あなたがスターリンになったらどうしますか? 作:やがみ0821
その日、アフガニスタンとの国境に近い、ヌシュキという街はいつもと変わらない夜明けを迎えていた。
しかし、すぐにいつもとは違う、騒々しい音が聞こえ始めた。
その音はどんどんと数を増し、消えることはない。
アフガニスタンとの国境地帯における警備状況を報告する為、偶々滞在していたイギリス人の将校はすぐにそれが戦車のエンジン音だと分かったが、困惑した。
音の聞こえる方角的に、アフガニスタンから戦車部隊がやってきているだろうことは予想ができた。
しかし、あの国の軍が戦車を大量に配備したなどという情報はない。
そもそもアフガニスタンがインドに攻め込んだところで、勝負にならないのは火を見るより明らかだ。
状況が分からないが、ともかく報告だと将校が決断したとき――彼は激痛とともに地面に倒れ伏す。
目出し帽を被った男の姿が見えた気がしたが、程なくして彼の意識は暗転した。
1940年11月6日――
インド国民軍によるインド解放が幕を開けたのだが――これだけではない。
ほぼ同じ頃、インド各地で司令部や飛行場をはじめとした軍事施設を含む、多くの施設に対する攻撃が開始されていた。
これらの施設に対する攻撃は事前に潜入していた、赤軍の特殊部隊によるものだ。
また、アフガニスタン方面から無数の航空機が編隊を組み、インドへ侵入しつつあった。
無論、それら航空機に描かれたマークは赤い星ではなく、インド国民軍のマークであり、パイロットもまたインド国民軍仕様の飛行服を身に纏っていた。
「振り上げた拳を下ろすにはちょうどいい」
スターリンは執務室でそう呟きつつ、戦況に関する報告書を読む。
インド解放作戦の開始から半日が経過していた。
半年程前、どうしても人が集まらず、助けを求めてきたチャンドラ・ボース。
スターリンはインド国民軍へ赤軍部隊を義勇軍として派遣するという形で応えた。
戦車や装甲車などにあるマークは全てインド国民軍のものであるが、中にいるのはインド人ではない。
建前上はインド解放の情熱に燃え、ソ連軍を退役してまで義勇兵として参加した者達ということになっている。
その数、陸軍のみでおよそ30万人。
チャンドラ・ボースが指揮を執るのは彼が自ら集めた人員のみであり、残りの義勇軍はコンスタンチン・ロコソフスキーが指揮を執る。
ロコソフスキーも赤軍を退役したことになっているが、誰がどう見てもソ連軍が本格的にインドへ侵攻したようにしか見えないだろう。
しかし、彼らは全員退役しており赤軍の所属ではない為、ソ連は無関係と言い張ることができる。
「必要ならば、もう30万人くらい義勇軍として派遣しよう」
インド人がどれだけイギリスに味方するかにもよるが、ソ連にとってこの程度の追加派遣ならば大したことではない。
何よりもインドが独立し、ソ連と軍事的・経済的に同盟を結ぶことができたならば、計り知れない利益がある。
アフガニスタン政府には領内通過を認めさせる為、色々な支援をする羽目になってしまったが、それでも安い買い物だ。
戦争は避けたいし、アメリカが出てくると面倒くさい――だが、それでもスターリンはやるときはやるつもりだ。
勿論、その場合はイギリス側から手を出させることになる。
そっちのほうが人民のやる気を引き出せる上、国際社会にも加害者はイギリスだと主張できるからだ。
その根回しも念の為に進めている。
各国のマスメディアには順調にソ連の息がかかった者や、あるいは感化された者が多くいる。
彼らを使って世論を煽れば、正義はソヴィエトにありとすることも不可能ではないだろう。
もっとも、イギリスが卑劣で汚いことをやってきたのは歴史的事実であり、それをありのままに伝えるだけで反英感情を煽れるかもしれない。
またイギリスとの対決にあたっては海軍が重要であるが、スターリンは少しだけ自信があった。
「海軍の整備も順調だ」
艦船は戦車や飛行機のように、短時間で一気に作ることはできない。
その為、建艦計画が重要であり、現在ヨークタウン級モドキ――オリョール級空母は既に2隻が就役し、もう2隻が竣工間近だ。
これを叩き台として、更にスターリンの入れ知恵で史実におけるエセックス級空母に類似したスペックを持つ艦船の設計が進んでいる。
勿論、護衛となる巡洋艦や駆逐艦や空母艦載機の開発とパイロットの育成についても抜かりはない。
史実にはなかったソ連海軍機動部隊。
アメリカや日本からすると、こじんまりとしたものであるが、侮れない戦力を備えつつある。
各方面に均等に配備などということはせず、まずはバルト海艦隊に集中配備する形となる。
空母は集中運用してこそ、威力を発揮するというスターリンの考えによるものだ。
また造船所の拡張や設備の増強も順調であり、建艦能力の強化は着実に進み、造船技術の蓄積と向上に努めている。
平時である今、その能力の大半を大型タンカーや貨物船、コンテナ船といった様々な民間船の建造に振り向けられており、これらの船舶はソヴィエト国内の輸送は勿論、各国との貿易に大いに貢献していた。
「いよいよ日本と同盟を結ぶことができる……軍事交流も始まるから楽しみだ」
スターリンがもっとも満足しているのは、日本陸軍にしろ日本海軍にしろ、資源という制約が無くなったことで存分に燃料を使って、訓練ができている点だ。
他にも大神海軍工廠の建設に本格的に乗り出したらしいことが報告されている。
史実通りに大和型戦艦の建造も始まっていたことから、今年中に1番艦の大和が就役するだろう。
空母と航空機は戦艦を実戦で撃沈できるとは証明されておらず、大艦巨砲主義者達は元気いっぱいだ。
このままいけば超大和型が出てくる可能性は大いにあり、各国においても戦艦は進化し続けるかもしれない。
ソ連としても、戦艦の建造は一応続けるが、それは他国に比べて隻数も少ないものになることは確定している。
戦艦の建造を止めて、空母のみの建造に切り替えると、他国が空母と航空機が時代の主役であると気づく可能性がある。
なるべく気づかれる時間を引き伸ばし、その間に対艦ミサイルを開発してしまおうという寸法だ。
スターリン個人としては戦艦はカッコいいし、沿岸部限定の対地砲撃に関しては効率は良いかもしれないが、建造及び維持の費用が掛かる割に空母と比べると汎用性に乏しいのである。
そんな費用対効果の悪いものに予算と人員と資源を突っ込みたくはない。
スターリンは日本のことを考えつつ、戦況報告書に視線を落とす。
事前に潜入していたスペツナズ――インドは広いことから、潜入した部隊の数も多い――による破壊工作が功を奏したのか、全体的に順調だ。
英印軍は混乱し、その間にインド国民軍は解放地域を順調に広げている。
国民軍が機械化されているのは勿論のこと、インドが乾季となる11月に作戦を開始したというのも有利に働いている。
さて、イギリスからの情報によると、イギリス政府は混乱しているものの、ただちに英印軍に反乱軍の討伐を命令したようだ。
同時に周辺地域から兵力を集めて輸送することも決まったらしい。
なおソ連が関与しているという抗議文がイギリス大使経由で早くも届いたが、スターリンは関与していないと反論した上で、イギリスがインドに対してやった仕打ちを事細かに書き綴って送り返している。
今のところ、それに対する返事はない。
念の為にスターリンは戦時体制への移行や動員令の発令に関して、準備を進めるよう指示を下してある。
イギリスが宣戦布告してくる可能性は否定できない。
「やるなら受けて立つ」
スターリンは虚空を睨みながら力強く呟いたのだった。