あなたがスターリンになったらどうしますか?   作:やがみ0821

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スターリンはスターリンである

 

 ニコライ・ブハーリンは自分が夢でも見ているのかと疑ってしまう。

 

 工業化と農業の集団化に関して意見を聞きたい、と呼び出しを受けた昨夜、来るべきものが来たと覚悟を決めた。

 新経済政策――NEP――は一定の成功を収めているが、スターリンはそれを否定し始めている。

 NEPが体制と矛盾していることはブハーリンとしても重々承知していたが、現実的にこれを実施せねば人民が保たない。

 現時点でも飢餓に農民は苦しんでおり、ここで政策を転換すると犠牲者は一気に増えることは明らかである。

 

 富農――クラークと呼ぶ存在をスターリンが望むように体制の敵として糾弾・排除して、その財産を奪うことは簡単だ。

 だが、ブハーリンはクラークがそのような体制の敵ではなく、むしろ勤勉な農家であり、少しでも収穫量をあげようと努力している存在だと判断しており、けち・欲張りを意味するクラークという呼称は適切ではない。

 そもそもヨーロッパ的な意味での農業資本家――こちらも富農と呼ばれる――とロシアのクラークは実情が異なっている。

 前者は他人を搾取する存在であるが、後者は自ら農作業に従事する性格を維持している為だ。

 

 

 そこを指摘すべく必要な資料を持って、決死の覚悟でクレムリン宮殿へやってきたブハーリンであったのだが――彼を出迎えたスターリンはとても穏やかであった。

 

 それこそ別人かと思うほどに。

 だが、彼の横に立つモロトフがそれを否定し、彼もまた今のスターリンを見たときは自分もそう思ったと言ってのけた。

 それもスターリン本人の前で。

 

 何だかよく分からないが、この変化を最大の好機とブハーリンは捉え、スターリンに関して工業化と農業の集団化に関して、資料を提示しながら反論したのだが――

 

 

「ああ、そうだろうな。だからやめてしまおうと思う」

 

 あっさりとスターリンは意見を翻した。

 この言葉にブハーリンは冒頭のように夢かと思ってしまったのである。

 

 あのスターリンがこんなに簡単に他人からの指摘を受け入れ、意見を変える――それこそまさに夢である証拠だと。

 

 そんな彼に対し、スターリンは問いかける。

 

「ところで君はもうコーバと呼んでくれないのかね? いささか寂しさを感じるのだが」

「ああ、いや……」

 

 ブハーリンは言葉に詰まり、困惑しつつもモロトフへ視線をやった。

 彼はこちらの反応を見て笑っているが、助け舟を出してくれた。

 

「コーバ、彼が困っています」

「私はただ仲良くやりたいだけだ。ニコライ、君の力を借りたい」

 

 スターリンから飛び出してきた言葉にブハーリンは執務室内を見回してしまう。

 目の前にいるのは影武者で――左腕も問題なく動いていることから確定だろう――本物はどこかに隠れているに違いない、そうでなければおかしいと。

 

「まったく、君もモロトシヴィリと同じ反応をするんだな。何か問題でもあるのかね?」

「いえ、その……」

 

 スターリンからそう問われれば、ブハーリンは何も言えない。

 下手なことを言えばどうなるか簡単に予想ができる。

 

 信じられないが、信じるしかない――

 スターリンが驚くべき程に変わったと。

 

 そんな彼にスターリンは告げる。

 

「まあ、そんなことはさておいて本題に入ろう。率直に尋ねるが、どうすればソヴィエトは農業及び経済の混乱から立ち直れるか? NEPだけでは足りんだろう。アレでもまだ非効率的だ」

 

 ブハーリンは目を丸くしてしまう。

 スターリンの口からそんなことが飛び出してくるなんて予想外だ。

 

「……ニコライ、君は私がそういうことを言い出したら何か問題があるのか?」

「い、いや……そうではないが……一体、どうしたんだ?」

「幾つかの革命的な発想の転換が起きた為と説明しておこう。私は今のままでは遅かれ早かれソヴィエトは倒れると判断した」

 

 スターリンによる特大の爆弾が炸裂し、ブハーリンは絶句してしまう。

 ようやくここまで来たというのに、そんなことが起きるなんて信じられない――しかし、スターリンが言うのだから信じるしかない。

 

 下手に否定すれば、いつものスターリンが戻ってくる可能性は十分にある。

 

「君やコンドラチェフ、ルイコフ、トムスキーといった面々と協力し、資本主義経済に負けない強靭な経済を構築したい」

 

 スターリンの言葉にブハーリンは難しいことを言ってくれる、と内心毒づいた。

 しかし、そこで彼には予想外の言葉が襲いかかる。

 

「資本主義は敵だが、敵を知り己を知れば百戦殆うからずという言葉もある。ならば、我々は資本主義について、資本主義者達よりも広く深く研究し、誰よりも知っていなければならない……」

 

 そこでスターリンは言葉を切り、ブハーリンの瞳を真っ直ぐに見据えて尋ねる。

 

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶという。君から見て、私はどちらだ?」

 

 問いかけている形だが、答えなんぞ一つしかない。

 スターリンに対して愚者だと真正面から言えるのは自殺志願者か、トロツキーとその支持者のどちらかしかいないだろう。

 ブハーリンはそう思いながら答える。

 

「勿論、賢者だ」

「ありがとう。私から見て君もまたそうだと確信している。私としては資本主義者達の成功と失敗の歴史から学び、良い部分を取り入れていきたい。だが、同時にこの世に絶対ということは存在しない。問題は必ず発生するが、その都度迅速に対処するしかない……」

 

 そう述べるスターリンにブハーリンもまた同意し、頷いてみせる。

 

「次に銀行制度についてだが、私がやっていたことは誤っていた。現実を無視して思想的な政策推進の為に利用してはならない……強引な統廃合や補助金の多用……特に後者は麻薬そのものだろう。これでは効率化なんぞ夢のまた夢だ」

 

 ブハーリンはいよいよ怖くなってきた。

 本当にスターリンはどうしてしまったのだ、こんなに物分りが良くなるなんて――!

 

 といっても、好ましい変化であることに変わりはない。

 

「私としてはまず人民の生活安定を最優先し、その後に重工業へ舵を切りたい。それがたとえ資本主義的なやり方であろうが、労働者の適切な保護がなされるのであれば容認すべきだと考える……思想に拘りすぎて使えるものを使わず、理想実現が遠のくのならば本末転倒だろう」

 

 その言葉にブハーリンは頷きながら問いかける。

 

「具体的にはどのように?」

「農場の機械化や工場の生産性向上は急務だ。はっきり言ってしまえばソヴィエトは思想的にはともかくとして、現実としては全ての面においてアメリカに遅れを取っている。こちらから様々な視察団を送り込み、同時にアメリカからも様々な分野の専門家を多数招いて教えを請うべきだと思う」

「……反発がありそうだ」

 

 ブハーリンの指摘にスターリンは大きく頷いてみせ、言葉を紡ぐ。

 

「だが、必要なことだ。アメリカのやり方を吸収し、それをソヴィエト式に改変する。社会主義的優越性の為には独自的な発展を成し遂げる必要があるとは思うが、このまま強引に進めてはソヴィエトが飢餓によって倒れてしまう……それは君がよく知っている筈だ」

「ああ、その通りだと思う」

 

 ブハーリンが同意したことに満足したのか、スターリンは何度も頷く。

 更にスターリンは言葉を紡ぐ。

 

「単純にやり方だけではなく、その裏にある歴史的な経緯も漏らすことなく把握し、理論的にもうまく改変しなければならないだろう。ところで君は戯画が得意であったな?」

「ああ、それなりにだが……」

 

 突然の問いかけであったが、ブハーリンは答える。

 彼はレーニンやスターリンといった面々との戯画――いわゆる漫画を多く描いている。

 そして、スターリンは告げる。

 

「識字率はまだ低い。地道にやるしかないが、君の戯画を大々的に取り入れることで効率化を図っていきたい。それは教育の場だけではなく、農場や工場、果ては赤軍の新兵訓練に至るまであらゆるところに取り入れたい……無味乾燥な言葉で説明されるよりも、絵を見た方が早く分かるだろう」

 

 確かに、とブハーリンは頷きつつも問いかける。

 

「私で良いのか?」

「君が良い。君には負担を掛けることになるが……教育に関しても色々と手を入れる必要がある。まったく、考えることは山積みだ。全人民はそれぞれの能力に合った高度な教育を受けさせる必要があるだろう。無論、彼らには選択肢を与えなければならない。好きこそものの上手なれという言葉もあるからな……」

 

 溜息を吐くスターリンにブハーリンは微笑んで告げる。

 

コーバ(・・・)、今の君ならやれるさ。反対する連中も出るだろうがな」

「実務的な面での反対に関しては何度も議論することで改善していきたい」

 

 ブハーリンの言葉にスターリンはそう返した。

 その言い方に引っかかりを覚え、ブハーリンは問いかける。

 

「思想的な面での反対に関しては?」

「私は何もしないさ。ただ私もミスをすることがある……ついうっかり、引き出しにある命令書にサインをしてしまうかもな」

 

 そう言って笑ってみせるスターリンにブハーリンは思う。

 

 前より遥かに物分りが良くなったが、スターリンはスターリンだった、と。

 

 

 

 

 

 

 ブハーリンが帰った後、スターリンはモロトフと共に食事を取りながら、今後について協議していた。

 党内に関してはうまくいく、とモロトフは確信をもって語り、スターリンはそれを聞きながらも疲れを感じていた。

 

 それは精神的なものだ。

 

「モロトシヴィリ。指導者というのは、こうも疲れるのだな」

「気を遣い過ぎでは?」

「そうかもしれん。だが、このくらいの配慮は必要だ。物事を円滑に進める為にはな……でなければ、いずれ自分に返ってくる」

「……休養を取られたほうが」

「ありがとう。だが、時間は待ってはくれない。まずは対話をしてからだ。彼らの協力を取り付けることができればひとまず落ち着けるだろう」

 

 そう言いつつ、スターリンは問いかける。

 

「軍とも協議する必要があるが……不凍港を得られるところはあるだろうか?」

「コーバが見てきた未来の通りになるならば、やはりドイツとイタリア、日本を呑み込むしかありません。アメリカやイギリスが本格的に反攻する前に倒す必要があるでしょう」

「そうなるか……」

「はい」

 

 頷くモロトフにスターリンは考える。

 

 彼個人の心情として、日本へ戦争を仕掛けることに関しては反対だ。

 むしろ日本を支援し、同盟を結ぶというのも良いだろう。

 日本側がその気になってくれれば、色々とやりようはある。

 日本だって好き好んでアメリカと戦いたいわけがない。

 経済的な理由で止む無くやったに過ぎないのだ。

 

 しかし、ソ連を伝統的に仮想敵国としている日本陸軍を抑えられるかという問題がある。

 もしも、無理であったならば――早めにやれることはやっておいたほうがいい。

 火事場泥棒呼ばわりされないためにも。

 

 

「……昨日伝えたノモンハン事件のとき、なし崩し的に雪崩込んで朝鮮半島まで侵攻するというのはどうだろうか? 海を渡るのは難しいだろうが……無論、赤軍と協議を行って可否を決める」

「素人意見ですが、やれないことはないでしょう。ただ、各国に対して根回しが必要です」

「おそらくチチェーリンでは難しいだろう」

 

 モロトフはスターリンの言葉に頷いてみせる。

 外相を務めているチチェーリンは実績があるが、彼は元々トロツキーと親しい間柄であった為だ。

 

「外相を君に任せたいと言いたいところだが、君には党内を抑えて欲しい。足元を支えられるのは君しかいない……外相はリトヴィノフに任せようと思う」

「彼ならばやれるでしょう」

 

 モロトフの同意に軽く頷きつつ、ミコヤンやオルジョニキーゼとも早めに対話をせねばならない、とスターリンは考える。

 彼らとスターリンの3人はカフカース派と呼ばれており、その関係は良好だ。

 午後は執務に充てようとスターリンは昨日は考えていたが、今日のうちに会っておこうと彼は思う。

 まずはミコヤンだとスターリンは確信する。

 

 彼自身が柔軟な発想の持ち主である。

 そして、彼の弟はアルテム・ミコヤン――後にミハイル・グレーヴィチと共にMIG設計局を立ち上げる人物。

 

 これまで以上に関係を深めておいて損はない。

 

 

「午後にはミコヤンと会おうと思う」

「連絡しておきましょう」

「頼む」

 

 モロトフに頼み、まずは腹ごしらえだとスターリンは食事に専念するのだった。

 


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