木山春生が開発した「幻想御手」は、欠陥品である。能力向上が目的で作られたものでは無いとはいえ、使った後に昏睡状態に陥り、能力向上も一時的なものであれば、ドーピングとなんら変わらない。
しかし、それ故に使える方法というのもある。その一つが、木原幻生が利用したやり方。実験が成功したら自分も吹っ飛ぶ、そしてその実験を守る必要がある、それならば「どうせ吹っ飛ぶ」上に「実験を守るための能力」を手早く得るために、幻想御手は非常に良く役に立つ。
つまり、悪党にほど使えるものになってしまったのだ。
木山春生は、あの行動にこそ後悔はしていないものの、幻想御手を作ってしまった事には後悔していた。
「……」
白井黒子と通話をしながら、高速でパソコンを操作する木山春生は、今になって当時のことをふと思い出した。
あれから、まだ三ヶ月ほどしか経過していない。その癖「若い頃は無茶したなぁ……」という変な感覚が心の中に残っていた。自分よりもっと若い子が、もっと無茶を続けているにもかかわらず。
少し懐かしみながら、木山はマグカップの取っ手を指でつまむ。
「あっ」
パキッ、という乾いた音の後、パリィンっと甲高い音が響いた。それにより、施設内にいる二人が自分の方を振り向いた。
「すまない、コーヒーを落としてしまった」
「だ、大丈夫ですか? 火傷とか……」
「平気さ。それより、私に構っている暇はないんじゃないか?」
「は、はあ……」
取手の部分が折れ、床に落下してしまったのだ。
幸い、熱々のコーヒーというわけでもない。膝に掛かってしまったので、とりあえずタイツを脱ぎ始めた。
「こいつさえ脱いでしまえば、とりあえず今はなんとかなるからね」
「「えっ」」
直後、近くにいる二人は一斉に顔を真っ赤に染めた。
「な、なんでいきなり脱いでるんですか⁉︎」
「ほ、ほんとですよ!」
「いや、コーヒーがかかってしまっただろう。ちょうどここは私の研究室だし、ここでなら脱いだって……」
「「私達がいますので!」」
「いやしかし、白井くんがだな……」
なんて話している時だった。三人のもとに通信が入った。
『あの、すみません。こちらに集中していただきたいのですが……』
仕方なく、そのまま戦闘を再開した。
×××
白井黒子は液体金属からの猛襲を回避しつつ、距離を離していた。敵は一人のように見えて二人……なのだが、どうにも様子がきな臭い。さっきから、同じことを繰り返しているだけだ。
こちらが距離を離すと、しばらく捜索する間が出来るが、見つかれば液体金属による急襲。奴らの近くに来た時にだけ襲いかかってきているのか? とも思ったが、場所を思い返してみてもそんな感じはしない。見つかったら見つかったで良いか、と言う感じが見て取れる。
「……」
それは、逆に言えば何か向こうは、何か奥の手があると言うことではないだろうか?
だとしたら、このまま追跡して大丈夫かが気になる。何か、危ないような気もするが……。
「……っ、と……!」
そんな中、再び猛襲に遭い、回避する。水鉄砲の液もあまり残っていない。ボケっとしてると狩られるのは自分の方だ。
そんな中、木山から音声通信が流れて来る。
『さて、ようやく見つけたよ。敵の姿を』
「! 本当ですの?」
『うん。……まぁ、考えてみれば、そこにいて当然、という場所にいたよ。あらゆる場所に移動出来て、能力を使う際にもバレずに移動できる場所』
「そんな場所が……⁉︎」
『ああ。まぁ下水道の事なんだが』
それを聞いて、確かにと黒子は合点がいく。そこなら、例え地下室がない建物の中であっても、他人にバレず人形を動かす範囲を広げ回れるというものだ。
「了解しましたわ。どの地点か場所は……」
『すぐに送る。手早く片付けた方が良い……が、注意してもらいたい』
「? 何をです?」
『彼女の能力は比重20以上の液体を操る能力……本人に接近すれば勝てる能力ではあるが、それを補う手を彼女自身が考えていないとは思えない』
「そうですわね?」
『おそらくだが、下水道で待ち構えているのもその一つだろう。手元に、どんな武器を隠し持っているか分からない。用心はしておくことだ』
……確かにその通りだ。ただでさえ、少なくとも彼女と組んでいる木原幻生の性格がかなり用心深いという事は、食蜂操祈から聞いている。彼女も同じである可能性は高い。
何より、液体金属の人形の方もついてこられては厄介だ。逃げ場がないのは自分の方になる。
そこで、ふと黒子は何かに気がついたようにハッとして、木山に声をかけた。
「……木山先生、一つ宜しいですの?」
『どうした?』
「彼女はランダムに動いてる私をどうやって毎度、突き止めていますの?」
『それは……確かにそうだな?』
「もしかしたら彼女、監視カメラをハッキングしているのでは……?」
『……なるほど。あり得る話だな。……しかし、だとしたら余計に危険だ。鼠取りに飛び込むようなものだぞ』
「初春、そちらにおりますわね? 代わっていただけますこと?」
言われて、電話の向こうで「初春くん、白井くんが代わって欲しいとの事だ」
「あ、はーい」というやり取りが聞こえる。
『もしもし? どうしました?』
「初春? 少し、頼まれてもらえます?」
×××
現在の御坂美琴は、自身の意思で動けていない。ミサカネットワークを巧みに悪役し、深層心理を操り、誘導されていた。
つまり、行動は全て単純且つシンプルな命令に従っている。
『あなたを邪魔する悪い虫だよ。そんなの全部、追っ払っちゃえ!』
だが、それに必要な物はエクステリアと心理掌握。その両方が失われた今、御坂美琴を誘導することはできない。
あとは止めるだけ……だが、どうやらそうもいかない様子だ。既に最終段階にまで差し掛かった美琴の出力は、幻想殺しと原石であっても抑え切れていなかった。
「ッ……! 軍覇、動けるか⁉︎」
「ああ。問題ねぇ。根性いれりゃ、血は止まるし骨だってくっ付く」
「さっき頭の中で響いてた、どっかの誰かさんの目論見通りになったのかもしれないんだが……どうにも、もう御坂自身にも止められる状態じゃないらしい」
「なるほどな……手はあんのか?」
「結局……こいつをぶちまかしてみるしかねえ」
そういう上条は、自身の右手をかざして構えている。特攻をかませば、たしかに効果があるかもしれないが……まず近づく事さえままならないだろう。
軍覇が援護すれば或いは……と、思っている時だ。その二人の後ろから、気取ったような声が届く。
「なんだ? まだ片付いてなかったんだ。二人揃って随分とのんびりさんだな」
「あ?」
「! 固法、終わったのか?」
「うん。あとは、白井さんの所と、御坂さんのとこ」
言いながら、非色はシュタッと二人の横に降りる。その耳には、イヤホンが付けられていた。
「御坂さんの意識は戻りつつある。後は、何とかするだけだよ」
「それは分かってるんだが……」
「なんか手があんのか? ヒーロー」
そう聞くのは、軍覇だ。それに対し、非色は小さく頷く。
「でも、あの能力だって、今は御坂さんの能力でしょ? なら、本人にだって何とか操る事はできるはずだよ。……御坂さんに、その気があればね」
「そんな根性もねえ奴だから、簡単に操られてんだろうが」
「根性はあるよ。それを、俺が今から呼び覚ますから、後はよろしくね。二人とも」
「……は? どうする気……つーか、さっきから何聞いてんだよそれ?」
「ん? あ、しまい忘れてた。これはー……夏休みの思い出ってことで」
言いながら、非色はイヤホンを外し、その辺に放り投げた。
「おい、危ねえぞ!」
「助けなくて良い。俺が切り開くから」
軍覇のセリフを無視し、非色は歩いて御坂美琴のもとに向かう。原理は分からない。ただ当時と同じ条件を整えただけだ。検証をする暇はないし、もしかしたら失敗に終わるかもしれない。
それでも、ヒーローが犠牲者を出し、自分だけ生きて帰る事は許されないのだ。例え死んでも、最後は平和にする。
そう改めて決心し、美琴の前に立って手を広げた。こんな事をすれば、後で必ず木山にも黒子にも美偉にも怒られるが……まぁ、仕方ない。
直後、真上から雷撃が降り注ぎ、非色の意識は遠のいた。
×××
『〜〜〜ッ!』
意識を取り戻した美琴は、自身の力ではない何か越しに、自身から出た電撃が恩人を撃ち抜くのが見えた。
地面に伏した後は、もうピクリとも動く様子はない。それは当然だろう。如何に超人でも、元々の力を大きく上回る今の電撃をまともに喰らって、生きていられるはずがない。
『あっ……ああっ……』
思わず、地に膝をつく。自分が、友達であり恩人……そして、大切な後輩の想い人を穿った。
その事実に、吐き気さえ催してしまい、口に手を当てた時だ。
『どうしたの、御坂さん。食中毒?』
『……は?』
なんか、呑気な声が聞こえた。頭の中に、直接響いてくるような、そんな声だ。
直後、目の前に広がったのは、固法非色の記憶の中だった。スーツは着ているがマスクはしておらず、片手の義手がなく、イヤホンが耳につけられている。……というか、ついさっきのような景色だ。
『今、目の前に広がっている景色は、俺がついさっき上条さん達と出会う前に、頭の中に残した独り言の記憶ですよ。どれだけ持つか知らないけど、言いたい事は言いますね』
『ち、ちょっと待ちなさい! まず、これ何なの⁉︎ どうやってこんな事……』
『あ、今「どうやって?」って聞いてます? はは、分かりやすいなぁ。まぁ、なんだかんだそれなりに多く一緒に戦って来ましたからね。単純バカ』
『……』
イラッとしたのは置いといて、もう耳を傾けた。何か言えば先読みを喰らってしまう気がした。
すると、記憶の中の非色は音楽プレイヤーとイヤホンを差し出してくる。
『何それ? って今、思ってますね? 分かりやすっ。これ、幻想御手です』
『……!』
夏休み前のアレか、とすぐに合点がいく。それと同時に、これが何を意味しているのかも分かった。
『木原幻生から拝借した。夏休み前、御坂さんの電撃が幻想御手使用者だった木山先生の記憶と繋いでくれたよね。あれを能動的に起こしたんだけど……これもいつまで保つか分からないし、さっさと本題に行くね』
そう言うと、すぐに語り始めた。
『自分の能力を抑えきれずに諦めかけてるなら、甘ったれんなよ』
『え……』
非色らしからぬ強い言葉に、思わず黙り込んでしまった。
『目の前の有様は、どんな理由でアレ御坂さんから発されてるものだ。意識を誘導されたのも分かる、やろうと思ったんじゃないのも分かる。でも、こうなっちゃったものは仕方ない。なら、自身に考え得る最善手を活かして、力を止めろ。出来なければ抑えろ。それも無理なら出力を少しでも落とせ。周りが助かる道を0.0000001%でも引き上げろ。……後悔や反省は、その後で良い。少なくとも、俺も上条さんも、そうして来たから』
『ッ……!』
脳裏に浮かんだのは、ツンツン頭の少年。あの高校生も、目の前の少年も無鉄砲だが、僅かな可能性に賭けて行動し、結果勝利してきていた。自分は、少なくともそれを見てきた。
『あんた。最強の電撃使いでしょ。それくらいやってみせなさいよ』
『っ……な、生意気な……!』
そう言いつつも、口元は笑みが溢れている。彼には、本当に年下とは思えないくらい、毎度いろんなものを教わってしまっていた。
『元気出た? 出たなら、さっさと行動に移す!』
『分かってるわよ! だからあんたも……』
『これでも元気出てなかったら……そうだな』
『?』
なんか流れが変わった? と、思ったのも束の間、すぐにまた生意気言い始めた。
『……さっさと何とかしないと、上条さんが好きなこと本人にバラすよ』
死んでも何とかする事にした。
×××
「っ、お、おい固法! しっかりしろ、おい!」
一度、非色を回収した上条が、非色の頬を叩くが、反応がない。まるで永遠の眠りについたように静かだった。
その横で、軍覇も奥歯を噛み締めながら言った。
「チッ……何がしたかったんだ、このヒーローは⁉︎ 死んでも助ける、と自殺志願者は違ぇぞ!」
「とにかく、病院に……!」
と、言いかけながら上条が顔を上げた時だ。彼を打ち倒した張本人の電撃が、さらに弱まっていくのに気がついた。
「……おい、軍覇。これ……?」
「なんだ……?」
いや、弱まっていない。少しでも小さくなるように調整している様子だ。その分、弾けた時の反動は大きそうだが、弾けさせなければ良いだけの話だろう。
「……軍覇、勝負に出るぞ」
「どうするんだ?」
「分かんねえ。けど、とにかく何とかするしかねえ。チャンスがこの先来るとも限らないだろ」
「……だな」
小さく頷くと、軍覇は姿勢を落とし、両拳に力を込める。まるで漫画やアニメに出てくる「気」のように集められていくそれは、おそらく今日一番の攻撃となるだろう。
「カミジョー。合図したら走れ」
「ああ!」
そう言った直後、一気に力を解放する。周りの電撃や砂鉄を弾き落とすように放たれたそれにより、一直線の道が出来上がる。
「今だ!」
「おう!」
返事をしながら、上条は右拳を握りしめた。全ての幻想を破壊し尽くす、その特殊な右手を。