あなたがスターリンになったらどうしますか?   作:やがみ0821

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スターリン、陳情される

「……これは酷い」

 

 スターリンは目を覆いたくなった。

 この報告書を持ってきた海軍総司令官のヴィークトロフ大将であったが、彼はスターリンの反応に戦々恐々としている。

 

 前任のオルロフがスターリンの求める海軍――マハンの理論と一致する大規模な均衡の取れた艦隊を整備するべし――と真正面から主張が対立し、犯罪組織と繋がっていたという理由で数年前に粛清されている為だ。

 

 オルロフをはじめとして海軍において粛清された者達は、伝統的海軍戦略――すなわちマハンに則った海軍の整備――は非現実的であり、革命やその後の内戦における経験から独立した海軍作戦を行うのではなく、小艦艇及び航空機を整備することで国土を守るという沿岸防衛思考であった。

 

 

 スターリンは遠慮なく彼らを粛清し、マハンの理論に則った伝統派の将校達を優遇している。

 だが、それでもスターリンは手心を加えたりはしないということは簡単に想像できた。

 とはいえ、ヴィークトロフは現状を伝えなければならない、と覚悟を決めて赤色海軍の窮乏や諸問題をありのままに記して、スターリンへ提出したのだ。

 

 今のままではスターリンの要求する蒸気カタパルトとアングルドデッキなるものを装備した、大型空母とそれを護衛する巡洋艦・駆逐艦であったり、静粛性と水中航行性能に優れた大型潜水艦であったりだとか、そういうものは絵に描いた餅でしかない。

 またスターリンは量こそ必要最低限で構わないが、質――フネの性能は勿論、そこに搭載する兵装や将兵の士気・練度――は他国と並ぶものを求めていた。

 しかし、現状では質・量ともに劣っているのは明白だ。

 

 とはいえ、戦艦よりも空母を主力とすることであったり、空母の護衛の為に巡洋艦・駆逐艦・潜水艦を重視するべきである、というスターリンの方針はヴィークトロフをはじめとした海軍上層部には好意的に受け入れられている。

 

 下手なことを言えば粛清が恐ろしいというのも勿論あったが、ソ連の長大な海岸線を守る為には、戦艦よりも広範囲を索敵・攻撃できる空母の方が何かと都合が良いのは理に適っていた。

 また空母ならば海上の敵だけでなく、国土に侵入してきた敵陸軍に対しても攻撃を仕掛けることができる為、トゥハチェフスキーなどの赤軍にも歓迎されている。

 赤色空軍も空の守りが盤石になると好意的だ。

 何しろソ連の国土は広すぎる為、空軍だけでは物理的に対処できない可能性が高い。

 沿岸部だけでも海軍が受け持ってくれるならば、大きく空軍の負担は軽減できるだろう。

 

 戦艦だったらこうはいかない。

 威力と射程向上の為に主砲口径を大きくしていくのにも物理的に限界があるが、航空機は今の段階でも戦艦の主砲よりも広範囲を索敵・攻撃できる上、命中率も高い。

 

 そして、もっとも大きな理由は戦艦やその兵装を新規設計・建造するだけの技術やノウハウがあるかどうか、非常に怪しいという事情もあった。

 

 また予算は無限ではなく、その大部分が国内開発に振り向けられており、余りを陸海空軍で分け合っている状態だ。

 これでは革命や内戦の混乱で失われたモノが多すぎる赤色海軍にとって、再建が完了するのはいつになるか分からなかった。

 故にヴィークトロフは満州でのことが落ち着いた、今ならばと考えて直訴にきたのだった。  

 

 スターリンが報告書を読み終えて、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「ある程度の覚悟はしていたが……ここまで酷かったとはな。ヴィークトロフ、着実に技術向上に努めてくれたまえ。基礎技術の為なら、それこそ帆船からやり直してくれても構わない。焦っては駄目だ」

「ありがとうございます。海軍再建に全力を尽くしますが、その為には他国に視察団を派遣することや技術者招聘といったことを許可して頂きたく……」

「必要なことを考え、遠慮せずに全て実行したまえ。失敗しても構わない……勿論、予算も何とかする。かのピョートル大帝のように、他国技術の吸収に努めることにしよう」

 

 スターリンの答えにヴィークトロフは表情を明るくしたのだった。

 

 

 

 

 

 ヴィークトロフが退室した後、スターリンは深く溜息を吐く。

 満州における一件は一段落しており、イギリスが動いてくれたことで比較的順調だ。

 また中国共産党の面々を――毛沢東なども含め――モスクワに招待して、トロツキストであると糾弾して迅速に始末したこともあってか、蒋介石も態度を幾分軟化させている。

 そもそも他国から招いた者達に対してそういうことをするのは問題しかないのだが、中国共産党は中国における正統政府ではなく、中国において最大勢力である蒋介石率いる国民党政府の敵である。

 始末したところで問題はなく、たとえ問題に発展したとしても思想的違いにより、ソヴィエトの敵となった為という理由で押し切るつもりであった。

 

 もっとも、問題になることはもはやない。

 イギリスの出した参加条件の一つによって、経済特区構想に蒋介石も一枚噛ませるというものがあった為だ。

 

 スターリンからすればイギリスの本性見たり、という思いであるが、同時に尊敬に値するものであった。

 

 分割して統治せよ――

 

 イギリスの基本はそれであり、これは古くはローマ帝国が使った手法だ。

 

 経済特区に中国企業を参加させることで、中国人の反発を抑え、彼らが連携することを防ぐという狙いである。

 その一方で油田開発においてはイギリスのAPOC――アングロ・ペルシャ石油会社――を参加させることを条件としてきていた。

 

 スターリンにとっては、実績と技術力のあるイギリスの石油会社が参加することは大歓迎であったが、実利を得るのを忘れていない。

 料金は支払うので技術指導をして欲しいと要請したところ、イギリスは高めに技術指導の料金を提示してきたが、スターリンはそれを受け入れた。

 

 値段交渉で揉めるよりも、受け入れてしまった方が良いと判断した為だ。

 核心技術は教えてくれないにしても、学べることはたくさんある。

 それを考えればイギリスの吹っかけてきた料金なんぞ、安いものだとスターリンは考えた。

 

 とはいえ、支出が増えるのは必要なことだとしてもあんまり気持ちが良いものではない。

 何よりも予算の陳情に来たのは海軍だけでなく、空軍もまたそうであった。

 

「空軍も昨日来たが……」

 

 スターリンは空軍にも予算は気にするな、と伝えてあった。

 

 空軍に対してもスターリンは口出しをしており、液冷空冷問わずエンジンと過給機の性能が全ての勝負を決めると伝えつつ、次世代の航空エンジンとしてターボプロップエンジンやジェットエンジン――それもターボファンエンジンを提案し、基礎研究を開始させていた。

 

 海軍程ではないが空軍もまた予算を多く必要とし、当然ながら陸軍も同じである。

 

 軍事予算の為に増税するのは時期尚早であるというのがスターリンやブハーリンなどの主要な面々の共通した考えだ。

 何よりも安易な増税は国内経済に大きなダメージを与えるのは火を見るより明らかであり、順調な経済発展をしている最中にやるべきことではない。

 

 となると、天然資源の輸出で利益を上げることで当面を凌ぐという形に落ち着く。

 これはいつもと変わらない。 

 

「コルィマ鉱山にもう少し労働力を振り向けるか……」

 

 安易な考えであるが、金の価値は変わらない。

 断続的に続けている粛清によって得られた無償労働者は、それなりにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 トゥハチェフスキーは執務室にて、とある作戦計画を練っていた。

 

 予算は潤沢とはいえないものの、それでも空海軍よりは多い。

 それによって着実に赤軍は機械化されつつあった。

 

 ジューコフが先の満州侵攻で実際に部隊を運用し、戦訓や課題を得たことも大きな利益だ。

 その中には、トゥハチェフスキーが中ソ紛争時に得られたものと共通していたものもある。

 

 その最たるものが戦車は歩兵に肉薄されたら脆弱であるという点だ。

 装甲に守られている為、歩兵の小銃弾は跳ね返すものの、火炎瓶や手榴弾を投げ込まれると弱い。

 隊列を組んで整然と進撃させ、相互支援を密にするよう命じてあった戦車部隊であっても、勇気ある歩兵部隊に襲われたら、少なくない被害を出した。

 現状でさえこうなのだから、現在研究を進めているロケットを使った対戦車兵器が登場すれば甚大な被害を被ることは想像に容易い。

 

 戦車と歩兵は協同させるべきであり、敵軍に対しては歩兵と戦車の分離を強要すべきである。 

 

 また撃破された戦車の回収及び修理も頭が痛い問題だ。

 戦車は重くなる一方である為、専用の回収車が欲しくなるだろうし、修理もなるべく戦場から近いところで完了し、早期に再戦力化したいところである。

 

 前線の真後ろに修理工場でも作りたいところだが、それをする為には補給及び整備部隊の高度化であったり、そもそも戦車の構造自体を修理しやすいようにしておく必要もある。

 

 弾薬や部品は無理でも、燃料ならパイプラインでも敷設して送ればいいかもしれない――

 

 トゥハチェフスキーはそんなことを考えてみたものの、すぐにパイプラインは不動目標である為に空からの攻撃に脆弱だなと溜息を吐く。

 結局のところ何でも載せられる汎用性に優れ、ロシアの悪路でも問題なく走行できる大型トラックが大量に必要であると彼は結論づける。

 

 機械化と一口にいっても、正面戦力だけ――すなわち実際に戦う部隊だけを機械化・自動車化するというのは不完全だ。

 師団まるごと全て機械化・自動車化しなければ大きな効果は得られないとトゥハチェフスキーは考える。

 

 その為にはもっと予算が欲しいところだが、現状では仕方がない。

 戦時ではできないことを平時である今やるだけだが、スターリンは課題をトゥハチェフスキーに出していた。

 

 

 1ヶ月で大西洋まで到達できるか?

 その為に必要な戦備・物資はどれほどか?

 

 

 この課題を出してきた時、スターリンは戦車が5万両くらい必要だろうと言っていたが、冗談なのか本気なのかはトゥハチェフスキーには分からなかった。

 

 ともあれ、面白い課題であるのは間違いない。

 それにドイツの動向次第ではこの計画が実行される可能性もある。

 

「もしもドイツがフランスを倒した後、ソヴィエトに手を伸ばしてきたならば……」

 

 ドイツ軍将校との交流で、彼らも戦車の有用性には気がついていることは想像に難くない。

 おそらく赤軍と同じように航空機や砲兵と組み合わせて使うだろうことも予想できる。

 

 トゥハチェフスキーの考えた縦深理論と似たような戦略・戦術を採ってくる可能性もある。

 

 戦車は5万両必要と言っていたスターリンは、そう考えればあながち間違いとは言えないかもしれない。

 ドイツとソヴィエトが真正面からぶつかり合うと考えれば、戦車も砲兵も航空機も膨大な数が投入されるのは明白だ。

 

「油断も慢心もできない……」

 

 そう呟き、トゥハチェフスキーは気を引き締めるのだった。




書いていて浮かんできたネタ


ゲートが銀座じゃなくて、このソ連の赤の広場に開いたとか面白そう(こなみ


あと最盛期のソ連の戦備や縦深作戦について調べてみると面白いよ(小声

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