Compass   作:広田シヘイ

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第四話『多生の縁』

 

 

 

 日付も変わろうかという深夜の首都を、僕は独り歩いていた。

 流石に世界でも有数な大都市というだけあって、鎮守府のある街とは圧迫感が違う。建物の高さも密度も桁違いだし、人々の流量も比較にならない。

 僕が今歩いているのは多分オフィス街だと思うから(土地勘がないので詳しくは判らない)、通りを人が覆っているという状況ではないが、先程通りかかった駅前は時計を二度見してしまう程に混雑していた。

 僕らの街では有り得ない。

 だって終電行っちゃってるもの。この時間。

 

 何だか自分の街がとても不甲斐なく思えてくるのだが、規模が大きくなればそれはそれで様々な弊害があるのだろうし、僕らの街くらいの半端さがちょうど良いのかもしれない。実際、僕はもう既に帰りたくなっている。夜中にこうして時間を持て余すのは久し振りのことだ。

 鎮守府に着任する前は毎日こんな感じだった筈なのに、自分がこういう時間をどうやって遣り過ごしていたか全く思い出せない。鎮守府だとこの時間は川内(せんだい)にとってのゴールデンタイムだし、眠れないから話に付き合え、酒に付き合えという艦娘で逆に忙しかったりする。

 最近で一番辛かったのは「白露(しらつゆ)の勝つまでやめないボードゲーム24時」だ。オセロだ将棋だ人生ゲームだと、いくら眠くても白露が勝つまで解放してくれないというまさに悪夢のイベントで、こちらが疲弊しきった頃にやっと勝利したと思うと「白露がいっちばーん!」と言って嬉しそうに帰っていく。

 そりゃそうだろうさ。白露が勝つまで終わらないんだから。

 白露がルールブックなんだから。

 いっちばーんで当たり前だ。

 勝つまでやめないというスタイルが勝敗論として本質的である、とかいう話は置いといて、付き合わされるこちらはただの地獄である。寝たかったら負けないといけないうえに、わざと負けようとすると怒られるんだから。

 

 まぁ、そんな辛い思い出も含めて、充実しているのは確かだろう。

 みんなはもう眠っているだろうかと、夜空を見上げてそんなことを思う。

 

 僕が上京したのは国防海軍の会議に出席するためだった。

 しかし、それも夕方には終わった。

 そもそも今回の会議に何故僕が召集されたのか判然としない部分もあるのだが、こんなことを言うと「提督としての自覚が足りない」と大淀に怒られてしまうのかもしれない。

 しかし、会議の内容が例によって(ほとん)ど理解出来ていないのだから、自らの存在意義(レーゾン・デートゥル)を疑ってしまうのも仕方のないことではあろう。専門用語はもちろん、固有名詞も中々にキツいものがあって、「〇〇艦長〇〇大佐の報告によると」だとか「〇〇大学〇〇教授の調査結果を受けて〇〇基地所属〇〇中尉の部隊が」などなど、「誰だ!」と「何処だ!」の連続なのである。理解出来たのは「永田町」と国防省のある「市ヶ谷」くらいだ。

 そんなポンコツ提督でも会議は配布された資料に沿って資料から一ミリもはみ出すことなく進行していることは解ったので、その資料を大淀に渡せば僕の仕事はそれで終わりだ。その後で大淀に「翻訳」してもらえばいいだろう。

 

 本当に僕は何で呼ばれたんだろう。

 実を言うと心当たりがない訳ではないのだが、結局、訊問されることになるだろうと覚悟していた「あの事件」についても何故か触れられず、僕の懸念は杞憂に終わった。

 

 

 ──あの事件。

 それは三日前、つい先日のことだ。

 

 

 その日、小笠原諸島沖を哨戒していた国防海軍の通常艦艇が、空母二隻を含む敵機動部隊を発見。その航路から本土を目指していると考えられた為、近海警備に当たっていた千歳(ちとせ)千代田(ちよだ)妙高(みょうこう)羽黒(はぐろ)長波(ながなみ)高波(たかなみ)の六名を予測される会敵ポイントに急行させた。

 僕が着任して以来初の本格的な戦闘になると緊張していたのだが、敵艦隊を発見した国防海軍の艦艇から耳を疑うような続報が入る。

 

「空母艦娘と思われる識別不明人型艦艇が敵艦隊と交戦中」

 

 当該時刻、当該海域に艦娘は展開していなかったし、艦娘にも敵味方識別装置(IFF)が搭載されているので識別が出来ないなど有り得ない。全艦娘の照会をしても矢張(やは)り鎮守府の所属ではなかったから「ウチの子じゃないです」と報告するよりない。

 そもそも最初の報告だって艦艇搭載のヘリが遠距離から監視していたものみたいだし、見間違い、もしくは同士討ちの可能性だってある。

 

 ──ただ。

 

 翌日、千歳達が発見した敵機動部隊は、既に壊滅していた。

 それは紛れもない事実だった。

 

 それからというもの、

「何か隠してない?」

「隠してないって」

「本当に本当?」

「本当だって!」

「解像度上げてみたけどこの子見覚えない?」

「だからないってしつこいな!」

 というようなやり取りを国防省と幾度もすることになり、流石に辟易とした(かなり大雑把だが話の中身は大差ない)。だいたい敵艦隊に航空戦力がないならまだしも、空母ヲ級と軽母ヌ級を含む敵機動部隊を一人の空母艦娘が壊滅させるなんて現実的じゃない。ウチのエースである加賀だって無理だろう。

 そういった僕達の説得が功を奏したのか、国防省も深海棲艦の仲間割れとして処理したのか事の顛末は判らないが、上からの「問い合わせ」も昨日未明にパタリとやんだ。国防海軍の哨戒機も「識別不明の人型艦艇」を結局見つけられなかったみたいだし、矢張り深海棲艦の内部分裂として収めるつもりなのかもしれない。

 

 まぁ、向こうが疑うのも無理はないのだ。

 

 艦娘という存在それ自体が彼らにとって(もちろん僕にとっても、さらに言えば艦娘である彼女達自身にとっても)理解の範疇を超えるものだろうし、その彼女達を率いているのが、大学では留年に留年を重ねた訳の判らない道端の小石のようでその辺の空き地の雑草の陰でひっそりと暮らしている虫けらみたいな僕だっていうんだから、疑ってかかって当然だ。

 提督になった経緯も経緯であるし、彼らにしてみれば僕は邪魔者でしかないのかもしれない。

 ──何で僕は自分をこんなに卑下しなければならないのかと自問しつつ、そういう訳でかなりの緊張感を持って今日の日を迎えたのである。

 

 そうして僕は、大きく溜息を吐いた。

 途端に、自分が空腹なのを思い出して猫背になる。

 ──そうだ。僕は何か軽く食べるものはないかとホテルを出たのだ。考え事をしていて開いている飲食店を見過ごしてしまっているかもしれないと、通った道を振り返る。

 

 ふと、電柱に人影が吸い込まれた。

 

 

 ──()けられている。

 

 

 急激に、鼓動が高鳴るのを感じた。

 自然と歩調が早まる。

 そういうことか。矢張り僕は邪魔者か。

 一刻も早く明るい場所へ出なければ。少しでも大きな道に出なければ。

 殺される。

 あぁ、こんなことなら護衛として同行すると煩瑣(うるさ)かった川内を連れて来れば良かったかもしれない。

 いや、それだと川内も危なかったか。

 どちらにせよ、今更だ。

 

 身体中に嫌な汗が滲むのを感じる。

 顔面だけが熱く火照って手足が冷たい。

 僕はもう訳が判らなくなって、小さいネオンの看板に吸い寄せられて右へと曲がる。

 

 そこは、小さな路地だった。

 自らの愚かさに、一瞬呼吸が止まる。

 

 

 進んではいけない。

 しかし。

 引き返してもいけない。

 

 

 前方の微かな明かりを頼りに、僕は全力で走り出した。

 後方から自分のものではない足音が急速に接近する。

 僕は脚部の筋繊維が音を立てて千切れていく錯覚に囚われつつ、しかし負荷の限界を超えて地面を蹴り続けた。

 

 前方の明かりは、ラーメン屋の提灯だった。

 後方の足音は──もうすぐ後ろだ。

 

 

 死にたくない死にたくない死にたくない。

 

 

 それだけが僕の意識を支配して、全力疾走の慣性をラーメン屋の粗雑な戸に全てかけたまさにその時。

 

 追跡者によって、僕の手首は掴まれた。

 

 もう終わりだと、僕の人生はもう終わったんだと諦念が頭を駆け巡る中で、僕と追跡者の荒い呼吸音だけが空間にこだましていた。

 僕の人生は、中々終わらなかった。

 恐る恐る顔を上げる。

 

 

 手首を掴んでいたのは、胴着に身を包んでいる少女だった。

 少女も、ゆっくりと顔を上げる。

 大淀に似たさらりとした長髪に、緩く垂れた目が特徴的な美少女だった。

 少女は、目に涙を湛えてこちらを見ている。

 そのまま、どれくらいの時間が流れただろう。

 

「き、君は──」

 僕が漸く口を開くと、

 

 ぐー。

 

 と、少女の腹の虫が深夜の首都に鳴り響いた。

 

 

 ※

 

 

「へい、お待ち」

 と言って、店の親父は醤油ラーメンを置いて厨房へ戻って行く。

 ラーメン屋の店内は、自分が昭和にタイムトリップしたのかと思う程に寂れていた。塗装の剥げたテーブルに、変色したメニュー表。コーナーに設置されたテレビが液晶ではなくブラウン管だったら完璧なのに、と謎の感想を抱く。

 先程までは空腹だった筈なのだが、今は目の前のラーメンにそれ程(そそ)られない。まぁ、肉体的にも精神的にも相当な負担が掛かったばかりだから、それも仕方ないのかもしれない。溜息を吐きながら箸を割る。

 そんな僕とは対照的に、テーブルの向かい側に座る少女は喉を詰まらせんばかりの勢いで麺を啜っていた。何だか安心するようで脱力するような複雑な気持ちでその光景を眺めつつ、僕はこの少女の正体をほぼ確信していた。

「──赤城(あかぎ)でしょ」

 その言葉に少女は喉を詰まらせて答えた。

「ブフォ! ゴホッ!」

「汚ぇっ! あぁもう、こっちに麺入っちゃったじゃない!」

「す、すみません──」

 少女はレンゲでリバースした麺を掬い取る。

 ──その下のチャーシューと一緒に。

「何どさくさに紛れてチャーシュー持って行ってんだよ!」

「ホントにすみません──」

「だからチャーシュー返せって!」

 少女は僕の怒りを無視しつつ、しかし本当に申し訳なさそうな顔をして再び麺を啜り始める。

 あぁ、もうチャーシュー食べちゃったし──。

「──赤城、なんでしょ?」

「──どうして判ったんですか?」

 やっぱり。

「艦娘って何となく判るんだよ。雰囲気が独特だからね。それに、赤城も僕のことを提督だって判ってるんでしょ?」

 赤城は目を丸くしてこちらを見る。

「提督電探ってやつだよね。加賀から聞いてる」

「加賀さんもいらっしゃるんですか!」

「いるよ。赤城のことを待ってる。あ、そうそう、格好が加賀と色違いってのも赤城だって判った理由かな」

 赤城は目を伏せた。

「──こんなところで、何してんのさ」

 店内に沈黙が流れる。テレビからスポーツニュースの音声が聞こえてきた。

「私、敗けました」

 そう言って、赤城は儚げに微笑する。

「鎮守府には、帰れません」

 赤城が言っているのは、先の大戦の「あの海戦」のことだろう。

 太平洋における戦いの転換点(ターニング・ポイント)として何かと語られることが多いその海戦で、帝国海軍は決定的な敗北を喫し、赤城を含む正規空母四隻と重巡洋艦三隈(みくま)を失っている。

 僕も一応こういう立場にあるから、その戦いについて勉強してはいるのだが、敗因として挙げられる要因それぞれが重要な指摘に思える一方、そもそも戦争を始めた時点で──という思いを消し去ることが出来ない。

 それとこれとは話が別だということは解っているのだが。

 被害が甚大過ぎて、理解が追いつかない。

 空母四隻と三隈が一度に沈むなんて、想像しただけで頭がおかしくなりそうだ。

 

 その時の機動部隊の旗艦が、赤城だった。

 赤城は、まだそれを背負っているのか。

 

「──赤城の所為(せい)じゃないよ」

 僕は、そんな陳腐な言葉しかかけてあげられない。

 だけど。

「いえ、私の所為です」

「だったら──それは僕の所為だ」

「──何故ですか」

「赤城の所為なら、それは僕の所為なのさ。理由なんか、ないよ」

 だけど、そう思っているのは本当だ。

 世の中に溢れている惨事や悲劇は、概ね誰か一人の責任や何か一つの原因に収束することが出来ない。様々な要因が複雑に絡み合って、ある日突然「ある出来事」として僕達の眼前に表出する。

 あの敗北が赤城一人の責任である筈がない。それでも赤城が自分を責め続けるなら、その重い荷物を分担して背負う覚悟はもちろんある。

 というか、それしか出来ない。

 実際に過去を乗り越えるのは、赤城自身にしか出来ないことだから。

「提督は、優しいんですね」

「それは違うよ」

 本当に。

「それしか出来ないんだ」

 赤城は、上目遣いでこちらを見る。

 その視線は僕を妙に気恥ずかしくさせて、たまらず目を逸らした。

「──とりあえず食べちゃおうか。麺が伸びちゃうよ」

 そう言うと、赤城は「はい」と言って静かに微笑んだ。

 

 

 ※

 

 

 ラーメン二杯と半チャーハンに半餃子を平らげた赤城は、満足げにコップの水を飲み干した。

 確かに空腹そうではあった。空腹なのは判っていたが、それにしても食べ過ぎじゃないか。いや、空腹だとこんなものだろうか。あ、ちなみにこれ全部僕の支払いです。いや、至って普通のラーメン屋だからそんな痛くはないんだけど。

 ──痛くはないんだけどさ。

 赤城の前に並んでいる空いた皿を眺めながら、そんなことを考えていると、赤城が如何(いか)にも不服といった表情で僕に言う。

「提督、今すごく失礼なこと考えてません?」

「よく食べるな、と思っていただけだよ」

「それが失礼って言うんですっ!」

 実際よく食ったじゃないか!

「いいですか、いつもこんなに食べる訳じゃないんですよ! 私、ドロップしてから何も食べてなかったんですからね! 飢餓だったんです生きる為に仕方なかったんです防衛本能の──あ、アレです!」

「わ、解った解った落ち着け──って何で僕の水まで飲むんだよ! ()いで来い水くらい!」

 艦娘は自らがこの世に再び生を受けることを「ドロップする」と表現する。単純に「目醒める」などと言う者もいるが、顕現するその瞬間に「落ちる」感覚がするかららしい。

 浮き上がる、のではなくて、落ちる、というのが興味深い。

「──それで、鎮守府には帰れないが空腹に耐えきれず往生していたところ、折良くのこのこと僕が上京して来たと──そういう訳か」

 赤城は少し赤面して頷く。

「赤城がドロップしたのって、いつ?」

「三日前です」

「三日かぁ──確かにキツいなぁ。何処ら辺で?」

「小笠原沖だと思いますけど」

「なるほどねぇ。小笠原か──。小笠原──ん?」

 

 

 三日前。

 小笠原沖。

 識別不明。

 空母艦娘──。

 

 

「深海棲艦倒したの、赤城か──」

 赤城はハッとする。

「あ、いえ、その──す、すみません」

「謝ることじゃないよ。どれだけ助かったか──。本当に有難う。鎮守府を代表して礼を言うよ」

「そ、そんな大層なことでは。たまたま近くにいたので──つい」

 あんな強大な敵戦力を一人で撃滅したことに対して、日常での小さな親切を大袈裟に褒められたかのように謙遜する赤城が面白くなって僕は笑う。そんな僕を赤城は不思議そうに見つめた。

「ご、ごめんごめん──。なーんだ。赤城、ちゃんと勝ったんじゃん」

「ちゃんと、勝った──」

「うん、()()り赤城は敗けてないよ。だって、勝ったんだから」

「そ、それとこれとは」

「別じゃないよ。あのさ──最近白露がね、寝かせてくれないんだよ」

「白露ちゃんが?」

 そう、白露もいるよ。

 嵐も、萩風も、舞風も、のわっちも。

 他の、みんなも。

「オセロだ何だってゲームを挑んできてね、弱い癖にさ。自分が勝つまでやめないんだよ」

 赤城の表情が少し和らぐ。

「だから、いつも白露が勝って終わるんだ。僕はいつも負けて終わる。それまで僕がいくら勝ってようと関係ないんだよ。白露が勝者で、僕が敗者。諦めないことが大事だって言うのなら、多分そういうことなんだと思う」

 白露には一刻も早く諦めて欲しいけど。

「だから、自分は敗けたなんてたった一度のことを思い詰めないでよ。赤城は実際に、鎮守府のみんなやこの国の人達を救ったんだからさ」

 そう言って席を立つ。無言で俯く赤城の頭をポンと撫でて、会計へと向かった。

 無愛想なラーメン屋の親父は値段すら言わず、「この電卓の表示を見ろ」と言わんばかりに古めかしい計算機を差し出してくるが、今はこういった対応が何よりも有り難い。

 

 建て付けの悪い戸を開けて外へ出る。

 首都の夜空には、星がまばらに輝いていた。

「やっぱり、鎮守府に戻ってくるつもりはない?」

 後をゆっくりと付いてきた赤城に僕は問う。

 返答はなかった。

 ならば。

 強制的に。

「──じゃあさ、ラーメン代、返してよ」

「あ、あの──私、持ち合わせが──」

「それなら、僕と一緒に鎮守府に帰ることだね」

 僕は笑って振り返る。

「その身体で、返してもらう」

「身体で返すんですか?」

「そう、身体で返すんだ」

 赤城は微笑んで言う。

「──私、安すぎません?」

「だったら、他に何か欲しいものでもある? 赤城が帰って来てくれるなら何だって買ってあげるよ」

 赤城は少し思案して、

「そうですね──服が、欲しいです。三日も着替えていないので。あ、でも、もうこんな時間──」

「赤城、現代の日本を舐めちゃいけない。こんな時間でも開いてる服屋はあるよ」

「そうなんですか。すごいですね」

 僕はケータイを取り出す。適当に発言してしまったが大丈夫だろう。

 ここは、世界に名立たる大都市なんだから。

『深夜営業 服』

 検索。

 ほら、あった。

 

 

「これが、赤城が守った日本だよ」

 

 そう言うと、赤城は今日一番の笑顔で──

「はい!」

 と言って敬礼した。

 

 

 ※

 

 

 鎮守府に着く頃には、日が傾いていた。

 僕の隣を歩く赤城は、興味深そうにきょろきょろと辺りを見回している。

 こうして普通の洋服を着ている姿を見ると、本当にただの女の子だ。一人で敵艦隊を壊滅させた張本人とは到底思えない。

 結局、赤城はこうして鎮守府に戻って来てくれた。

 しかし、あの後が大変だった。約束通り服を買いに行ったまでは良かったのだが、ふと気になって「艤装(ぎそう)はどうしたの?」と聞くと、「──港の近くの廃工場に」と驚くべき返答が返って来たので、タクシーを飛ばし回収してホテルに戻ったのが◯三◯◯(マルサンマルマル)だ。元々ツインの部屋だったからベッドは別だったものの、こんな美少女を隣に眠れる訳がない。乗車予定の新幹線も赤城の分の空席がなく、キャンセルして別の便に乗り換えた。

 ──これ、全部でいくら掛かったと思いますか。

 服代、深夜料金のタクシー往復代、ホテル追加料金、新幹線指定席二人分──。

 まぁ、赤城が帰って来てくれたんだからお金なんてどうでもいいんだけど。

 それは本当にそう思っているのだが、取り敢えずどうやって雪風を競輪場に連れ出そうかと思案中なのは確かだ。

 それにしても、艤装が重い。

 スーツケースに入らなかった矢筒と飛行甲板がものすごく邪魔だ。弓はまだ空いた左手で持てるからいいものの、矢筒と飛行甲板はバッグから飛び出したまま背負うしかないから、歩く度に揺れて後頭部を殴打してくる。

 変な意地を張らないで、赤城にも持ってもらえば良かったかもしれない。

 

 しかし、そんな苦行もこれで終わり。

 鎮守府の正門前で、赤城は足を止める。

 

「本当に、帰って来たんですね」

「そうだね。僕も色々あって疲れたよ。ここに帰って来ると矢っ張り安心するな。さぁ、入ろう。今日からは、ここが赤城の帰るところだよ」

 二人揃って境界を跨ぐ。顔を見合わせて僕らは笑った。

 みんなも待っていることだろう。

 帰るのが少し遅れる、と大淀に連絡を入れた時、「赤城も一緒に帰るから」と伝えて電話を切った。大淀は慌てふためいていた様子だったが、説明が長くなりそうだったし、理解してもらえるか不安だったのでその時はそのまま切った。

 もしかしたら大淀は怒っているかもしれない。

 それはそれで気が重いなと思っていると、庁舎の前に人集(ひとだか)りが見えた。

 外で待っていたのか。

 すると、こちらに駆け寄る青い袴の姿が視界に映る。

「赤城さんっ!」

 赤城も(おもむろ)に駆け始める。

 やがて二人は、想いの強さを自らの慣性で表現するように、減速することなく互いの胸に飛び込んで抱き締め合った。加賀は涙を隠そうともせずに、顔をぐしゃぐしゃにして何度も赤城の名を呼んでいる。

 多分、赤城も泣いている。

 

 

 それは、まるで映画のワンシーンのようだった。

 

 

 その光景に見蕩れつつ、二人の涙に影響され胸を熱くさせていると、大淀がこちらへと歩み寄って来た。

「提督、おかえりなさいませ」

「うん、ただいま。何も問題はなかった?」

「えぇ、何もありませんでしたよ。それにしても──どうして提督が赤城さんを?」

「あぁ、いや別に大したことではないんだけど、説明が面倒だから後でゆっくり話すよ。僕も疲れたから、とりあえずシャワーを浴びたい気分かな」

 了解致しました、と言って大淀は僕の荷物を持とうとする。僕は何だかその行為に照れてしまって、先程まで荷物が邪魔だと思っていたくせに「いや、いいよ。大丈夫だから」と言って痩せ我慢をしてしまう。

 抱擁する赤城と加賀を中心にして艦娘達が輪を作るのを横目に、その場を立ち去ろうとすると、加賀が僕に「提督」と声を掛けた。

「本当に──約束を守ってくれたのね」

 目を腫らして微笑む加賀に僕は当たり前だろ、なんて調子のいいことを言う。

「有難う御座います」

 そう言って加賀は頭を下げた。

「いいって加賀。そんな大層なことでも──」

「提督。私からも、有難う御座います」

 赤城は、そう言って近付く。

「このお礼、一生かかっても返せそうにないかもしれません」

「そうかもな。僕は悪徳高利貸しだからね」

 赤城は、僕の胸にそっと頭を寄せた。

「一生、身体で返し続けます」

 赤城のその発言で、感動で包まれていた周囲の空気がガラリと変わる。

「い、いいんじゃないかな」

 身体? 身体って何? 身体で返すって何? という囁き声が聞こえる。

「──こうして、お持ち帰りもされたことですし」

 赤城、それ以上はやめるんだ。

「鎮守府にな!」

 という僕の必死の注釈も効果を得ず、

「お持ち帰りって、何ですか?」

 という殺気で張り詰めた大淀の声が聞こえた。

「だからそれはちん──」

「ホテルです」

 赤城ッ!

「ホテルにお持ち帰りもされたことですし」

「あら、そう──。ホテルに──」

 大淀が僕の袖をクイッと掴む。

「あのなぁ、大淀よく聞け。これにはマラッカ海峡よりも深い訳があってだな」

「マラッカ海峡はすごく浅いですよ」

「ま、間違えた。あはは──焦ってる訳じゃないぞ? マリアナ海溝、な。マリアナ海溝より深い訳があってだなぁ」

「そうですか。そんなに深い訳があって赤城さんはホテルにお持ち帰りされて制服ではなく御洒落なお洋服を着ているのですね」

「そ、そうだ、当たり前だ」

「制服は汚れてしまってベトベトです」

「赤城ッ! お前絶対ふざけてるだろふざけてこの状況を楽しんでるだろっ! 感動の再会中にッ!」

 そのうち、僕の前後左右を大淀、金剛、翔鶴、瑞鶴が囲む。

 艦首の向きがおかしい輪形陣だ。

「提督さん、まだ爆撃され足りないの? 何回爆撃したら解ってくれるの?」

「そろそろ強硬手段に出るしかないデス──」

「提督、私のこと、好きって言いましたよね──」

「縛り付けます?」

 大淀が最後ものすごく不穏なことを言った。

 

 

 ──どうしていつもこうなるんだろう。

 

 

 そんなことを思いつつ、僕は彼女達に引き摺られて執務室という名の査問会議場に連行される。ふと、この状況に何処かで安心している自分に気が付いた。一日空けただけなのに、ホームシックにでもなっていたのだろうか。

 情けないとも思うが、それだけ自分にとってはこの場所が大切なのだ。特殊な性癖に目覚めたという可能性は否定出来ないが、別に今更どうだっていい。

 それに、ここは赤城にとってもそういう場所になるのだろう。

 それが何より嬉しい。

 

 後方から「何で制服がベトベトになるのー?」という時津風のピュアな疑問が聞こえて来た。

 いいかみんな、絶対に答えるんじゃないぞ。絶対にだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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