あなたがスターリンになったらどうしますか? 作:やがみ0821
ヒトラーは総統官邸の執務室にて、思考に耽っていた。
「イギリスもフランスも、そしてアメリカすらもドイツがソ連を叩くことを認めたのだ」
良いように使われていると言えなくもないが、ヒトラーからすれば東方生存圏の確立と共産主義者の根絶ができるならばどうでも良い。
既にイギリス・フランスからの支援は届き始めている。
何よりもヒトラーにとって大きいのはアメリカすらも支援をしてくれることだ。
アメリカは国内世論の関係で大っぴらにできないが、以前より中立国経由で彼の国も物資や資源を送ってくれていた。
反共という点においてのみ、ヒトラーはこの三国をはじめ、世界の国々とは協力できると考えている。
協力できないのは日本くらいなものだろう。
スターリンから届いた日本人向けの演説映像を有難がって、映画館で公開する程だ。
噂によれば、スターリンが流暢な日本語を話すらしいが、明らかに影武者だろう。
とはいえ、ヒトラーとしても、日本の立地には同情を覚えなくもない。
常にロシアの脅威に晒され、遂にはその豊富な資源により日本は屈服させられてしまったのだ。
しかし、ヒトラーにはソ連に関して大きな悩みがあった。
「反共十字軍といえば聞こえは良いが……問題なのはソ連軍が精強であることだ」
スペイン内戦で戦ったが――強力な装備と高い練度・士気により強敵であった――それはヒトラーすらも認めることだ。
ドイツ軍が一進一退という状況に、予想されるソ連との戦争に打ち勝つ為に強力な戦車をはじめとした兵器類の研究開発・量産の指示をヒトラーが下したことは鮮明に記憶に残っている。
国防軍からはポーランドやオストプロイセンにソ連軍を引き込んで、延々と叩き続けるという作戦計画が提出されており、ヒトラーもそれを承認していた。
ポーランドやオストプロイセンを戦場とするならば、たとえ英仏が背後から襲いかかってきたとしても、すぐに対応できる。
何よりも、補給線をできるだけ短くしなければソ連軍に押し負けることはヒトラーでも分かっていた。
かといって戦争をしない、という選択肢はない。
領土の奪還はほぼ達成されており、内政に注力をしたいところであるがそこで邪魔をしてくるのは膨れ上がった借金だ。
メフォ手形の償還がドイツ経済に伸し掛かりつつある。
既にインフレ圧力は高まっており、程なくして致命的な破綻を迎えると予想されていた。
それをどうにかする為には戦争によって、領土や賠償金を獲得し、メフォ手形の償還の為に財源を確保する必要があった。
戦争以外の手段も一応存在する。
ハイパーインフレを覚悟して、通貨を大量発行してそれを償還に充てることだが、それでは世界大戦直後のドイツに逆戻りしてしまう。
ヒトラーは選択を迫られた。
西に行って英仏と――そして先の世界大戦のときのように、後から出てくるだろうアメリカと戦うか、あるいは東に行ってソ連と戦うか。
北欧方面に向かえば英仏ソの全てを敵に回す可能性があり、南は同盟国のイタリアに蓋をされている。
ヒトラーは自分の望みでもある東方生存圏と共産主義者の根絶を選んだ。
地理的にもソ連とは陸続きであることから、海軍の整備に予算や資源を割かなくても良いというのが大きなメリットであった。
イギリスやアメリカと戦う場合、問題となるのは海軍だ。
両国の海軍と対等まではいかなくても、最低限戦えるだけの艦艇を揃える必要があり、それによって資源と予算を大量に消費することは想像に難くない。
そんな余裕はドイツのどこにもなかった。
その為、ソ連海軍を仮想敵とすることに切り替えている。
とはいえ、工事が進んでいた艦はそのまま建造が進められており、これにはビスマルク級戦艦2隻やグラーフ・ツェッペリン級空母1隻などが含まれる。
これら以外の艦は大半がキャンセルされ、浮いた予算は全て陸空軍に回された。
また効率的な生産体制の確立の為、軍需省を新設し、そこにヒトラーは自らが信頼するアルベルト・シュペーアをその大臣に据えた。
彼はヒトラーの後押しもあって、フリッツ・トートが率いるトート機関――労働力の提供元――と協力しつつ門外漢でありながらも期待に応えてくれている。
そしてヒトラーだけでなく、政府内や国防軍においてもソ連が近い将来に侵攻してくることは確実視されていた。
ポーランドが間にはあるが、今の惨状を見れば例えドイツが何もしなくても、ソ連が西欧へ食指を伸ばしてくることは明らかだ。
ヒトラーは事前にポーランドで騒乱が起こることはイギリスより教えられていたが、今回のポーランド内戦に関して、イギリスが裏で糸を引いているというわけではないことが国防軍情報部のカナリスより報告されている。
イギリス・フランスがやったのはポーランド政府に対して、ダンツィヒとポーランド回廊をドイツへ割譲するよう説得しただけのようだ。
それはきっかけに過ぎず、元々内政に不満があったポーランド国民を煽ったのはソ連であると結論付けられていた。
勿論、こうなるだろうとイギリスとフランスが予想はしていたのだろうが。
「私は貧乏籤を引かされたのかもしれない」
ヒトラーは呟き、自嘲気味に笑う。
当時のドイツで力があった政党は彼が率いるNSDAPと社会民主党(SPD)、そして共産党(KPD)だ。
ソ連と直接繋がっているのは共産党だろうが、社会民主党も怪しいものだった。
元々、ドイツ共産党の前身であるスパルタクス団は社会民主党の急進的な連中が分離して結成したものである為、両者が繋がっていないと信じる方が無理だ。
共産主義は派閥が多すぎて、よく分からないがヒトラーは全部纏めて始末すべきであるという考えを持っている。
NSDAP以外ではドイツは間を置かずにソ連の軍門に下っただろう、と彼は当時から思っていた。
しかし、現状を考えるとその2党以外では、どの政党がやっても同じではないかと思い始めている。
誰がやってもヴェルサイユ条約により齎された経済的な袋小路から脱出できず、そこに加えて世界恐慌による悪影響。
さらにはヴァイマル共和政自体が失敗であったこともある。
NSDAPが現れるまで、どの政党も単独組閣ができる程の支持を得られず、議会は内閣不信任決議が乱発された。
これによって共和政施行からヒトラーが就任するまでの14年間で、在任期間が1年保った首相が珍しい有様だった。
政治的にも経済的にも詰んでおり、外交だけはかろうじて首の皮一枚で繋がった状態。
それがヴァイマル共和国の実態であった。
ヒトラーは弱気な考えを振り払うように首を振る。
「ソ連を倒せばうまくいく……そう信じるしかない」
ヴィルヘルム・カナリスは自らの執務室で悩んでいた。
それは対ソ戦に関するものであり、アメリカ・イギリス・フランスの支援があっても敗北は避けられないという予想が国防軍より密かに彼へ提出された為だ。
カナリスとて予想していたことであり、驚くべきことではない。
黒いオーケストラ――ゲシュタポがそう呼称する反ヒトラーグループ。
それにはカナリスも参加していた。
しかし、反ヒトラーグループにおいても、ソ連の影響を無視できないという意見が主流だ。
反共という点においては、ヒトラーと共通している。
だが、敗北する未来が分かっているのに、ソ連との戦いへ突き進むのは意味がない。
その思いはグループ内において共通したものだ。
またソ連軍がドイツ領内に雪崩込もうとしたならば、イギリスとフランスは赤化を防ぐ為に、背後から襲いかかってくる可能性が高い。
これらによってドイツは最悪、英仏ソの三カ国によって分断される可能性もグループ内では予想されていた。
そのとき、カナリスはあることを思いつく。
「ドイツがソ連との防波堤になるのは良いが……実際に戦争をしなくても良いのではないか?」
外交的にソ連をどうにかできるとは思えないが、それでも永遠に軍拡をし続けることは互いに不可能だ。
いつになるか分からないが、将来的に対立を緩める――緊張緩和へもっていき、戦争をせずに対立を終える。
少なくとも、ソ連と戦って膨大な死傷者を出すよりは遥かにマシではないか――?
防波堤となる代わりに、ヴェルサイユ条約の賠償金支払いの免除とまではいかずとも減額や猶予であったり、ソ連との戦いに備えるという名目で経済的な支援を引き出せることができれば――!
カナリスはルートヴィヒ・ベックやカール・ゲルデラーといった反ヒトラーグループのメンバー達に、この考えを提案しようと決意したのだった。
ヴァイマル共和政時代のドイツを立て直せる人物がいたら、間違いなく人類史に残る英雄になれるゾ。