あなたがスターリンになったらどうしますか?   作:やがみ0821

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タチの悪い冗談

 これは悪い夢だと思いたかった。

 

 朝起きて鏡を見たら自分がスターリンになっていたなんて、これ以上最悪なことはないだろう!

 

 

 

 

 

 

 

「まずは誰に相談すべきか……?」

 

 彼は両腕を組んで(・・・・・・)寝室を歩き回る。

 頭にすぐに浮かんできた人物は――モロトシヴィリ。

 

 

 書記長という役職がレーニンによって新設され、そこにスターリンが就いたときから一貫して彼を支持し続ける男だ。

 

 

 スターリンになった為か、彼が体験したことや経験したこと、知識といったものがよく分かる。

 あんまり分かりたくないものも多いが、スターリンなので仕方がない。

 

 

「今後はどうする……?」

 

 

 史実通りにスターリンらしく振る舞うことなんて精神的に到底無理だった。

 かといって権力の座から離れたら確実に暗殺される。

 どんなに穏やかに共産党から距離を置いて、アメリカあたりに亡命したとしても、そうなる可能性は高い。

 たとえ今が第一次五カ年計画が実施どころかまだ作成段階であったとしても、既に多くの恨みを買っているのは間違いない。

 

 もっとも、一番簡単な逃げ方もある。

 拳銃を手に入れて、自分の頭を撃ち抜くことだ。

 

 自殺すれば共産党から逃げられる上、暗殺されることもない。

 

 そんな考えも頭に過ぎるが、すぐにスターリンは頭を振った。

 

 何故自分が死ななきゃならないのか、という自殺への疑問が湧き上がる。

 書記長という地位にあるがよく知られている大祖国戦争時のような、強力な独裁体制というわけではない。

 だがそれでも、自分はソ連のトップであり、自分の命令で国を動かせるのは間違いない。

 

 暗殺されても仕方がない、なるべく苦しくない方法で死なせてくれるなら御の字――

 

 その精神でスターリンをやればいいんじゃないか、と彼は思うことにした。

 

 といっても、ソ連を今後どうしたいかという方針については定まっていない。

 さしあたっては、10年以上先の未来に起こるだろう独ソ戦――の前に目の前の危機である飢餓輸出をどうにかしなければならない。

 

 第一次五カ年計画も見てくれや聞こえはいいが、その犠牲があまりにも大きすぎる。

 

 また何もしなければ世界は歴史通りに進んでいくと思いたいが、それも無理な話だろうと彼は考える。

 歴史にIFは存在しない、というのはよく言われるが――現在スターリンはそのIFを体験している真っ最中だ。

 

 もしもスターリンに憑依してしまったら、とかいうタチの悪い冗談みたいな話である。

 天文学な確率でこうなってしまったのだろうが、同じ確率なら宝くじで一等が連続して当たって億万長者にでもなった方がよっぽどマシだ。

 

 ともあれ、スターリンが何もしなくても他国の首脳が史実とは別の決断をすれば、よく分からない方向へ世界は転がっていく。

 史実とはこの世界ではありえるかもしれない未来でしかない。

 

 だが、それでも使えるものはある。

 

 無論、こっちが強くなれば他国だって強くなるのは明らかだ。

 しかし、主導権は握れるときに握っといたほうが良い。

 

 

 まずは農業と経済を立て直す。

 その為には理屈を捏ね繰り回して、資本主義的なことでもソ連に導入する。

 世界恐慌で悪さができるように根回しもしておきたい。

 赤軍は味方につけ、強化・拡大するが、行き過ぎた軍拡はしない。

 

 アメリカと世界を二分して対決するなんて、その後の末路を見れば失敗だったのは明らかだ。

 

 共産党による統治体制が良いと国民に思わせれば、他国は介入してこないし、裏から介入してきたとしても影響は限定的になる――筈。

 

 その為には国民に豊かな暮らしをさせる必要があるし――

 それをする為にも――

 

 スターリンは考えることが多すぎて頭がこんがらがってきた。

 その為に彼は決断した。

 

「モロトシヴィリを呼ぼう……」

 

 こうなった理由を直接明かしはしないが、それでもうまい具合に伝えられる筈だ。

 何となく彼は自信があった。

 

 

 

 

 

 

 モロトフがスターリンからの緊急の呼び出しを受けてクレムリン宮殿を訪れたのは、午前9時過ぎのことだ。

 スターリンからはモロトシヴィリあるいはモロトシュテインとあだ名で呼ばれ、またモロトフも革命時代のスターリンの愛称であるコーバと呼ぶことを許されている程に仲が良い。

 昨年――1926年――正式に政治局員となった彼からすれば、今回の呼び出しは不思議であった。

 

 そして、彼はますます困惑してしまう。

 自らの執務室でモロトフを迎えたスターリンは――纏う雰囲気がこれまでと明らかに違う。

 

 目の前にいるのは影武者で、どこかに本物が隠れているのではないかとモロトフは周囲に何気なく視線をやるが、誰かが隠れている気配はない。

 それどころか執務室内には護衛もいない。

 

 スターリンが誰かと1対1で会うことは珍しいことだ。

 

「コーバ、どうしましたか?」

 

 愛称で呼ぶことを許されているモロトフは努めて冷静に問いかけた。

 

「モロトシヴィリ、とても不思議な体験をした。おかげで、色々と健康になったような気がする」

 

 穏やかに微笑むスターリンに対し、モロトフはすぐに気づいた。

 彼の左腕だ。

 左腕の機能に障害を抱えていた筈だが、今はそういった様子は見られない。

 

「モロトシヴィリ、君は私が影武者だとでも思っているだろう」

「……率直に申し上げれば」

 

 モロトフはそこで言葉を切ったが、それで意図は十分に伝わる。

 スターリンは軽く溜息を吐きながら答える。

 

「私は君を些細な言い争いで失いたくはないのだ」

「大変失礼しました」

 

 

 モロトフは素直に頭を下げる。

 スターリンは鷹揚に頷きながらも、言葉を紡ぐ。  

 

「さて、モロトシヴィリ……私は先程も告げたように、昨夜非常に不思議な体験をした。おそらく、私の左腕が……いや、おそらく健康面はかつてない程良くなったのはそのせいかもしれない」

 

 それはスターリンが本当に感じていたことだった。

 魂が入ったのか融合したのか、よく分からない。

 何だか分からないが、とにもかくにも元気である。

 

「時にモロトシヴィリ。君は私が遥かな未来を見てきたと言ったら……狂ったと判断するかね?」

 

 まさかの問いかけにモロトフは理解が追いつかなかった。

 未来を見てきたなどとは馬鹿げている――と切り捨てることなどできる筈もない。

 

 目の前にいる男はスターリンであるからだ。

 恐ろしいというよりも、モロトフは自分が信じて従ってきた彼が突然狂ってしまったと思いたくはなかった。

 

「……にわかには信じられませんが、その根拠は?」

「左腕が治ったというのでは不足か?」

 

 したり顔で言われて、モロトフはいよいよどうしていいか分からなくなった。

 そんな彼にスターリンは笑ってしまう。

 

「もっと別のことを聞けば良い。未来を見てきたなら、これから世界や我が国はどうなるかとかそういうことをな」

「……どうなるのですか?」

「1929年10月に世界恐慌が起きる。爆心地はアメリカのウォール街だ」

「……はい?」

「1930年代になるとヒトラーが動き出す。彼は対話によって領土回復を行い、うまくいっていたが、ポーランドで失敗した。イギリスとフランスがドイツと戦端を開く。1945年まで続く第二次世界大戦の幕開けだ」

 

 モロトフは目を丸くしつつも、思考を巡らせる。

 ヒトラー率いる政党がドイツで勢いがあるのは確かだ。

 

「ポーランドは君とドイツのリッベントロップが協定を結び、我が国とドイツで分割することになる。だが、イギリス攻略に失敗したドイツは1941年6月22日に我が国に侵攻してくる」

 

 モロトフの顔色が青くなった。

 それを見ながら、スターリンは静かに告げる。

 

「安心したまえ、1945年に我が国はドイツに勝利する。2000万近い犠牲者を出して、戦後に大きな禍根を残しながら」

 

 そこでスターリンは口を閉じ、モロトフの目を真っ直ぐに見据える。

 

「さて、モロトシヴィリ。これは私が未来で学んだ知識の一つだ。もっと先を聞きたいか? これは悪い話だ」

「……それよりも悪い話があるのですか?」

「あるとも。今から60年以上未来の話だが……私だってこれは信じたくない」

 

 そう前置きし、スターリンは再度問いかける。

 

「それでも聞きたいかね?」

 

 モロトフは頷き、身構えた。

 

「ソヴィエトは軍事に予算を掛けすぎて経済的破綻を起こした」

「馬鹿な!? そんなことがある筈が……!」

 

 スターリンに掴みかかってしまうモロトフであるが、スターリンはそれを咎めることなく静かに告げる。

 

「安心したまえ。それは私が見てきた未来の話で、今はまだ確定されたものではない。未来というものは我々の行動によって変えられる。だが、そこから得られる教訓は活かすことができる」

 

 そこで言葉を切り、スターリンはゆっくりと問いかける。

 

「モロトシヴィリ、愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという。君から見て、私はどちらだ?」

「勿論、賢者であります」

「ありがとう。私から見て君もまた賢者であると確信している……私は未来を見てきたからこそ決断する。我らは急ぎすぎていた。そもそもからして、我々の理想は全人類にとっての理想そのものであり、100年や200年程度で達成できる簡単なものではなかったのだ」

 

 一拍の間をおきながら、彼はモロトフに告げる。

 

「喫緊の課題は人民を目の前にある飢餓から救うことであり、その後は全人民が安定した生活を送ることができるようにする。ここでの人民とはソヴィエト連邦における人民だ」

 

 モロトフは深く頷きながらも、スターリンの言葉に耳を傾ける。

 

「私は理想国家を建設する。過激な連中からは手ぬるいと言われてしまうかもしれないが、最終的に誰もが我が国を羨み、自らの過ちに気がついて恭順を願い出るような国を造り上げれば問題はない。結果的に全ての国がソヴィエトに恭順すれば一国社会主義論は達成される……それを私が見ることができずとも構わない」

 

 そして、スターリンはモロトフに問いかける。

 

「モロトシヴィリ、私はこのように考えた。君には改めて、私の同志となってほしい」

「勿論です、コーバ」

 

 躊躇なくモロトフは答えた。

 スターリンが変わったのは間違いない。

 だが、それはかなり好ましい方向へ変わった。

 

「資本主義者共は経験に学ぶ。私は彼らの成功と失敗の歴史から学び、良い部分だけを取り入れようと思う。使えるものは何でも使ってしまえばいい。思想に拘り過ぎて使えるものを使わず、結局理想実現が遠のくならば、それは愚者だ。私はそうではない」

「勿論ですとも。ではまず党内を固めましょう」

「ああ、そこからだ。そして、その後はトゥハチェフスキーと腹を割って話し合う必要がある……私は昔のことに拘りすぎて、彼を一方的に毛嫌いしてしまった」

 

 恥ずかしい限りだと笑うスターリンにつられ、モロトフもまた微笑んでしまう。

 しかし、それを見てもスターリンは咎めることなどはせず、モロトフに提案する。

 

「未来で得たものに関して、君と話し合いたい。覚えている限りのことを伝えておきたいのだ」

「分かりました。今から早速行いましょう」

「まず第一にルイセンコという男は農業分野で恐ろしい程に足を引っ張ってくる。彼はどこにも入れるべきではない。奴のおかげでソヴィエトは甚大な被害を被った」

「……どうしてそんな男が主流に?」

「どうやら、党幹部(・・・)が彼の言葉に惑わされて彼の唱える間違った説を支持してしまったらしい……素人が専門分野に安易に口を出すべきではない。党の決定は重要だが、それでも党の内外を問わず複数の専門家から意見を聞いた上で決定せねばならない……それをせずに損害が出たならば、それこそソヴィエトに対する攻撃だ」

 

 モロトフもまた道理だと頷いたところで、スターリンは次の話へと移る。

 その内容は多岐に渡り、彼とモロトフは長時間、未来のことについて語り合うのだった。

 

 

 

 


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