのか、と相談に乗って欲しいものだ。
「というわけで、助けて一方通行! 女の子に抱き締められて、昨日の夜から一睡もできないんだ!」
「テメェふざけンなよ⁉︎ まさか、ンなくだらねェ理由で昨日、あの三下逃したンじゃねェだろうな⁉︎」
「何の話⁉︎ てか、くだらないって何さ!」
当然の反応に逆ギレする非色だが、まぁ中学生なので致し方ないと言えば致し方ない。
そんな非色に、パタパタと同室の打ち止めが走ってくる。
「ヒーローさんだ! こんにちは!」
「こんにちは。打ち止めちゃん!」
「二丁水銃?」
「「イェーイ!」」
「……チッ」
仲良く打ち止めとハイタッチする中坊を見て「喧しくなりそう」と一方通行は舌打ちを漏らす。
「ヒーローさん、女の子に抱き締められたの?」
「マスクしてない時にヒーローさんはやめてね。身バレ待った無しだから」
「わっ、ごめんなさい……って、ミサカはミサカは割と素直に謝ってみる……」
「ううん。次から気をつけてくれれば良いからね」
「うん!」
頭を撫でられ、元気よくにこりと微笑む打ち止め。その様子を見て、一方通行は口を挟んだ。
「つーか、オマエは何しに来たわけ? クソガキとイチャつきてェンなら、表でやりやがれ」
「ち、ちがうから! だから、昨日、抱きつかれた子のお見舞いにきたんだけど……その、恥ずかしくて。どうしたら良い?」
「だから知らねェッつってンだろ! てか、こっちは昨日、テメェのケツ拭いてやってンだ。騒ぐなら出て行きやがれ!」
「え、何の話?」
昨日は一方通行と顔を合わせていないはずだ。そんな風に言われても心当たりがない。
「テメェが昨日、残骸を追ってたンじゃねェのか。けど、途中で風紀委員のガキに気を取られ、結局、逃したンだろ」
「え、なんで知ってるの……」
「ミサカネットワークって知ってるか? ……ったく、テメェが出たって聞いたからのンびりしてたってのによォ。結局、出向いて残骸も本物の残骸にしといてやった」
「あー……それはありがとう。ごめんね? 入院中に」
「まったくだぜ」
そう言いつつ、ゴロンと寝返りを打つ一方通行。昨日、どうにも白井黒子と顔を合わせてから、気がつけば抱き締められていたまでの記憶がない非色は、微妙にピンとこなさそうな表情でいた。
「そんな事言ってるけど、出て行く時は割とノリノリだったよ? ヒーローさんみたいにわざわざ窓から飛び降りてたし。って、ミサカはミサカは傷心気味のヒーローさんをフォローできる情報をそっと付け加えたり」
「え、なに。もしかして俺の真似とかしちゃってた感じ?」
「してねェよ! 窓からの方が他の人に見られなくて楽だってだけだ!」
「いやー、割と嬉しいもんだよ? ヒーローのモノマネされんの。誰に許可取ってんのか知らないけど『ヒーロー水鉄砲』とかいうグッズも発売されてるからね。それで子供達が遊んでるの見るの、割と嬉しくて……」
それを聞いた直後、打ち止めが唐突に目を輝かせ、一方通行の方に顔を向ける。
「えー⁉︎ ほんとに⁉︎ ミサカも欲しい! って、ミサカはミサカは自分のミーハーっぷりを隠さずに吐露してみたり!」
「バカどもが……オレは買わねェぞ」
「えーなんでー?」
「何が悲しくてこンなヤツのグッズなンざ買わなきゃいけねェンだ」
アイドルやらアーティストやらなら百歩譲ってわかるが、ヒーローのグッズはどう考えても無理だった。というか、本当に誰から許可を得ているのだろうか?
そんな一方通行のセリフを無視して、非色は続けた。
「他にも『二丁水銃マスク』とか売ってたっけ。あれは少し恥ずかしい」
「ね、次に出撃する時は、あなたもマスクと水鉄砲持っていったら? って、ミサカはミサカは見てみたいだけの案を提示してみる!」
「オイ、いい加減にしとけよテメェら」
「だって、あなた病院の待合室にあるテレビのニュース、二丁水銃の見出しがやってる時だけ足を止めるじゃん」
「……」
「え、ほんとに?」
それを聞いて、非色は目を丸くして一方通行を見る。人は無言の時ほど恐ろしい感情を秘めている、というのに、打ち止めも非色も気付かずに話を進める。
「うん。間違い無いよ。って、ミサカはミサカはニヤニヤしながら当の本人を見上げてみる」
「い、いやぁ……あの一方通行がファンだなんて、これはこれで少し嬉しいけど……あ、ヒーローの相棒とかやってみる?」
「良いかも! 二代目二丁水銃とかカッコ良い!」
「いや、ヒーローはバラバラの個性が噛み合って初めてかっこよさが出るからなぁ……あ、それこそ能力名のまま『一方通行』で良いんじゃない? 二人のヒーローの名前に数字が入ってるとかアツ過ぎでしょ」
「それだと、ヒーローさんが二番手みたいだけど……と、ミサカはミサカは真剣な表情で問題点を定義してみる」
「あ、それは嫌だな。というか、個性を出すには名前の被りも嫌だし……アクセラホワイト仮面とか?」
「ぶはっ! そのセンスのなさにミサカはミサカは吹き出して……」
「オイ。オマエら」
「「何?」」
唐突に口が挟まれ、二人は揃って顔を向ける。直後、硬直した。何故なら、一方通行の表情から殺気が漏れているからだ。
「覚悟はできてンだろうな?」
問いながら、二人に両手をゆっくりを伸ばしている辺り、返事を待つつもりはないようだ。
苦笑いを浮かべたまま微妙に震えている二人に、容赦なく制裁が下された。
×××
「追い出されたね……」
「追い出されちゃった……」
非色と打ち止めは、頭にたんこぶを作ってそのまま二人でのんびりと病院の廊下を歩いていた。
さて、そろそろ黒子のお見舞いにいかなければならない。しかし、どうにもあんなことがあった後だからか、勇気が出ない。
「で、ヒーローさんは勇気がないの?」
「だからヒーローはやめてね。非色で良いから」
「あ、ごめんなさい。じゃあ、非色は会いに行かないの?」
「あ、呼び捨てなんだ……」
そこにツッコミを入れつつ、非色は続けた。
「まぁ、その……何? その女の子に抱きつかれたばかりだから……恥ずかしくて……」
「ヒー……非色はあの一方通行に何度も向かって行ったのに?」
「うん。そういうのとは違うからね」
殺されるかもしれない場所で戦うのと、好きな子の元へ気まずいまま行くのは別問題である。
「じゃあ、分かった!」
「何が?」
「ミサカが先に行って様子を見てきてあげる! って、ミサカはミサカは将来、バインバインになる胸を張ってみる!」
「……はい?」
何言ってんのこの子? と思ったのも束の間、それはまずいとすぐに判断した。何せ、病室には御坂美琴もいるだろうし、それとほぼ同じ顔をした少女が、姉と黒子に顔を合わせるのはまずい。
「ちょっ……ダメ!」
「えー! なんで⁉︎」
慌てて手首を掴んだ。急発進する直前だったようで、ギリギリだった。
「ダメだって! どう説明したら良いのか分かんないし……!」
「大丈夫! こう見えてミサカは一万人のミサカを統べる上位個体なんだから!」
「関係ないから!」
「とにかくまかせてー! 助けられた恩を返したいのー!」
「助けた恩が仇となって返って……!」
なんてやってる時だ。ふと耳に聞き覚えのある声が届いた。
「あの……すみません。うちの弟見ませんでした?」
「え? さ、さぁ……」
ヤバい、と非色は冷や汗を流す。姉が自分を探している上に、そこの曲がり角にはもういる。向こうから災難がやってきた。
これ以上、打ち止めが騒げばおそらくこっちに来るだろう。かと言って、ここは病院、強引に立ち去るわけにもいかない。
「っ……ら、打ち止めちゃん、ごめん」
「? 何……わわっ⁉︎」
打てる手は一つ、自身の変身マスクを装備させるしかない。
幸いにも、今自分達がいる廊下に人影はないし、防犯カメラも自分の身体が死角になって打ち止めの姿は映っていない。
それを把握した直後、打ち止めにサングラスをかけ、マスクを起動した。それにより、打ち止めの顔は二丁水銃のマスクに包まれる。
「き、急に何かなこれ⁉︎ って、ミサカはミサカは軽くパニックに……」
「話し合わせてくれたら、マスクと水鉄砲買ってあげる」
「任せて! って、ミサカはミサカは自信満々にガッツポーズしてみる!」
直後、姉が曲がり角からやってきた。非色とすぐに目が合い、頬を膨らませる。
「あ、いた! あんた何してたのよ?」
「ごめんごめん。この子に懐かれちゃって……」
「こんにちは!」
「はい、こんにちは」
挨拶され、美偉も微笑みながら返す。が、すぐに眉間にシワを寄せた。
「? その子のマスク……」
「なんか俺もさっき知ったんだけど、二丁水銃のグッズとか売ってるんだって」
「あら、そうなの。うちも買う?」
「やめてよ……恥ずかしい。迷子みたいだから、一緒に連れてっても良い?」
「ええ、もちろん」
「えー、ミサカ迷子じゃ……痛たた⁉︎」
「え、ミサカ?」
「気の所為だよ、姉ちゃん」
打ち止めの手をつねってから、黒子の病室に向かった。もう事こうなった以上、覚悟を決める他ない……のだが、どちらかと言うと打ち止めの正体がバレないかの方が心配だ。
とにかく、向こうに着いたら上手いこと誤魔化しながら、早めに病室を出るしかないと、思いながら、病室に入った。
「入るわよ」
「どうぞ」
美偉がノックし、中に入る。幸いにも、中にいるのは黒子と美琴だけだった。
「お邪魔しまーす」
「遅くない?」
「この子ったら、迷子を保護してたらしいのよ」
「す、すみません……」
「あー! お姉様だ! って、ミサカはミサカは……あっ」
「は?」
「「……お姉様?」」
開幕で魚雷が命中したような衝撃に、非色は固まるしかなかった。本当にこれだから子供は苦手だ、と悪態をつきたくなる。
さて、どうするか……だが、美琴が自分にアイコンタクトを送っているのに気づいた。
『……妹達関係?』
『そうです』
顔を隠している事と「お姉様」の呼び方だけで全てを察してくれる頭の回転は、やはり超能力者だと認めざるを得ない。
「もしかして、この前、鞄を届けてあげた子かしら? 黒子、失礼するわね」
「日常的にも誰かを助けてあげているなんて……さすがはお姉様ですわ!」
「はいはい。さ、行くわよ」
「あ、あはは……」
ぎこちない動きで美琴は打ち止めを連れて病室を出て行った。とりあえず、一難去ったか、と非色はホッと胸を撫で下ろしつつ、黒子に声をかけた。
「怪我は平気ですか?」
「ええ。明日にでも退院できるそうですわ」
「良かったよ」
そんな話をしながら、非色は黒子のベッドの横に椅子を用意して座る。姉の分も出したのだが、美偉が座ることはなかった。
「私、何か飲み物買ってくるわね」
「え?」
「じゃ、ごゆっくり」
それだけ言うと、さっさと病室を出て行ってしまう。これで、黒子と非色は二人きりだ。
とりあえず、非色から聞きたかったことを聞いた。
「じゃあ、大覇星祭では遊べる?」
「ええ、もちろん。……とはいえ、車椅子になってしまいますが」
「大丈夫、俺が押してあげるから」
「ふふ、ありがとうございます」
そんな話をしていると、黒子が頬を赤らめたまま、非色の方へ体重を預ける。
「っ、な、何……?」
「いえ……その、本当はこんなつもりなかったのですが……」
「え?」
「今回、死にかけてハッキリわかりましたの。自分の気持ちが」
「……え?」
話についていけない非色は、知るよしもなかった。自分が遅れている間、黒子が美琴と美偉に何かの相談をしているなんて。ましてや、その内容が自分の事だなんて想像もついていなかった。
予想外のことが起き続け、みっともなく動揺している間に黒子は非色の手を握った。
「私は、固法非色さんの事が好きです。お付き合いして下さいな」
「はえ……? おつきあい……?」
「はい。お付き合い、です」
「え、それって……買い物に付き合う、的なことじゃなくて……」
「私の、恋人になる、という意味ですの」
「……」
固まる。頭が真っ白になる。いや、真っ赤だ。ついでに顔も真っ赤になる。何が何だか分からない。そういえば、昨日抱き締められたような……いや、でも今はそんなことどうでも良くて……いやよく無くて。というか、今何を言われたっけ? と、頭の中が銀河の彼方にすっ飛んでいくような感覚に陥った。
それも想定内だったのか、黒子は微笑みながら言った。
「お返事は……今は無理そうですわね。また後日で結構ですの」
「ヘンジ……? 環状遺跡がどうしたの?」
「……とりあえず、今は落ち着いて下さいな」
本当に情けなく、非色はとにかくその場で狼狽えていた。