一先ず、美琴は大人しくするしかなく、婚后と共に競技に出場した。お腹の間にボールを挟んで歩くアレ。
その途中、婚后から色々な話を聞くことが出来た。
『私ももしかしたら、食蜂操祈に操られている可能性があります。私からの情報はあてにしないよう』
『可能であれば、私が御坂さんの妹さん本人を連れて参ります』
『とにかく現状、御坂さんは下手に動かないようお願い致します』
それを聞いて、一先ず美琴は胸を撫で下ろす。婚后は一応、レベル4。戦うだけの力はあるだろうし、簡単にはやられないだろう。
とはいえ、食蜂の方はともかく、御坂妹は学園都市の闇から生まれた存在。それが行方をくらましている以上、少なくともそっちの件は闇が絡んでいるとしか思えない。
「……」
美琴の携帯に表示されているのは、固法非色の文字。さっきの反応的に自分に関する記憶はない。しかし、ヒーローとしての記憶が無いとは限らない。
彼がそのままの人格でヒーローをやっているのなら、それを伝えれば力は貸してくれるだろう。
けど……やはり、自分に対して何の感情も抱いていない相手に協力を要請するのは気がひける。
「はぁ……」
一先ず、連絡するのは婚后が帰ってきてから決める事にした。あまり多くの人間を関わらせるべきではない。
それに、今の今までヒーローとして働いて来た非色を休ませるには、今は良い機会だ。
×××
湾内と泡浮が、たまたま近くを婚后が通りかかった事により別れ、再び一人になった非色は、のんびりと街を歩く。
この後、どうしたら良いのかわからない。いや、分かる。分かるが、それをしようとすれば恐らく、面倒に巻き込まれる。そう直感が告げていた。
「自分の記憶について調べる、か……」
やりようはある。まずは初春と連絡を取り、記憶を操る能力者を探し、そいつに当たり、自分の記憶を見てもらう。その記憶が封印されているのか、それとも抜き取られているのかによって対応が変わるが、いずれにしても自分が何者かを知る。
……というのを考えたが、そもそも、自分の記憶を封印したやつの目的が分からない。考えられる可能性は三つだが、誰もピンこないのだ。
一つ、何か重要なものを見てしまい、それで封じられた。二つ、自分は何かヤバい組織に目をつけられていて、仕返しで封じられた。三つ、これから起こり得る事件に巻き込ませない為に封じた。
「……」
三つ目はない、と思いたいが、自分の身体にも異変を感じている以上は、その線も無視できない。
しかし、なんであれ、面倒が目前に迫っているのなら、なるべく避けたい。問題を起こさないことが、自分を引き取ってくれた姉への恩返しというものだ。
だが、そう思うと共に、御坂美琴の事が脳裏にチラついていた。
多分、この女は自分の記憶について何か知っている。だからこそ、自分を頼ってきた。そして、超能力者に頼られた以上、自分にも何かしらの特技があるということだ。
その特技がわからないと言うことは、それは自分の記憶に関係している特技というわけでもある。
「……で、これだ」
ポケットに入っているのは、サングラスとプレート。何に使うものなのか分からないが、それらの答えになっている気がする。まぁ、ハッキリ言って何の根拠もない推理だが。
……一度、このアイテムを使ってみるのも良いかもしれない。まずは分かりやすいサングラス。かけてみるが、特に何か起きるわけでもない。……少し、大人っぽくてカッコ良い気がする。
「ん?」
何か、ブリッジのあたりにボタンがついていることに気づいた。何となく押してみた直後だ。シュウィンッと顔を覆うように布が出現した。
「っ⁉︎」
まるで顔面にサランラップを巻かれたような気がして、後ろにひっくり返る。半分、パニックになりながら顔からマスクを引き剥がそうとするが、ひっくり返った表紙に頭をレンガにぶつけ、そっちの方が痛い。
「おごっ……⁉︎」
その場で頭を抱えながら転がる。なんかもう色々とパニックになっていると、近くの水の中にドボンと落下した。
ゴボゴボと底まで沈んでいく身体。マズイ、と思ったのも束の間、視界が、あまりにもクリアだった。
「……?」
まさか、サングラスのおかげだろうか? それしか考えられないが、今は浮上することが最優先である。
一気に明かりのある方に向かって両手を掻き、水面から顔を出す。
「えほっ、げほっ……ふぅ、ビックリした……」
そう言いながら、自身の身体を陸にあげる。息を整えつつ、岸に上がって、周りに人がいないことを確認してから、体操服を脱いだ。本当はマスクも外したいが、外し方が分からない。
ぎゅうっと絞って体操服から水気を払いつつ、ふと水面を見た時だ。反射して映っていた自分の顔は、二丁水銃のものだった。
「……え?」
おかしい。さっき、自分はいつのまにかポケットに入っていたサングラスをかけ、そのボタンを押したら、マスクが出て来て自身の顔を覆った……それでは、まるで……このサングラスは、ヒーローの変身グッズのようではないか。
そして、それを持っていた自分は、まさか……。
「い……いやいやいや……それは無いって……」
自分はヒーローなんてやれるほど立派な人間ではない。おそらく、これは拾いものなのだろう。
そう思い込むことにしつつ、もう一つの変身アイテムである、プレートの方にも目を向ける。今思えば、これは二丁水銃が胸につけているものに酷似しているような、そんな気がしてならない。
「いやいや……いやいやいやいや……」
一人、勝手に首を横に振っていると、公園に一人、見覚えのある女性が、黒い猫を抱えたまま男と歩いてくるのが見えた。
×××
公園にまで婚后を誘い出した男は、馬場芳郎。学園都市暗部の少年で、能力こそ無いが、特殊なロボを操る技術に長けている。
御坂妹の件についてしばらく話した後、やはりというか何というか、交渉は決裂。そのまま戦闘になった。
T:GDという犬型のロボの攻撃を回避しつつ、婚后は猫を抱えたまま距離を取る。
公園の敷地は、広々としていて、池を越えるように木製の橋が架けられているだけ。そのため、婚后がフルに能力を発揮できる環境では無かった。
ロボット達の攻撃を回避しつつ、自身を噴射口にして後方へ大きく飛び、近くにある巨大なアンテナの前に降り立つ。
しかし、それを読んでいたようにT:GDを回り込ませていた。
「逃がさないよ? 君の能力については既に調べがついている。だから、この地形に誘導した。ここに、君の武器になりうる物はない」
これで、完全に囲まれた。180度、あらゆる角度を見てもT:GDの姿がある。
「今すぐ、涙を流して鼻水を垂らしながら地面に這いつくばって謝罪し、情報をよこすというのなら許してあげよう。でなければ、生きている事すら後悔させてあげるよ?」
「……笑止、ですわ。後悔するのはあなたの方です」
「強がりを言うのは、自身の現状を理解してからにしたらどうかな?」
そう言いつつ、一斉に飛びかかって来るT:GDに対し、婚后は。
子猫を地面に下ろし、両手を地につけた直後、地面を砕いて突風が出現した。それらがT:GDを粉砕し、吹き飛ばす。
「なっ……⁉︎」
「あなたは随分と勘違いをなさっていましたわ。私の能力にとって、馬鹿にならないものなどございませんわ!」
そう言った直後、今度はガタンと大きな音が響く。何かと思い、馬場が顔を上げた直後、視界に映ったのは、その場所に追い込んだはずのアンテナが傾いている。
「ま、まさか……!」
「それ、発進です」
傾いたアンテナが突っ込み、さらにT:GDは蹴散らされる。もはや数で押せる相手ではない。殲滅力はかなり大きな能力だ。
見誤った、と馬場は奥歯を噛み締める。これほどの出力を持っているとは思わなかった。時間をかければ勝ち筋はあるのだろうが、そんな時間はない。大覇星祭中の上に、今は真っ昼間だ。こんな派手な真似をされれば、いつ人が来てもおかしくない。
「チッ……どうする……ここは、一度引いた方が……いや、でもようやく見つけた情報源だ。逃す手は……」
何て損得勘定を頭の中で弾いていると、ふと視界に入ったのは子猫だ。あれは使える、と策士としての直感がすぐに働き、T:GDともう一つのロボ、T:MQを動かした。
×××
「……!」
婚后がやられたのを見て、非色は手で口を覆う。子猫を庇おうとした婚后の腕に、なんか小さい蚊みたいなのが飛来して何かを差し込んだ。何だか分からないが、毒かウイルスと考えるのが自然だろう。身動きひとつ取れず、その場で蹲っている。
さて、どうするか? 決まっている。逃げるのが最適解だ。自分に出来ることなんて何も無い。精々、ヒーローの変身アイテムを持っているというだけだ。
「……というのに、なんで……」
動けない。両脚が固まっている。少しでも逃げようとすれば、脚が折れるんじゃないかと思う程、足が言うことを聞かない。
むしろ、こう言われている気がした。お前が戦え、と。
だが、過程はどうあれ、大能力者がやられた相手だ。自分なんかが、太刀打ちできるはずがない。
「……」
……でも、それでも……逃げられない。逃げたくても、逃げちゃいけない。そんな考えが、頭の中を支配した。
自分はこれから……というか、近いうちに白井黒子と恋人になる。その時、ここで逃げるような男が、白井黒子から好かれるだなんて、到底思えない。そう思えば、勇気を振り絞ることができた。
何より、もう事こうなって身体の方が心よりも早く反応している時点で、もう全ての答えが出ていた。
「俺が……ヒーローだ」
そう決めた直後、非色はサングラスをかけ、プレートを取り出し胸に当てた。
「……そういえば、これはどう使えば……?」
なんかボタンがついているが、押せば良いのだろうか? と思ったのも束の間、押してみたらそこを中心に布が自身の体を覆った。
「うほっ! すごい!」
しかも、体操服の上から来ているのに全然、きつい感じがしない。このスーツ、誰が作ったのだろうか?
気になる所だが、今はそんな場合ではない。シュルシュルと足元にまで向かう布をぼんやり眺めていると、足の裏にまで到達した布が地面にまで広がり始めた。
「え、あれ……ちょっ……!」
ヤバい、と慌てて胸のスーツのボタンを押すと、まるで巻き戻ししたようにスーツは格納されていった。どうやら、変身の時は軽くジャンプしてからでないとダメなようだ。
改めてスーツを着込み、婚后と馬場の方を見た。太った男は、倒れている婚后を足蹴りにしていた。
「っ……!」
どこのどいつだか知らないが、知り合いがあんな風にされては、やはり許すことなんて出来ない。
奥歯を噛み締めると、一直線に地面を蹴って走り出した。
「……えっ」
しかし、非色は自身が超人であることも忘れている。そんな身体での全力疾走は、新幹線を越す速さで突撃するわけで。
「う、うわっ……うわわわわわっ⁉︎」
途中でついていけなくなって転び、ガッ、ゴッ、ドゴッ、ゴロンッと楽器のような音を立てながら転がり、馬場の真後ろを通り過ぎる。
「……?」
何事? と怪訝そうな顔をする馬場に反応する余裕もなく、倒れた巨大なアンテナの中に突っ込み、ようやく身体は静止した。
「い、いでで……な、何事……?」
そう呟きながら身体を起こすと、自分の周りには、T:GDが大量に配置されている。逃げ場なんてない、と思い知らされる程、完璧な配置だ。
「チッ……よりによってお前か、ヒーローごっこ野郎」
馬場は荒くなった口調のまま、非色を見据える。たかだか無能力者の割に、まるで人殺しに何の躊躇目なさそうなその目に非色は「ひっ……」と声を漏らしそうになる。
早くも、助けに来たことを少しだけ後悔しかけていた。