エースを探せ!   作:66

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ファーストの男


 成宮鳴にとって、四番ファーストは指定席のようなものだった。

 彼が野球というものをはじめてからというもの、ファーストには同じ男が座っていたのである。

 

 眠たげな眼に、ファーストにしておくには惜しい守備範囲。なによりも、圧倒的な打棒。

 

 ちらりと、一塁方向を見た。金髪碧眼のランナーと共に、その男は立っている。

 

 牽制か?

 

 相変わらず半開きの眼が、一応とばかりにそう問うてくる。現在7回表一・三塁のピンチ。牽制は全く必要ない……わけではないが、リスクが大きい。

 

 確かに、ファーストランナーが二塁に盗塁すればピンチは広がるだろう。だが、この場合最も注意すべきは三塁ランナー。もし牽制球が逸れれば、その時点で勝ち越しを許す。

 

 前を向き、フォームを整え、腕をふる。それを96回繰り返した。援護点は2。ファーストの男のソロ2発のみ。

 

(球が動くってのは、厄介だもんな)

 

 成宮鳴は、エースである。援護の無さを責めるようなことはしない。本当は四番の前に出てくれと悪態のひとつも付きたかったが、ぐっとこらえてマウンドに居る。

 

(落ち着け)

 

 セットポジションからの投球は、正直言って慣れていない。と言うよりも、ランナーを出すということに慣れていない。出すようなピッチングを、彼はしてこなかったから。

 

 だが、さすがはU15。世界相手ともなれば、ランナーを出さずに無双というわけにも行かない。

 

 遠く感じる18.44メートルの彼方。捕手の掲げるぼんやりとした茶色にめがけて、成宮の指先から白球が放たれた。

 

 打席には、六番。バットが畳まれ、横になる。

 

(スクイズ!)

 

 一塁方向に、白球が転がる。

 そう思って駆け出そうとした脚を、成宮は慌てて止めた。猛然と詰めてきた長身の男が白球を左手で掻っ攫って下手投げでホームへ。帰ってこようとした三塁ランナーは三本間で挟まれ、万事休す。赤いランプが1つ増えた。

 

「サンキューな、東」

 

 疲労が浮かんだ顔を白けた眼で見て、ファーストの男こと東は一塁へ帰りながら囁いた。

 

「次は三振でいいぞ、鳴ちゃん」

 

「なんでもいいだろうが」

 

 赤ランプは2つ。つまるところは2アウト。外野フライでも内野フライでも、ゴロでもライナーでもいい。

 

「次の攻撃は誰からだ?」

 

「お前からだろ」

 

「そうだ。気持ちよく打席に入らせてくれ」

 

 今日のお前のピッチングは、リズムが悪い。暗にそう言われて、ムッとする。

 だが、怒りをぶつけるべき相手はファーストより程近く。彼が坐すマウンドからは、近いようでだいぶ離れている。

 

「あの野郎……」

 

 三振を取れと、簡単に言う。その難しさは、彼が一番知っているはずだった。小・中の間、奴はついぞ一回も三振しなかった。エース様の投球練習でもパカンパカンとホームランを打ち二塁打を打ち、まともに空振りすらしなかった。

 

(思い出せ、俺)

 

 目の前の打者は、アメリカ代表の七番打者。下位打線だが、侮れない。それは間違いない。

 

 だが、あのファーストの男と比べてどうなのか?

 

(あの!)

 

 ドン、と。勢いを増したストレートがミットの中に収まる。

 

(クソ野郎の方が!)

 

 同じコース、同じ球種。舐めるなと振り抜かれたバットが思いっきり下を通過し、風が舞う。

 

 間を開かせない投球。やけくそか、舐められているのか。その判別は、成宮を前にした彼にはつかない。

 白球が投げ返され、すぐさまセットポジションを取る。タイムを言う前に、白球が降ってきた。

 

(打ってやる)

 

 速球に負けずに、振り抜いてやる。俺は七番だが、アメリカ代表の七番だ。

 

 そんな自信を持ってバットを振り抜かんとした彼の、時が止まった。

 

 球が、おそい。

 これまで見てきた、瞬きする間にミットに収まる快速球とは全く違う反重力の一投。

 

 チェンジアップ。

 速球にバカ強いファーストの男を翻弄するために習得し、完璧にモノにした必殺球。

 

 それが、バットが振り切られた後のミットに収まった。

 

 スリーアウト、攻守交代。

 

「おら、どうだァ!!」

 

 思い切り吠えた帰り際。隣を走るファーストの男に向けてミットをぶん投げんばかりに突き出す。

 エースの意地と、強烈なライバル意識。それが同時に激発した小柄な友を黒い瞳で見つめて、少し笑う。

 

「博打好きめ」

 

 グラブを突き出されたファーストの男は、口角をわずかに上げた。

 チェンジアップは、軌道で打者を苦しめる変化球ではない。遅く、やや落ちてバットをすり抜けていくだけの球。狙われれば完璧なホームランボールである。

 

 この大一番で、それを投げる。尋常な精神ではない。

 

「できると信じていたよ、鳴ちゃん」

 

「当ッたり前だろが」

 

 褒められて気を良くした成宮をよそに、グラブをもう使うことのないであろうベンチに置く。

 帽子からヘルメットに変え、東は金属バットを手にしてグラウンドへ出た。

 

「東ぁ!」

 

「わかったわかった。どこがいい」

 

「最低でも塁に出ろ! あとは俺が返す!」

 

 打撃一辺倒な東とは違い、成宮は打撃もできた。このオールスターと呼ぶべきU15でも、忖度抜きに六番に座っている。

 

「塁には出られんな」

 

「あ?」

 

 成宮鳴は、弱音を吐いた東勇輝を知らない。

 張り詰めていた身体から空気が漏れるように情けない声が漏れたのは、それが原因だった。

 

「いいか」

 

 バットを頭の後ろに回し、両手で抱える。屈伸はするが、素振りはしない。いつも過ぎるルーティーンと、いつもとは異なる弱気さ。

 

 そのアンバランスさを払拭するように、東勇輝は眠気の取れた眼で成宮を見た。

 

「ライト、センター、レフト。どれがいい」

 

 その不敵さに、思わず笑みが漏れる。はやくと急かされる中で、成宮は迷わず前を指差した。

 

「スコアボードに叩きつけてこい」

 

 微笑んで、左打席へと歩いていく。ゆったりとして、急くような感の無い風格ある歩み。

 

 相手の投手は、代わっている。ソロを2本被弾した投手は、頑張っていた。特に2打席目は隣に座っていたキャッチャーの御幸が絶賛する程のリードと制球だった。

 

 1打席目は、軽々流してツーシームをレフトスタンドへ。

 2打席目は、内外高低をうまく使っていた。小さなカーブと小さなフォークを織り交ぜ、フルカウントで、見せていなかった決め球を投げた。

 

 内から喰い込む、大きなスライダー。踏み込めるはずもない、当たるのではないかという球。内角ギリギリに決まるはずだったそれは、金属が破裂するような異様な音を鳴らしてライトスタンドへ。

 

 がっくりと崩れ落ちた投手を、責めるものはいなかった。

 

「ほんと、よく見逃すよな」

 

 手をぷらぷらと振りながら、隣に座る御幸が呆れたようなため息を漏らした。

 

「振ってもいいだろ、今の」

 

 内角ギリギリに外れるツーシーム。平然と、身動きすらせずに見逃す。

 たぶん、1打席目であればストライクを取られていただろう。だが、ボール球に全くの無反応だったこれまでの2打席がこの1球をストライクからボールに変えた。

 

「あいつ、憎たらしいほど眼がいいから」

 

「そのわりには誇らしげだけどな」

 

 茶化されて、反論しようとしてやめる。

 食い込んで来たスライダーをこれまた避けもせずに平然と見極め、2ボール。

 

「次だな」

 

 御幸と成宮の言葉がかぶった。

 2ボールからのスイング率が極めて高いことを、片方はデータとして、片方は経験として知っている。

 

 相手投手が、たまらないとばかりに間を取った。その気持ちは、2人共とてもよくわかる。

 

「そういえば、ライトやらなんやら言ってたけど何だったんだ?」

 

「ああ。どこにホームラン打ってほしいかって言われたんだよ」

 

「そりゃあ……やりそうで怖いが」

 

 御幸は、同地区のシニアの正捕手だった。幾度となく対戦し、幾度となく苦渋を舐めさせられてきたからこそ、やりかねないということを知っている。

 

 引き攣った顔をする御幸の頭の中には、これまでまんまと打たれてきたホームランの数々。たぶん、10本はくだらない。打率は7割近くあっただろう。

 

「『センターのスコアボードへ』って言ってやったよ。この球場はセンター方向が一番広いからな。スコアボード直撃目指して振れば、引っ張り気味にならざるを得ないし……」

 

 そうすれば、ホームランの可能性も高まる。流し方向への異様な伸びで軽視されがちだが、東は引っ張ったときの方がデカイのを打てる。

 

「よく考えてるな――――」

 

 試合が動き、会話が止まる。間を崩されても平然と、東勇輝は打席に居た。

 

(なんとまぁめんどうな小細工を)

 

 間を取る。タイミングを外す。これは打者にとって、厄介というよりも面倒な行為である。

 さあ来いと、一度構える。そうなれば当然臨戦態勢になるわけで。

 そこで間を外されると、拍子抜けする。チェンジアップと同じように、空振りしたような格好になる。

 

 間を取っている間、投手はプレートに脚をかけたり外したり、グラブをずらしたり球を持ち替えたり。

 一方東は、バックスクリーンを見ていた。

 

 当然ながら、英語である。人名以外は、まるで読めない。

 

(かみやなんたら、しらかわなんたら、やまおかなんたら、東勇輝、みゆきなんたら、成宮鳴)

 

 そこまで読み終えたところで、間が終わった。打席に戻るよう促され、東はバットを前に突き出して目の照準を合わせた。

 

 前に出した腕を引いてとった構えは、オープンスタンス寄りの基本型。肩にヘッドを載せて担ぎ、背を弓のように反らす。

 

 腰を落としてどっしりと構える姿には、これぞ四番という風格があった。威圧感、とでも言うべきか。

 捕手が構えを完全に固定した東の様子をうかがい、怯んだように外に構える。構えられたミットを見て首を振り、それを見て僅かに内へ。

 

 それを繰り返して、コースが決まった。インロー。大きく構えたフォームの都合上、最も打ちにくいコース。

 だが、ボール1個分内に入るだけでスタンドへ持っていかれるだろう。

 

 シニアの7回裏は、高校で言うところの9回裏である。つまり、点を取られたら終わり。もっと言えば、ホームランで終わり。

 

 捕手としては、四球覚悟のボール気味の球で勝負する気だった。投手としては、コースをギリギリついての勝負で打ち取る気だった。

 

 捕手から見れば、東には2本のホームランを打たれている。そう簡単に打ち取れないという危機感、むしろどこ投げても打たれるんじゃないかという恐怖感すらある。

 

 投手から見れば、あくまでも2被弾したのは他人である。前は打たれたが、俺なら打ち取れるという自信があった。

 

 逃げのリードと、強気の投手。お互いの折衷案が、このインロー。

 球種は詰まりやすい動く球。これにしたって、ストレートで決めに行きたい投手と変化球で外したい捕手の折衷案。

 

 全てにおいて中途半端な球は、18.44メートルの彼方から放たれた。クセ球とはまた違う、明確に手元で動くツーシーム。ズバリとインローに決まる、投手目線からすれば最高の、捕手目線からすれば最悪の球。

 

「それ」

 

 なにかが破砕したかのような打撃音の反響が収まるその前に、スコアボードを何かが叩く。罅が入り、跳ね返り、グラウンドへ何かが落ちた。

 

 一瞬の間をおいて、大歓声が熱気を伴って渦を巻く。

 

「ゴルフじゃねーか」

 

 呆れたようなつぶやき。捕手として今の打席を見ての、御幸の感想がそれだった。

 

 腕を畳むというよりは、身体を曲げて東は打った。横から叩くのでも、下を叩いて飛ばすのでもなく、上を擦るのでもなく、下からすくい上げる。

 

 得意コースとか苦手コースとか、そういうお話ではない。腕が長く身体がでかいから届きにくいところを狙った。極めて理にかなっているのに、それすら容易く覆す打撃センス。

 

「上位打線が全員、稲実に行くんだろ?」

 

「そうだよ。今からでも考え直す?」

 

 捕手は空いてるよ、と。

 顔色ひとつ変えずに悠々とグラウンドを一周する東への突撃態勢を取りながら、成宮鳴は挑発的な笑みを見せた。

 

 成宮は、最強のチームを作るつもりだった。国際大会に選ばれるオールスターのメンツを揃えて同じ高校へ行き、甲子園を連覇する。

 

 激戦区西東京の三強が一角、稲城実業高校。ピッチャー・センター・ショート・ファースト・サードまでは揃えた。残りはセカンドとキャッチャー。

 そのキャッチャーの有力候補が、この御幸一也だった。彼は既に、青道高校への推薦入学が決まっている。

 

「いや、そんなやべぇチームを倒したいって気持ちは変わらねぇよ」

 

 御幸は笑う。どんな打者にも弱点はある。それを見つけ、投手と共に乗り越えてみせると。

 

「だろうね。楽しみにしてるよ、その足掻き」

 

 成宮は、不敵に笑う。自分が揃えたベストメンバーを倒せるものならば倒してみろと。

 

 国際大会が終われば、もう12月。進路は固まり、早ければ2月には寮へ入ることになる。

 

(乗り越えてやる)

 

 ホームベースに帰ってきたヒーローを、みんなで迎える。この試合、3の3、3本塁打3打点。先制ソロ、同点ソロ、サヨナラホームランとまさにひとりでエースを援護した四番の鑑。

 

 東勇輝。御幸が見てきた中で最強の打者。

 ひとりでは勝てない。リードだけでどうにかなる相手ではない。だが、投手と2人でなら乗り越えられる。

 御幸はこのとき、有りもしない山に登ろうとやっきになっていた。

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