さっきまでの醜態が嘘のように気が晴れた非色だが、残念ながら万全とは言えない。なんか変なウイルスを打ち込まれ、体調が優れないからだ。超人である非色は、体調を崩した事などない。しかし、さすがに直接注入されれば効いてしまう。
身体の異常を確かめる。頭痛、節々の痛み、吐き気、高熱、そして第六感も機能していない。身体はガタガタだ。
とはいえ、だ。ヒーローとしてこのまま引き下がるわけにはいかない。知り合いが目の前で拘束されているのなら尚更のことだ。
「ねぇ、そこのデブ」
「あ?」
「少し強めに殴るけど、我慢してね」
「!」
直後、非色は左手を突き出し、液を飛ばした。それを読んでいたように、T:GDが庇い、液を受ける。
その隙に、非色は距離を詰めた。体調が悪くなるのが初体験だからか、微妙に動きが鈍いが、それでも機械に負けるほどではない。
馬場の周りを蠢くT:GDの二匹目に、蹴りを放ちつつ、左手を背中の後ろから回し、糸を放った。
「……!」
それが、さらに三匹目に直撃、引き込むと、顔面を拳に叩き込む。
あっという間に、残り一匹に減らされてしまった。噂通りの化け物っぷりを見せられ、馬場は後退りする。このままでは任務どころではない。
だが、まぁヒーローの行動は読める。ヒーローであるからこそ、まずは人命第一だろう。
「やれ、T:GD」
直後、婚后を持っている犬型は池の方へ飛び込んだ。
「! このやろっ……!」
一切の迷いなく、非色も池に飛び込む。やはり微妙に脳がグラつく。息苦しいし、身体の関節にも痛みが走る。
水中でも戦える様、サングラスは防水機能もついているし、水中眼鏡としての機能もある。
熱源感知機能を使い、婚后の場所を漁る。発見すると、そっちへ一気に泳いでいった。犬型のロボットが、婚后を連れてとにかく水中の奥へ沈んで行っていた。
「っ……!」
慌てて接近し、犬を殴り壊して水面から脱出した。婚后を連れたまま、ひとまず岸に上がって呼吸を整える。
「婚后さん、婚后さん……! 起きて!」
「っ……」
返事がない。ヒーローモードとして集中力を高めている非色は、余程のことがない限り異性であっても意識をしない。それこそ、爆乳が突然、ポロリというかボロンしない限りは。
従って、全く何も意識することなく、婚后の胸に耳を埋めて心音を確認する。心臓は動いているようなので、生きてはいるようだ。
「え、えーっと……こういう時は……!」
とりあえず……飲んでしまった水を吐き出させる必要があるのだろう。そのために、人工呼吸をするしかない。気道を確保し、マスクを解除して唇を口に近づけつつ、胸の動きが見えるように視線を送……。
「ゲホッ、ゲホッ……!」
「わっぷ……!」
が、婚后が急に水を吐き出したため、顔面にその水が掛かった。
「婚后さん……よ、良かった……!」
安堵しつつ、サングラスから布を排出して顔を包む。呼吸を吹き返したのなら、人工呼吸の必要はない。なら、今は顔を隠さないといけない。
「んっ……あ、あなたは……?」
「え? あ、あー……えっと、ヒーローです」
「……そう、でしたか……お久しぶり、ですわね……」
「うん」
多分、夏休み以来だろう。適当な挨拶をしつつ、さっきまで自分達がいた池の上の橋を見る。あの敵の姿はないが、正直、助かった。今は婚后がいるし、自身も人生初の高熱に冒されている。このまま深追いは危険な気がする……と思った時だ。
ズシンッと、地響きを感知する。顔を上げると、思わず目を疑った。視界に映ったのは、以前に相手をしたテレスティーナのパワードスーツと同じくらいの大きさを誇るロボの姿だ。
『フハハハッ! そこまでだな、ヒーロー! 今からお前をバラバラに切り刻んでやる!』
「何あれ……カマキリ?」
眉間にシワを寄せて、巨大ロボを見上げる。T:MT、強大な破壊力を誇るカマキリ型の、遠隔操作型ロボ。右腕はハサミ、左腕は鎌となっていて、鹵獲でも情報収集でもなく、ただ破壊をするためのもののようだ。
その様はまさに「悪のロボット」の名をほしいままにしているような風貌に、非色は目を輝かせた。
「ロ、ボ、だ────!」
『……ヒーローって割と馬鹿なのか?』
高熱を発しているとはとても思えないテンションだが、冷静になればやはり窮地に立たされていることは理解してしまう。
さて、チラリと自身の後ろにいる婚后を見る。意識は取り戻したものの、その瞳に映っているのは情けなくヘロヘロのヒーローと、絶望とも呼べる巨大なカマキリの姿だろう。
不利だが、見捨てられない。見捨てたら、ヒーローをやめる。そう言い聞かせ、キッとロボを睨んだ。
『ハハハハッ! なんだその目は⁉︎ お前はT:MQが打ち込んだウイルスによって、派手な動きは出来ないだろう! その上、その女を庇いながらやる気か? 戦況が読めていないバカだから、ヒーローなんて恥ずかしい真似を平気でやっていられるんだろうなぁ!』
「……」
『覚悟しろよ、すぐには殺さない! その女とセットで鹵獲し、この世に生まれてきた事を後悔させてやる! ネットで世界中に晒して、心も体も壊した上に社会的にも抹殺してやる!』
聞くに耐えない大声がスピーカー越しから届き、意識が定まっていない婚后ですら耳を塞ぎたくなるものだ。下劣極まりない癖に、悪知恵だけは働く小賢しい男の罠にハマった事を、心から恥じた。
が、目の前に立っている男は、真っ直ぐとロボを見据えて静かに言い返す。
「戦況が分かってないのはあんたの方だよ、百貫デブ」
『何?』
「ヒーローを相手にした時点で、あんたの負けは決定されたようなもんだ」
よくぞ、と、婚后は目を見開く。この状況で、そのような啖呵を切れるのは本当にすごい、と感心してしまった。精神力、なんて軽い言葉では言い表せない力強さを感じてしまった。
『ハッ、そう言うのなら、守ってみせろ! 出来なきゃ、死ぬより屈辱的な目に遭わせてやるから!』
そう言って、まずは鎌を振るう。それに対し、しゃがんで回避すると、今度は正面からハサミを開いて突っ込ませてきた。しゃがんだ姿勢のまま、婚后を抱えて横に回避しつつ、本体に糸を飛ばしてジャンプしながら後ろをとる。
避けたハサミの方を見ると、地面の中を大きく抉り込み、ハサミが地中にまで埋まってしまっている。おそるべき切れ味だ。
婚后を背中に乗せながら、自身の腰と婚后を貼り付ける。これで手に持つ必要はなくなった。
非色がそのまま立ったのは、カマキリの背中。そこで、左手の腕時計をひっくり返して鋼鉄のグローブを作り、後頭部を殴りつける。
『チッ……! 汚い足でこいつの頭に触れるな!』
「あんたよりは、清潔だよ!」
背中に振るってきた鎌を回避しながら、首元に手を添えて空中逆上がりのように体を振り上げて移動し、鎌を後ろから蹴り付けようとしたが、それを読んでいたようにハサミを振るってくる。
「うおっ……!」
慌てて後方に下がったが、そうなれば身体はカマキリから離れてしまう事を意味する。
遠距離戦は避けたい所なので、糸を放ち、背中につけて接近する。が、その背中の糸を鎌で断ち切られてしまった。
『触るなと言ってるだろ!』
「このやろっ……液だってタダじゃないのに!」
さらに、ハサミでの殴打が迫る。それに対し、両腕を折り曲げて婚后を庇うようにガードする。空中に身を投げている為、後方に殴り飛ばされてしまう。
「っ……!」
攻撃を受けると、脳が揺れるような感覚に陥る。だが、超人である自分はまだいいが、背中の婚后はそうもいかない。だが、手放せば狙われてしまう。せめて、誰かもう一人来てくれれば預けられるのだが……。
まぁ、無い物ねだりしても仕方ない。
「婚后さん、平気?」
「……(再度失神)」
「大丈夫そうだね」
少なくとも、酔うことは無さそうだ。それに、多少無茶をしても、外傷さえなければ知らぬが仏である。
ぶっ飛ばされながら横をすれ違った街灯に手を伸ばし、ターンすると覚悟を決めて、一気に接近した。
×××
「バカが、そう来ると思った!」
馬場はニヤリとロボを遠隔操作しているトラックの中で、ヒーローにハサミを正面から飛ばす。それに対し、ヒーローは息を吸い込むと、左拳を振りかぶった。空中で右足を振り上げ、左手を真下にまで振り上げすぎて下げつつ、タイミングを測ると一気に拳を振り抜いた。
鋼鉄の拳と、巨大なハサミが正面から衝突する。面積が小さいのは拳。その為、両サイドから刃に挟まれつつも正面から突っ込む。
「ハハハハッ、死ねええええええッッ‼︎」
馬場の機械音声が響き渡った。両刃の間に突っ込むなど、もはやヤケになったとしか思えない。
勝利を確信したように馬場はニヤリと遠隔操作出来るトラックの中でほくそ笑んだ。加減をすれば、背中の女は断ち切らずにあのバカだけ消せる、そう確信していた。
そんな馬場の耳元に届いたのは、スパッという心地良い音ではなく、ガキリという鈍い音だ。
「……は?」
乾いた笑いを浮かべたまま、思わず目を見開く。何だ、今の音は? と、目を剥き、モニターを食い入るように覗き込む。
直後、目を疑った。ハサミの奥で、拳がビチバチッと火花を帯びながらも、切断されずに堪えていたからだ。
意味がわからない。鉄であっても両断できるはずのT:MTのハサミが、あんなただのふざけたパンチに止められるはずがない。
「な、なんだあの拳は……!」
もしかしたら、加減し過ぎたのかもしれない。何にしても、このまま力を入れれば確実に消せる、そう決めて今度こそ真っ二つにしてやろうと思った直後だ。
バギンッ、という聴き慣れない音が耳に響く。モニターを見ると、反対側の拳でハサミを破壊するヒーローが写っていた。
「っ、こ、このっ……!」
十分な強度で作ったはずのハサミが、こんな簡単に叩き壊されるのは驚いたが、それでも馬場は暗部の人間。すぐに手を打った。
反対側の鎌で、ヒーローの顔面を刈り取りにいった。ズバンッと、今度こそ爽快な音がした。モニター上では、今度こそ見たかった鮮血が飛び散り、唇を再び歪ませる。
殺した、そう確信し、宙を舞うヒーローを見た。が、それでも動く。破壊したハサミのアームの上に乗ると、破壊されて砕け散ったサングラスの奥から、半分は自分の目、もう半分はヒーローの瞳のまま、こちらを睨みつけていた。まるで、メインカメラ越しに自身へ狙いを定めるように。
「ひっ……!」
気迫に押され、そんな呟きが漏れた直後、ヒーローはそのまま腕の上を走り、接近する。その右手には、いつの間にか破壊されたハサミが握られている。
「さ、させるか!」
怯えながらも、再び鎌のアームを振るうが、実に冷静にヒーローはそちらに目を向ける。そして、右手に持つハサミを投擲し、鎌の腕を切断した。
「しまっ……!」
誘われていた、と思った時には遅い。ヒュンヒュンっと回転しながら空中を舞う鎌をキャッチし、そのまま突っ込んできた。
「か、回避しろ!」
そう指示を出したが、遅かった。メインカメラ越しに、自身のヤイバによってT:MTの頭部を破壊し、行動不能に見舞われた。
巨刃が、まるで自分の顔面に突っ込んできたような感覚に襲われた馬場は、その場で泡を吹いて失神した。
×××
「……いでで、終わった……」
巨大ロボを何とか撃墜した非色は、ひとまずその場で腰を下ろそうとするが、まだ早い。確か、あのデブは池の中に解熱剤を放っていた。
非色は一度、池の中に身体をつけて液を溶かすと、婚后と自身を剥がして岸に寝かせておいた。
「っ……!」
微妙に視界も悪い。顔面にきた鎌が掠めたからか、フラフラする。血を流し過ぎたのかもしれない。目眩もするし、頭痛も酷い。
だが、打ち込まれたウイルスがなんなのか分からない以上、解熱剤を手に入れるしかない。
そのために、池の中に飛び込み、解熱剤を探しに向かった。
「……」
寒いし頭痛いし怠い。でも、やらなければならない。記憶だけを頼りに「あの辺で投げてたよな」というのを思い出しながら移動する。
しばらく泳いでいると、見覚えのある形の四角い箱を見かけた。
見つけた、と思い、手を伸ばすが、指先に当たってさらに奥に行ってしまう。
「っ……!」
慌ててジタバタと手を伸ばすが、徐々に頭のフラつきが大きくなり、目も良く見えなくなってきた。
身体から力が抜け、指先の感覚がなくなっていく。関節を動かそうとすると痛みが走り、どうにも動かない。このままじゃ息も出来ない。水の中から上がろうとしたが、身体が言う事を聞かない。
「……」
そのまま目を閉じ、力が抜けた身体はそのままぷかぷかと水面に浮き、両手足は脱力したように真下を向く……と、その時だった。意識を失う直前、ふわっと身体が移動する。わずかに残された視界が捉えていたのは水中だったはずだが、地上が見える。
「ーっ?」
「何をしていますの? ヒーローが良いザマですわね」
その声は聞き覚えがある。というか、聞き覚えしかない。いや、だが今はそれよりも優先すべき事がある。
「……げねつ、ざいを……こんご、うさん……に……」
「他人のことより、今は自分を心配しなさいな。……佐天、固法先輩! 池の中で解熱剤を下さいな!」
「了解! 非色くんは無事なの⁉︎」
「救急車は二台で良いのよね?」
「いえ、彼は私が運びますわ!」
そんな会話を最後に、非色は意識を手放した。