Compass   作:広田シヘイ

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第七話『妖精さんのりくえすと』

 

 

 

 

 

「ウチはヤンデレ気味な奴が多いからなぁ──」

 刺されないように注意するといいぞと言って、長波(ながなみ)はビールを豪快に(あお)った。

「ヤンデレってあの──お兄ちゃん起きてる? ってやつかい?」

「妹に限らんけどな。まぁ間違ってはいないよ」

「うーん、そんな感じはしないけどねぇ」

 僕は、所属する艦娘(かんむす)が虚ろな目で包丁を持っている姿を一通り想像する。正直何人かしっくりくる娘がいたが、それは気の所為(せい)だと自らに言い聞かせて烏龍茶を口にした。

 

 

 ここは──居酒屋「鳳翔(ほうしょう)」。

 任務や訓練で疲弊した艦隊の心を癒す、鎮守府の憩いの場。

 

 

 奥の座敷で飛鷹(ひよう)千歳(ちとせ)千代田(ちよだ)と共にバカ笑いしている隼鷹(じゅんよう)はあまり疲れていないような気がするのだが、まぁそれはそれでいい。

 店内はそれ程広い訳ではない。しかし窮屈に感じる程狭い訳でもない。L字型のカウンターに六席、四人掛けの座敷が三席。詰めればもっと座れるだろうし、鳳翔さんが一人で切り盛りすることを考えれば丁度(ちょうど)良い広さと言えるだろう。

 カウンター席では、加賀(かが)瑞鶴(ずいかく)が恒例の小競り合いを始めていた。だったら離れて座れとも思うのだが、それを見守る鳳翔さんの何処(どこ)か嬉しそうな微笑を見ていると、案外二人は仲が良いのかもしれない。

 僕は、対面で胡座(あぐら)をかいて座る長波に視線を戻す。

 今日は近海警備で大淀(おおよど)が不在だった(ため)、長波に秘書艦をお願いしていた。執務の終わりに僕の「悩み相談」も兼ねて鳳翔さんの店に誘ったのである。しかし、僕は中々本題を切り出せずにいた。

 長波は少し余った袖を気にしつつ冷奴(ひややっこ)に手をつけている。頭髪の黒と桃色のコントラストも相まってその姿はとても愛くるしい。

「提督は鈍いんだよ。その割に節操がないし手癖も悪い」

「人聞きが悪いな。手は出してないよ」

「手は──って言ったな」

「その尻尾を掴みましたみたいな感じやめろ」

「自覚がなさすぎるんだよなぁ。あのさ──」

 長波はカウンターをちらりと一瞥(いちべつ)してから、顔を近付けて小声で言う。

翔鶴(しょうかく)なんて軽くノイローゼになってんじゃないか? ちゃんとフォローしてやらないから」

「翔鶴が? 何でさ」

「バカッ。声がでかいよ」

 カウンター席から強烈な視線を感じて九十度首を捻る。瑞鶴がこちらを思い切り(にら)んでいた。

「何か今翔鶴姉のこと言わなかった?」

「い、言ってないよ」

「本当に? 爆撃していい?」

「もう少し爆撃を正当化する努力をしろよ」

「瑞鶴、勘違いだよ。翔鶴じゃなくて昇格。格が昇るの昇格な。僕もそろそろそんな話があってもいいかなーって。あはは」

「提督さん軍人じゃないじゃない。臨時職員でしょ? 階級なんて──」

「ないんだけど」

「ないんでしょ? ないなら何でそんな話になるのよ」

 諦めてくれないなぁ。

「まぁまぁ、いいじゃんか瑞鶴。楽しく飲もうぜ」

「長波は黙ってて」

「何だァこの甲板胸」

「誰が甲板胸よ! だいたいアンタ駆逐艦の分際でデカすぎんのよ爆撃するわよ提督さんを!」

「何で僕だッ」

 一連のやり取りを冷めた目で見ていた加賀と目が合う。

「加賀、頼んだ」

「解りました」

 加賀は左手で瑞鶴の顔面を鷲掴みにした。所謂(いわゆる)アイアンクローという技だ。

「痛っ、いたたたたたたッ!」

「静かになさい。解ったわね」

「解りました、解りましたからッ。何これ凄く痛い! 痛っ、いたたたた顔が潰れる!」

 鎧袖一触ね──と言って加賀が手を離すと、瑞鶴は顔を抑えてカウンターに突っ伏した。

 長波と一緒に加賀に一礼して話に復帰する。

「んで、翔鶴がノイローゼって、何でだよ」

「翔鶴のこと好きとか何とか言ったろ?」

「言った──かなぁ」

 多分、正確には言ってないのである。確かに僕が翔鶴のことを好いているという噂が流れていたのは事実だ。それを翔鶴の前で特段否定しなかった、というのが正しい。

 

 好きだから、実際。

 

「そのクセ提督の方から何のアプローチもないもんだから、ちょっとばかし情緒不安定だぜ?」

「そう、だったのか」

「そうだぞ。この前の演習なんか艦載機飛ばした後、私も飛べるのかしら──ってずっと言ってたんだぞ。最終的には、飛べるわよね空母なんだしって訳の判らん着地してたんだからな」

「超ヤベぇじゃん」

「超ヤバいんだよ」

 僕は知らぬ内に翔鶴を追い詰めていたことに対して軽い罪悪感を覚えながら、軟骨の唐揚げを口に運んだ。

「──解ったよ。翔鶴については僕の方で何とかしとく」

「だいたい一人に絞ったらどうなんだ。誰にでも鼻の下伸ばしてさ」

「一人に絞る──とはどういうことかな」

「本命を決めろってことだよ」

益々(ますます)意味が解らないな。全員だよ。全員僕の艦なんだから」

「クズ」

「あざっす」

 霞みたいなことを言う長波にこれ以上ない程適当な返答をする。こちらを睨みつける長波の視線が痛くて、それを誤魔化(ごまか)すように烏龍茶を胃に流し込んでコップを空にした。

「鳳翔さん、烏龍茶お願いします」

「あ、こっちもビール」

「はい、少々お待ちください」

 僕の注文に便乗して長波もジョッキを空けた。

「えーと、何でこんな話になったんだっけ」

「提督が聞いたんだろ。艦娘も心を病むことはあるんだろうか、って」

「あー、そうだったね」

 我ながら遠回りだと思う。

「しっかりしなよ。久し振りに秘書艦やったけど、何か今日ぼうっとしてたぜ」

「最近大淀にも言われる」

「でしょ? 全く、執務ならまだしも身の回りの世話まで見なきゃいけないのか? あたし達は提督のママじゃないんだぞ」

「ママみたいなもんだろ」

「なっ──よく恥ずかしげもなく言えるよな、そういうこと」

 長波は顔を紅潮させた。

 僕だって全く恥ずかしくない訳ではないが、実際そういう面はあるのだから仕方がない。姉御肌の長波なんかは特にそうだ。

 

 いや、しかし──。

 

 目の前の長波は見た目で言うとローティーンだ。

 そんな少女に向かって「ママみたいなもんだろ」は流石(さすが)に──。

 ほんの僅かの時間経過でその倒錯性や犯罪性が露呈してくる。僕は、動揺を隠すように空のコップを所在なく(もてあそ)びながらやや早口で言った。

「それで艦娘も心を病むことはあるの」

「んあ、まぁ──結論から言えばあるよ。さっきの翔鶴の話聞いても解るだろ?」

 長波も空のジョッキを突いたりして落ち着かない。

「ただ、あたし達は艦だった頃の記憶も持ってたりするからさ。その分、精神的に強かったり──まぁ(もろ)かったりする訳だけど。でも、そういったトラウマっていうか、強烈な体験とどう付き合っていくかなんて人間と変わらないよ」

「まぁ、そうだよねぇ」

 艦娘は皆、あの大戦を経験している。中には深雪(みゆき)のような特殊な例もあるが、それでも激烈な体験に変わりはない。彼女達はそうした過去と様々な形で向き合いながら、努めて前向きに明るく振舞おうとする。

「何か、悩んでることでもあるの?」

 長波のその一言で、僕はようやく本題を切り出すことが出来そうだった。

「いや、艦娘のことじゃなくて──僕のことなんだけどね」

 彼女達が抱えている過去や現実に比べれば、僕の悩みなんて大したことはない。

「提督のこと?」

「うん、僕のこと」

 

 本当に、大したことはないのだが。

 如何せん、バカげている割に解決方法も判らないし場合によっては深刻というか。

 

「見えるんだよ」

「何が」

「何かは判らない」

「幽霊的なことなのか?」

「幽霊じゃない──と思う」

「ハッキリしないなぁ」

「ハッキリしないから困ってんの」

「それでも何かはあるだろ。足が透けてるとか透けてないとか。そもそも足はないとか足はあるとか」

「長波、笑わないでね」

「笑わないよ」

「あと病院にも連れて行かないで」

「それは内容次第」

「うっ」

「何で泣きそうになるのさ! 解ったよ連れて行かないから、な? あぁ、よしよし。提督は何処へも行かないぞーあたしも何処にも行かないぞー」

 長波は身を乗り出して頭を撫でてくれる。やはり長波はママかもしれない。曲がりなりにも成人している身として思うところはあるが、この際虚勢は張っていられない。

 そうして駆逐艦にあやされていると、鳳翔さんが笑いながら烏龍茶とビールを置いていった。

「最近の話なんだけどね。見えるんだよ。こんな、ちっさいのが」

 

 

 ──初めて見たのは、一週間前。工廠でのことだった。

 

 

 夕方の五時頃、だったと思う。

 長良、五十鈴、名取の使用する小銃(ライフル)型主砲の装弾不良に関して明石に意見を聞きに行ったのだった。頻発している訳ではなかったが、動作不良を起こしたのが前回と似たような状況下であった為、装備に何らかの欠陥があるような気がしてならなかったのである。

 工廠はガランとしていて、まるで廃墟のようだった。

 珍しく早い時間に仕事を終えて明石は(すで)に寮へ戻っていたことを後に知るのだが、その時はそんなことを知る(よし)もないから「明石いるのー」などと間の抜けた声を反響させつつ、工廠内をきょろきょろと見回していたのである。

 ふと、視界の隅を何かが横切った。

 大きさからして虫か鼠かと思ったのだ。

 しかし、目を凝らすとそれは虫でも鼠でもなく。

 

 

 ──小人だった。

 

 

 いや、小人がどういうものかよく知らないから「小人だった」と言うのも変な話ではあるのだが、それでもそれは何かと尋ねられたら「小人です」と言うより(ほか)ない程には小人だったのである。

 小人はダンボールのような箱を重ねて持ち、トテトテと歩いていた。やがて彼女(見た目から察するに少女であると思う)は放心していた僕に気付いたようで、持っていた箱を下ろし──驚くべきことに──僕に向かって敬礼をして見せたのである。

 呆気にとられていた僕も呆気にとられながら敬礼をした。すると小人は、再び荷物を抱えて工廠の奥へと消えていった。

 僕はその場で何分立ち尽くしていたか判らない。疲れているんだとか、寝不足なんだとか、理由を何とかこじ付けて「あれは幻覚だったのです」と自分を説得するのにたっぷり三十分は掛かっていると思う。

 しかし、そんな自己暗示も虚しく──。

 

 それからというもの、小人は頻繁に僕の目に映るようになった。

 

 廊下を普通に歩いていたり、桟橋で帰投する艦隊を待っている間も横に座っていたり、執務中も机に上ってきたり果ては頭の上や肩の上に居座ったり。別に悪さをする訳ではないから実害はないと言えばないのだが、地味に困るのが敬礼だったりする。

 小人達は僕と遭遇すると必ず敬礼をする。僕も無視するのは何だか気が引けるので返すことにはしているのだが、これがただの幻覚だった場合僕は周りからどういう目で見られてしまうのか怖くて仕方がない。礼儀正しくていいねとか、可愛らしくていいねとか、そういう問題ではないのだ。

 だから、僕はいつも敬礼する手をサッとやってサッと戻す。

 僕は自分がおかしくなってしまったのではないかと、この一週間気が気ではなかった。異常です、と判断されるのが怖くて、結局大淀にも相談出来なかった。

 

 そんな僕の話を、途中何度も笑いを堪えながら聞いていた長波がついに吹き出した。

「長波、笑いごとじゃないんだって。そりゃバカみたいな話だけどさ、僕だって僕なりに思い詰めてる訳でさ──」

「あぁ、解ってる。ごめんごめん。いやぁそれにしても、何処から話していいかな」

 長波は何かを知っているようだった。

「何処からって、どういうこと」

「うーん、そうだな。提督まず言っておくよ。その小人ってのは間違いなく──」

 

 

 ──妖精だぜ。

 と、長波は言った。

 

 

「ようせい」

「うん、妖精」

「えーと、森の精、水の精的な?」

「そう考えてもらって構わないよ」

「それは──そう考えた方が気が楽だよ、って解釈の話?」

「違う違う。実際にいるんだよ。だから提督の頭がおかしくなった訳じゃない。というか、その妖精がいなきゃ艤装(ぎそう)も動かないしあたし達の能力も発揮出来ない」

 ただのか弱い美少女だぁ──と言って長波はビールを飲んだ。

「そうかぁ。提督にも見えるようになったかぁ」

「何だよ感慨深げに。ってことは今までもいたの? その、妖精って」

「いたよ、もちろん。ただ」

「ただ、何さ」

「提督、そうなったってことは──もう本格的に逃げられないぜ」

 逃げられない。

「どっから」

「こっから」

「逃げるつもりは、更々(さらさら)ないけど」

「本当かぁ?」

「何で逃げられないのさ」

 んー、と短く(うな)って長波は焼き魚を一口食べた。

「妖精ってさ、本来人間には見えないものなんだよ。あたし達がこの世界に生まれ始めた頃──まぁ深海棲艦(しんかいせいかん)が暴れ始めた頃でもあるんだけど、当然国防軍やら訳の判らん研究機関やらにさんざっぱら調べられた訳だ。艦娘って何ですかって。確かに向こうにしてみたら深海棲艦と同じだからさ。未知との遭遇って意味では」

 あたし達は強いし──と言って長波は笑う。

「それで判ったんだけど、人間には妖精って見えてないんだよな。あたしがこれをこうして妖精がこれこれこうしてますって言ったところで理解してもらえないんだよ。例え話っていうか、はぐらかしてるように思われちゃう。バカにするな──って怒った奴もいたかな」

 長波は肩を(すく)める。

「だから、あたし達は人間に妖精のことを話さないって決めたんだ。疑念を深めるだけでいいことなんて一つもないから。提督も聞いたことないだろ?」

「ない。そんなこと、今初めて知った」

「でも、提督には見えるようになった。それはさ、妖精が提督を認めたってことでしょ。信用したっていうか。そんな人間、世界中回ったところで他にいないぞ。ってことは──だ」

 長波は箸で僕を差した。

「あたし達が逃がさない。みんなこれでも遠慮してたんだぞ。提督は元々一般市民でさ、成り行きで鎮守府に来たとは言え戦争に巻き込むなんて気が引けるじゃんか。でも、これで(まご)(かた)なき『あたし達の提督』って証明された訳だ。一番最初に逢った雪風(ゆきかぜ)の豪運はどうかしてるな、本当に」

「問題はないような気がするけど」

 実際、みんなのことをより知れたような気がして嬉しいし、何より自分がおかしくなった訳ではないと判りとても安心している。

 だいたい、逃がさない逃げられない監禁してやる等の脅迫は既に経験済みだ。

 今更である。

「未練はないのか」

「特に」

「ふぅん。まぁ、このことについては黙っておくよ。バレたら大変なことになるからね」

「何でだよ」

「艦隊からのアタックが今まで以上に過激になるぞ。しかも同時にハーレム宣言ときた。渡りに船じゃん。いや、元から艦なんだけど」

「僕はそんな宣言いつしたのさ」

「全員俺のモンだ、ってさっき言ったでしょ」

「僕の艦だって言ったの」

「同じことじゃん」

「同じこと──なのかなぁ」

 と言って僕は笑う。

 やはり、安心したのだと思う。

 他人にとっては「バカみたい」と一笑に付す程度で済むような些細なことであっても、自分の正気を疑わなければならない事態というのはその当人にとって大ごとなのである。(まし)て形だけとは言え僕は一応艦隊の責任者だから、精神に問題ありと判定された時点で鎮守府に残ることは出来ないだろう。

 正直、それが一番怖かった。

 ここを追い出されて今更行く場所もないし、帰る場所もない。

 朝、低血圧丸出しの寝惚け眼で背中を丸める僕を叱咤する大淀も。

 昼、僕の昼食に大量の辛子を入れてその反応を窺う卯月(うづき)も。

 夜、周りのことなど気にも留めず鎮守府の安眠を妨害する川内(せんだい)も。

 そんな、(ささ)やかなこと全部含めて──。

 みんながいない日常など、想像もつかない。

 妖精、という存在を僕はまだ理解することが出来ていないのだが、長波の言うように見えるようになったことが彼女達に提督として認められた証だとするなら、そんなに嬉しいことはないし、それに応えるべく身を()にして日々努力するまでだ。

 

 

 そんな僕の一世一代の決意を余所(よそ)に──。

 奥の座敷では、赤い顔をした隼鷹が服を脱ぎ始めていた。

 

 

 飲んでいた烏龍茶がコップに逆流する。

「何やってんだ隼鷹!」

「提督ぅ、隼鷹じゃないよぉ。『ジュンヨウ100%』だよぉ」

「お前、さては全裸になって股間をお盆で隠す気だなッ!」

「丸腰艦隊です! ひゃっはー!」

「バカやめろ! あれは男の人だから成立するんだよ! お前の場合股間を隠せたところでおっぱいは見えちゃうだろ!」

「気にすんなってー。パーっと行こうぜパーっとなぁ!」

「気にするって! おっぱいは笑えないんだよ!」

 こればかりは仕方がない。男の全裸は笑えても、女性の全裸は不思議と笑えないのである。

 上着の(はだ)けた隼鷹の隣で、千代田が()わった目でこちらを睨んでいた。

「そんなこと言って、提督いつも私とか千歳お姉のおっぱい見て笑ってない?」

「それは笑いの種類が違うんだよ。千代田が言ってるのはニヤリ、みたいな気味が悪い方の笑いでしょ?」

 店内を妙に居心地の悪い空気が包む。その空気の原因について僕が気付いた頃には、見てねえし笑ってねえよ、と弁解する機会は()うに失われていた。まぁ、実際。

 ──()てるしわらってるし。

「い、いいんだよ千代田そんなことは。と、とにかくだ、鳳翔さんのお店で裸になるのはやめなさい隼鷹。それに多分、あの芸かなり難しいから。芸人さんだって、もの凄く練習してるに決まってるんだから。見えちゃったら面白くないの隼鷹だって解るでしょ?」

 練習したところでおっぱいは見えちゃう訳だから。

「えぇー。大丈夫だよぉ。飛鷹も爆笑だったし」

「完全に見えてたからね。お盆の意味まるでなかったもの」

 ほら。

「な? 『ジュンヨウ100%』はまだ練度不足なんだって。ちゃんと練習してから披露しようぜ? それにもったいないよ。こんなところで見せちゃうのはさ。──そうだ、今度新しい艦娘が着任したら、歓迎会でそのネタ頼むよ!」

 どんな鎮守府と思われるのだろうか。

「えぇー。絶対かぁ?」

「うん、絶対」

「──解ったよぉ。提督、んじゃ代わりに酒くれ酒ェ!」

「あいわかった。鳳翔さん、熱燗持ってってやって」

「了解です」

 事態がひと段落したようで僕が胸を撫で下ろしていると、長波は「くだらないなぁ」と言って笑い転げていた。その様子を見て僕も笑ってしまう。

 本当に。

「くだらないね」

「あぁ、くだらない」

 呼吸を落ち着けながら長波は目許を(ぬぐ)う。その後、笑いの波が数度押したり引いたりを繰り返してようやく、長波はビールを飲めるまでに回復した。

「いつまで笑ってんの」

「あー悪い悪い。ツボ入っちゃった──でさ、提督。さっきの話に戻るけど──」

「何さ」

 長波が居住まいを正す気配がした。

 

「あたしにも──チャンスはあるのか」

 

「何だいそれは」

 僕は笑ってそう答えた。冗談の続きと思えたからだ。

 しかし、長波の顔は真剣そのものだった。

 先程まで、あんなに笑っていたのに。

「あたしは本気だからな」

 長波は紅潮した顔をぐいと近付けた。

 僕は降参したように言う。

「解ったよ」

「逃がさないぞ」

「解ったって」

炒飯(チャーハン)作れよ」

「練習しとく」

 長波はやおら立ち上がって、テーブルを回り僕の横に腰を下ろした。

「何だよ」

「抱けよ」

「いや、抱けってそんな──」

「ギュってしろよ」

 長波は目線を合わさずに言った。

 らしくない彼女のしおらしい様子に戸惑いつつ、僕は長波と正対して両手を広げた。

 僕の胸に、長波がそっと侵入する。

 抱き寄せると同時に、長波はその全てを僕に預けた。

 温かい感触と、柔らかい香りが僕の感覚を支配する。

 鎖骨の辺りを、長波の息が(くすぐ)った。

「いいねぇ、こういうの。提督は──どうだ?」

「出来れば──ずっとこうしていたいかな」

「あたしもだ。ずっと──な」

 そう言って、長波は背中に回す腕により力を込める。

 僕も、それに応えるようにきつく抱き締めた。

 経験したことのないような安寧(あんねい)が、僕の心に充満していたその時──。

 

 

 一筋の殺意が、僕の頬を(かす)めて後方の壁に突き刺さった。

 

 

 顔を上げると、空間には敵意が横溢(おういつ)していた。

 生温い液体の感触が頬を伝う。

「大概にして欲しいものね。次は当てるわ」

 そう言って、加賀はこちらから目を離すことなく二の矢を(つが)える。

 その横では瑞鶴がありったけの憎悪を向けて、後方では鳳翔さんが仄暗(ほのぐら)い微笑を(たた)えて、それぞれ弓を手に攻撃準備を整えていた。祈るような気持ちで奥の座敷に目を向けると、千歳千代田は絡繰りを、飛鷹は巻物を手にして、こちらも同様臨戦態勢に突入している。隼鷹は先程の(くだり)で力尽きたのか、廃人のような状態になっていながらも酒は飲み続けていた。

 店内は僕達以外──客も女将も全員が空母だった。

「な、何ですか鳳翔さん。これは──」

「提督、困るんですよ? 他にもお客さんがいるのに、そういうことをされては」

「僕も困るんですが」

 瑞鶴が矢を放つ。

 その矢は鋭い音と共に僕の頭上二ミリメートル上空を通過して、店の壁を憎しみで深く穿(うが)った。

「ひっ」

「長波、提督さんを今すぐ離しなさいよ」

「やだ。あたしだけのもんだ」

「いい度胸してるわね。いいわ、死体袋が一つ増えるだけだもの」

「何て怖いことを言うんだ瑞鶴ッ!」

 四面楚歌のこの状況を打開すべく、平均を大きく下回る性能の脳味噌をフル回転させていると、テーブルの上を妖精がトコトコと走っているのが見えた。黄色のヘルメットを被り髪を後ろで纏めているその妖精は、僕が工廠で初めて遭遇した「彼女」に違いなかった。

 やがて妖精は僕の目の前で立ち止まり、手に持っていたプラカードを掲げる。

 そこには──。

 

 

「かんむすのみんなをよろしくおねがいします」

 

 

 と書かれていた。

 

 僕は身命(しんめい)()してこの鎮守府を守り抜くと心に決めている。

 その願いに附随する膨大な責任や困難だって、一生背負っていこう。

 

 ──しかし。

 

「それ今言うことかなッ?」

 タイミングが悪すぎるでしょうよ。

 だって今そのよろしくお願いされた「かんむすのみんな」に殺されかけてるんだから。

 僕が(なか)ば非難するような目で見ていると、妖精は不服な顔をしてプラカードをより前面に押し出した。

「あぁ解ったよ! 僕が守ればいいんでしょ。みんなは僕がしっかり守るから約束するから、とにかく今は助けてッ!」

 すると妖精は、気まずそうな顔をして静かに顔を背ける。

 

 

 えぇ──。

 

 

 僕が絶望に()(ひし)がれていると、決して広いとは言えない店内で──。

 順次、艦載機が発艦を始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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