あなたがスターリンになったらどうしますか? 作:やがみ0821
クルード・オーキンレックは未だに信じられない。
たった1週間で、全てはひっくり返ってしまった。
彼は英印軍の総司令官として、デリーにある司令部にて指揮を執っていたが、もはやどうにもならない状況だった。
アフガニスタン国境から侵攻したインド国民軍なる連中は、インド各地で英印軍を撃破し、その占領地域を順調に広げている。
インド国民軍にはチャンドラ・ボースの姿が確認されているだけでなく、国民軍側は空から大量のビラをばら撒いた。
そのビラは独立を煽りつつも民衆は戦闘に巻き込まれない為に避難するよう求めていた。
これと前後してガンディー率いる国民会議派が声明にて、イギリスに対してインドから立ち去るよう告げている。
ところでイギリス政府は11月8日には、水面下でガンディーらにインドをイギリス連邦内の自治領として認めるという懐柔策を提示していたが、彼らはこれを拒否していた。
なお史実においても、日本の破竹の進撃に慌てたイギリスは同じ提案をしていたが、ガンディーは同じように拒否している。
チャンドラ・ボースとガンディーが裏で繋がっているかどうかは不明だが、この機会を逃すわけがないだろう。
そして彼らの行動によって、イギリス軍がインド人を集めて、部隊を編成するというのが非常に困難になっている。
幾つかのインド人部隊がインド国民軍に寝返ったという情報やインド人兵の脱走が多発しているという報告もあり、このような状況で募兵して獅子身中の虫にでもなられたら目も当てられない。
「今まさにインドは陥落の危機なんだぞ……!」
オーキンレックは嘆かざるを得ない。
本国軍やオーストラリア軍、ニュージーランド軍は、ようやく港を出港したところであり、もっとも迅速に行われる筈であった中東方面からの兵力転用に関しては中東にて反英武装闘争が激化した為、御破算となっている。
何よりもお手本にしたいくらいに、敵軍は手際が良い。
軍事侵攻の直前に複数の重要施設を襲撃し、こちらを混乱させた上で、空陸から立体的に攻め寄せる。
おまけに質も量も向こうが圧倒的に上だというのだから、やってられない。
何よりも痛かったのは各地の線路を複数箇所で爆破されていることだ。
線路の修理は容易だが、破壊もまた容易であり、有効なやり方であった。
これによって物資や兵力の輸送が思うように進まない。
今朝、修理したところが昼にはまた爆破されていたり、あるいは別の箇所が爆破されているというイタチごっこの状況だ。
かといって鉄道の線路を警備するだけの兵力はどこにもない。
イギリスにとってインド以外の植民地においても状況は悪化する一方だ。
インドにおける反乱を契機として、アジアやアフリカなどの植民地でも反英武装闘争が開始されたのだ。
本国政府は自治領とすることを独立派に提示しているようだが、インドと同じくことごとく断られているらしい。
それも当然だろう。
ソ連が後ろ盾になって、豊富な物資と武器、人員までも供給しているのだから。
「インド国民軍は、どう見ても偽装したソ連軍だろう」
チャンドラ・ボースも最悪の敵を引き込んだ、とオーキンレックは悪態をつくが、彼にできることは少なかった。
デリー周辺にいた部隊をかき集め、再編成の上で防衛線を構築しているが、戦況は極めて悪い。
英印軍と一括にされがちだが、英印軍とはインドを恒久的に拠点とし、在外イギリス人将校によって募兵されるインド陸軍と在印イギリス軍の2つを纏めた呼び方だ。
後者は任期が終われば別の地域へ移動する本国軍の部隊である。
そして、現在、インドにいる部隊の1つには最新鋭戦車であるセンチュリオンが配備されていた。
センチュリオンはスペインで独ソの戦いを観戦した陸軍将校達が揃って従来の戦車ではまったく太刀打ちできないと上層部に直訴し、急ピッチで開発が進められたという経緯がある。
17ポンド砲を装備し、装甲と速力が高いレベルでバランス良く纏まっており、独ソの戦車にも対抗できると予想されている。
だが、本国駐屯の部隊へ配備が優先されていることもあり、在印イギリス軍に配備されているのは僅か1個中隊でしかなく、焼け石に水だ。
それに対して、1両見つけたら30両くらいはいそうなのが、ソ連軍の戦車である。
いったいどれだけの兵力を注ぎ込んでいるのか、オーキンレックは敵ながら羨ましく思えてしまう。
「インドにいる部隊が全て本国軍なら対抗できるが……」
本国軍と植民地軍では練度や士気は勿論、装備の質において大きな差がある。
戦車を例に挙げると、ゲリラ相手には十分戦えるマチルダをはじめとした、型落ちした戦車ばかりだ。
これは空軍に関しても同じであり、ソ連空軍相手に数だけでなく、機体性能やパイロットの腕でも負けるという、悲惨な状況であった。
オーキンレックは地図を見る。
西部方面は既に敵の手に落ち、南部も数日以内にソ連軍によって完全に占領されるだろう。
現在、デリーからカルカッタに通じる回廊は何とか維持しているが、それはソ連軍が南部の制圧に兵力を振り向けているからに他ならない。
しかし、ビルマでも武装蜂起が起こっている為、このままでは挟み撃ちになる可能性が高く、占領地域の奪還は疎か回廊維持すらも既に危うくなりつつあった。
そして、独立闘争は他の列強の植民地にも次々と飛び火していく。
その間、ソ連は世界各地の独立闘争とは無関係としつつも、人民に対する列強の不当な搾取を糾弾し、植民地の独立を認めるよう世界各国の人民へ向けてラジオ・新聞といったマスメディアにて継続的に発信した。
特にイギリスがやったことについて事細かにソ連は伝えつつ、どさくさに紛れて日本と同盟を正式に結んだ。
また、これと前後してドイツでも大きな動きがあった。
ベルリン市内は物々しい雰囲気に包まれていた。
市内には戒厳令が敷かれ、国防軍部隊が各所の警備にあたっている。
そのような中、総統官邸の前に複数の自動車が到着した。
それぞれの車内からベックやカナリス、ゲルデラーといった黒いオーケストラの面々が降り、足早に総統官邸へ入っていった。
彼らの目的地はヒトラーがいる執務室だ。
正確には国防軍の兵士達によって、執務室に監禁されているというのが正しい。
執務室の前には数人の兵士が警備にあたっており、カナリスが代表して尋ねた。
「総統は部屋にいるか?」
「おられます」
その答えにカナリスは頷き、そのまま扉を軽く叩いた。
入り給え、という声が聞こえた為、彼は扉を開く。
そこには寛いだ様子のヒトラーがソファに座っており、彼は激昂することもなく静かに問いかけた。
「諸君、これからドイツをどうすれば良いか? このようなことを仕出かしたのだから、何かしらの案はあるのだろう?」
問いかけに対し、カナリスが答える。
「総統、信じられないと思いますが……ソ連です」
「あのスターリンが? そんなものは一時的に過ぎないだろう。君達も反共であったと思うが、いつから共産主義者になったのか?」
ヒトラーのもっともな言葉にカナリスは懐から書簡を取り出し、彼へ差し出した。
それを受け取り、ヒトラーは読み進める。
そこに書かれていた内容にヒトラーは目を疑い、思わず問いかける。
「これは偽物か?」
不可侵条約の締結をはじめ経済的な支援などの様々なことが書かれていた。
その一方で幾つかの地域をソ連の勢力圏と認めるように、とされていたが、それらはヒトラーからしても納得ができる部分だ。
正直、ドイツにとって話がうますぎる。
「総統、もしもスターリンにその気があったなら、あの時、動員を解除していません。それにスターリンの思想は我々が知っているような共産主義者とは違います」
カナリスの言葉にヒトラーは問いかける。
「あのソ連を信じられるのか?」
「信じることがドイツの国益にかなうのならば信じます。少なくとも、八方塞がりの現状を打破する手段にはなるでしょう」
問いに答えたのはゲルデラーだ。
ヒトラーはその言葉を受け、呟くように告げる。
「……ソ連と結ぶのならば、私やNSDAPがいては邪魔になる。ただ、我々はドイツのことを第一に考えて行動していた。それだけは確かだ」
ヒトラーの言葉を受け、カナリスが告げる。
「それはドイツ国民ならば誰もが認める事実です。あなたはドイツが失った領土を、綱渡りとはいえ外交で取り戻してくださいました。あなた以外ではできなかったことでしょう」
「……ありがとう。そう言ってもらえるなら私としても満足だ。ソ連とスターリンにはくれぐれも気をつけてくれ。油断のならない連中だ」
そこで言葉を一度切り、ヒトラーは黒いオーケストラの面々に向かって告げる。
「私は政治の場から引退する。親衛隊の武装解除をただちに行おう。無用な衝突はドイツの敵を利するだけだ」
ヒトラーはそう宣言したのだった。