Compass   作:広田シヘイ

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最終話『コンパス』

 

 

 

 フェリーターミナルのドアを開けると、眼前には五月(さつき)晴れの空と見慣れた海が広がっていた。

 天候が良いとは言え梅雨(つゆ)時には変わりなく、気道の内部にまで纏わり付くような湿気が即座に僕を包み込んだ。まあ、この時期にしてはまだマシな方だから余り文句も言えないのだけれど、その生温い空気は両手に重いビニール袋を下げていた僕には中々効いたようで、鎮守府まであと僅かの距離でありながら小休止を決断させるには十分な湿度だった。

 折良くターミナル二階の出入り口前はちょっとした休憩スペースになっていた。申し訳程度ではあるが椅子や灰皿などもある。大量のアルコール類がぎっしり詰まった袋を慎重に置いて痛む指を見た。持ち手の(あと)が変色している。

 誰かに応援を頼むべきだったと、今更ながらに後悔した。

 

 今日は──艦娘母艦『あきつしま』の進水式だった。

 このお酒は僕等だけで開く(ささ)やかな打ち上げ用だ。

 

 進水式は三時間程前に終了している。

 前方に見える造船所の桟橋では、満艦(まんかん)(しょく)(ほどこ)された『あきつしま』がこの後に控える艤装工事を待つように悠然と(たたず)んでいた。

 僕は進水式というものに立ち会ったのは初めてだったから、式の進行中も「こんなものなのだろうな」という感想以外持ちようがなかったのだが、大淀(おおよど)達が言うには妙に慎ましいものだったらしい。通常は一般の市民にも公開され、大勢の見学者で(あふ)れ返るものなのだそうだ。

 確かに、言われてみれば今回の式典には関係者しか出席していなかった。

 正確には判らないが、人数は多分三四十人くらいだったと思う。

 僕も一応関係者だから(一応というか艦娘母艦として就役するのだから思い切り関係者なのだが、この辺の部外者意識は一生付いて回るものなのだと思う)()(そう)のないように厳粛な心持ちで参加していたのだが、好奇心の塊のような妖精達がわらわらと会場内を駆け回っていたりするものだから気が気ではなかった。

 

 僕の肩や頭によじ上って来るのはまだいい。

 だが式を真面目に進行している人や、祝辞を述べる偉い人の頭の上で飛び跳ねるのは勘弁して欲しい。

 

 笑うから、そんなの。

 

 そういった訳で、妖精を勘定に入れると列席者は二百人を優に超えていたと思う。まあ、艦娘母艦を実際に動かすのは妖精達だから、どういう艦なのか気になるのも無理はない。反応を見る限りでは、妖精もあの艦を気に入ってくれたようだった。

 一方で僕は『あきつしま』を含めたこの情景そのものが現実感を失っているような、蜃気楼を見ているような──そんな不思議な感覚に(とら)われていた。理由は何となく、察しが付いているのだけど。

 多分、それは──。

 

 

 ──あの艦が立派過ぎる所為(せい)だ。

 

 

 基準排水量九八◯◯トン、全長一八◯メートル、兵装は艦艇用近接防御火器システム(CIWS)二基。上部構造物の後端は格納庫(ハンガー)になっていて、固有の搭載機が配備される予定はないが航空運用能力も備えている。外観としては艦尾のウェルドック開口部が特徴的だ。艦娘が発着艦を行うのはこの部分からになる。

 加賀なんかは「流石(さすが)に気分が高揚します」と変化に(とぼ)しい表情を若干(ほころ)ばせつつ呟いていたが、僕はどうしてもその荘厳(そうごん)な巨体に複雑な感情を抱いてしまう。僕だって全く嬉しくない訳ではない。こんなに凄い艦が自分達の母艦になるのだと思うと胸が熱くなるし、膠着(こうちゃく)した戦局を打開する(ため)には絶対に必要な装備だ。

 それは解っている。

 しかし──。

 

 ああ、これでもう逃げられないのだなと──そう思ってしまう。

 

 その艦の行く先は、地獄に違いなかった。

 

 深海棲艦の中枢。

 混沌の元凶。

 絶望の渦中──。

 

 そこに行く為に、造られたのだ。

 

 

 日常は当たり前に日常として存在している訳ではない。

 この日常を保つ為にどれだけ多くの人々が粉骨砕身しているのか、多少は理解しているつもりだ。その意味では、僕達に順番が回って来ただけとも言えるのかもしれない。

 見ない振りは出来ない。気付かない振りも出来ない。

 ならば、やるしかない。

 

 解っている。

 解ってはいるのだが──。

 

 目前に迫る現実から目を背けるように俯くと、寄り掛かっていた欄干(らんかん)の上にぽつんと座っている妖精を見つけた。魔女のようなとんがり帽子に、矢印の付いたステッキを持っている。

 初めて見る妖精だった。

 付いて来たの? と聞いても、その妖精は微笑したまま反応を示さない。それでも、一人でいるよりは心が落ち着いた。

「僕は──どうしたらいいのかな」

 そう呟くと、やがて妖精はステッキをひょいと上げた。

 矢印が指し示す方向が気になってそちらを向くと、丁度(ちょうど)見慣れたツインテールが大股でこちらに歩み寄って来るところだった。

 僕と目が合うなり、彼女は汗を(ぬぐ)って言う。

「やっと見つけたッ」

 それは、秘書艦の瑞鶴(ずいかく)だった。

「もう、提督さんったら遅いよ。お遣いも(ろく)に出来ないのッ」

「出来てるでしょうに。お酒は確かに買ってあるんだから」

「帰って来るまでがお遣いなの」

「これから帰るところだったの。そんなに時間掛かってたかな」

 僕の(かたわら)に急接近して、顔を覗き込むように瑞鶴は言った。

「二時間近く経ってるよ。本当に心配させるんだから」

 子供じゃないんだからと言いかけたが、子供みたいなもんじゃんと返されるのが目に見えていたのでその言葉を飲み込む。

「それにしても、よく判ったね。ここに居るの」

「提督さん忘れたの? ほら、私達には例の──」

 ──僕の居場所が判る。

「ああ、提督電探か」

「そうそう。最近また精度上がったからすぐ見つかると思ってたんだけどね」

 精度が、上がった。

「何さ、それ」

「調子の良い時は執務室に居るなーとか、私室に戻ったなーとか、判るようになったよ?」

 眉を(ひそ)める僕を見て、瑞鶴は悪戯(いたずら)っぽく笑った。

「良かったね提督さん。私達がしっかり捕まえていてあげるから」

「良かったねって──あのさ、僕のプライバシーってどうなってんの?」

「仕方ないじゃん。判っちゃうんだから」

「──ないってことね」

 はあ、と嘆息(たんそく)する僕に肩を寄せて、瑞鶴は再び仕方ないじゃんと言って笑った。

 確かに、提督電探の性能向上に関しては思い当たる節がある。夜食の買い出しに出掛ける時だとか、銭湯に行く時だとか──主に夜中なのだが、その途上で行き先を尋ねられることが妙に増えた気はしていたのだ。

 

 

 提督、何方(どちら)へ?

 提督さん何処行くの?

 司令、何処に行くんですか?

 しれー、何処行くのさー?

 司令官、みっけ!

 提督、出掛けるならあたしも付いて行くぞ──等々。

 

 

 こんな調子で、酷い時には鎮守府から出るまでに十人連続で捕まったこともある。

 入るより出る方が大変な警備体制(セキュリティ)というのもおかしな話だ。流石に辟易(へきえき)として「刑務所かッ」と人知れず吐き捨てたところ「何か仰いました?」と微笑む翔鶴(しょうかく)が真横に立っていた時は、心臓が鼻から飛び出るかと思う程に驚いた。

 全然気が付かなかったもの。

 わーッだって。やかましいわ。

 鎮守府ですらこの状態なのだから、艦娘母艦を運用するようになったら一体どうなってしまうのだろうか。狭い艦内ではプライバシーという概念そのものが消失してしまう可能性すらある。

 

 しかし、形はどうあれ心配されていることは確かなのだろう。

 それに──こんなくだらないことで悩んでいられるのも、今のうちだ。

 

 僕は多分、複雑な表情で海を眺めていたのだと思う。

 瑞鶴はそんな僕を一瞥(いちべつ)して言った。

「提督さん、また変なこと考えてるでしょ。当ててあげようか」

 横目で瑞鶴を見る。

「──もう後戻り出来ないな、って思ってない?」

 その言葉を聞いて、僕は失笑してしまった。

 プライバシーの有無を問う以前に、僕の頭の中は彼女達に筒抜けらしい。

「当たったんだ。提督さん本当に解り易いんだから」

()()り敵わないよなあ」

 照れ隠しに目許を掻きながらそう言うと、瑞鶴は数秒の間を空けて、あのね提督さん──と口を開いた。

「後戻りはいつだって出来ないんだからね。いつだって、前に進むしかないんだよ。解るでしょ? だから、そんな顔してないで前を向かなきゃ駄目だよ。ね?」

 まるで、子供に言い聞かせるように──優しく。

「それに、いい加減私達を信用してよ。私達は提督さんが思ってる程(やわ)じゃないわよ。提督さんはどっしり構えて、出撃しろとか帰って来いとか命令してればいいの。瑞鶴が指示通り完璧に動いてあげるんだから」

 解った? と言って瑞鶴は首を(かし)げた。

 彼女の顔を見ていると、彼女の声を聴いていると──心の奥底に沈積した不安や雑念などは溶けてなくなってしまいそうな気さえする。毎度助けられてばかりの立場を情けなく思いつつも、僕は首肯(しゅこう)して「ありがとね」と答えた。

 瑞鶴は素直で(よろ)しいと満足げに言った後で、僕の右腕の辺りを注視する。

 その視線に誘導されるように目を落とすと、魔女っ子の妖精が腕を伝い僕の(からだ)を上って来る姿が見えた。やがて妖精は肩まで上り詰めて、そこから滑り落ちるようにして胸ポケットに収まった。

(なつ)いてるねえ」

 可愛いじゃんと、瑞鶴は微笑む。

 妖精はシャツの生地に掴まりながら、前方に広がる海をじっと見つめていた。

 僕達の目も、自然とそちらを向く。

「立派な艦だよね」

「うん、そうだね」

 でも──。

「僕達は、あの艦で一体何処に行くんだろう?」

「何処って、ハワイに決まってるでしょ。しっかりしてよ」

「それはそうなんだけど──」

 言葉尻を濁した僕に、瑞鶴は仕方ないとでも言うように息を()らす。

「判らないなら、判らないままでいいんじゃない?」

「わからない──まま」

「私、最近思うんだよね。こうして生まれ変わったことも、提督さんと出逢ったことも、毎日バカみたいなことして笑ってることも──全部私が決めたことじゃないなって。何か、気付いたらそうなってたって感じがする。でも、私は今凄く幸せだよ」

 瑞鶴は真っ直ぐに僕を見つめた。

「だから、目的地なんて決めないで漂流してみようよ」

「漂流?」

「うん。勿論(もちろん)こう在りたいって願うこともそれに向かって努力することも大切だと思うけど、結局は流されるしかないのかなあって思うんだよね。だったら、そのことを不安に思うより楽しんだ方がいいに決まってるよ。考えてたっていつまでも解らないままだと思うな。実際に一歩を踏み出さなきゃ」

 何か私提督さんみたいなこと言ってる──と瑞鶴は笑った。

「それに、私にとっては何処に行くかっていうことより、誰と行くかってことの方が大事かな」

「誰と行くか、ねえ。翔鶴とか?」

「翔鶴姉もそうだけどね──」

 瑞鶴と僕の距離が縮まる。

 

 

「提督さんと一緒なら──何処だって怖くないよ」

 

 

 そう言って、彼女は僕の背中に腕を回した。

 腕に込められた力は徐々に強くなって、やがて僕と瑞鶴の(あら)ゆる間隙(かんげき)を埋めていった。

仮令(たとえ)そこが地獄の底でも、絶望の淵でも──提督さんと一緒なら」

「僕だって、瑞鶴と一緒なら怖くないよ」

「本当に? 提督さん、恥ずかしがってるでしょ。お願い、少しだけでいいから、抱き締めて」

 勝ち気で溌剌(はつらつ)としている平素(いつも)の彼女ではなかった。その言葉には瑞鶴の切なる想いが赤裸々に表出しているような気がして、僕は瑞鶴を静かに抱き締めた。

 仄かに香る彼女の汗の匂いが、堪らなく愛おしい。

「普段から我慢してるんだもの。これくらい許してくれるよね」

 瑞鶴から伝わるその体温は、僕を安寧の海へと誘っている。

 

 不安が溶けていく。迷いが──薄れていく。

 

 フェリーターミナル二階外縁の通路は人の往来が激しい場所ではなかったが、全くないという訳でもない。瑞鶴の顔が通行人の視線に(さら)されるのは何故だか避けなければいけないように思えて、僕は彼女をよりきつく抱き寄せた。

 そのまま幾許(いくばく)の時が流れたのかは判らなかったが、幸福感に満ちた時間であったことは確かだった。

 そのうち瑞鶴は僕から離れて、

「矢っ張り、ちょっとだけ恥ずかしいね──この子も照れちゃってる」

 と、はにかんで笑った。胸ポケットの中では、妖精が顔を紅くして瑞鶴と僕の顔を見合わせている。

 瑞鶴は再び僕と目が合うと、慌てて海側へと視線を逸らした。

「で、でも──そんなことよりさッ」

 彼女なりの照れ隠しなのだろうが、その態度に率直な淋しさを覚えてしまった僕は自分自身に苦笑してしまう。

「私は、名前のことの方が不安だけどなあ」

「──名前? 『あきつしま』のこと?」

 瑞鶴は(うなず)いた。

「どうしてさ。いい名前じゃない」

「いいんだけど──(あき)()(しま)に黙って付けちゃって良かったのかなって」

 ──秋津洲。

 瑞鶴が言っているのは先代の『秋津洲』のことだろう。それは、瑞鶴を始め鎮守府に着任している皆と同じく「あの大戦」を果敢に駆け抜けた水上機母艦の名だった。

「そんなこと言ったって仕方ないじゃない。居ないんだから」

 秋津洲はまだ着任していない。

 艦娘としてこの世に再び生を受けているのかどうかも判らない。

「それに国防海軍の艦艇でも名前被ってるの多いでしょ。名前なんて受け継がれて行くものなんだからさ、秋津洲だって笑って許してくれると思うけ──」

 

 

「見つけたかもッ」

 

 

 突如後方から怒気を(はら)んだ少女の声が聴こえた。

 ほら言わんこっちゃない──と瑞鶴は顔半分を手で覆う。状況を理解出来ないままに振り返ると、通路を先程の瑞鶴のように大股で歩いて来る少女が見えた。

 見たことのない顔だったが、艦娘だということは一目で解った。何を基準にそう判断しているのか自分でも解らないのだが、人間だとか、女性だとか少女だとか、そう思う前に──ああ艦娘だなと思ってしまうのである。これは提督である僕の特殊な体質みたいなものだと思う。まあ、実用性はほぼない。

 今時に珍しい濃い目の化粧が印象的な美少女だ。九◯年代初頭の頃に流行(はや)った化粧だろうか。小脇には航空機のようなものを抱えている。

 理由は不明だが、とにかく怒っていることは見て取れる。

「あなたが提督ね」

 その剣幕に若干気圧(けお)されつつも僕は頷いた。

 

「私は水上機母艦秋津洲よ!」

 

 ──アキツシマ。

 

 隣に目を遣ると、瑞鶴は依然として顔を押さえたまま頷く。そんな瑞鶴を見て、(ようや)く僕は状況の大凡(おおよそ)を理解した。

 タイミングが良かったというか──悪かったというか。

 どちらにせよ、奇跡的であることには違いない。

 水上機母艦秋津洲は、艦娘母艦あきつしまを指差して僕を睨み付ける。

「私が本当の秋津洲かもッ。あれは何? あの艦のことを説明して欲しいかもッ」

「あ、あれは艦娘母艦『あきつしま』だよ。進水したばかりなんだ。ええと、排水量が九八◯◯トン、全長一八◯メートル、全幅二六・二メートル──」

仕様(スペック)のことは聞いてないかもッ。何で『あきつしま』なんて名前が付いてるのかを聞いてるの! 誰が付けたのッ?」

 僕は咄嗟(とっさ)に瑞鶴を指差す。

 瑞鶴は驚愕の表情を浮かべた後、僕に指を差し返した。

「なっ、何してんの提督さんどういう逃げ方なのよ! 秋津洲、悪いのは提督さんだよッ。散々悩んだ挙句(あげく)に適当な型録(カタログ)ぺらぺら(めく)って鼻ほじりながらこれでいっか──ってすっごく適当に決めたんだから!」

「んあぁ! 怒り倍増かもッ。鼻はほじらないで欲しかったかも!」

「ほ、ほじっちゃいないよ多分だけどさ!」

 当時のことを明瞭に憶えている訳ではない。

 しかし、執務室で型録を開きながら「これでいっか」と発言した記憶は確かにある。(はた)から見ればお()なりに決めたように映ったのかもしれないが、それまでの懊悩(おうのう)煩悶(はんもん)も考慮して頂きたい訳で──。

 名付ける、ということは簡単ではないのだ。

 それでも秋津洲の怒りは収まらない様子で「大艇(たいてい)ちゃんも怒ってるかもッ」と言って彼女は抱えている航空機を振り回した。

 あれ、大艇ちゃんって言うんだ。

 何あれ、ドア? 顔? 不思議。後で聞こう。

「今からでも遅くないかも。ニセ秋津洲の改名を進言するかも!」

「ち、違うんだ秋津洲。僕は──き、君を待っていたんだよ!」

「待って、いた?」

「そうさ。意味もなく『あきつしま』なんて名前を付けると思うかい?」

 僕は現在進行形で偽の経緯(カバーストーリー)を急造し始める。

 嘘を吐く時は自らをも騙してしまった方が何かと都合が良い。新しい艦娘が着任するのを心待ちにしていることは本当だ。秋津洲に限った話ではないというだけで嘘は吐いていない。思い込め思い込め──と記憶と感情を捏造して行く。

 瑞鶴の呆れた視線が痛いが気にしてはいけない。

 

「秋津洲よく聞け。君が、あの艦の──艦長だ」

「か、艦長──」

 

 瑞鶴の視線が呆れから軽蔑へと変質したのが判った。

 先程の熱い抱擁が遠い過去のようだ。

「行くのは誰だ決めるのは誰だ、そうお前だッ。お前が舵を取れッ!」

 何か聴いたことあるフレーズなんだけど──と瑞鶴が言う。

 無視する。

「私が──舵を──」

「そうだ。秋津洲の為にあの艦を用意していたんだよ。解るだろ? 歓迎する──ようこそ鎮守府へ!」

「よ、よろしくかも──」

 秋津洲の手を取って一方的な固い握手を交わす。

 爆発的な感情の矛先を逸らされた所為か、秋津洲は放心状態に(おちい)った後やがて狼狽(ろうばい)を始めた。

 ──やった。チョロい。

「て、提督──何か、私間違ってたみたい──誤解して御免なさいかも。私、提督のそんな想いがあったなんて考えもしなかったかも──」

「過去のことはいいんだ。解ったなら早く行け。みんなが待ってるんだからな!」

 り、了解かも──と敬礼をして秋津洲は鎮守府へと駆けて行った。

 予想以上に上手くいったと胸を撫で下ろしつつ、秋津洲の背中を無意味な達成感に包まれながら見送っていると、瑞鶴に肩を強めに叩かれた。

 痛い。

「心底呆れた」

 と瑞鶴は言った。

 確かに、それが真っ当な感想だとは思う。

「まあまあ、いいじゃない。艦長とか副長とか航海長とかさ、艦の主要な役職(ポスト)をどうしようか悩んでたのは本当だし。それに、考えてないで実際にやってみなきゃ駄目なんでしょ。『あきつしま』の艦長に秋津洲が就任するってのも何かの縁じゃないかな。完全に後付けだけどさ」

 怪訝な顔をして僕の言い訳を聞いていた瑞鶴だったが、やがて、

「そうかもね」

 と、再び仕方ないと諦めるように息を吐いた。

 兎にも角にも、これでまた仲間が一人増えたのだ。

 それは、何よりも喜ばしいことに違いはない。

 

 あきつしま進水のお祝いは、秋津洲着任のお祝いを兼ねることになりそうだ。

 

 僕等も行こうかと言って、置いていたビニール袋を持とうとすると、

「そうだ提督さん、これ全部で幾価(いくら)掛かったの?」

 と瑞鶴が聞いた。

「いいよ。これくらい僕が払うよ」

「駄目だよ提督さん安月給なんだから。私達だってお給金貰ってるんだし、みんなで出せば安くなるでしょ? ほら、領収書見せて」

 懐具合を心配される提督ってのも嫌なもんだなと僕が躊躇(ちゅうちょ)していると、瑞鶴はいいから出してと譲らない。まあ、今更見栄を張ったところで仕方がないのかもしれない。

 

 ポケットを叩いて領収書の在処(ありか)を探る。すると、ズボンの後部のポケットに覚えのない名刺のような紙片(しへん)の感触があった。

 不審に思いつつも、()()えず一緒に入っていた領収書を瑞鶴に手渡す。

「ふうん。()()り結構掛かるんだね。さっ、提督さん行くよ」

 瑞鶴が背を向けると同時に、その紙を取り出して見る。

 名刺サイズの、白紙のケント紙だった。

 何気なく裏を返すと。そこには。

 

 ──臨海公園に、一人で来い。

 

 と書かれていた。

 

 

            ※

 

 

 夕方の公園は閑散(かんさん)としていた。

 家族連れやゲームに熱中し(たむろ)している小学生などはちらほら見かけたが、僕の座っているベンチの周りには誰の姿もない。車の走行音や子供達の歓声が、時折風に乗って遠くから聴こえて来るくらいだ。

 ベンチの肘掛けで頬杖を()き世界を斜めの視点で捉えつつ、伝言の書かれた紙片を再度見た。今冷静になって考えてみると、臨海公園とはこの公園のことではない可能性だってある。近くで海に面した公園はここしか知らないから、疑いもせずにのこのことやって来た訳だけど。

 日時の指定もされていないし、あと三十分待って何の接触もないようだったら帰ろうと決めた。誰がいつ残したのか判らない伝言に、そこまで律儀に従う必要もあるまい。悪戯(いたずら)かもしれないのだし。

 しかし一方で、その伝言に心当たりがない訳ではなかった。危険を承知の上で言われるがままに単身ここに来たのは、その心当たりがあったからだ。まあ胸ポケットには魔女っ子の妖精が収まったままだから、厳密には一人ではないのかもしれない。

 妖精も、きょろきょろと辺りを見回している。

 

 ふと、足音が聴こえたような気がして右側後方を振り返る。音の正体はジョギングをしている青年だった。(しばら)くその青年を目で追っていたのだが、こちらに向かって来る様子はなかった。

 勘違いかと、息を吐いたその時──。

「久し振りだな」

 と背後から声がした。

 振り向くと、いつの間にかそこには男が立っていた。この暑さの中、背広を着ている。

 見覚えのある顔だった。

 そしてそれは、まさに僕が予想していた人物だった。

「私を憶えているか」

「ええ、勿論」

 雪風や大淀と初めて会ったあの時──僕が提督になる契機(きっかけ)となったあの砂浜で、僕を半殺しにした挙句「殺しても構わない」と言い放った男だった。

 名前は知らない。

 年齢も判らない。

 知っているのは、国防省の情報部の人間ということだけだ。

 男は、間を空けてベンチに腰掛けた。

「相変わらず愚鈍を絵に描いたような顔をしているな」

「何ですか急に」

 男は僕と目を合わさずに沈黙した。

 もしかしたらこの人なりの冗談だったのかもしれないが、仮令(たとえ)そうであろうと笑えないことに変わりはない。

「尋きたいことがあってね。時間もないから単刀直入に尋くが──」

 そう言って、横目で僕を()(すく)めた。

 

 

「貴様を殺すと──彼女達はどうする?」

 

 

 僕を。

 殺すと──。

 

 辺りを風が吹き抜ける。

 粘性の高い空気は拡散して、やがて再び滞留した。

「どういうことですか」

 その一言を、やっとの思いで絞り出した。

「──自分が国防軍に()いて変則的(イレギュラー)な存在であることを自覚していない訳ではあるまい。貴様は現時点で深海棲艦への唯一の対抗手段である彼女達──艦娘の指揮官でありながら軍人ではないし階級もない。あの時はまだ──」

 ただの学生だったな──と男は言った。

(まった)(もっ)て遺憾な話だが、貴様の部隊に対しては命令系統も事実上機能していない。あの大淀とかいう小娘の脅しに(おのの)いて、我々は貴様の艦隊を統制(コントロール)することが出来ていないのが現状だ」

「脅し? 大淀が何をしたって言うんです」

「貴様の命令がなければ作戦遂行能力を喪うと言っただろう。調査した限りではあの時点で艦娘と貴様に接点はなかった(はず)だから、私は嘘だと確信しているんだがな。まあ、そんなことはともかく、その言葉が我々を束縛しているのは事実なのだよ。貴様を消したところで仮にその言葉が真実(ほんとう)だった場合、世界は滅亡を座して待つしかなくなる──しかし、貴様が我々にとって深海棲艦と同じかそれ以上に危険な存在であることに変わりはない。もう一度尋く」

 貴様を殺すと、彼女達はどうする──。

 異様な状況に身を置いている自覚はありながらも、一方で「僕が死んだらみんなはどう思うのだろう」と純粋な想像をしている自分に気が付く。

 男から視線を外して、(かす)む遠景に彼女達の顔を思い浮かべた。

「──泣いてくれると思います」

「それだけか」

「それだけではいけませんか」

「私の尋きたいことが解らない訳ではないだろう。彼女達は、我々に牙を()くか?」

「そんな愚かなことはしません。僕達とは違います」

 僕は人類そのものを()(しょう)するように口許を歪めた。

 その自虐は、何故か胸が()くように心地好い。

 国防軍が僕の抹殺を計画していることは──実際に面と向かって言われるとその衝撃は凄まじいものがあったのだが──特段驚くことではなかった。(ろく)な訓練も受けず正規の手続きを省略した人間など組織にとって──特に軍にとっては邪魔者以外の何物でもない。

 勿論殺されたくなどない。まだ僕は鎮守府にいたい。みんなを見ていたい。

 しかし僕が幾ら殺されたくないと思ったところで、殺したいと思う人間の接触を避けることは出来ないし、(まし)てや鎮守府のみんなを交渉の手札(カード)としてなど利用したくもない。

 汽笛の音が遠くから聴こえて、男は背中をベンチに預けた。

「そうか──。叛乱(はんらん)を起こすとでも言ってくれた方が、奴等にも解り易くはあったのだがな」

「──奴等? 貴方の目的は一体何なのですか」

「国防省内部には貴様を危険視する連中も多くてね。まあそれも当然のことではあるのだが、一方で貴様があの娘達の『提督』として迎え入れられてからというもの、対深海棲艦の作戦効率が大幅に上昇していることもまた確かなんだ。だからと言って、理解出来ないものを理解出来ないままにしておく訳にもいかないのさ。理解しようとする努力は必要だし、我々は(あら)ゆる事態を想定しなければいけないのでね」

 男から少しだけ緊張感が薄れたような気がした。

「試したんですか」

「あの化け物共が太平洋を跋扈(ばっこ)しているうちは大丈夫だと思うが、その後は知らないな。我々次第とも言えるし、貴様次第とも言える」

 僕のような取るに足りない普通の人間──いや、普通より遥かに劣った人間が、何故そこまで警戒されなければいけないのか不思議に思ってしまう部分もあるのだが、他人から見ればそういった人間ほど気味が悪いものなのかもしれない。

 しかし、僕は本当に──。

「何のことはない、至極(しごく)単純な人間だと思いますがね」

「私も同感だな。結局のところ、彼女達だろう?」

 僕は少し驚いて男を見た。

 男は顔色も変えずに続ける。

「貴様の行動を見ていれば解るよ。そう考えれば全部辻褄(つじつま)が合うからな。しかし、そう思う人間は少ないだろうさ。何か必ず裏があると考える。自分がその裏を多量に抱え込んでいるからだ。世の中では、貴様のようなバカは希少なんだ」

 男は僕を一瞥(いちべつ)した。

「それにしても随分とご執心じゃないか。貴様にとって、彼女達は何なんだ?」

 数秒の思案の後に、僕は──。

 

 

 ──羅針盤(コンパス)です、と答えた。

 

 

「彼女達を見ていると、自分が何をしたら良いのか解るんです」

 いや、正確には──。

「自分が何をしたいのかが解る、と言った方が良いのかもしれません。僕は一人だと、自分が何をしたいのかも判らない愚か者なんで」

 

 世界平和なんて願ったこともない。

 彼女達がそう望んでいるから、僕もそう望んでいるだけだ。

 僕には世界が解らない。

 何十億人もの人間が笑って、泣いて、それぞれの期待や不安を抱えて、同じ空の下で生きたり死んだりしている──そんなもの、理解出来る筈がない。この手で触れられる範囲のことですら、僕の理解は及ばないっていうのに。

 だから、僕は彼女達を基準にする。

 彼女達が指し示す方角に間違いはないと──。

 少なくとも僕には、そう思えるから。

 

「──この世界は救う価値がありますかね」

 男は鼻で嘲笑(わら)った。

「神様にでもなったつもりか。世界を救うのに貴様の偏狭な価値観など持ち込むな。職責を果たすことだけを考えろ」

 そう言って、男は空を見上げた。

「世界は救う価値があるから救うのではない。救う力を持っているなら、迷わず尽力すべきだと私はそう思うがね。貴様にあの娘達がいるように、私にも──家族がいる」

 男の視線が中空に揺れる。

 ああ、この人も人間なんだと──当たり前のことを思う。

 お喋りが過ぎたようだなと言って男は立ち上がり、造船所の桟橋の方向を見た。ここからでは、建物の陰になって『あきつしま』は見えなかった。

「──それで、あの艦が就役すれば、直ちにハワイへと向かうんだろうな」

「それは判りません。状況によります」

 男は片眉を吊り上げた後、吐き捨てるようにこう言った。

 

「貴様はこのまま、艦隊の蒐集(コレクション)でも続ける気か?」

 

 

 ──艦隊の、蒐集(コレクション)

 

 

「全く、そんなものの何が面白いんだか」

 そう言い残して男は歩き始める。

 遠ざかって行くその背中に、

「楽しみ方は人それぞれですから」

 と声を掛けた。

 男は肩を(すく)めて両手を天に向け、欧米人のように解らないという身振りをした。

 思いの(ほか)、悪い人ではないのかもしれない。

 胸を突かれているような感覚がして視線を下げると、胸ポケットでは妖精がステッキを振って注目しろと訴えていた。

 矢印の向く先は、鎮守府のある方角だった。

「帰ろうか」

 そう言うと、妖精は小さく頷く。

 男の姿は、もう見えなくなっていた。

 

 

 ──何が面白いのか。

   そんなの、あの人だって。

   彼女達を知れば解る筈なのに、と。

 

 

 そんなことを思いながら、僕は。

 僕の帰る場所へと──歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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